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7.その壁を飛び越えたら

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 今日は県大会二日目の日曜日。わたしはベッドの上にいた。
「調子はどう? お粥を作ったんだけど食べられそう?」
 お母さんが部屋に入ってくるなりそう言ってくれるけど、わたしの頭は今もぼーっとしていて、お腹が空いているのかさえわからない。
「だいぶ楽になったから食べてみる」
 上半身を起こし、お盆の上の茶碗を手に取った。レンゲでお粥をすくって口に運ぶ。ゆっくりと飲み込むと、少しだけ頭がすっきりしたような気がした。
「よかった。でも無理しないでね」
「うん」
「食べ終わったら薬も飲むのよ」
「はーい」
 お盆の上には数種類の飲み薬も置いてある。夕べ、病院に行ったときに処方されたものだ。
 土曜日の昨日、朝から体がだるくて寝込んでいた。だけど、寝ていれば治ると思って油断していたら、どんどんひどくなる一方。
 県大会一日目。ナギの結果が気になりながらも、その日は熱にうなされ、とうとう夜には四〇度にまで上がってしまった。慌てた両親が、わたしを大きな病院の夜間救急外来へ連れていき、帰宅したのが深夜だった。そして今に至る。
 なんとかお粥を食べきって、薬も飲む。それからもう一度布団をかぶってみたけれど、なんだか目が冴えてしまった。
「薬、飲んだんだけどな」
 これまでがっつり睡眠をとったせいか、これ以上眠れそうになかった。少し体力も回復したし、熱も三八度台になったので、シャワーを浴びるために一階に下りることにした。
 食べ終わった食器を下げにキッチンに寄ると、ダイニングでお姉ちゃんが遅めの朝食を食べていた。
「千沙希、起きてきて大丈夫なの?」
「うん。だからシャワー浴びてくるね」
「昨日は死にそうな顔してたのに。ちゃんと寝てなよ」
「慣れてるから」
 とは言ったものの、足もとはおぼつかず、だいぶふらついている。自分の思い通りに体が動かないというのは、すごくもどかしい。
 シャワーを浴び終えると、お父さんとお母さんが礼服姿で出かける準備をしていた。
「法事、今日だっけ?」
 そういえば県内に住む親戚の人の家に行くと、前に言っていたっけ。
「ごめんな。具合が悪い千沙希を残して出かけるのは心配なんだが……」
「大丈夫だよ、お父さん。明日は学校に行けると思うから」
 年に数回、わたしはこんなふうに高熱を出す。なんの前触れもなく発熱するときもあるし、ひどく疲れたときにそうなることもある。夕べみたいに四〇度まで上がるのは稀だけど、たいてい二、三日で熱は引く。
「お昼と夕ごはんは準備してあるから、乙希にあっためてもらって食べなさいね」
 お母さんはそう言うと、今度はお姉ちゃんに向かって「後のことはお願いね」と、ソファに置いてあった黒いバッグを手に取った。
「ちゃんとおとなしく寝てるのよ」
「わかってるって」
「もう千沙希ったら。まだ熱が高いじゃない。早くベッドに戻りなさい」
 おでこに手をあてながら、お母さんがわたしを軽く睨むので、逃げるように部屋に戻った。
 それからすぐにお父さんとお母さんは車で出かけていき、わたしはベッドに寝転んだ。
 体が重い。そしてだるい。実は何日か前からそんな兆候はあったのだけれど、風邪ではないので防ぎようがない。
「千沙希、起きてる?」
 うとうとしかけたところで、ドアをノックする音とともにお姉ちゃんの声が聞こえた。
「起きてるよ」と返事をするとドアが開いて、「具合はどう?」と尋ねてくる。わたしは、「まあまあかな」と無難に答えた。
 するとお姉ちゃんが部屋の中に入ってきて、わたしを見下ろした。
「隼人がプリンを買ってきてくれたんだけど、食べる?」
「隼人さんが?」
「千沙希が熱を出して寝込んでるって言ったら、買ってきてくれたの」
「もしかして、今日はデートの予定だったの?」
 突然、隼人さんが来たということはきっとそうなのかもしれない。わたしが熱を出したから、お姉ちゃんはお母さんに家にいるように言われたんだ。
「ごめんね、お姉ちゃん」
「やだなあ。千沙希に謝られるのって気持ち悪い」
「やっぱりそうなんだ。デート、ドタキャンさせちゃったんだね」
「別に気にすることないよ。隼人とは会おうと思えばいつでも会えるんだから。それに千沙希のことが気になって、デートどころじゃないもん」
「わたしはもう子どもじゃない。ひとりでも大丈夫だよ」
「高校生なんてまだまだ子どもだよ。病気のときぐらい素直に甘えときなよ。本当はしんどいのに平気なフリしちゃって」
「フリじゃないもん。本当にひとりで大丈夫だからそう言ったまでで……」
 お姉ちゃんはいつもこんな感じだ。いつも甘えさせてもらっているのに、もっと甘えろだなんて過保護すぎ。
 でもただで甘やかしてくれないのがお姉ちゃん。次の瞬間、その目がわたしを見透かしたように鋭く細まった。
「ナギとまだ仲直りしてないんでしょう?」
「はっ? 突然、なに!?」
 あれからお姉ちゃんはなにも聞いてこないから変だなと思っていたけれど、やっぱり気にしていたんだ。
「隼人はそっとしておいてあげなよって言うんだけど。四〇度の高熱を出すくらい悩んでるなら放っておけない」
「お姉ちゃん……」
「いつも人に遠慮ばっかりして。そういうとこ、イライラするの。なにがあったか知らないけど、中途半端な状態のままじゃ前に進めないよ。なんのためにわたしがあそこまでお膳立てしてあげたと思ってるの?」
 お姉ちゃんはそう言うと、膝を曲げ、わたしの頭をやさしくポンッとたたいた。反射的に頭に手をやると、その手を取られる。
「手、熱いね。やっぱりまだ寝てなさい」
「でもプリンは食べたい。隼人さんにもお礼を言わなきゃ」
「しょうがないなあ」
 おいで、と言われて一階に下りると、「こんにちは」と隼人さんが玄関先で白い箱を掲げた。
「一緒に食べられる?」
「うん! ありがとう、隼人さん」
「いえいえ。食欲が出てきたならよかった。大丈夫そうだね」
 それからリビングで隼人さんが買ってきてくれたプリンを三人で食べながら、まったりとした時間を過ごす。
 デートをドタキャンされたのに、隼人さんは嫌な顔をせず、むしろやさしい笑顔でいてくれる。お姉ちゃんがうらやましい。恋人にいつでもそういう顔をさせることのできるお姉ちゃんみたいな人になりたい。こんなこと、恥ずかしくて本人にはとても言えないけれど、いつだってお姉ちゃんはわたしの憧れ。
「あっ、そういえばさ──」
 お姉ちゃんがなにかを言いかけたときだった。来客を知らせるインターフォンが鳴った。
「誰だろう?」
 お姉ちゃんが玄関に向かう。すると、「美空!」というお姉ちゃんの驚いた声が聞こえた。
 美空が来てるの!? なら、あのことを伝えなきゃ!
 そう思ったわたしはプリンとスプーンを手にしたまま、慌てて玄関に顔を出す。そんなわたしを美空が泣きそうな顔で見つめた。
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