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37.呪い
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「イーライ! ああ、そんな!」
地面とそこに着いた自分の手、そしてバラバラになった骨格標本だったものが視界いっぱいに広がる。その外側から悲痛な叫びと共にヨシュアがこちらに駆け寄ってきているらしい足音が聞こえる。俺は段々近づいてくるそれを聞きつつも、崩れた骨格標本の骨の山の中からゆっくり体を起こした。
変な体勢で倒れ込んだ割に、怪我はしていない。長年の戦いばかりの生活の中で体に染み付いた癖で、咄嗟に受身を取ったお陰だ。反射というのは考えるよりも先に体を動かす。やれやれ、こういう時に役立つのはいいが、逆に言えばこういう時にしか役立たないな。まあ、身につけたこの反射の主目的は魔物に立ち向かって勝つ事なので、こういった副次的な損得等どうでもいいのだろうけど。
「イーライに呪いが……! 待ってろ、今解呪を」
「触るな!」
いつの間にか隣にまで来ていて、俺の体に向かって手を伸ばしてきたヨシュアを鋭い声で制止する。ヨシュアはビクリと体を揺らし苦しげな表情を見せたが、一応それ以上動こうとはせず俺の言葉に従ってくれた。
これでいい。下手にヨシュアが俺に触って呪いが伝播したら大変だからな。片手を持ち上げて瘴気が纏わりついているそれを、何度か開いて握ってを繰り返す。ふむ、成程……普通の健康な人間なら体調を崩す事はあっても死に至る程ではないが、それなりに強い呪いのようだ。
より詳しく言えば、俺のように体が弱っている人間なら死ぬ可能性も十分にある強さではある。ユディトの狙いはこれだったか。王家から下賜された宝物とやらは、一切無関係だったな。やれやれ。本物の大切な家宝を壊してまで貶める程、俺に価値はなかったらしい。完全に読み間違えたな。
「イーライ様! ああ、なんて事! まさか、たまたまよろけた先にあった品にかけられていた、盗難防止用の呪いに間違えて触れてしまうなんて! どうしましょう、どうしましょう!」
傍でユディトが態とらしい悲しげな声を上げる。手で口元を覆って悲嘆に暮れている風を装っているが、こちらからは指の隙間からにやけて歪んだ唇と愉悦に染った瞳が丸見えである。成程、考えたな。
王太子がやったようにたまたまと言いつつも論理的に考えれば恣意的な部分が露呈してしまう稚拙なやり方……。例えば俺にとって毒になる食べ物を事前に知っていた事を隠した上でその毒になる食べ物を出す、というやり方では、言い訳を看破された場合に言い逃れができない程に己の悪意を隠しきれなくなる。更に言えば初手で変に言い逃れしようとしたせいで、周囲からの印象は割増しで最悪になる事請け合いだ。
悪企みがバレさえしなければ問題ないが、その分バレた時のダメージがデカい。策士策に溺れるじゃないが、自ら企てた策のせいで己の首を絞める事になりたくなければ、万が一悪意がバレた時にはどうにか言い逃れをする余地を最初から考えて残す必要がある。王太子は、それができておらず自ら墓穴を掘ってそれに嵌ったのだ。
その点ユディトの作戦は、王太子の企てた穴だらけのお粗末なものとは違いかなり完成度が高い。先ず俺がかかったこの呪い。泥棒避けと銘打ってはいるが、それにしてはやけに手のかかったものだ。普通たかだか泥棒を避ける為だけに術者の負担や生贄の必要な呪いなど使わない。何故って、それは単純にリスクがデカ過ぎるからだ。
生贄を使った呪いは国際的に禁止されている。行使は勿論、生贄を使った呪いによって作成された、呪物の所持も禁止だ。単純所持だけでもかなりの重罰を課される。最低でも10年以上の禁固刑だし、国によっては死刑も有り得た。
なので、そんな危ない呪いのかかっている呪物の所有者……この場合で言えばダンコーナ公爵家だって、処罰の対象になってしまう。この呪いは確実に俺の命を狙ったものであろう。俺は一応勇者と言われる程に世界平和に貢献している人間だ。そんな人間を禁止された呪物で呪殺したなんて、立証されてみろ。お家取り潰し、関係者一同連座で吊るし首ですら、それで済んだらまだ軽い方だろう。
しかし、ここで上手いなと思ったのが、呪いの出力だ。一般的に健康な成人なら大きく体調を崩す事はあっても死にはしない程度、しかしそこで俺のように体が弱っていたり何か致命的な疾患の組み合わせなどの条件さえ揃ってしまったら、あっという間に死に至るくらいの出力はある絶妙な強さの呪い。これなら、俺が死んでしまったとしてもただ今回は俺の体調が悪かったから死んでしまっただけで、普通なら死にはしないものだった、運が悪かったのだと言い訳できる。
単純に一撃必殺の致死性の呪いなら確実に俺を殺せる。しかし、そんな分かりやすい呪いをかけてしまったら、殺意がバレバレだ。そこでユディトは健康を害した人間なら殺せる程度に、態と呪いの出力を弱めたのだ。これにより王太子がやったのと同じただの未必の故意でも、今回の場合は相手の命を狙える範囲に効果は保ちつつも泥棒避けの為だとして一応言い訳が立つ。呪物に接触する事が呪いの発動条件になっており、その呪物が公爵家の家宝という事になっているのなら、尚更。
そこに加えて俺が勝手に転んで呪物に触れた事になれば、ダンコーナ公爵家の責任もあってなきようなもの。ヨシュアというイレギュラーの乱入はあったが、その他のユディト側についている令嬢達と口裏を合わせてしまえばもう完璧だ。精々古い品物とそれに掛けられた呪いについては今後気をつけましょう、という注意くらいで俺の事は不幸が重なった事故として処理されれて終わりに決まってる。
この骨格標本が歴史あるものだというのは多方嘘だろうが、一応古いものだと対面を整えておいたのは国際的な規制ができる前に生贄を使って作成された呪物なのだ、と主張する為だろう。それによって、俺がかかった呪いが生け贄を使う程に強力なものだった事に対する言い訳の辻褄合わせだってできよう。当然呪いに触れるきっかけとなったユディトの手出しだって、誰かに押されて転んだか俺が自ら足を滑らせ転んだかなんて傍目には判断が難しい。
その場に居なかった者には真実なんて分かりようがないし、その瞬間の目撃者を探そうにも令嬢達はユディトの味方ばかりで彼女の不利になる証言をする筈もなく、見ていないと言ってもダンコーナ公爵家の宝を夢中になって見ていたと言えば何もおかしな事にはならないだろう。つまりは俺がこの呪いで重体になるなり死ぬなりしても、全ては不幸な事故となる訳だ。王太子と同じ未必の故意でも、ユディトの企てはこんなにも立証が難しい。ふむ、上手く考えたもんだ。
途中でヨシュアがやってくるというイレギュラーはあったが、彼がユディトによって俺が背中を押される所を見ていたかどうかは正直怪しい。よしんば見ていたとしても王太子の時とは違い客観的証拠ではないので、ベンデマン公爵家子息とダンコーナ公爵家令嬢との間での言った言わないの水掛け論になって無駄に揉めるだけだろうな。ヨシュアの言葉1つで何かが決定的に変わるという事はきっとない。むしろ一応第三者という事になっているユディトの取り巻き達の偽証で、ヨシュアが嘘つきに仕立て上げられる可能性だってある。
やれやれ、何ともまあややこしくて面倒なことになってしまった。平静さを失い取り乱すヨシュア。ニヤニヤと愉悦を隠し切れずに笑い続けるユディト。騒ぎを遠巻きに観察しながらも意地悪く表情を歪めるその他の令嬢達。彼等の中心でおれはただ妙に冷めた思考を巡らせ、同時に呪いに蝕まれジクジクと痛む指先をボンヤリとどこか遠くに感じるのだった。
地面とそこに着いた自分の手、そしてバラバラになった骨格標本だったものが視界いっぱいに広がる。その外側から悲痛な叫びと共にヨシュアがこちらに駆け寄ってきているらしい足音が聞こえる。俺は段々近づいてくるそれを聞きつつも、崩れた骨格標本の骨の山の中からゆっくり体を起こした。
変な体勢で倒れ込んだ割に、怪我はしていない。長年の戦いばかりの生活の中で体に染み付いた癖で、咄嗟に受身を取ったお陰だ。反射というのは考えるよりも先に体を動かす。やれやれ、こういう時に役立つのはいいが、逆に言えばこういう時にしか役立たないな。まあ、身につけたこの反射の主目的は魔物に立ち向かって勝つ事なので、こういった副次的な損得等どうでもいいのだろうけど。
「イーライに呪いが……! 待ってろ、今解呪を」
「触るな!」
いつの間にか隣にまで来ていて、俺の体に向かって手を伸ばしてきたヨシュアを鋭い声で制止する。ヨシュアはビクリと体を揺らし苦しげな表情を見せたが、一応それ以上動こうとはせず俺の言葉に従ってくれた。
これでいい。下手にヨシュアが俺に触って呪いが伝播したら大変だからな。片手を持ち上げて瘴気が纏わりついているそれを、何度か開いて握ってを繰り返す。ふむ、成程……普通の健康な人間なら体調を崩す事はあっても死に至る程ではないが、それなりに強い呪いのようだ。
より詳しく言えば、俺のように体が弱っている人間なら死ぬ可能性も十分にある強さではある。ユディトの狙いはこれだったか。王家から下賜された宝物とやらは、一切無関係だったな。やれやれ。本物の大切な家宝を壊してまで貶める程、俺に価値はなかったらしい。完全に読み間違えたな。
「イーライ様! ああ、なんて事! まさか、たまたまよろけた先にあった品にかけられていた、盗難防止用の呪いに間違えて触れてしまうなんて! どうしましょう、どうしましょう!」
傍でユディトが態とらしい悲しげな声を上げる。手で口元を覆って悲嘆に暮れている風を装っているが、こちらからは指の隙間からにやけて歪んだ唇と愉悦に染った瞳が丸見えである。成程、考えたな。
王太子がやったようにたまたまと言いつつも論理的に考えれば恣意的な部分が露呈してしまう稚拙なやり方……。例えば俺にとって毒になる食べ物を事前に知っていた事を隠した上でその毒になる食べ物を出す、というやり方では、言い訳を看破された場合に言い逃れができない程に己の悪意を隠しきれなくなる。更に言えば初手で変に言い逃れしようとしたせいで、周囲からの印象は割増しで最悪になる事請け合いだ。
悪企みがバレさえしなければ問題ないが、その分バレた時のダメージがデカい。策士策に溺れるじゃないが、自ら企てた策のせいで己の首を絞める事になりたくなければ、万が一悪意がバレた時にはどうにか言い逃れをする余地を最初から考えて残す必要がある。王太子は、それができておらず自ら墓穴を掘ってそれに嵌ったのだ。
その点ユディトの作戦は、王太子の企てた穴だらけのお粗末なものとは違いかなり完成度が高い。先ず俺がかかったこの呪い。泥棒避けと銘打ってはいるが、それにしてはやけに手のかかったものだ。普通たかだか泥棒を避ける為だけに術者の負担や生贄の必要な呪いなど使わない。何故って、それは単純にリスクがデカ過ぎるからだ。
生贄を使った呪いは国際的に禁止されている。行使は勿論、生贄を使った呪いによって作成された、呪物の所持も禁止だ。単純所持だけでもかなりの重罰を課される。最低でも10年以上の禁固刑だし、国によっては死刑も有り得た。
なので、そんな危ない呪いのかかっている呪物の所有者……この場合で言えばダンコーナ公爵家だって、処罰の対象になってしまう。この呪いは確実に俺の命を狙ったものであろう。俺は一応勇者と言われる程に世界平和に貢献している人間だ。そんな人間を禁止された呪物で呪殺したなんて、立証されてみろ。お家取り潰し、関係者一同連座で吊るし首ですら、それで済んだらまだ軽い方だろう。
しかし、ここで上手いなと思ったのが、呪いの出力だ。一般的に健康な成人なら大きく体調を崩す事はあっても死にはしない程度、しかしそこで俺のように体が弱っていたり何か致命的な疾患の組み合わせなどの条件さえ揃ってしまったら、あっという間に死に至るくらいの出力はある絶妙な強さの呪い。これなら、俺が死んでしまったとしてもただ今回は俺の体調が悪かったから死んでしまっただけで、普通なら死にはしないものだった、運が悪かったのだと言い訳できる。
単純に一撃必殺の致死性の呪いなら確実に俺を殺せる。しかし、そんな分かりやすい呪いをかけてしまったら、殺意がバレバレだ。そこでユディトは健康を害した人間なら殺せる程度に、態と呪いの出力を弱めたのだ。これにより王太子がやったのと同じただの未必の故意でも、今回の場合は相手の命を狙える範囲に効果は保ちつつも泥棒避けの為だとして一応言い訳が立つ。呪物に接触する事が呪いの発動条件になっており、その呪物が公爵家の家宝という事になっているのなら、尚更。
そこに加えて俺が勝手に転んで呪物に触れた事になれば、ダンコーナ公爵家の責任もあってなきようなもの。ヨシュアというイレギュラーの乱入はあったが、その他のユディト側についている令嬢達と口裏を合わせてしまえばもう完璧だ。精々古い品物とそれに掛けられた呪いについては今後気をつけましょう、という注意くらいで俺の事は不幸が重なった事故として処理されれて終わりに決まってる。
この骨格標本が歴史あるものだというのは多方嘘だろうが、一応古いものだと対面を整えておいたのは国際的な規制ができる前に生贄を使って作成された呪物なのだ、と主張する為だろう。それによって、俺がかかった呪いが生け贄を使う程に強力なものだった事に対する言い訳の辻褄合わせだってできよう。当然呪いに触れるきっかけとなったユディトの手出しだって、誰かに押されて転んだか俺が自ら足を滑らせ転んだかなんて傍目には判断が難しい。
その場に居なかった者には真実なんて分かりようがないし、その瞬間の目撃者を探そうにも令嬢達はユディトの味方ばかりで彼女の不利になる証言をする筈もなく、見ていないと言ってもダンコーナ公爵家の宝を夢中になって見ていたと言えば何もおかしな事にはならないだろう。つまりは俺がこの呪いで重体になるなり死ぬなりしても、全ては不幸な事故となる訳だ。王太子と同じ未必の故意でも、ユディトの企てはこんなにも立証が難しい。ふむ、上手く考えたもんだ。
途中でヨシュアがやってくるというイレギュラーはあったが、彼がユディトによって俺が背中を押される所を見ていたかどうかは正直怪しい。よしんば見ていたとしても王太子の時とは違い客観的証拠ではないので、ベンデマン公爵家子息とダンコーナ公爵家令嬢との間での言った言わないの水掛け論になって無駄に揉めるだけだろうな。ヨシュアの言葉1つで何かが決定的に変わるという事はきっとない。むしろ一応第三者という事になっているユディトの取り巻き達の偽証で、ヨシュアが嘘つきに仕立て上げられる可能性だってある。
やれやれ、何ともまあややこしくて面倒なことになってしまった。平静さを失い取り乱すヨシュア。ニヤニヤと愉悦を隠し切れずに笑い続けるユディト。騒ぎを遠巻きに観察しながらも意地悪く表情を歪めるその他の令嬢達。彼等の中心でおれはただ妙に冷めた思考を巡らせ、同時に呪いに蝕まれジクジクと痛む指先をボンヤリとどこか遠くに感じるのだった。
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