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【幕間話】深夜の密会議(後編)

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「……クソ、話してたら会いたくなってきた」

 さすがに時間が遅すぎる。アイリスは今頃ベッドの中で寝息を立てているはずだ。

 睡眠を妨害するなどという紳士的でない行動はとれない。アイリスの前では物語に出てくるような白馬の王子様でいたいという見栄だ。

「お可哀想な陛下ですこと。わたくしはその気になればいつでもかの方にお会いできましてよ?」
「多分嫌われてるけどな」
「な、な、なんてことを言いますの!?」

 思いつきの反論は、思った以上にダメージを与えたらしい。胸を押さえてうずくまるグレースの姿は横から見ればかなり滑稽だ。

 本人がどこまでも本気なのが伝わってくるからこそ、生まれる場所を間違えたのだろうなぁと思わせられる。

 グレースは言うまでもなく高位の貴族令嬢である。本人が望む望まないにはかかわらず、家のために動くのは当たり前。

 当主である侯爵が命じれば、内心ではどんなに嫌がっていようと側室候補にならざるを得ないし、どんなにアイリスを慕っていようと嫌がらせをしなければならない。

「余ほどではないが、お前も苦労するな」

 思い浮かんだねぎらいの言葉を素直に口にする。グレースは驚いたようにこちらを見ると、かすかに笑った。

「突然何をおっしゃいますか、陛下」
「お前は元々余の側室になりたかったわけではないのだろう?」

 突然変わった話題に困惑させているのは承知の上で尋ねる。少し考え込んだグレースは静かに首を振った。

「いいえ、ご側室として召し上げられるお話、わたくしは前向きに捉えておりましたわ」
「は……?」

 思わぬ返答に固まる。互いに恋愛感情が全くないのがわかっているからこその気安さで話していたが、まさか読み違えていたのだろうか。

「侯爵令嬢である以上、未婚のままというわけにはいきませんわ。それなら正妻になるより、陛下の側室になって夜のお務めはアイリス様にお任せするのが一番ではありませんの」

 あっけらかんと言い放ったグレースは、何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔をしていた。

 ああ、こいつはこういう女だった。まだ数度しか会話を交わしてもいないのに、グレースという人間を嫌というほど思い知らされている。

「……一応聞いておくが、カナリッチ侯爵家の血を継ぐ子を生みたいとは思わないのか?」

 グレースは目を瞬かせた。その目が徐々に汚物を見るようなものに変わる。

「何をおっしゃってますの? 脳みそが下半身についてるんですの? どう考えてもありえませんわ」
「安心しろ、余もアイリス以外はありえない」

 その手の野望を持っていないことを断言されて安心はしたが、年頃の令嬢が口にする言葉とは思えない。

 本当に侯爵とその息子夫妻はどんな教育をしたのだろうか。中身がコレなのに表面上が淑やかな令嬢に見えるだけ努力したのかもしれない。

「良かったですわ。アイリス様と婚約しておいて余所見するようでしたら、去勢して豚のエサにして差し上げるところでしたもの」

 甘やかな声は、愛の言葉でもささやいているようだが、内容は恐ろしく下品である。

 仮にアイリスと出会っていなかったとしても、この女だけはなかっただろうなとしみじみと考える。

 まぁ運命の相手であるアイリスと出会わないことは、それこそありえないのだが。

「本音を言えば結婚も出産もわたくしの人生には不必要ですわ。わたくしの目標はお祖父様の跡を継ぐことだけ。良き妻にも良き母にもなりたくありませんの」

 最初にこの話を聞かされたときは度肝を抜かれた。

 歴史上、女性の皇帝は存在する。しかし、数は少なく、どちらかと言えば男性が推されがちである。

 そして、宰相が女性であった例は過去にない。禁止する決まりがあるわけではないが、一度たりともないのだ。

 グレースがこの事実が意味することを理解できないはずはない。性格はアレだが、彼女はこれでも優秀な部類だ。

「恋愛はうるおいだとかおっしゃる方もいらっしゃるけれど……。わたくしのうるおいはアイリス様ですもの」
「あんまり見るな、アイリスが減る」
「独り占めだなんてさせませんわよ?」

 彼女が進もうとしている茨の道が未来に続いている保証はない。

 それでも、十年後―――もしかすると二十年後かもしれないが―――、宰相になったグレースがいれば退屈しなさそうだ、とガラにもなく思った。

 もちろん、隣にはアイリスがいなければ承知しないが。
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