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最終章 狂酔編

第280話 悪夢‐その④

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※注意※
 グロ表現、鬱展開に耐性のない方は第286話から続きを読むことを推奨します。
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 目が覚めた。

 直前に見ていた夢があまりにも鮮明な記憶として残っていて、俺は反射的にのたうち回って両手両足と頭部や背中を床に打ちつける。
 体に新たな痛みを感じるが、俺の体は止まらない。鮮烈で苛烈で激烈なこの痛みを弱い痛みで上書きしようと、俺は狂ったように体を暴れさせる。

「エスト、駄目!」

 叫んだのはキーラだ。彼女は俺の両腕を上から押さえつける。
 それでも俺の動きは止まらないので、彼女は加減した電流を俺に流し込んで無理矢理に体の動きを止めた。

「ああ……あ……あ……」

 声にならないうめきをひねり出すだけで、俺の体は痺れて動かない。
 おかげで俺は理性を取り戻した。
 それでも幻痛にさいなまれる。さまざまな苦痛があまりにも深く記憶に刻まれてしまって、実際には何もされていなくても脳が痛みを感じてしまうのだ。

 このままじゃ駄目だ。いまはもう拷問は終わっているのだと強く意識しなければ。この痛みは幻だから実際には痛くないのだと、思い込みさえ終わらせれば痛みも終わるのだと。

「はあ……はあ……はぁ……」

 少しずつ、少しずつだが、痛みはやわらいでいく。

 涙が目尻からコメカミへと伝って落ちていくのが分かる。
 その涙は苦痛がもたらしたものか、はたまた苦痛からの解放の喜びがもたらしたものなのか、自分自身にさえ分からなかった。

「落ち着いた?」

 体の痺れが消えた。痺れがどこかへ連れていったか、痛みも一緒に消えた。

「ここは……?」

 俺の部屋だ。俺は床に仰向けに寝ている。
 起き上がるとグチャグチャになった家具が目についた。ベッドも机もタンスもテーブルも何もかも、ズタズタに切り刻まれたりペシャンコに押し潰されたりしている。

「これ、エストが寝ているときに自分でやったんだよ。すごい音がして駆けつけたけれど、治まるまで部屋に入れなかったんだから」

「そうか……」

 さっきのが夢だったことは分かっている。だが、真実が分からなくなった。
 夢の中でティーチェは人形として顕在だったが、本物のティーチェは人形ではなく魔術師で、いまはもう死んでいるんだよな?
 だが奴の説明は妙にしっくりくるものがあった。
 それに、最初の二つが明らかに別世界だったのに対して、さっきのは舞台が魔導学院内で妙な現実っぽさがあった。

 ああ、本当にひどい夢だった。
 今度こそ俺は目を覚まして現実世界に戻ってきたってことでいいんだよな?
 ここは俺の部屋だし、仲間のキーラもいる。空気操作の魔法も使える。

「そうか……」

 さっきと同じ言葉を繰り返したが、二回目はさっきよりももっと多くのことを把握して出てきた言葉だった。
 いまのこの瞬間がまるで天国に思えるほど、これまで地獄の苦しみをノンストップで味わいつづけてきた。もうあんな思いはしたくない。
 思い出そうとすると震えが止まらなくなるので、できるだけ意識しないようにする。

「あれっ? 何か聞こえない?」

 キーラが俺の肩をトントンと叩いて訊いてきた。
 キーラの神妙な面持おももちに、俺もすぐに耳をます。

「タスケテ……」

 かすかに聞こえたその声は聞き覚えのあるものだった。
 その声から助けを求められたら、俺は津波のような激しい焦燥感に襲われる。

「マーリン!」

 声が聞こえるのは隣の部屋からだ。
 俺は扉の方に向かいかけたが、回り込む時間が惜しくて足を止める。
 壁に円状の空気を走らせて穴を開けた。くりぬいた壁は横へ転がし、すぐさま隣の部屋へと飛び込む。
 俺はできる限りの最短時間でマーリンの元へと駆けつけた。

 だが、少し遅かった。

「いやあああああああああっ!」

 マーリンは金属製の大きい台の上で両手両足と首を大の字に縛られ拘束されていた。そのマーリンの右腕に食い込んだノコギリが往復運動を繰り返している。マーリンの顔は苦痛にゆがみ、腕からは血飛沫ちしぶきが派手に飛んでいた。

「やめろおおおおおっ!」

 俺はノコギリを動かす黒いフーデッドローブの男に空気の塊をぶつけた。
 男は吹き飛ばされて壁に強く背中を打ちつけた。そこまでを見届け、俺はすぐさまマーリンへと駆け寄った。

「くそっ、くそっ!」

 なぜか天使のミトンがない。血を止めなければ。
 しかし血を止めてもこの傷は治るのだろうか。いや、そんなことよりいまは血を止めなければ。

「キーラ! 電気で傷口を焼けないか!?」

「やってみる!」

 キーラは電気を完全に制御して、マーリンの傷の部分だけに電気を走らせた。
 少し焦げた臭いがするが、どうにか出血は止められた。

 泣いているマーリンの頭を撫で、五箇所の拘束縄を空気で切断しようと思ったが、それより先にフードの男が起き上がってこちらに近づいてくる。うつむいて黙ったまま、不気味に近づいてくる。

「貴様ァ! 貴様はこの俺が極刑に処すが、まさか楽に死ねると思ってないよなあ!」

 俺は唾を飛ばしながら叫び、そして刑を執行する。

 右腕、左腕、右脚、左脚を、空気の刃でズバンッと切断する。
 男は体の支えを失い、胴体を床に落として血の海を作った。

「きゃああああああっ!!」

 背後からのけたたましい悲鳴が俺の耳をつんざく。
 さすがにショッキングな光景だったかと思いキーラの方に振り返ったが、その俺の目に予想だにしないショッキングが飛び込んでくる。

「キーラッ!!」

 血の海に浮かぶキーラ。両腕と両脚が切断されてバラバラに転がっている。
 俺は慌てて天使のミトンを取り出し……。いや、天使のミトンはないのだった。
 じゃあどうすればいい? どうしようもない。いくら万能な空気の操作型の魔法でも、これはどうしようもない。

「エス……ト……」

 まもなくキーラは息絶えた。名前を呼びながら俺のことをジッと見つづけたキーラは、死んだ後も視線を俺から外さず、そのまま動かなくなった。
 彼女は何を思って俺を見つづけたのか。
 いたたまれずキーラの目蓋まぶたを下ろすが、さっきの視線が脳に焼きついて離れなくなっている。

「とんだミスをしたものですな、ゲス・エスト」

 この声はどこかで聞いたことがある。
 その声の主を見ると、彼の両腕と両脚は元通りに胴体につながっていた。
 再生した手で彼はフードを取り払った。

「貴様。ローグの……」

 ローグ学園の理事長だ。
 自分の受けた傷を相手に移す能力の持ち主で、傷を移せば自分は回復する。

「覚えていてくれたようですね。顔を隠していて正解でした」

 数々の悪夢のせいで精神が参っていたことも原因だろう。俺の感情は爆発した。自分の中の理性が止めようとするが、俺の体が制止を振りきって勝手に動いた。

「てめぇええええええ!」

 俺の拳が理事長を殴打し、殴打し、殴打を連打する。

 何発殴っただろう。数秒かけて殴った蓄積ダメージが、一瞬にして俺に返ってきた。
 俺は吹っ飛んで壁に背を打った。そのまま背中を壁に引きずり床に尻を落とした。

 鮮烈な痛みの後にくる鈍い痛みが俺を襲う。
 視線の焦点が定まらず、どうにかローグ学園の理事長を視界に収めようとする。

 やってしまった。感情に支配されるとはなんと愚かな。
 いや、仲間をやられて怒らないほうがおかしい。
 いやいや、やはりそれを利用されていることを分かっていて自制できなかった俺が悪いのだ。

 理事長のほうは俺にダメージを移したからピンピンしている。なんて憎たらしい男だ。
 それに、俺にキーラを殺させたことが許せない。

「なんで俺じゃなくキーラなんだよ!」

「なんでって、たったいまあなたがやったことじゃないですか。あなたは私をひと思いに殺さず、より苦しめるためにあえて四肢を切断した。私はあなたのやり方でやり返しただけですよ。下衆げすなエストさん」

 理事長が笑う。
 俺を苦しめるためにキーラを狙ったというのか。たったそれだけのために、キーラをあんな姿にして殺したというのか。
 再び沸きあがる怒り。
 しかし俺はダメージで動けない。

「テメー、そもそも、なんで生きてんだよ……」

「それはローグ学園のときのことですか? いいでしょう。冥土の土産に教えてあげますよ。私はかつてあなたの空気によって遥か天空まで押し上げられました。そのまま宇宙へと連れていかれると思っていましたが、壊れたんですよ、あなたの空気が。私は真っ逆さまに落ちました。どちらにしろ地面に衝突して即死するはずでした。しかし、地面に激突する直前にぶつかってしまったのですよ。鳥にね。私は即座に自身の転落を鳥の攻撃と見なすことで、地面に接触する瞬間にダメージを鳥に移すことに成功しました。それからはあなたへの復讐だけを考えつづけてきました。そして、私の能力はレベルアップしたのですよ。このようにね」

 さっき返ってきた連打のダメージがもう一度返ってきた。一瞬にして何発もの打撃を頭部にくらう。

「な……なんだ……これ……」

 理事長は意気揚々と自分の能力の説明をする。
 どうやらダメージをコピーして相手に貼りつけることができるらしい。
 なるほど、いままでのは切り取りと貼りつけだったということか。

「うぐぅ!」

 俺はさらに何度かさっきのダメージをペーストされた。
 頭部だけではない。体のどこかしこにそのダメージを受け、俺の体は動かなくなった。
 おぼろげな視界と意識の中、マーリンの凄絶せいぜつな悲鳴が聞こえた。

 理事長が再びマーリンの右腕をノコギリで切っている。
 じきに右腕は完全に切り落とされ、次に左腕、それから左もも、右腿という順番で四肢を切り落とされた。
 最後は顔面だった。
 俺は最後までマーリンの悲鳴を聞いていることしかできなかった。

 もはや声も出ないが、いたいけなマーリンをあまりにも残虐に殺した理事長に対し、俺の中で憤怒ふんぬが爆発しまくって気が狂いそうだ。
 しかし体は動かないし、意識も視界も定まらないから魔法も使えない。

「おや、助けられずに終わってしまった、みたいな顔をしていますねぇ。でもまだ終わっていませんよ。だって、あなたが残っているじゃないですか」

 その後、俺もマーリンの痛みを味わうことになる。
 理事長はマーリンの遺体を押しのけて金属台を空けると、熱くて真っ赤な血だまりの上に俺の体をバシャッと載せた。
 そして右腕、左腕、左腿、右腿をノコギリで時間をかけて切断した後、顔面、それも鼻の部分で真横にギザギザ刃を左右に動かした。

 ほどなくして、俺は絶命した。
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