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夜会と演説(後編)

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「アイリスは我が帝国の皇女であり、巫女姫であり、余の唯一だ」

 恥ずかしいことを堂々と言い放ったフィンリーは、私の手を取る。持ち上げると、手袋越しにキスを落とした。

 たったそれだけのことで、心臓が跳ねる。

「誰にも代わりは務まらない。この世で至高の存在」

 照れることもなく、フィンリーは語り続ける。聞いている私が恥ずかしくなるほどのことを口にしているのに、平然としているのが信じられない。

「良いな。彼女に手を出す者は、余はおろか、帝国、そして双子神をも敵に回すと思え」

 そう言ったフィンリーは、私の腰に腕を回し、抱き寄せる。向かい合って抱き合うような体勢になる。

 突然の接近に、心臓がうるさくなる。

 顎の下にフィンリーの手が差し込まれたかと思うと、上を向かされる。私が戸惑っていると、目を閉じて、とささやかれる。

 何が何だかわからないままに目を閉じると、唇に柔らかい感触が触れた。

 反射的に目を開けると、至近距離でアメジストと目が合った。

 フィンリーはすぐに離れていったが、私はすっかり混乱していた。

 え、何、今の。キス……よね。それも、初めての。

 こんなところでやるか、と拗ねる気持ちと、はじめてのキスへの戸惑いと、嬉しさと、恥ずかしさと……。

 もう自分でも整理し切れないほどの感情の洪水が一気に押し寄せている。

 わかるのは、今私の顔が真っ赤になっているだろうことだけだ。

 なんで近づくだけであんなに照れていたフィンリーが平気そうな顔をしているのだろう。私だけが振り回されているようで、何だか悔しい。

 フィンリーは真面目な顔に戻った。

「それからもう一つ」

 キスについては全く触れないつもりらしい。私はまだ動揺がおさまらないのに、フィンリーは何でもない顔をしている。

 とりあえず、後で問い詰めよう。今はフィンリーの話を聞くことに集中したい。

「余が側室を迎える、という話が出ていたらしいが……側室候補は全員実家に帰す」

 先ほどまでの喧騒が嘘のように、大広間は静まり返った。

「新たな良縁を探すが良い。希望があれば良い縁談を世話する。良いな、これは決定事項だ」

 決して好意的な雰囲気ではない。誰も何も口にしない。指一本動かすことさえ許されないような張り詰めた空気だ。

「そもそも帝国の至高たる皇女を皇后に迎えるというのに、別の令嬢を迎え入れるのは不敬ではないか?」

 周囲の反応など意にも介さず、フィンリーは淡々と言葉をつむいでいく。その姿は皇帝らしい威厳にあふれている。

「それと、これは余の私情だが……。アイリス以外の妻はどうしても迎えたくない」

 フィンリーは堂々と、側室を迎えないのは私情であると言い切る。

 型破りでとんでもない発言だ。しかし、若き皇帝は、異を唱えることを許さない絶対的な空気をまとっていた。

「今後、いかなることがあっても、余が愛するのはここにいるアイリスただ一人だと覚えておくが良い」

 思わず口をぽかんと開けてしまった。好きだとか愛しているだとか、そういった類のことをフィンリーが口にしたのは、再会したあの日だけだったから。

 品に欠けたふるまいをしてしまったことに焦るが、呆然としている聴衆は誰も私を見てはいなかった。少し安堵する。

 ずっと期待するのが怖かった。勘違いして、勝手に舞い上がって、そうして事実を知るのが恐ろしかった。

 家族の愛情に焦がれたことも、使用人に優しさを求めたことも何度もある。そのたびに裏切られて傷ついて。

 だから最初から欲しがらないようにした。欲しがらなければ、手に入らなくても悲しまなくて済む。そうしないと心を守れなかった。

 でも、フィンリーは手を差し伸べてくれた。私以外の妻はいらないとはっきり告げてくれた。私が他の男性を愛するのは嫌だと言ってくれた。

 私も望んでいいんだ。欲しがっていいんだ。好きな人に好きだと言うことも、好きな人に愛されたいと願っても許される。

「余からの話は以上だ。あとはゆるりと楽しまれよ」

 フィンリーはそう言って話を終えた。貴族たちは一斉にひざまずき、深々と頭を下げた。緊張の糸はゆるんだが、誰も反対の声はあげなかった。

 続々と挨拶にやってくる招待客たちに応対するため、笑顔を貼り付ける。頭の中の名簿と目の前にいる人物を丁寧に結びつけていく。

「この度は誠におめでとうございます。皇帝陛下、並びにアイリス殿下」

 聞き覚えのある声にハッとする。声の主は、私が育った隣国、プルプレア王国の王太子殿下。

 彼に初めて会ったのは私の人生が一変した日だった。

 フィンリーに求婚され、それを受け入れた日。そして、義妹と元婚約者の処罰が決まった日。

「王太子殿下……」
「あの時からお美しく、理知的でいらっしゃったが……。さらに磨きがかかったようだな」

 社交慣れしているだけあって、王太子殿下は流れるように賛美を並べる。見えすいたお世辞なら流してしまうのだが、本気で言っているのがわかるばかりに対応に困る。

 天然、といえばいいのだろうか。良い人であるのは間違いないのだが、正直に言うと少し苦手だ。

「人の婚約者を口説かないでいただけますか?」

 フィンリーが私の二の腕を掴む。軽く腕を引かれて、彼の方へと引き寄せられた。

「そのようなつもりはなかったのだが……。申し訳ない」
「……まぁいいでしょう、あなたと話していると調子が狂います」

 やりとりを横で聞いていたが、つい笑ってしまった。扇を広げて口元を隠したけれど、多分バレてしまっている。

「ゲレオルクは大人しく過ごしている。伯爵夫妻も。……あの娘だけは、変わらず問題を起こしているそうだが」

 近況を聞いて浮かび上がってくる感情は、ひどくあっさりとしていた。関心を引かれない、と言えばいいのだろうか。そうなのか、以上の感想はなかった。

 十数年の時を共にした人たちなのに、あまり感慨はわかなかった。自分でも驚くほどに。

 この国で過ごす内に、私の過去は完全に過去になってしまったのだろう。

「教えてくださってありがとうございます、殿下」
「どういたしまして」

 王太子殿下は、私の反応に何かを悟ったように微笑んだ。簡単に別れの挨拶を済ませると、彼はそのまま立ち去った。
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