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魔女は王子に心を奪われる

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 目の前には、ジャックオランタンの彼が美しい姿勢で立っていた。

「まぁ、お客様。お相手の方は見つからなかったのですか?」

 大きなジャックオランタンが、エミリーの瞳を見て揺れた。
「泣いていたのですか?」

 エミリーは否定しようと口を開き、そして諦めた。一度、決壊してしまった目から涙が
止まることはなく、頬を伝い続けてしまっていたのだ。気が付けばエミリーは彼に抱きしめられていた。
 見ず知らずの男性に抱きしめられても、胸の痛みから目を逸らせられなくなったエミリーは嫌悪も恐怖も沸かなかった。胸の痛みの辛さが、エミリーの全てを占めていた。
 それでも、彼の優しい気遣いとマント越しに伝わる温もりは、エミリーを包み込み、彼女を素直にしてしまう。

「今日は、帰りたくないんです。正直に言えば、ずっと…」

 嗚咽の合間に、言葉を絞り出したエミリーの背を、彼はあやすようにゆっくりトントンと叩く。
「王太子の儀式のせいかな?」

 くぐもっているのに声にどこか優しさを感じて、エミリーは子どものように頷いて返事をする。
 優しい声は、降り続ける。

「王太子が嫌いなのかい?美形だと言われているけれど?」
「顔は確かに美しいです。あんな美が存在するなんて、信じられないぐらい」
 微かにジャックオランタンが揺れた気配がした。しばらくして、彼は小さく相槌を打つ。
「……そう」

 8年前、エミリーが初めてジェラルドと対面したとき、それまでの緊張も高揚も、何もかも忘れて、エミリーはただ呆然と彼に見入っていた。見入らずにはいられなかった。
 眩しい光のような強い魔力が立ち込める部屋には、このような美が存在することが信じられないほどの、凄絶な美を体現した一人の吸血鬼が美しい姿勢で立っていた。
 銀の髪は神々しいまでに艶めき、白皙を彩る濃く澄んだ青の瞳はサファイアを思い起こさせ、血のように赤い唇は吸い寄せられるような色香を放っていた。
 彼の放つ魔力と彼の美が合わさって、エミリーは跪きたいような畏怖を覚えた。
 あれから8年の付き合いを経ているのに、彼が微笑むと、エミリーは今でもたまにその美に打たれて会話が途切れ、彼を苦笑させてしまう。

「でも、あの方は顔だけではないのです。素敵な人です。私を救ってくれた人なのです」

 ジャックオランタンが再び揺れた気配を感じたものの、エミリーは言葉を止めることができず、訥々と話し始めた。


◇◇
 エミリーが初めてジェラルドと対面したのは、8年前のことだった。
 エミリーが得意とする、「おまじない」の魔法を伝授してほしいとの依頼があったのだ。
 その日、エミリーは、喜びと誇らしさを身体から溢れさせ、吸血鬼の王城を歩いていた。

 エミリーの母は、魔女の郷で魔女たちを束ねる長だ。エミリーが生まれたとき、魔女の郷での200年余ぶりの子どもの誕生、加えて偉大な魔女の後継者の誕生ということで、魔界の魔女たちは三日三晩お祭り騒ぎに明け暮れたという。
 けれども――、
 そこまで期待されたエミリーは、いたって平凡な魔女だった。
 母や母の側近は決して口にすることはないが、魔力の強さも人並み、どの魔法も人並みにしか使いこなせなかった。
 せめて何か自分にしかできない特別な魔法はないかと、母たちが直接管理する禁書以外の全ての古文書を読み漁り、片っ端から古代の魔法を復活させてみても、現代でそれらの魔法が使われなくなった理由が分かるだけだった。
 今の魔法を組み合わせれば難なくできる代物でしかなかったのだ。
 
 それでも、復活させた古代魔法の中で一つだけ、現在の魔法の組み合わせでは不可能なものがあった。
 それがおまじないの魔法だ。昔、魔界と人間界との関りがもっと深かったころ、魔女たちが人間に対してよく使っていた魔法だったらしい。この魔法はどのような組み合わせでも代替できなかった。
 そのことはエミリーを喜ばせてくれたのは事実だけれど、そして母たちが古式ゆかしい魔女の復活だと喜んでくれたのも事実だけれど、とはいえ、後押しの補助魔法は、魔法を使う本人には旨味がなく、廃れてしまうのも当然の結果とも言えた。
 
 つまり――、
 エミリーはどうあがいても平凡な魔女だったのである。

 魔女たちの期待を裏切ってしまったエミリーだったが、母や母の側近たちは、エミリーに失望することなどなく、惜しみなく愛を注ぎ、可愛がってくれた。疑いようもないほど、愛を示してくれた。

「エミリーはずっとこのままでいてちょうだい。大人になどならないでちょうだい。強い魔力など不要よ。ええ、絶対に要らないわ」

 幼いころから、事あるごとに抱きしめられ、頬ずりされながら、言われ続けてきた。成人を迎えた今でもそれは変わらない。
 そのことは本当にありがたいことで、幸せなことだと分かっていながらも、だからこそエミリーは申し訳ないという気持ちを消すことはできなかった。

 そのため、魔界で最も力を持ち、権勢を誇る吸血族の王太子に教えを請われたとき、エミリーは舞い上がった。
 これで少しは母や母の側近たちに顔向けできると、自分の寝室で枕を抱きしめて転がるほどだった。
 
 そして、冷めやらぬ喜びと緊張を抱いた彼女を出迎えてくれた王太子ジェラルドは、辺りを照らすような笑顔でエミリーに教えを乞うた理由を話してくれた。
「君の魔法の噂を聞いてから、君が来てくれるのを本当に楽しみにしていたんだ。素敵な魔法だと思って、どうしても私も身に着けたいと思ったんだ」

 素敵な魔法と言われても納得できず、少し首を傾げてしまったエミリーに、ジェラルドは顔を綻ばせた。
「誰かを助けるのもいいけれど、相手が自分でできるようになれば、その人はもっと喜んでくれるんじゃないかと思ってね」

 瞬間、エミリーの胸に明かりが灯った心地がした。
 ジェラルドの言葉は、すっと体に入り込み、体中に染み渡った。
 そして、今まで見えていなかった、閉ざしてしまったものが、一気に押し寄せたように、周りの何もかもが鮮やかに、とても美しく見えた。
 エミリーの変化は顔にも魔力にも現れていたのだろう。
 ジェラルドは微かに息を呑んだ。
 けれどもエミリーは彼の様子を気に掛ける余裕はなかった。歓喜で身体に力が漲り、沸き立つ高揚感で、今なら自分にできないことはないと思えるほどだったのだ。
 作法も忘れて椅子から立ち上がり、ジェラルドの隣に転移して、彼に抱き着いていた。
 
「殿下。ありがとうございます。私の全てを以て、伝授させていただきます」

 後にも先にもここまで作法を捨て去った行為を受けたことのないジェラルドは、目を丸くしてエミリーを見下ろしたが、やがて、サファイアの瞳を輝かせ、花が綻ぶように笑むと、銀の魔力を放ち、彼女をしっかりと抱きしめてくれたのだ。

「ありがとう。私の小さな魔女」

 思えば、出会いのこの日に、エミリーは、自分に光をくれた人へ、幼いながらも深い恋慕を抱いていたのだろう。
 ジェラルドにおまじないを教え始め、膨大な魔力を持つジェラルドが苦心の末、2年越しで習得し、もう会う理由が無くなってしまうと寂しさを覚えたときに、彼女は自分の恋を自覚した。
 ジェラルドはおまじないを習得した記念に、守護の魔石を作り、習得したてのおまじないをかけ、「自分の魔力におまじないをかけるとどうなるのだろうね」と微笑みながらエミリーに贈ってくれた。

 あの時、一生の宝物にすると思った。これほど、失恋の痛みが辛いものだとは知らなかった。――叶うことのない想いと分かっていたのに。

 未来を知らない当時のエミリーには胸が痛いくらいにうれしいことに、ジェラルドはおまじないを習得した後も、魔法の可能性を話し合う相手として、エミリーを城に招き続けてくれた。8年の間、二人の時間は積み重なり、エミリーは少女から大人になったけれども、彼から女性として扱われることはなかった。
 彼は母たちと同じだった。彼の部屋から退室するとき、いつも彼はエミリーを抱きかかえ、頭に優しい口づけを落として囁くのだ。

「エミリーは私の知らないところで大人にならないでおくれ。大人になるときは私の前でなるのだよ。ずっと私の可愛い魔女でいておくれ」
 
 彼から愛を受けていることは分かっていた。
 そして、その愛がエミリーの願う愛とは違うことも分かっていた。

 分かっていながら、分かっていても、エミリーは彼との時間を持ち続け、彼への想いを持ち続けた。自分に光をくれた人の傍から離れることも、想いを断ち切ることも、エミリーはできなかった。
 望む形の愛はもらえなくとも、彼は笑顔を向けてくれる。彼は自分を慈しんでくれる。その瞬間、エミリーはすべてを忘れて歓喜に包まれる。あと少しだけでいいからと唱えて、エミリーは次の瞬間の訪れを待ってしまうのだ。

 けれども、それも今日で終わりを迎えた。
 彼は誰かに、エミリーが願ってやまなかった愛を向けるのだ。
 

◇◇
 すっかり話し終えた時には、エミリーの涙は収まっていた。息を吸い込み、気持ちを切り替えて、そっと彼から身体を離す。

「ごめんなさい。見ず知らずの方に、こんな話に付き合せてしまって」
「可愛い魔女との話は、いつでも私の中で最優先だよ」
「ふふ、ありがとうございます」

 エミリーは笑顔を彼に向けることができた。彼は、ジャックオランタンの奥で、何かを逡巡している気配をみせた。
 少しの間の後、彼は話し出した。

「私は人間界に来たのは初めてなのです」
「まぁ、そうだったんですね。魔界と違うことが多くて、色々、驚かれたのでは?」
「ええ、驚きました。まだ色々見て回りたいぐらいです」

 エミリーは力強く頷いた。彼女も初めて人間界に来た日は、一睡もせずにあちこちを見て回ったのだ。
 彼はエミリーに問いかけた。
「『今から、私に付き合ってくれませんか?』」
 エミリーは心からの笑顔を浮かべた。
「ふふ、『喜んで』」

――あら?でもお相手の方を探さなくても――

 疑問が浮かんだ瞬間、エミリーの目の前は銀の光で覆われた。
 
 

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