願わくは、きみに会いたい。

さとう涼

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10.願いは、ただひとつ

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 梅雨前線が日本列島に停滞中で、雨音は一向に鳴り止まない。
 ナギが死んだ夜も雨だった。
 昼間は晴天だったのに、日が落ちて間もなく激しい雨とともに雷も鳴り響いた。
 稲妻が空を引き裂き、空気を轟かせる。
 今日もあの夜と似ている。遠くの雷鳴が耳に届いた。

 ***

 降矢くんの手向けた白いユリの花が雨に濡れていた。
 交通量の多い大通りの交差点。ここでナギはトラックにはねられたそうだ。
 しゃがみ込み、手を合わせているであろう降矢くんの背中を、傘を差しながら見つめる。
「なんで、わたしをここに連れてきたの?」
 夕方近く、自宅のインターフォンが鳴った後、しばらくしてからお母さんがわたしを呼びにきた。仕方なく一階に下りると、玄関に降矢くんが立っていて、わたしを見るなり挨拶の代わりに軽い会釈をした。そして行き先を告げられぬまま、わたしはここに連れてこられたのだ。
 降矢くんは立ち上がると、こちらを振りかえった。
「あんた、津久井にちゃんと最後の言葉をかけてやったのか?」
「最後の言葉?」
「津久井に別れの挨拶をしたのかってこと」
「言ってる意味がわかんないんだけど」
「あんたがいつまでも逃げてたら、津久井だって成仏できないだろう。いい加減、現実を受け入れろよ」
 閃光が空を走り、降矢くんの目がカッと見開く。
「現実……」
 そんなの、ちゃんとわかっている。ナギはもうこの世にいない。それは理解している。
 逃げてもいない。わたしなりにこの状況を乗り越えようとして、ちゃんとがんばっている。このままじゃいけないって思うから、今日だって降矢くんに従った。
 歩行者用の信号が点滅し、赤に変わった。雨で濡れたアスファルトに、その赤い色が反射している。それを見ていたらナギの倒れている姿が目に浮かんできた。固く目を閉じたナギの体がくの字に折れ曲がり、ぴくりとも動かない。体から流れ出る鮮血が血の海を作った。激しい雨が血だらけのナギを容赦なくたたきつけている。ナギの顔が見る見るうちに真っ青になっていった。
「どれだけ痛かったんだろう。どれだけ怖かったんだろう」
 意識がないまま病院に運ばれたと聞いている。でも地面に落ちる瞬間まで、意識はあったかもしれない。その後もしばらく痛みに苦しんでいた可能性だってある。
「ねえ、ナギはここで最後になにを見て、なにを思ったのかな?」
 痛みも苦しみも全部知りたい。ナギを感じられるものならなんでもいい。
 お通夜にも告別式にも出席できなかったことが悔やまれてならない。亡骸でもいい。骨と灰でもいい。触れたかった。最後にこの目に焼きつけたかった。
「津久井の心の中までは俺にもわからない。でも、あいつを感じることのできる場所に行きたいんなら、ついてこいよ」
 降矢くんの言葉に迷わず頷く。どこに行くのかわからない。だけどそこにたしかな答えがあるような気がした。

 水の音がする。塩素のにおいがする。窓の向こうの黒い闇に閉じ込められた水面が、天井の照明を反射しながら静かに揺れていた。
 ここはうちの高校の屋内プール。水泳部の人たちはいない。ここにいるのはわたしと降矢くんのふたりだけ。
「どうしてここに?」
「俺が津久井と最後に会話した場所だから。県大会の後、ここで津久井と話して、その後あいつの背中を見送った。それが俺の見た津久井の最後の姿だった」
 たぶん降矢くんと別れた直後にナギは事故に遭ったんだ。ナギにとっても最後に会話をしたのは降矢くんだったのかもしれない。
「なにを話したか聞いていい?」
「おもに、あんたのことだよ」
「わたし!?」
 思いもかけなかった言葉に、声が裏がえりそうになった。
 話題がわたしということは、なにかもめていたの? 最後の最後までナギに迷惑をかけてしまったのかな。
「去年の夏、手のひらをかえしたように、たくさんの人間が津久井を期待はずれの選手だとあざ笑って離れていった。でも、あんただけはなにも言わず、ただそばにいた。それがあいつにとって立ち直るきっかけになったんだよ」
「嘘……」
「嘘じゃない。津久井がそう言ってたんだ」
「わたしは励ましてあげることすらできなかった。なにもできなかったんだよ」
「言葉にしなくても伝わることがあるんだろう。一緒にいれば、なおさらだよ」
「それなら降矢くんだって。ナギの復帰を純粋に願ってた。ナギに伝わってたはずだよ」
「でも俺じゃだめだったんだよ。あんたの支えがあったからこそ、津久井は水泳部に戻ってこれたんだ」
 降矢くんは、だいぶ前からナギを水泳部に呼び戻そうと動いていたのだろうか。
 でも人に遠慮しない性格の降矢くんなら、それもあり得る。部活をさぼっていたナギを怒るぐらいしていただろう。飄々とそれをかわしているナギも想像できる。
「津久井が言ってたんだ。プレッシャーに負けた自分に腹が立ってたって。こんなところでつまずいてる自分を情けなく思って、俺らの前で泳ぐのも怖かったって」
「ナギが?」
「ああ。それと、昔の知り合いが夢を叶えているのを見て、かなり卑屈になってたらしいぜ。悔しい気持ちが大きくて、そいつの活躍を素直に喜べなかったって言ってたよ」
 美空のことだ。ナギが見つめていた先にあったものは、わたしが思っていたものと違っていたの?
 美空を見ているとき、切なそうにも見えたのは未練じゃなくて自分の中に芽生えた嫉妬と闘っていた……。そういうことだったのだろうか。
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