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3.もうひとりのヒーロー
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その日の放課後、ナギが水泳部に姿を現したと校内で噂になっていた。
おそらく今朝のことがきっかけだったんだろうけれど、それがナギにとってのベストなタイミングだったのかはわからない。
でもこれでよかったとも思う。降矢くんとのことがなかったら、もっと先延ばしになっていただろうから。
「津久井くんも落ちたもんだよね。降矢くんにあんなに差をつけられちゃってさ」
「奇跡でも起きない限り、復活は無理だろうね」
どうしてもナギのことが気になって屋内プールまで様子を探りにきたら、水泳部のマネージャーの女の子たちがそんなことを言っていた。
買い物にでも行くのだろうか。その子たちは校門のほうへ歩いていった。
奇跡か……。おととい、ジムのプールでタイムを計ったとき、ナギは「まあ、こんなものだよね」と軽く言っていて、それほど深刻さを感じなかった。
あれはわたしの手前、強がりを言っていたのだろうか。
いや、違う。そうは見えなかった。ナギは自分の泳ぎの自己分析をきちんとできていて、想定内という感じだった。
あの子たちはタイムだけしか見えていない。だから安易にそんなことを言うんだ。うん、きっとそうなんだ。
「あんたさ──」
「え?」
そのとき、突如として聞こえてきた声。振りかえるとそこにジャージ姿の降矢くんがいた。
ここで会うのはおそらく偶然。すぐ先に屋内プールがあるわけだから、遭遇する確率はそりゃあ高いに決まっている。
なんだか、怖い。そう思ったのも束の間、降矢くんは今朝と同様に威圧的な攻撃を仕かけてきた。
「こんなところにまで現れやがって。せっかく津久井がその気になったんだ。ジャマしないでもらえるか」
「ジャマなんてしてないよ。ちょっと様子を見にきただけで……」
「あんたがここにいること自体がジャマなんだよ。さっさとどっか行けよ」
まるで恋敵に対する態度みたい。鼻息を荒くしちゃって、目もつり上げちゃって。そのうち頭から二本のツノが生えてくるんじゃないかってほどに怒っている。
それってもしかしてヤキモチ?
怖くて聞けないけれど、そんな気もしないでもない。
「降矢くんって、ほんと性格悪いよね。ナギのためとか言ってるけど、ナギをわたしに取られて悔しいんでしょう? だったら素直にそう言いなよ」
「なんで俺がそんなことを思わないといけないんだよ。俺はただ津久井に泳いでほしいだけだよ。あいつの泳いでる姿が好きなんだ」
「えっ、降矢くんが?」
「なんだよ? 悪いのかよ?」
「ううん、そんなことは……」
むしろ逆。わたしと同じだと思った。わたしもナギの泳いでいる姿が好き。フォームとか詳しいことはわからないけれど、見ているだけで気分が爽快になるんだ。
水の中では本当に楽しそうで、自由自在に泳いでいる姿は力強く、傷ひとつない無敵のヒーローみたいに思えた。
「俺だけじゃない。あいつの泳ぎに惚れてるやつはたくさんいる。それにあいつは世界の舞台に立つ人間なんだ。こんなところでつまずいている場合じゃないんだよ」
降矢くんは真剣な目で熱く語る。
世界の舞台だなんてまるで現実味がないように思えるけれど、降矢くんは遥か彼方の未来を見据えていて、彼自身もきっとそこに立っている。
負けたなと思った。こんな情熱的な姿を見せられたら、なにも反論できない。
「わたし、ナギから水泳を取り上げようとか、ジャマしようだなんて、これっぽっちも思ってないよ。水泳部に戻ってよかったと思ってる」
「なら、そういうことで今後とも頼むよ。津久井とはもう終わりにしてくれ」
はい、とは言えない。ナギがそうしたいと言うのなら仕方ないけれど、今のわたしはナギを手放す覚悟なんて持ち合わせていない。
答えあぐねていると、降矢くんが「ところで」と話題を変えた。
「本当のところはどうなんだよ? おまえらって、つき合ってんの?」
随分と嫌な質問だ。わたしは黙って首を振る。
「なるほどね。つき合ってないのにラブホに行く関係ってことか」
降矢くんが心底あきれたようにつぶやく。
一方、わたしはなにも言えなくて、うつむくしかなかった。
降矢くんはそれ以上、その話題に触れることはなかったけれど、わたしはすごくみじめな気持ちだった。
わたしだってこんな関係を断ち切りたい。自分の気持ちを伝えて、ナギもわたしを好きだと思ってくれたならどんなにいいか。
でもナギには忘れられない人がいる。ナギの心に今もその子が居座り続けているから、この状況を変えることなんてできないんだよ。
降矢くんが屋内プールへと歩いていった。
その場に取り残されたわたしはなにも考えられず、しばらくの間、ぼんやりとそこに佇んでいた。
見ると、太陽はだいぶ傾いていたが、木々の間からは今も光が降り注いでいる。
でもわたしの心は寂しくて、すっかり冷えきっていた。なんとなく、初めてナギと結ばれた日の温度に似ているなと思った。
おそらく今朝のことがきっかけだったんだろうけれど、それがナギにとってのベストなタイミングだったのかはわからない。
でもこれでよかったとも思う。降矢くんとのことがなかったら、もっと先延ばしになっていただろうから。
「津久井くんも落ちたもんだよね。降矢くんにあんなに差をつけられちゃってさ」
「奇跡でも起きない限り、復活は無理だろうね」
どうしてもナギのことが気になって屋内プールまで様子を探りにきたら、水泳部のマネージャーの女の子たちがそんなことを言っていた。
買い物にでも行くのだろうか。その子たちは校門のほうへ歩いていった。
奇跡か……。おととい、ジムのプールでタイムを計ったとき、ナギは「まあ、こんなものだよね」と軽く言っていて、それほど深刻さを感じなかった。
あれはわたしの手前、強がりを言っていたのだろうか。
いや、違う。そうは見えなかった。ナギは自分の泳ぎの自己分析をきちんとできていて、想定内という感じだった。
あの子たちはタイムだけしか見えていない。だから安易にそんなことを言うんだ。うん、きっとそうなんだ。
「あんたさ──」
「え?」
そのとき、突如として聞こえてきた声。振りかえるとそこにジャージ姿の降矢くんがいた。
ここで会うのはおそらく偶然。すぐ先に屋内プールがあるわけだから、遭遇する確率はそりゃあ高いに決まっている。
なんだか、怖い。そう思ったのも束の間、降矢くんは今朝と同様に威圧的な攻撃を仕かけてきた。
「こんなところにまで現れやがって。せっかく津久井がその気になったんだ。ジャマしないでもらえるか」
「ジャマなんてしてないよ。ちょっと様子を見にきただけで……」
「あんたがここにいること自体がジャマなんだよ。さっさとどっか行けよ」
まるで恋敵に対する態度みたい。鼻息を荒くしちゃって、目もつり上げちゃって。そのうち頭から二本のツノが生えてくるんじゃないかってほどに怒っている。
それってもしかしてヤキモチ?
怖くて聞けないけれど、そんな気もしないでもない。
「降矢くんって、ほんと性格悪いよね。ナギのためとか言ってるけど、ナギをわたしに取られて悔しいんでしょう? だったら素直にそう言いなよ」
「なんで俺がそんなことを思わないといけないんだよ。俺はただ津久井に泳いでほしいだけだよ。あいつの泳いでる姿が好きなんだ」
「えっ、降矢くんが?」
「なんだよ? 悪いのかよ?」
「ううん、そんなことは……」
むしろ逆。わたしと同じだと思った。わたしもナギの泳いでいる姿が好き。フォームとか詳しいことはわからないけれど、見ているだけで気分が爽快になるんだ。
水の中では本当に楽しそうで、自由自在に泳いでいる姿は力強く、傷ひとつない無敵のヒーローみたいに思えた。
「俺だけじゃない。あいつの泳ぎに惚れてるやつはたくさんいる。それにあいつは世界の舞台に立つ人間なんだ。こんなところでつまずいている場合じゃないんだよ」
降矢くんは真剣な目で熱く語る。
世界の舞台だなんてまるで現実味がないように思えるけれど、降矢くんは遥か彼方の未来を見据えていて、彼自身もきっとそこに立っている。
負けたなと思った。こんな情熱的な姿を見せられたら、なにも反論できない。
「わたし、ナギから水泳を取り上げようとか、ジャマしようだなんて、これっぽっちも思ってないよ。水泳部に戻ってよかったと思ってる」
「なら、そういうことで今後とも頼むよ。津久井とはもう終わりにしてくれ」
はい、とは言えない。ナギがそうしたいと言うのなら仕方ないけれど、今のわたしはナギを手放す覚悟なんて持ち合わせていない。
答えあぐねていると、降矢くんが「ところで」と話題を変えた。
「本当のところはどうなんだよ? おまえらって、つき合ってんの?」
随分と嫌な質問だ。わたしは黙って首を振る。
「なるほどね。つき合ってないのにラブホに行く関係ってことか」
降矢くんが心底あきれたようにつぶやく。
一方、わたしはなにも言えなくて、うつむくしかなかった。
降矢くんはそれ以上、その話題に触れることはなかったけれど、わたしはすごくみじめな気持ちだった。
わたしだってこんな関係を断ち切りたい。自分の気持ちを伝えて、ナギもわたしを好きだと思ってくれたならどんなにいいか。
でもナギには忘れられない人がいる。ナギの心に今もその子が居座り続けているから、この状況を変えることなんてできないんだよ。
降矢くんが屋内プールへと歩いていった。
その場に取り残されたわたしはなにも考えられず、しばらくの間、ぼんやりとそこに佇んでいた。
見ると、太陽はだいぶ傾いていたが、木々の間からは今も光が降り注いでいる。
でもわたしの心は寂しくて、すっかり冷えきっていた。なんとなく、初めてナギと結ばれた日の温度に似ているなと思った。
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