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閑話(後日談) 街歩きデート その1
しおりを挟む以前掲載してた後日談です。
*****
帝国に来てから……いや、婚約破棄をされた日から、息をつく暇もないほどの忙しさが延々と続いていたが、それもようやく一区切りがついたらしい。
数日ぶりに顔を見たフィンリーは、挨拶もそこそこに私の左隣に座った。
立派な長椅子は二人には十分すぎるほどの広さがあるのに、彼がくっついて座るものだからやけに狭苦しい。
隣を窺うと、煌くアメジストの下には、濃い隈ができている。よほど無理をして処理を進めているに違いない。
お疲れ様です、と言おうとしたその時、フィンリーが口を開いた。
「一連の騒動の後処理が終わりました」
真っ先に浮かんだのは、喜びでも安堵でもなかった。
「やっと、ですか……?」
ようやく解放される。その一言に尽きた。
淑女にしては可愛らしくないかもしれない。喜びに頬を染める女の子の方が、私の目から見ても素敵だと思う。
でも、少しくらい見逃してほしい。だって、幼い頃の初恋相手との結婚が決まったというのに、甘い時間を過ごす時間すらなかったのだから。
今だって、結婚のための準備に追われているし、今後はもっと忙しくなるのだろうけれど。名実共にフィンリーの隣に立つための苦労なら喜んで引き受けられるのだ。
「ええ、やっとです、アイリス」
気分を害してはしまわないだろうかと心配したけれど、杞憂だったらしい。短い同意の言葉は、万感の思いが込められているようだ。
大きくて骨ばったフィンリーの右手が、私の左手にそっと重ねられる。二つの手は、元から繋がっていたのではないかと思えるほど、全く同じ温度だった。
たったそれだけのことが、どうしようもなく嬉しい。
「国のため、がんばっておいででしたものね。お疲れ様でした」
空いている右手で、一回り大きな手をなでる。彼の手が好きだ。今まで重ねてきた努力が見えるから。
「違いますよ」
苦笑混じりの声が降ってくる。
「そんなにできた男ではありません」
「違うのですか? あなたはとても努力家だと思いますけれど」
視線を上に向けると、細められた紫と絡まる。相変わらず目が覚める美しさだ。
何だか、前にもましてフィンリーが格好良く見える気がする。身体のパーツも、言葉の、行動の一つ一つにときめく。
これからずっと一緒なのにこんな調子では困る、と一人で頭を抱える。
「この国、なんて大層なもののためではなくて。あなたのため、ひいては自分のためです」
「私の?」
「あなたと一生添い遂げるためには、それなりの環境が必要ですから」
小首を傾げる姿にも、妙に破壊力がある。どうしてこんなに格好良いんだろう。
一拍遅れて、言葉の意味を頭で理解する。私のため、という言葉の真意。
「ええと、それはつまり」
「国が乱れていてはあなたも落ち着いて暮らせないでしょう? まだ力が足りないせいであのような形になりましたが……」
そう言ってフィンリーはひどく申し訳なさそうに肩をすぼめる。目尻が下がっている表情がなんだか可愛らしく見えて、笑みがこぼれる。
少し前までなら、私のせいでこんな顔をさせるなんて、と落ち込んだことだろう。今も欠片もそう思わないと言ったら嘘になるけれど。
「ありがとうございます、フィンリー」
満面の笑顔で感謝を伝える。この方が、ずっと彼を幸せな気持ちにできると気づいたから。
「こんなに優しい婚約者を持てて、私は幸せ者ですね」
「アイリス……!」
感極まったように、フィンリーは勢いよく私に抱きつく。可愛いなぁ、と思いながら、背中をそっとさすった。
母親の服のすそを握りしめる赤ん坊のようだけれど、力の強さは比べ物にならない。
あきらめて好きなようにさせていると、やがて手の力がゆるむ。満足したのかもしれない。
アイリス、とくぐもった声で名前を呼ばれたから、無言で微笑みを返す。
「もうひとつ、報告したいことがあるのですが」
「報告、ですか?」
「はい」
フィンリーは首肯して顔を上げた。その顔は赤く色付いているように見える。
「どうにか二人分、休みをもぎとってきました。だから……その、街の散策にでもどうかな、と思いまして」
ふむ、と考え込む。街で散策……。
「それは二人で、ということですか?」
「もちろん護衛はつきますが、一応は」
「では、……その……で、デート、というやつですね」
言葉が口になじまないせいで噛みまくってしまった。こんな甘やかな出来事が、自分の身に起こる日がくるなんて。
皇女らしく凛としていようとするのに、口元がゆるむのが抑えられない。仕方がない。人生初めての、で、デート、だもの。
フィンリーは少し身体を離すと、私の前にひざまずく。私の手をとって、うやうやしく目線の高さまで持ち上げた。
「一週間後の午後、たったの半日の夢ですが……デート、してくれますか?」
「……よろこんで」
仕草と言葉だけ見れば、おとぎ話の王子様のようで。実際は王子様どころか、この国の皇帝陛下だけれども。
それなのに、少年のように頬を上気させているから性質が悪い。照れが伝染するやら、可愛いやらで、じっとしていられない。
結局、二人して顔を真っ赤にしているところにエドさんが入ってきて、フィンリーは半ば強引に連行された。
「エド、無粋が過ぎるぞ。だからお前は令嬢にモテないんだ」
「いや、あんな砂糖吐きそうな空間に割って入るの、自分もキツイんすからね!」
廊下からそんなやり取りが聞こえてきて、さっきとは違う意味で顔が熱くなった。
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