恋い焦がれて

さとう涼

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4.交錯する恋のベクトル

019

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「彼女に電話で聞いてみたんだ。俺が見た人はやっぱり元彼だったよ」
「元彼ってバンドマンの人ですか?」
「そう。大学の頃につき合っていたそうだ。相手の男は大学時代からバンドを組んでいて、なんと最近メジャーデビューが決まったらしい」
「メジャーデビュー?」
「インディーズでは何枚かCDを出してるみたいで、かなり人気があるバンドらしいな。そうだ! この近くのライブハウスでよくライブをしていると言ってたな」

 ちょっと待って! 嘘でしょう!? メジャーデビューなんて、身近にそうそうある話じゃない。ライブハウスもこの近辺には一カ所しかない。

「あの……つまりその……佐野先生の彼女は元彼と浮気をしていたんですか?」
「それは違うと言ってた。俺が見かけた日は、彼女の家のパソコンの調子が悪くて見てもらったそうだよ」
「つまり、部屋でふたりきり?」
「まあな。どうも前々から連絡を取り合っていたらしいんだ。たぶん、相手の男は彼女に気があるような気がする。じゃないとパソコンを直しにわざわざ家に来るわけない。そう考えると、やっぱりこっちとしては腹立たしいよ」

 これはますます信憑性を帯びてきた。これだけで決めつけてはいけないけれど、とある人物が思い浮かぶ。男性のほうはナリ、そして女性のほうはカザネさん?
 あれだけ仲がいいふたりなのに、ナリがカザネさんに告白していなかったのは、ナリが自分の経済力を気にしているからではなくて、カザネさんに彼氏がいるからだと考えることができる。

「佐野先生の彼女は元彼のライブをよく見にいかれるんですか?」
「さあな」

 佐野先生はぶっきらぼうに言った。
 そりゃそうだ。部屋でふたりきりになっただけですでに許せない気持ちだというのに、ライブにまで足を運んでいるとなると、ふたりの関係をより深いものに感じてしまう。佐野先生が怒るのも当然だ。

 ナリたちはいつもだったら今頃は店をあとにしている時間だが、今日はビールを飲んでいるせいか、わたしが帰る時間になっても食事をしていた。佐野先生はナリがいたことにまったく気づいていなかったけれど、とんだニアミスだったんだ。
 でも、そこにカザネさんがいたら気づいていたかもしれない。
 今日、カザネさんがいなくてよかった。佐野先生はナリの隣に座っているカザネさんを見てしまったら、どれだけ深く傷ついていたのだろう。そう考えるだけで、心臓がバクバクした。
 でもこの先、あのファミレスで佐野先生とカザネさんが鉢合わせする可能性はある。いったいどうすればいいのだろう。

「彼女と別れようと思うんだ」

 衝撃のセリフを佐野先生が口にしたのは、わたしの住むマンション前に着いたタイミングだった。

「浮気はしていなくても、彼女の心が揺れているのはなんとなく感じるんだ」

 揺れているか……。ファミレスでのカザネさんを思い出すと、佐野先生の言っていることも頷ける。カザネさんもナリに好意があるのは明らかだ。
 それでなくても好きだから相手の気持ちを敏感に感じてしまうときがあると思う。電話でもそれは伝わるものだ。

「彼女、電話の向こうで泣いてた。たぶん迷っているんだ。告白でもされたのか、彼女も向こうの気持ちを知っているみたいで、俺に罪悪感を持っているんだと思う」
「だからってそれでいいんですか? 本当に別れちゃうんですか?」
「ああ。よく考えた結果だよ」
「そのことをわたしに言うためにわざわざお店に来るなんて、相変わらずまじめというか、まっすぐな人ですね」
「指輪のこととか、輝にはいろいろ世話になったから、一応報告しとこうと思って。こんなこと言われても迷惑だろうけど、まあそういうことだから」

 佐野先生は淡々と言った。
 わたしなんかに律儀に報告しなくてもいいのに……。
 別れると聞いて、うれしいとは思わなかった。逆に、わたしがきっかけを与えてしまったのだと恐ろしく思った。だって彼女は浮気をしているわけではなかったのだから。別れるというのはちょっと急ぎすぎのような気がする。
 どうしよう。わたし、余計なことを言ってしまったのかもしれない。
 それなのに、どうして? どうしてこんなわたしにやさしくしようとするの?

「なんで輝が泣くんだよ?」

 佐野先生がわたしの顔を見て、困ったように笑うと、あたたかい手で頬を伝う涙を拭ってくれた。
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