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第二章 無情な世界のメランコリー
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「まったく今日も相変わらず、平和ボケしてるな」
突然つぶやかれた冷めた声が教室を一瞬にしてしんとさせた。声の主は遠峯だ。彼のピリピリとした態度は今日も健在。クラスメイトたちはそれまで気さくだった遠峯の変わりように、どう接していいのかとまどっていた。
「まあまあ、遠峯。そうカリカリすんなって。みんな怖がってるだろう」
そう言って、妙に軽いテンションで現れたのは別のクラスの男子生徒。めぐるのよく見知った顔だった。
彼は梅村幸尚といって、めぐるの小学校時代からの知り合いだ。めぐるの兄と梅村の兄が同級生で仲がよかったので、めぐるも梅村だけは比較的心を許している。唯一といっていい男友達だった。
「別にカリカリなんてしてないよ。それより人のクラスになんの用だよ?」
「その言い方、冷たいなあ」
梅村は遠峰の席まで来ると、彼を見おろしながらため息をもらした。
遠峯はそれが気に障ったらしく、梅村を睨みつける。普段は見せない顔だ。
後方のめぐるの席からは遠峯の顔は見えないが、遠峯の放つピリピリとしたものは感じられた。
「古典の教科書忘れちゃって。遠峯、持ってる?」
「ない」
「ええー、なんでだよ!?」
「なんでって、今日はうちのクラスは古典の授業ないから」
「ロッカーに置いとけよ。わざわざ持ち帰るなんてまじめか」
「うるさいなあ、ほかのやつに借りればいいだろう」
遠峯は右手でシッシと梅村を追い払う仕草をする。梅村は参ったなというふうに頭を掻き、これ以上刺激するのはやめようと教室をぐるりと見まわした。するとめぐると目が合い、にこりとなる。すかさず、「いたいた!」とめぐるのもとに歩み寄った。
めぐるは長身の梅村を見あげた。梅村は学年の男子のなかでも垢抜けていて、格好いいといわれる部類だ。そのため女子からの視線を痛いほど感じ、落ち着かない。そうこうしているうちに周囲がざわつきはじめたが、めぐるはできるだけ平然を装った。
「梅村くんって、遠峯くんと仲がいいんだね」
めぐるはなんの気なしにたずねた。遠峯とは小学校も中学校も別々だが、梅村の明るくて人懐こい性格を考えれば、遠峯と仲がいいのもとくに不思議ではない。めぐるのクラスと梅村のクラスは体育の授業が一緒なので、そのときに親しくなったのかもしれないと思った。
しかし梅村は思ってもみなかったことを口にした。
「従兄弟なんだよ」
「そうだったの!? 知らなかったあ! でもあんまり似てないね」
「従兄弟同士なんだから、あたり前だろう。それほど似るかよ」
「それもそっか」
そう言いながらも、めぐるはこの意外なつながりに興味を抱いた。梅村なら遠峯の変貌の理由を知っているのではないかと思ったのだ。
温厚な遠峯が今や腫れものを触るような扱いをされている。どうして急にそんなふうになってしまったのか、理解できなかった。
「ねえ、なんで遠峯くんはあんなに機嫌が悪いのかな?」
「あー、それはだな……」
梅村はひどく言いにくそうだ。めぐるは期待してその続きを待った。
「あいつも今回のことでいろいろ思うことがあったのかもな。まあ、大目に見てやってくれよ」
だが結局は濁されてしまった。
「それより高比良、古典の教科書あるか? うちのクラス、二限目にあるんだけど、持ってたら貸して」
「わたしも家に置いてきちゃった」
「高比良もかよ」
「ごめん。あっ! ねえ、伊央は古典の教科書持ってる?」
めぐるに言われ、窓の外を見ていた伊央は隣に視線を移した。
「持ってる」
「梅村くんに貸してあげてくれないかな」
めぐるは軽い気持ちでたずねるが、伊央は警戒心むき出しの眼差しを梅村に向けた。
「へえ、高比良ってこいつと仲いいんだ。やっぱり近くで見てもかわいいな。髪を伸ばしたら美少女になるよ」
梅村が興味津々に伊央の顔を覗き込む。伊央は心底嫌そうに顔をそむけた。
「梅村くん、そんなふうにからかわないで」
めぐるが梅村をいさめる。
いくら伊央が中性的な顔立ちといっても、女の子に間違われるほどではない。「かわいい」というのは、明らかに梅村が調子に乗っている証拠だ。
「だって実際、その辺の女子よりかわいいじゃん。みんなそう言ってるし」
「みんな?」
「雫石くんは有名人だからね。うちのクラスの女子にも人気があるよ」
もちろん梅村には悪意はない。けれど伊央にとって、誰かが自分に興味を持つこと自体抵抗がある。
昔から近づいてくる人間は敵や偽善者ばかりだった。障がいのある左手を見ては、その異様さに息を呑んで目を逸らし、また近づくなと言わんばかりに嫌悪感を示す。理解を示そうとする者もいたが、愛想のない伊央にそのうち辟易するようになる。この梅村という馴れ馴れしい男だって、この左手を見ればほかの人間と同じ反応をするに違いないと思うのだ。
「伊央って、そんなに有名なんだ?」
「医療研究で世界的権威のひとりである天才博士の息子で帰国子女。顔は女の子みたいにきれいなのに、にこりともしなくて愛想もなくて、他人との接触をとことん拒む風変わりな美少年……。まとめるとそんな感じかな」
「散々な言われようなんだけど。失礼だよ」
伊央に関してそんなうわさがあるとは。しかし言われてみれば、伊央は人目を引く容姿だ。黙っていても存在感があり、孤高の美しさはたしかにある。
ただ当の本人は、「女の子みたい」と言われたのが気に入らず、相変わらずそっぽを向いて無視を決め込んでいた。
「伊央、この人、ちょっと無神経なところはあるけど、悪い人じゃないの。古典の教科書を貸してあげてくれないかな?」
めぐるはふてくされている伊央が心配になり、仲を取り持つように言うのだが、それでも伊央は頑なに拒んだ。
突然つぶやかれた冷めた声が教室を一瞬にしてしんとさせた。声の主は遠峯だ。彼のピリピリとした態度は今日も健在。クラスメイトたちはそれまで気さくだった遠峯の変わりように、どう接していいのかとまどっていた。
「まあまあ、遠峯。そうカリカリすんなって。みんな怖がってるだろう」
そう言って、妙に軽いテンションで現れたのは別のクラスの男子生徒。めぐるのよく見知った顔だった。
彼は梅村幸尚といって、めぐるの小学校時代からの知り合いだ。めぐるの兄と梅村の兄が同級生で仲がよかったので、めぐるも梅村だけは比較的心を許している。唯一といっていい男友達だった。
「別にカリカリなんてしてないよ。それより人のクラスになんの用だよ?」
「その言い方、冷たいなあ」
梅村は遠峰の席まで来ると、彼を見おろしながらため息をもらした。
遠峯はそれが気に障ったらしく、梅村を睨みつける。普段は見せない顔だ。
後方のめぐるの席からは遠峯の顔は見えないが、遠峯の放つピリピリとしたものは感じられた。
「古典の教科書忘れちゃって。遠峯、持ってる?」
「ない」
「ええー、なんでだよ!?」
「なんでって、今日はうちのクラスは古典の授業ないから」
「ロッカーに置いとけよ。わざわざ持ち帰るなんてまじめか」
「うるさいなあ、ほかのやつに借りればいいだろう」
遠峯は右手でシッシと梅村を追い払う仕草をする。梅村は参ったなというふうに頭を掻き、これ以上刺激するのはやめようと教室をぐるりと見まわした。するとめぐると目が合い、にこりとなる。すかさず、「いたいた!」とめぐるのもとに歩み寄った。
めぐるは長身の梅村を見あげた。梅村は学年の男子のなかでも垢抜けていて、格好いいといわれる部類だ。そのため女子からの視線を痛いほど感じ、落ち着かない。そうこうしているうちに周囲がざわつきはじめたが、めぐるはできるだけ平然を装った。
「梅村くんって、遠峯くんと仲がいいんだね」
めぐるはなんの気なしにたずねた。遠峯とは小学校も中学校も別々だが、梅村の明るくて人懐こい性格を考えれば、遠峯と仲がいいのもとくに不思議ではない。めぐるのクラスと梅村のクラスは体育の授業が一緒なので、そのときに親しくなったのかもしれないと思った。
しかし梅村は思ってもみなかったことを口にした。
「従兄弟なんだよ」
「そうだったの!? 知らなかったあ! でもあんまり似てないね」
「従兄弟同士なんだから、あたり前だろう。それほど似るかよ」
「それもそっか」
そう言いながらも、めぐるはこの意外なつながりに興味を抱いた。梅村なら遠峯の変貌の理由を知っているのではないかと思ったのだ。
温厚な遠峯が今や腫れものを触るような扱いをされている。どうして急にそんなふうになってしまったのか、理解できなかった。
「ねえ、なんで遠峯くんはあんなに機嫌が悪いのかな?」
「あー、それはだな……」
梅村はひどく言いにくそうだ。めぐるは期待してその続きを待った。
「あいつも今回のことでいろいろ思うことがあったのかもな。まあ、大目に見てやってくれよ」
だが結局は濁されてしまった。
「それより高比良、古典の教科書あるか? うちのクラス、二限目にあるんだけど、持ってたら貸して」
「わたしも家に置いてきちゃった」
「高比良もかよ」
「ごめん。あっ! ねえ、伊央は古典の教科書持ってる?」
めぐるに言われ、窓の外を見ていた伊央は隣に視線を移した。
「持ってる」
「梅村くんに貸してあげてくれないかな」
めぐるは軽い気持ちでたずねるが、伊央は警戒心むき出しの眼差しを梅村に向けた。
「へえ、高比良ってこいつと仲いいんだ。やっぱり近くで見てもかわいいな。髪を伸ばしたら美少女になるよ」
梅村が興味津々に伊央の顔を覗き込む。伊央は心底嫌そうに顔をそむけた。
「梅村くん、そんなふうにからかわないで」
めぐるが梅村をいさめる。
いくら伊央が中性的な顔立ちといっても、女の子に間違われるほどではない。「かわいい」というのは、明らかに梅村が調子に乗っている証拠だ。
「だって実際、その辺の女子よりかわいいじゃん。みんなそう言ってるし」
「みんな?」
「雫石くんは有名人だからね。うちのクラスの女子にも人気があるよ」
もちろん梅村には悪意はない。けれど伊央にとって、誰かが自分に興味を持つこと自体抵抗がある。
昔から近づいてくる人間は敵や偽善者ばかりだった。障がいのある左手を見ては、その異様さに息を呑んで目を逸らし、また近づくなと言わんばかりに嫌悪感を示す。理解を示そうとする者もいたが、愛想のない伊央にそのうち辟易するようになる。この梅村という馴れ馴れしい男だって、この左手を見ればほかの人間と同じ反応をするに違いないと思うのだ。
「伊央って、そんなに有名なんだ?」
「医療研究で世界的権威のひとりである天才博士の息子で帰国子女。顔は女の子みたいにきれいなのに、にこりともしなくて愛想もなくて、他人との接触をとことん拒む風変わりな美少年……。まとめるとそんな感じかな」
「散々な言われようなんだけど。失礼だよ」
伊央に関してそんなうわさがあるとは。しかし言われてみれば、伊央は人目を引く容姿だ。黙っていても存在感があり、孤高の美しさはたしかにある。
ただ当の本人は、「女の子みたい」と言われたのが気に入らず、相変わらずそっぽを向いて無視を決め込んでいた。
「伊央、この人、ちょっと無神経なところはあるけど、悪い人じゃないの。古典の教科書を貸してあげてくれないかな?」
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