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第2章

花咲くころに

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それはいつものお茶の時間だった。
「我が家の庭の花が見ごろなのです」
セディはお茶のカップに目を落としながら話し出した。
そういえば、この季節には例年、公爵家では花に寄せてパーティーを開いていたことを、リチャードはお茶を味わいながら、思い出していた。
そして次の瞬間、いつものお茶では起こらないことが起こった。
「観にいらっしゃいませんか」
セディは真っ直ぐにこちらを向いていた。


それから、二日後、リチャードは公爵家の馬車に乗り、フォンド公爵家へ向かっていた。護衛を一人もつけず、馬車も王家のものではなく、いわゆるお忍びという形だ。
公爵家の馬車は、座席は滑らかな生地で覆われ、窓枠の飾りも小ぶりながら丁寧な細工の施された品の良い内装と性能の良さを感じるものだったが、お忍びという形が自分の立場が安定したものではないことを思い知らされる気もして、リチャードは居心地の悪さを覚えていた。護衛を一人もつけないのも異常だろう。
向かいには、セディではなくハリー守護師が同乗している。
まぁ、ハリーがいれば護衛は不要だろう
リチャードは窓へ視線を向けながら、気持ちも切り替えていた。

「ようこそお出でになられました」
屋敷では公爵家当主、アルバート宰相が見慣れた厳めしい顔で出迎えた。まずは、お茶を飲みながら歓談する運びなのだろうというリチャードの予想はあっさり裏切られた。
「今が、一番、日差しのいい時間帯です。どうぞこのままお庭をご覧ください」
そこまでのこだわりを見せる花なのだろうか
リチャードの驚きはさらに深まった。
「セディがご案内致します」
庭には二人きりで歩くようだ。公爵家の警護は、王太子に護衛を一人もつけない状態でもよい自信があるのだろうか。
リチャードの考えを読んだかのように背後で深く染みとおる声がした。
「私の魔法はこの広さなら、どこにでも届く」
――確かにそうだろう
納得しながらリチャードはセディと歩き出した。

「これが、鈴音の木です」
「なるほど…」
 透き通った白さの花が咲いた木だ。花の妙なる色合いだけでなく、風が吹くと葉が擦れ合い、名前の由来どおり鈴のような音を奏で、幻想的な美しさを醸し出す。
 確かに誰かと分かち合いたくなる美しさだ。
 リチャードはしばらくこの世のしがらみをすべて忘れて木に魅入っていた。
「『病気になりやすく育てるのが難しい木ですが、この美しさで全てが忘れられる』と庭師がよく言っているのです」
 セディの静かな声に、リチャードは頷きだけを返した。
「数年前、もう枯れてしまうかと思うほど弱ったのですが、シルヴィが治癒の魔法石を作ってくれて根元に埋めてから、以前よりも美しさが増したのです」
 私の天使のあの治癒の魔力ならそうだろうと、リチャードは現実に戻ってきた。

 目当ての木を見た後は、屋敷に戻るのだろうというリチャードの予想はまたもや外れ、それから、セディは他の場所も案内を続けた。
 ――この花はシルヴィの好きな花です
 ――ここの場所は、シルヴィが転んでしまった場所なのです
 ――ここでシルヴィは昼寝をするのが好きで

 リチャードは、10回までは数えて堪えていた。

 けれど、あと、3回シルヴィの名前を聞かされたら、戻る場所は馬車だ。即刻。
 
 リチャードが思いを固めた時、セディは足を止めた。
 何の特徴もない芝に覆われた場所だ。季節外れの白いチューリップがぽつんと2本咲いている。
 「いつか、…いつか、この場所について貴方に説明できる日が来ればいい、と思っています」
 ドクンと心臓が跳ねる気がした。

 まさか…、いや、そんなことはあり得ない…
 罪人の遺体は葬られず、焼き捨てられる決まりだ。

「そして、もっと先のいつか…、本当に還りたい場所で安らかに…」
 リチャードは崩れ落ちた。涙がこぼれ続ける。
「僕は、少し庭を点検してきます。パーティーに備えて」
 セディは静かに離れていった。
 リチャードは、もう嗚咽を堪えなかった。涙も堪えなかった。堪えることはできなかった。

 許してくれという資格などない。
 済まないと思っている資格すらもない。
 だけど、だけど、ライザ、そなたのことを忘れたことはない、それだけは言わせてもらえないだろうか。
 そなたが事あるごとに私に向けてくれた笑顔も、
 毒を盛られ寝込む度に握りしめてくれた手の温かさも強さも
 一生忘れることはない、――と言ってはいけないだろうか。

 リチャードは、芝を握りしめて泣き続けた。
 
 日が傾き始め、涙も枯れたころ、
「そろそろ城へお戻りください。…リック」
静かにそっと声がかけられた。まだ数えるほどしかないその呼ばれ方が、温かかった。
また溢れかけた涙をこらえながら、リチャードは立ちあがった。
「シルヴィが治癒石をここにも埋めてくれたのです。この大きさの花2本なら10年単位で咲き続けるはずです」
リチャードは瞳を閉じてただ頷いた。
「いつでも花を頼りにこの場所を見つけられますよ」
リチャードは再びこみあげてきたものを抑えながら、もう一度頷いた。
「いつでも花が、…見守ってくれています」
リチャードは俯いて抑えきれなかったものを隠した。


帰り際、見送りに立つ宰相に、馬車に乗り込む手前で、リチャードは万感の思いを込めて言葉を向けた。
「ありがとう」
秘密裏に屋敷に葬ることでどれだけの危険を背負ってくれたのか、背負い続けてくれているのか、いくら感謝してもしきれない思いだった。
厳めしい顔の宰相は、わずかに口元を緩めた。
「いつでもお花をご覧にいらしてください」

その年から年に一度は、王太子がフォンド公爵家の「鈴音の木」を愛でることが続いた。
たいそうお気に入りで、一人で存分に堪能なさると巷で評判になっていた。
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