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第一章 悲しみのエンパシー
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いつもは優雅で落ち着いた感じの華耶子だが、今日は息も荒く、眉間にも深い皺が刻まれていた。
事態を知っためぐるは目を大きく見開いて、華耶子に詰め寄った。
「あ、あの、ばっ、爆破予告って? どこが爆発しちゃうんですか!?」
「詳しい場所はわからない。とにかく爆発物は校舎に仕掛けられているらしいから、早くここから離れて! 予告時刻まであと十五分なの!」
華耶子はスマートフォンで時刻を確認すると、「早く!」とめぐるたちを促して走り出す。あとを追うようにふたりも校庭に向かった。
めぐるの頭のなかには、以前見たバトルもののアニメの3G映像が再現されていた。コンクリートの校舎が無残に崩れ落ちる光景が、めぐるの心臓の鼓動を痛いくらいに激しくさせる。死の恐怖というものを生まれて初めて味わっていた。
校庭までは二分もかからなかった。すでに全校生徒がクラスごとに列をなして待機している。しかしそれだけでない。防弾チョッキを身に着けた警察官の姿を少なくとも三十名は確認できた。
これは映画やドラマじゃない。テレビの向こう側の光景でもない。今ここで実際に起きているんだ。
「本物だ……」
めぐるは不安のあまり、伊央の左手をさらに強く握った。伊央は「大丈夫だよ」とめぐるの手に自分の右手を重ねた。
「なんでみんな、はしゃいでるの? これからパーティーでもはじめようとしているみたいだ」
伊央が騒然としている校庭を見渡しながらつぶやいた。
スマートフォンを手にしている者も大勢いる。おそらくこの状況をSNSにでもアップしているのだろう。それを見ていると、とても命の危険にさらされている者たちとは思えない。どこか他人事で、この非日常的な出来事を楽しんでいるようにすら見える。
つい数ヶ月前までアメリカに住んでいた伊央にとって、この光景はかなり異様に思えた。
アメリカは日本に比べると拳銃強盗事件などの犯罪発生率も高いし、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ以降も深刻な脅威にさらされている。近年も実際にテロが起き、犠牲者が出ているのだ。
「わたしは逃げる間、ずっと怖かったけど。ここは校舎から離れているし、大勢いるから危機感が薄れちゃうのかな」
めぐるはこの状況を理解できない伊央にやさしく解説した。
「大勢いるからこそ、狙われるのに」
「みんなどうせ爆発しないって思っているんだよ。日本の場合、爆破予告のほとんどがいたずらみたいだから」
それでも伊央はやはり納得できないようで、不満げだった。
「あなたたちは何年何組?」
相変わらず、華耶子の口調は厳しい。それでも気品さは保ち続けている。
めぐるは子どもだと思われないよう、できるだけ不安を隠し、落ち着いて答えた。
「一年一組です」
「もしかして高比良さんと雫石くん?」
「はい、そうです。でもなんでわたしたちの名前を?」
「筧先生が血相変えて、ふたりをさがしていたの。筧先生にはわたしから連絡するから、あとでちゃんと謝ること。わかった?」
まるで先生のように華耶子が言うので、めぐるは素直に「はい」と返事をする。
筧はめぐるたちの担任だ。担当教科は美術。目にかかるくらいに伸びた前髪がちょっとうざったい感じはあるが、端整な顔立ちのおがけか清潔感はある。おまけに二十八歳という学園ではかなり若手で、なおかつ独身であるため女子生徒に人気があった。
「ところで今は授業中よ。なのにどうしてあんなところにいたのかな?」
華耶子が静かに尋問する。華耶子の目がふたりのつないだ手に向けられそうになり、めぐるは伊央の手が見えないよう、さっと身体を前に出してから手を離した。
「それはあの、息抜きというか……す、すみませんでした」
めぐるは縮こまりながら頭をさげた。
「まあ、お説教はわたしの役目ではないからいいけど……。それより誰か不審な人物を見かけなかった?」
「たぶん、見ていないと思います」
“たぶん”というのは、めぐるは非常階段にたどり着くまで学園の生徒らしき人間と何人もすれ違ったが、この学園は制服ではないため、不審者なのか見分けがつかない。極端に年齢が違えば違和感を覚えるだろうけれど、そういう感覚は一切なかった。
「伊央は見た?」
振り向いてたずねると、伊央は「ううん」と首を振る。しかし華耶子に向けられた目はなにかを察知したように鋭かった。
「どうしたの? 気になることがあるなら話してみてよ」
「僕はなにも見てない。それより早く行こ。ここだと目立つから」
伊央がめぐるの腕を軽く引っ張る。
「あれ? あなたって──」
華耶子が伊央に向かってそう言いかけたときだった。ちょうど筧がやって来て、めぐるたちを見つけるなり、情けない声を出す。
「いたぁ……。おまえら、俺がどんだけさがしたかわかってんのか?」
「……す、すみません」
めぐるは華耶子のときと同様に縮こまりながら頭をさげた。
筧は学校中を走りまわっていたようで、顔には汗が大量に吹き出し、息もだいぶ乱れていた。
「高比良、雫石。おまえたちはいったいどこにいたんだ?」
「それはですね、えっと……ちょっと具合が悪くて休んでまして。伊央──雫石くんが心配して、ずっとつき添ってくれていたんです」
めぐるは非常階段のことを知られなくないと思い、嘘をついてごまかしたのだが、そこへ華耶子が口を挟む。
「この子たち、北棟の非常階段の踊り場にいたんです」
だよね? と華耶子がめぐるたちに正直に話すように促す。華耶子と目が合い、めぐるは「はい」と素直に認めるしかなかった。
「そんなところでさぼってたのか。雫石はいつものことだが、高比良も一緒とは。高比良は授業をさぼるタイプじゃないだろう?」
だったらなんなんですか? という言葉を飲み込んで、めぐるは奥歯を噛みしめた。
たしかに昔からまじめなイメージで通っているが、必要以上に人から注目されるのが嫌で無難に振る舞っているだけだ。成績はそれほど優秀ではないし、ガリ勉でもない。
「黙ってないでなにか言ったらどうだ? なんで、さぼったんだ?」
「筧先生、お説教の前に学年主任に早く報告をしたほうがいいかと思います」
華耶子が筧ににこりと笑いかける。
事態を知っためぐるは目を大きく見開いて、華耶子に詰め寄った。
「あ、あの、ばっ、爆破予告って? どこが爆発しちゃうんですか!?」
「詳しい場所はわからない。とにかく爆発物は校舎に仕掛けられているらしいから、早くここから離れて! 予告時刻まであと十五分なの!」
華耶子はスマートフォンで時刻を確認すると、「早く!」とめぐるたちを促して走り出す。あとを追うようにふたりも校庭に向かった。
めぐるの頭のなかには、以前見たバトルもののアニメの3G映像が再現されていた。コンクリートの校舎が無残に崩れ落ちる光景が、めぐるの心臓の鼓動を痛いくらいに激しくさせる。死の恐怖というものを生まれて初めて味わっていた。
校庭までは二分もかからなかった。すでに全校生徒がクラスごとに列をなして待機している。しかしそれだけでない。防弾チョッキを身に着けた警察官の姿を少なくとも三十名は確認できた。
これは映画やドラマじゃない。テレビの向こう側の光景でもない。今ここで実際に起きているんだ。
「本物だ……」
めぐるは不安のあまり、伊央の左手をさらに強く握った。伊央は「大丈夫だよ」とめぐるの手に自分の右手を重ねた。
「なんでみんな、はしゃいでるの? これからパーティーでもはじめようとしているみたいだ」
伊央が騒然としている校庭を見渡しながらつぶやいた。
スマートフォンを手にしている者も大勢いる。おそらくこの状況をSNSにでもアップしているのだろう。それを見ていると、とても命の危険にさらされている者たちとは思えない。どこか他人事で、この非日常的な出来事を楽しんでいるようにすら見える。
つい数ヶ月前までアメリカに住んでいた伊央にとって、この光景はかなり異様に思えた。
アメリカは日本に比べると拳銃強盗事件などの犯罪発生率も高いし、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ以降も深刻な脅威にさらされている。近年も実際にテロが起き、犠牲者が出ているのだ。
「わたしは逃げる間、ずっと怖かったけど。ここは校舎から離れているし、大勢いるから危機感が薄れちゃうのかな」
めぐるはこの状況を理解できない伊央にやさしく解説した。
「大勢いるからこそ、狙われるのに」
「みんなどうせ爆発しないって思っているんだよ。日本の場合、爆破予告のほとんどがいたずらみたいだから」
それでも伊央はやはり納得できないようで、不満げだった。
「あなたたちは何年何組?」
相変わらず、華耶子の口調は厳しい。それでも気品さは保ち続けている。
めぐるは子どもだと思われないよう、できるだけ不安を隠し、落ち着いて答えた。
「一年一組です」
「もしかして高比良さんと雫石くん?」
「はい、そうです。でもなんでわたしたちの名前を?」
「筧先生が血相変えて、ふたりをさがしていたの。筧先生にはわたしから連絡するから、あとでちゃんと謝ること。わかった?」
まるで先生のように華耶子が言うので、めぐるは素直に「はい」と返事をする。
筧はめぐるたちの担任だ。担当教科は美術。目にかかるくらいに伸びた前髪がちょっとうざったい感じはあるが、端整な顔立ちのおがけか清潔感はある。おまけに二十八歳という学園ではかなり若手で、なおかつ独身であるため女子生徒に人気があった。
「ところで今は授業中よ。なのにどうしてあんなところにいたのかな?」
華耶子が静かに尋問する。華耶子の目がふたりのつないだ手に向けられそうになり、めぐるは伊央の手が見えないよう、さっと身体を前に出してから手を離した。
「それはあの、息抜きというか……す、すみませんでした」
めぐるは縮こまりながら頭をさげた。
「まあ、お説教はわたしの役目ではないからいいけど……。それより誰か不審な人物を見かけなかった?」
「たぶん、見ていないと思います」
“たぶん”というのは、めぐるは非常階段にたどり着くまで学園の生徒らしき人間と何人もすれ違ったが、この学園は制服ではないため、不審者なのか見分けがつかない。極端に年齢が違えば違和感を覚えるだろうけれど、そういう感覚は一切なかった。
「伊央は見た?」
振り向いてたずねると、伊央は「ううん」と首を振る。しかし華耶子に向けられた目はなにかを察知したように鋭かった。
「どうしたの? 気になることがあるなら話してみてよ」
「僕はなにも見てない。それより早く行こ。ここだと目立つから」
伊央がめぐるの腕を軽く引っ張る。
「あれ? あなたって──」
華耶子が伊央に向かってそう言いかけたときだった。ちょうど筧がやって来て、めぐるたちを見つけるなり、情けない声を出す。
「いたぁ……。おまえら、俺がどんだけさがしたかわかってんのか?」
「……す、すみません」
めぐるは華耶子のときと同様に縮こまりながら頭をさげた。
筧は学校中を走りまわっていたようで、顔には汗が大量に吹き出し、息もだいぶ乱れていた。
「高比良、雫石。おまえたちはいったいどこにいたんだ?」
「それはですね、えっと……ちょっと具合が悪くて休んでまして。伊央──雫石くんが心配して、ずっとつき添ってくれていたんです」
めぐるは非常階段のことを知られなくないと思い、嘘をついてごまかしたのだが、そこへ華耶子が口を挟む。
「この子たち、北棟の非常階段の踊り場にいたんです」
だよね? と華耶子がめぐるたちに正直に話すように促す。華耶子と目が合い、めぐるは「はい」と素直に認めるしかなかった。
「そんなところでさぼってたのか。雫石はいつものことだが、高比良も一緒とは。高比良は授業をさぼるタイプじゃないだろう?」
だったらなんなんですか? という言葉を飲み込んで、めぐるは奥歯を噛みしめた。
たしかに昔からまじめなイメージで通っているが、必要以上に人から注目されるのが嫌で無難に振る舞っているだけだ。成績はそれほど優秀ではないし、ガリ勉でもない。
「黙ってないでなにか言ったらどうだ? なんで、さぼったんだ?」
「筧先生、お説教の前に学年主任に早く報告をしたほうがいいかと思います」
華耶子が筧ににこりと笑いかける。
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