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閑話(後日談) 街歩きデート その5

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 ふいにフィンリーが歩き出す。どこへ行くのかと思えば、さっきの屋台の前に連れていかれた。

 屋台のこちら側にはパンがずらりと並んでいる。大半はただ丸めただけに見える。真ん中に切り込みを入れて、加工された肉や、ジャムが挟まれているものもあった。

「さぁ、皇都で話題のパンだよ! 売り切れる前に早く買っちゃいな!」

 店主らしき男性が威勢よく声を張り上げる。ひっきりなしに人が訪れて、何度か押しのけられさえした。

「おわびに、と言ってはなんですが、好きなのを選んでください」

 喧噪で声が聞こえないからだろう。フィンリーは耳元で言った。

 さっきからおわびばっかりですね、とか、おわびじゃなくても買ってくれるつもりだったんじゃ、とか、言いたいことは頭の中で渦巻いていた。

 でも、フィンリーの顔が近すぎて思考がまとまらない。心臓の音がうるさいせいだ。

 結局私にできたのは、首を縦に振ることだけだった。

 私が選んだのは、ジャムが挟まったパンだ。指さすと、察したフィンリーが手際よく銅貨を支払ってくれた。

 手を引かれるままに歩いていく。そのうちに、賑わいのある通りから少し離れた、落ち着いた場所にたどり着いた。

「石畳だから、座り心地は悪いですが」

 さっとハンカチを敷いてくれたから、ためらいがちに地面に腰を下ろした。想像通り、今まで経験したことがない固さだった。

「どうぞ、食べてみて」

 買ったばかりのパンを差し出された。これはどうやって食べたものか、と悩みながら受け取る。

「ありがとうございます」
「思いっきりかぶりついていいですよ。誰も見ていませんから」

 心を読まれたようにアドバイスされて、思わずまじまじとフィンリーの顔を見てしまった。

「顔に書いてありましたよ、どうしようって」

 笑い混じりに言われて、途端に恥ずかしくなる。そんなに私はわかりやすかっただろうか。

 淑女たるもの、感情を外から悟られないようにしなくてはいけないのに。皇女らしくないのではと不安になる。

「はしたないところをお見せしました……」

 大丈夫、きっとこんなことで幻滅なんかされない。そう信じてはいたけれど、心のどこかでは怖がっていたのだろう。

「そういう素直なところもアイリスの素敵なところだと思います。謝る必要なんてありませんよ」

 何気ない口調でフィンリーが言ったのを聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。そういうところがずるい。でも、好き。

 泣きそうになった、だなんて、フィンリーには絶対に秘密にするんだから。

 戸惑いながら口を開けて、大きなパンにかぶりつく。

「どうですか?」
「……硬くて味がしません」

 城で出されるパンとは大違いだ。なかなか噛み切れないし、口の中の水分がなくなる。ジャムのところまでひと口ではたどり着けなかったから甘みもない。

 そういえば伯爵家で最後の方に出されていたパンは、似た味がしたかもしれない。あの時はそれ以上に悲しかったから、味なんて覚えてもいない。

「少しもらっても?」

 もらうも何も、フィンリーが買ってくれたものだ。口の中はまだパンでいっぱいだから、無言で残りを差し出す。

 フィンリーは手で受け取らずに、身を乗り出した。そのまま、私が持っているパンをかじる。

 淑女教育の賜物で、口に食べ物が入った状態で喋りはしなかったけれど、信じられないという顔をしていたのだろう。

「いいでしょう? ……婚約者、ですし」
「いい、ですけど」

 ようやくパンを飲み込んだ私がそう言うと、でしょう、とフィンリーは笑った。

「懐かしい味がします。挙兵する前はずっとこれでしたからね」

 そうだ。私とは違って、フィンリーは平民にまぎれて暮らしていたのだ。国を出ることなく、ずっと息をひそめて。

「そう、だったのですね」
「このパンが食べられただけでも、ずいぶん恵まれていたんですよ。……それさえ口にできない者も数多くいましたから」

 皇女として受けた教育の中で、侵略下の話も聞いた。税の量は倍に跳ね上がり、そのせいで飢えた人が数多く出たのだという。

 それさえも、本来の要求が3倍だったところ、必死に譲歩を引き出した結果だったのだと言うが。

「この国を背負った以上、あんな悲劇を二度と起こらないように努めなければなりません」

 本当はあなたさえいれば十分なんですけどね。本気か嘘かわからない口調で、フィンリーは淡々と語った。

「奪還した直後、この皇都もひどい有様でした」

 数年にわたる苦しい暮らし。終わりも見えない暗闇のせいで、街に活気などあるはずもない。

 フィンリーは侵略の前にも何度か城下町に下りて遊んでいたらしい。もちろん一人ではなく、護衛もついていたけれど。

 だからこそ、城壁をくぐって城下町を通ったとき、人々のすさんだ眼差しを見て愕然とした。フィンリーはそう言った。

「ようやく、ここまで来たんです。暮らし向きはまだまだですが、人々が未来に希望を持ち始めた」

 活気あふれる大通りの光景を思い出す。あれは、フィンリーが、そして彼の元で働く人たちが、そしてここに住む人々が生み出したものだ。このパンひとつとっても、そう。

「今の、まさにこの瞬間のこの街を、あなたに見せたかったんです」

 だから無理をしてでも今日街に下りたのだ、と。そう言ってフィンリーは笑った。

 手に握ったままのパンを見つめる。もう一度かぶりついた。今度はさっきより大きめのひと口で。

「アイリス?」

 フィンリーが驚いたように声を上げる。

 相変わらず固くてぱさぱさしている。噛みちぎるのさえ一苦労だ。でも。

「美味しいです、とても」

 十分に噛んで、飲み込んだ後、そう口にした。嘘偽りのない気持ちだった。

 それを聞いたフィンリーは顔をゆがめた。隠すように両手で顔を覆ってしまう。

 本当は隠さずに見せてほしいけれど、今はそれは言えない。私たちはまだ、背中を預け合えるような関係ではない。






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