愛が重い

我利我利亡者

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 次の日、いつもの自分の寝床ではなく、硬くて壁で囲まれた狭いスペースに寝ていることに違和感を感じて、目が覚めた。ストーキング中は梁の上だろうが土の上だろうが平気で寝ていたが、流石に身長が190cm弱ある人間が日本の一般的なサイズのバスタブで寝るのは少し無理があったらしい。寝るときに下に何も敷いていなかったので、体中がバキバキする。
 浴室内は窓もなく、部屋の間取りや方角的に屋外からの光も差し込んでこないので、辺りは真っ暗だ。携帯も昨日服を剥がれた時にどこかへやってしまっていたので、今が何時かわからないし、明かりもない。
 僕は目覚ましなしでもいつも決まった時間に起きれるけれど、昨日あんなことがあって体力を消耗したから疲れ果てて寝坊している可能性がある。
 けれど、寝苦しさに耐えかねて起きてしまったのだから、いつもより早い時間に起きた可能性も無きにしも非ずだ。要するに寝坊した可能性も、逆に早起きした可能性も同じだけあって、今が何時か結局わかんねぇってこと。
 そういえば貪るような行為のせいで、高校時代にやらされた全校生徒強制参加マラソン大会翌日のような疲労感はあるが、臀部や股関節に特に違和感は感じない。あれだけ遠慮なく乱暴に扱われても平気なんて、僕の体がやたら丈夫なのかアナニーのし過ぎで体が慣れてたかのどっちかだな。僕の予想だと、どちらかといえば後者の方が多くの割合を占めていると思う。
 まさか喬くんの妄想で後ろ弄りまくってるのと、体が柔らかいと自分で弄りやすくなるからと毎日お風呂上がりに入念にストレッチしてるのが、こんなところで役に立つなんて。世の中何が起こるか分からないもんだ。強く掴まれた腕や噛みつかれたり吸いつかれたりスパンキング(お尻ぺんぺん)されたりしたところは普通に痛いので、僕のお尻が壊れなかったのはやっぱりセルフ開発のおかげっぽい。
 なんと言うか、アナニーのし過ぎで助かるとはね……自分の性欲さまさまである。どう捉えていいのか、少し複雑な心境ではあるが。
 まあ、そのせいで喬くんにブチ切れられて、こんな目に遭ったんだけどね。そう考えると差し引き0なのか?  いやでも喬くんに抱いてもらえたのは、明らかにプラスだしな。うーん、よく分からん。分からないことは考えないのが1番だ。無駄に悩む暇があったら、喬くんの事を考えていたい。
 まあ、そんな後先考えない生き方のせいで今、あまりにも大きな壁にぶち当たっている気がしないでもないが、考えないようにしよう。
 そういえば、喬くんはどうなったんだろう。昨日は彼の信頼を裏切り、散々騙してストーキングしてた僕にめちゃくちゃ怒ってたっけ。『何で告白もしてない相手のグッズをこんなに集めてんだ』とか『アナルがこんなになるまで俺で抜きまくったのかよ』みたいなことを言われた気がする。パニクりすぎてあんま覚えてないけど。
 でも、大体『友達ヅラしたストーカーに隠れて性欲の対象に見られてマジきもい』みたいな内容だった気がする。やっぱしあんま覚えてないけど。
 まあ、バレたら当然そんな反応されるって分かってたし、だからこそ恋人として隣に立つんじゃなくて影からコソコソ見守ろうと思ってたんだけど、やっぱ好きな相手から面と向かって罵られるのはキツいなー。覚悟してから包丁に刺されても刺されて感じる痛みや流す血の量が変わらないのと一緒で、分かりきったことであっても事が起きてしまえば、現実に打ちのめされて傷つくし、そうすればやっぱり心が辛いのは当然なのだ。あー、合コンへの参加を承諾する前くらいまで時間を巻き戻したい。ちょっと立ち直れそうにないよ。
 ていうか、それはともかく喬くんの様子確認した方がいいよね。
 今日と明日は学校は休みなので時間は気にしなくてもいいけど、もし昨日の即席お布団に寝かせた時のままだったら、いつまでもキモいストーカーの即席お布団に寝かせとくのは喬くんの寝覚めも宜しくないだろう。物音が一切しないからもうとっくの昔に僕の部屋から出てったあとかもしれないけど、一応確認だけはしとかなくちゃ。
 昨日散々喬くんを怒らせてしまったあとなので、確認をしに行くのはいささか気が重い。
 だが、どのみち彼が嫌がらない限りもう一度会って彼の気が済むまで、謝るかボコられるか慰謝料を払うか目の前から消えるか死ぬかあるいはそれ全部やらなくちゃいけないので、そのタイミングが早いか遅いかの問題だろう。
 彼がまだ寝てたら起こすといけないから、物音を立てぬようそうっとバスタブから這い出る。それでもこの部屋はそんな高級なつくりでもないから、身動きするたびに小さく床がキシキシと軋んだ。
 まあ、これくらい微かな音ならたてても大丈夫だろうなー……ん?
 なんか、浴室内に何かの気配が……。
 正確に言うと、バスタブを出て右の浴室の角。扉の真正面に、気が……。えっまさか喬くんに嫌われたショックで頭おかしくなって幻覚見えてきた?  うっそマジで!?
 と、取り敢えずこうも真っ暗だとなんにも分からないから、電気つけてみよう。ドキドキしながら手探りで浴室の扉を開けて、すぐ横の壁に設置されている電気のスイッチを押してみると……。
「!!!!!」
 えっ、なんで……なんで彼がここに……。
「……何してるの、倉持くん」
 そこには、浴室の角にはまり込むようにして膝を抱え、膝頭と額がくっつくほど、ガックリと項垂れる喬くんの姿があった。
 ど、どうして喬くんが浴室の隅っこで体育座りしてるんだ。ていうかめっちゃ落ち込んでない? そう、喬くんは今、傍から見て分かるほど全身全霊を持って意気消沈している。
 一体何が……あ、僕のせいか。そりゃ隣に住んでる友人?  仲のいい知り合い?  が自分のガチストーカーだったら、落ち込まない方がおかしいよ。考えりゃすぐ分かるだろ、僕は馬鹿なのか。あまりにも当たり前過ぎることだろう。
 どうしよう、喬くんをこんなにも傷つけてしまったなんて、僕はなんて恐ろしいことを……! 今更ながら自分のしでかした事の重大さに気が付き、愕然とする。頭からサァーッと血が引いていき、手はワナワナと震え、足からは力が抜けてうまくたっていられない。ふらついて今にも倒れてしまいそうだ。

 ボクガ、キズツケタ。タダシクンヲ、キズツケタ。

 頭の中でそのフレーズが何度も木霊する。どうしよう、どうしよう、どうしよう。何があっても守ろうと決めた。彼を傷つけるもの全て、退けると誓った。それなのに、他でもないこの僕が……。
 とんでもないことをしてしまった。さっきまで色んなことでいっぱいいっぱいになってちゃんと現状を理解していなかったこともあり、何とも思っていなかった筈の今までの自分の行動を、今更ながら自分のやらかした出来事をまざまざと自覚して激しく悔悟する。自分に対する嫌悪感で吐きそうだ。
 それからはもう無我夢中だ。ショックで言うことを聞かない体を叱咤し、何とか動かない喬くんの前まで行って、そこで膝から崩れ落ちる。そうしてその場で床との摩擦で体が削れる位の勢いで、喬くんに向かってその場で思いっきり土下座をした。
「ごめん、倉持くん! 本当に僕が馬鹿だった! 僕は自分が君を好きなことを言い訳に、使用済みのものを集めたり、盗撮したり、盗聴したり、他にも色々……。君の人権を無視してプライベートを踏み荒らした。君は僕のことを本当にいい友人だと思って優しく接してくれたのに、こんな最低の形で裏切ってしまった。許してくれるとは思えないが、本当にごめんなさい。もちろん君に関するデータと物品は全部完璧に破棄する。僕から君に、何があっても2度と近づかない。観察も収集も、金輪際絶対にしない。君の気が済むなら慰謝料を借金まみれになって一生返済し続けなくちゃいけない額でも払う。痛い目に会えっていうなら指や腕や足や鼻や耳、なんでも切り落とす。目も潰すし、歯や舌も抜く。殺したい程憎いなら、誰にもバレずに僕を殺せる環境を作るし、死体の処理をしてくれる人も探してくる。僕なんかの為に手を汚したくないけど、個人的で人に知られたくないことを色々知られているから存在するだけで不快なら、自殺だってしてみせる。当然、遺書なんかで倉持くんのことを書き残したりなんかしないよ。なにか適当でありふれた理由でも書いておくさ。他にも償いとしてして欲しいことがあったなら……」
「ちょっと待って! ……さっきから何言ってるんだ?」
 僕の必死の謝罪は、喬くんの急な大声で遮られた。声の震えから喬くんがかなり動揺しているのは分かるが、今僕は土下座中なので勝手に彼の方を見ることもできず、詳しいことが全く分からない。
「取り敢えず、顔を上げろよ! 話はそれからだ」
「いや、そういう訳には……」
「いいから! 何でも言う事聞くんだろう? なら、顔を上げろって! それに、謝んなきゃいけないのは俺の方だし……そのまんまだと話しづらい」
 え? 喬くんが僕に謝るって? 120パー僕の方が悪いのは確実だと思うんだけど。ワタシ加害者、アナタ被害者、至極単純明快な図だ。この関係性はどうあっても揺るぎようがないだろう。
 まさか『私に隙が有ったから犯罪にあったのよ』みたいなやつか。有りうる。清らかな心の持ち主の喬くんは凄まじいお人好しだから、そんなこと思いかねない。駄目だよ喬くん。それは痴漢は全部女が悪いと同じくらいの暴論だ! 君に非があるなんて認めたら、今日から太陽は西から昇って東に沈むようになっちゃうよ!
 ああ、僕はこれ程までに天使のような美しい心を持つ人を相手に、なんて悍ましいことをしてしまったんだろう。改めて悔恨の念が胸いっぱいに広がった。
 このまま反省の意を込めて、土下座をし続けて、そのまま床とおでこが融合してしまっても良いくらいだが、何でも言う事を聞くと言った手前、顔を上げろという喬くんのお願いを聞かない訳にはいかない。恐る恐る顔を上げて小さく縮こまり、疚しさから伏し目がちに彼と向き合う。
 喬くんは体育座りを崩して立膝に座り直していた。心做しか窶れ、肌の色も悪いように見える。無理もない昨日あれだけ酷い目にあったのだから。何より、目の前に加害者がいて落ち着ける被害者なんていないだろう。
 ううっ、やっぱり僕、今すぐ死んで彼の前のみならず、この世から跡形もなく消えた方が良いんじゃないだろうか?
「日波」
 真剣な響きを持った彼の声に、名前を呼ばれた。ただそれだけなのに、訳もなく泣きそうになる。散々彼を傷つけたこんな酷い僕なのに、『おい』とか『お前』とかじゃなくて、まだ前と同じように名前で呼んでくれるんだ。やっぱり喬くんは優しい人だ。
「なに? 倉持くん」
 彼は優しいから、きっと昨夜のこともなんだかんだ理由をつけて無かったことにしてくれるんだろう。さっきチラッと言っていたように、俺の方が悪かったんだと、自分が泥をかぶる形で事件を無かったことにしてしまうんだ。その慈愛に満ちた優しさで、こんな下卑た犯罪者ですら、自分の身を呈してまで守ろうとする。なんて高潔な魂の持ち主なんだ。こんなに素晴らしい人はこの世に2人といないだろう。
 ならば、どんなに歪んだものだったとしても、喬くんを愛した者として、僕は彼の美しい自己犠牲の精神に報いなくてはならない。たとえ彼が僕に何の罰も求めなくても、自ら彼の前から姿を消そう。彼へのストーキングを止めて、集めに集めた収集物も破棄して、今まで彼と過ごした痕跡も全部キッパリと消し去ってしまおう。そうして最後には自分自身も……。
 僕が犯してきたのは償いきれるような罪ではないけれど、そうすることがせめてもの彼の温情に対する誠意だろうから。それがケジメというものだ。
 喬くんが躊躇いがちに口を開く。訥々と、僕へと語りかけ始める。そうか、もうすぐ全てが終わるんだ。
「本当に……」
「うん」
「本当に……」
「うん」
「本当に、申し訳ございませんでしたぁ!!!」
「……えっ?」
 僕を待っていたのは、僕を庇う言葉でも、事態を取り繕う言葉でもなく、ましてや罵倒や悪態でもない。ゴチンッと大きく鈍い音がする程凄まじい勢いで床に頭を振り下ろす、渾身の土下座を伴った謝罪だった。
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