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それから結婚式までの半月間。俺は婚約者にそりゃあもうこれ以上ないくらい優しく接した。朝昼晩は必ず訪ねて行って挨拶は欠かさない。向こうは滅多に部屋から出てきてくれなくて挨拶どころか対面すら殆どできてないけど。それでもたまたま行きあったりして顔を合わせれば、精一杯優しく微笑みかけて話題を振る。向こうはこっちの顔を見てくれないし、返事も二言三言最低限で済まされちゃうけど。3日に1度は庭の散歩にだって誘ってるんだ! 花嫁修業で忙しいから、といつも断られるけど。でもな、1度なんて、生まれて初めてラブレター送っちゃったりなんかしたんだぜ! それには貴族らしい遠回しで他人行儀なものだけど、返事まで来た! キャー! 凄い! なんという事でしょう!
正直2人の距離が縮まってる気は一切ない。でもいいんだ。俺達もう婚約してるし、これから夫婦になるんだから。お互いを知っていく為の時間はこれからタップリある。それに、向こうが一向に婚約破棄しないのは、そういう事でしょう? 俺の勘違いじゃないよね? 婚約破棄しないのはもう後がないからかもしれないが、少なくともあからさまに嫌がる素振りは見られないし、こればっかりは期待していい筈だ! 今は未だ、向こうの心の整理が付いていないだけ! 多分! きっと! そうだよね? 何はともあれ、こうして俺は毎日上機嫌で婚約者にアプローチをし、そしてとうとう結婚式の日を迎えた。
ああ、あの時の事は何度思い出しても目に涙が滲む。結婚式はそりゃあもう素晴らしかった。当日は気持ちがいいくらいの晴れ。俺の領地で1番格式高い大聖堂のステンドグラスが、清らかな日光にキラキラと荘厳に輝いていた。貴族こそ居なかったものの、入れ代わり立ち代わり多くの参列者がやって来て、お祝いの言葉を述べてくれる。幼い聖歌隊の歌う祝福の歌は、まるで天上のしらべのようだった。
そして、なんと言っても1番に印象に残ったのは、俺の婚約者だ。全身真っ白な花嫁衣裳に身を包み、ベールを被った婚約者の、その美しさといったら! 目にした瞬間一瞬気が遠くなるくらいの神々しさだった。始終無表情で相変わらず俺とは目も合わせてくれない事も、全然気にならない。そんな美しい人が俺の隣に立って指輪を交換し、あまつさえキスまでしてくれたんだ。こんな夢みたいな事あっていいのだろうか? 現実が信じられない。あの瞬間、間違いなく俺は世界一の果報者だっただろう。いや、彼と結婚できて、間違いなく今も幸せ者だ。その結婚式は実に三日三晩続いた。
そして、楽しい時間も穏やかに過ぎ、盛大な結婚式は終わって夜になる。参列者達は後ろ髪を引かれながらも1人、また1人と帰っていき、とうとうさっき最後の一団を見送ったところだ。疲れたろうから先に休んでいなさいと言ったのだが、婚約者……いいや、今はもう俺の伴侶か。兎に角。伴侶のルカさんは休んでいていいという俺の言葉をいなして、最後まで来客の見送りに付き合ってくれた。優しい。好き。だがしかし、悲しいかな気分は高揚していても、体の疲れは如何ともし難い。こちらも遅くまで付き合って起きてくれている使用人達の手を借りて婚礼衣装を脱ぎ、早々に休む事にした。
先にルカさんに風呂に入ってもらって、その間俺は明日から始まる結婚式の後片付けの段取りをする。それが終わった頃にルカさんが上がってきたので、入れ替わりに俺も風呂に入った。俺は結構な綺麗好きだ。ただでさえ浮いているのに怖くて不潔なんて印象持たれたら、周囲から益々人が遠ざかるからな。身綺麗にするのは強迫観念めいた義務感からだ。まあ、清潔感を保っても人は近寄ってこないのだが。何にせよ何故か疲れた時こそ体を隅々まで綺麗にしたくなる奇癖を持っており、この日も頭のテッペンからつま先まで余すことなくツルピカである。それでもヤッパリ疲れているのは疲れているので、丁寧ではあるがなるだけ手早く体を洗って風呂を出た。
バスローブに着替えて全身ホコホコさせながら寝室に行くと、掛け布団に慣れない膨らみが。ルカさんだ。そうか、今日から2人は一緒の寝室、一緒のベッドで寝るんだな。あぁー、夫婦って感じ! 幸せ! 体だけでなく心までホッコリしながら、ベッドに潜り込む。ルカさんはもう寝ちゃったかな? お休みを言いたかったけど、疲れてるだろうから仕方がない。挨拶の楽しみは明日のおはようまで取っておこう。あ、いや、待てよ。別に返事がなくても俺が一方的にいうだけでもいいのか。
「お休みなさい、ルカさん。いい夢を」
こちらに向けられた線の細い背中に向かって小声で挨拶をして、夫婦なんだから頬っぺにお休みのキスくらい……いや、頭ナデナデを……と思ったが結局勇気が出なくて止めた。半月前に初めて会ってから、結局今日この日までまともに会話すらした事がないんだ。眠っているとは言え、そんな相手に勝手に何かされたら嫌がられるだろう。体を横たえて目を閉じ、そのまま倦怠感のある体の感覚に身を任せ、眠りの世界へ……行けなかった。
「……?」
なんか、視線を感じる……? 俺の領地は辺境伯の名に恥じず、辺境らしく自然に囲まれ魔物や野生動物ばっかり出やがるので、それらに囲まれ育ち生活している俺は結構な野生児だ。気配には敏感で当然自分に向けられた視線もバッチシ分かる。その研ぎ澄まされた感覚によると、なんか、ルカさんの居る辺から発せられる視線が、胸の辺りに向けられているような……? なんで?
不思議に思い、恐る恐る薄ら目を開ける。因みに俺は夜目もきく。野生児凄いだろ。その凄い目で見たものとは。それは、夜闇の中、いつの間にやら体を反転させて前側をこちらに向けたルカさんが、俺の胸の辺りを凝視する姿だった。……なんで?
ルカさんは都会育ちで感覚が鈍いからなのか、それとも俺の胸を凝視する事に集中し過ぎて他に気が回らないのか、俺が気がついている事に気がついていない。ただ、無言かつ無表情で俺の胸筋の盛り上がりを見つめ続ける。えー……。なにこれどういう状況? 意味が分からなさ過ぎて混乱する。明かりも消した夜中に伴侶の胸を黙って見つめ続けるってどういう心理? そういう宗教? いや、宗教だとしたらどんな教義やねん。ルカさんはどうしてこんなことをしているんだろう。いつまでもこのままじゃ落ち着かなくて寝られないし……。いっそ真意を本人に聞いてみるしかないか。
「あのー……ルカさん? どうしたんですか?」
「ッ!」
俺の問いかけに、ルカさんは息を詰め、ガバリと顔を上げて驚愕の表情を見せた。ああ、暗闇の中朧気に見える驚いた表情まで美しい。つくづく綺麗な人だと思う。
「ルカさん。疲れ過ぎて目が冴えて眠れませんか? それなら眠くなるまでお話でもします? それとも、動き過ぎて筋肉痛にでもなりましたか? 簡単なマッサージくらいなら私でもできますので、やりましょうか?」
「いえ、その……」
「よく眠れるように暖かいココアでもいれましょうか? ブランデーを少し垂らせば朝までグッスリですよ。そうだ、庭にジャスミンの花が咲いているんです。あの香りを嗅げば眠くなるかも。ひとっ走り取りに行って」
「ま、待って!」
大事な伴侶が寝不足になっては一大事だと、勇んで庭まで降りてジャスミンの花を摘んでこようとした俺だったが、ベッドを出る既のところでバスローブの裾を引かれて止められる。引いたのは勿論ルカさんだ。彼もベッドの上で起き上がって、相変わらず明後日の方を見ながら口の中で何かをモゴモゴ言っている。
「別に、眠れないとかじゃありません。ただ、気になっただけです。その……しないのかな、と思いまして」
「しない、とは?」
「……だから、あれを、です」
「あれ?」
「あれって、あれですよ、あれ」
「……?」
「~っ! だから! 性行為ですよ、性! 行! 為!」
一向に言わんとしている事を理解できない俺に痺れを切らしたルカさんが、最後にはキレ気味に大声を上げた。彼のこんなに大きな声は初めて聞いたので、ビックリしてしまう。俺が驚きついでに固まっていると、それを見て益々いきり立ったルカさんはヤケにでもなったのか更に言葉を続けた。
「だって! あなた突っ込める穴があると見れば、子供だろうが老人だろうが、男女の別なく無理矢理組み敷いて突っ込んで、痛がるのを見て楽しむのが趣味なんでしょう!? どうして僕に突っ込もうとしないんですか!?」
「へ ? いやいや、同意のない性行為は、例え夫婦であっても犯罪ですよ?」
「何常識人ぶってるんですか! 今更カマトトぶったって騙されませんからね! 僕、あなたに無体を働かれたら刺し違える覚悟で懲らしめてやろうと思って防犯道具を用意してきたのに……! 寝静まった隙に事に及ぼうとでも思っていたんですか? 油断しているところを襲おうったって、そうは行きませんよ!」
なんだ? どうしたんだ、ルカさん。さっきから言ってる意味がよく分からない。俺は子供相手に発情する趣味はないし、特に年寄りを好む趣向もない。痛がっているところに突っ込む? そんな事したら絶対可愛そうになって萎えて中折れする。だから、突っ込むに至らないと思う。そもそもさっき口にした通り同意を伴わない性行為は犯罪だ。たとえ最初に同意が取れていたとしても、相手が痛がったり嫌がったりするのを無理矢理押し通したら駄目だろうに。
ていうか。そもそも常識人ぶるもなにも童貞の俺の性癖はドノーマルなんだが。そもそもあれだけ絶対大切にすると誓ったルカさんに意味もなく無体を働くなんて、とんでもない。だから防犯道具なんて必要ないんだけどなぁ……?
「えっと、心配なさらなくても今日は何もしませんよ?」
「へ」
「3日間殆ど休みなく動き回って、ルカさんもお疲れでしょう? 向こう1週間は静養を取ってください。それでも疲れが取れなかったらもっと休んでいただいても構いません。あなたはただ、体を休める事に専念してください」
「じゃ、じゃぁ……。そういった事は、いつするんですか?」
「そういった事……? ああ、お仕事の事ですか? 大丈夫、なんの心配も有りません。ルカさんは趣味でもなんでも、好きな事だけをしていただいて結構です。俺にはあなたを100人養ったって、まだ余りあるだけの収入が有りますからね! 読書を楽しむなり、狩りをするなり、お好きにどうぞ? パーティーを開いてもいいですし、旅行に行くのもいいですね。その時必要なものがあれば遠慮なく仰ってくださいね? 直ぐに手配しますから」
「……」
朗らかに言ってのけた俺に、ルカさんは何故か驚愕の表情を作る。いやぁ、美人って驚いても美人なんだな。目を見開いて口をアングリ開けても、全く美しさが崩れない。でも、なんでルカさんはそんな驚いた表情をしているのだろうか? 俺みたいな所に嫁いできてくれたんだから、これくらい尽くすのは当然じゃない? 家が潰れない程度なら、どれだけ豪遊してくれても俺は構わないのだけれど。……あ、だけど、1つだけ許容できない事があったな。
「ルカさん。お金なら出せるだけ出しますし、あなたの為なら労力もいくらでもつぎ込みますが、1つだけ俺と約束してくれませんか?」
「な、なんですか?」
「手近なところで相手を見つけるのは止めて欲しいのと、避妊だけはシッカリしておいてくれませんか?」
「……は?」
「男遊びを控えろとは言いません。ルカさんは大変奔放な方で色事がお好きだとお聞きしていますから、我慢させてしまうのは申し訳ないですからね。俺はあなたに伸び伸び生きて欲しいんです。けど、手近なところで相手を見つけられたら人間関係が破綻しますし、子供ができてしまったら流石にその子の父親との問題が出てきて大変ですからね。勿論できてしまったのなら堕ろせとは言いませんし、私の子供として十分に可愛がりますけど、将来子供が真実を知ったら可哀想じゃありませんか」
「……」
我が家の使用人は男女問わず魅力的なのが多いからなぁ。ルカさんが気に入って誰かが彼のお手つきになる可能性がある。俺は仕方がないと受け入れられるが、忠義心に厚い彼等はきっと苦しむと思う。できる事なら相手は外で捕まえてきて欲しい。
俺は我が子として可愛がれるなら例え血が繋がってなくても大丈夫だ。元々結婚できなかったら養子を迎えて後継として育てる事も考えてたし。伴侶であるルカさんが産んでくれるのなら、それだけで有難い。子供は欲しいがお前が親なのは嫌だ。相手はよそで調達すると言われても、受け入れられる。けど、折角子供を授かっても、血の繋がった親が文句をつけてきたら敵わないから、そこら辺はハッキリしておきたいんだよね。
「……アルフォンソさん、正気ですか? 僕は今、あなたが僕の浮気を容認し、あまつさえ子供を作ることまで許容したように聞こえましたが」
「正しくその通り。どこも間違っていませんよ?」
「……」
え、ルカさん、何その表情。苦虫を噛み潰したような、呆れ返っているような。どんな表情でもヤッパリあなたは美人だけど、人間の表情筋はそんな使い方もできたのかとビックリしてしまう。どうしたのだろうかと心配して俺がオロオロしていると、ルカさんはハァーッとドデカい溜息をついた。
「……僕は浮気なんて絶対に嫌ですし、婚外子なんてもっての外です。それとも、アルフォンソさんの今の言葉はあれですか? お前に対して許容してやるから、こっちの浮気と婚外子作りも許容しろってやつですか?」
「はぁ!? まさか! とんでもない!」
ルカさんみたいな素晴らしい伴侶が居て、浮気ぃ!? まさか! そもそも俺はモテないので論外だが、仮にモテたとしても他に相手を探す気にはなれないだろう。婚姻の話が来た日に、俺の一生はこの人の為に使うと勝手に決めたんだ。それを今更覆す気は毛頭ない。
「なら、軽々しく変な事を言わないでください。折角夫婦になれたのに、早速関係が破綻しかけたじゃないですか」
「ふ、夫婦……。そうですね。すみません」
おお、ルカさんが『折角夫婦になれた』と言ってくれた。言葉の綾かもしれないが、十分嬉しい。今の口振りだと、彼も俺との関係継続を望んでくれているみたいじゃないか。嬉しくってなんだか頭がフワフワするぞ!
「いやぁ、話し合いを経て、なんだか夫婦の絆が深まった気がしますね、ルカさん!」
「は、はぁ」
「それじゃあ、今日はもう遅いので寝ましょう!」
「へ? ちょ、待」
「お休みなさい!」
いやあ、いきなり実りある議論をしてしまったぞ! こうやってお互いの意見を出し合い、認識を擦り合わせる。いかにも別々の環境で育った人間が、夫婦という新しい共同体としてやっていこうとしてるみたいじゃないか! 凄く新婚っぽい! これから暫くこんな事が続くんだろうな。なんたって新婚だから! ああ、とっても幸せ! どんな意見の相違も、夫婦として乗り越えてみせるぞ! そんな達成感と決意を胸に俺は目を閉じ、満ち足りた気分のまま今度こそ眠りの世界に……。
「待てっつっとるやろがこの野郎!!!」
行けなかった。
正直2人の距離が縮まってる気は一切ない。でもいいんだ。俺達もう婚約してるし、これから夫婦になるんだから。お互いを知っていく為の時間はこれからタップリある。それに、向こうが一向に婚約破棄しないのは、そういう事でしょう? 俺の勘違いじゃないよね? 婚約破棄しないのはもう後がないからかもしれないが、少なくともあからさまに嫌がる素振りは見られないし、こればっかりは期待していい筈だ! 今は未だ、向こうの心の整理が付いていないだけ! 多分! きっと! そうだよね? 何はともあれ、こうして俺は毎日上機嫌で婚約者にアプローチをし、そしてとうとう結婚式の日を迎えた。
ああ、あの時の事は何度思い出しても目に涙が滲む。結婚式はそりゃあもう素晴らしかった。当日は気持ちがいいくらいの晴れ。俺の領地で1番格式高い大聖堂のステンドグラスが、清らかな日光にキラキラと荘厳に輝いていた。貴族こそ居なかったものの、入れ代わり立ち代わり多くの参列者がやって来て、お祝いの言葉を述べてくれる。幼い聖歌隊の歌う祝福の歌は、まるで天上のしらべのようだった。
そして、なんと言っても1番に印象に残ったのは、俺の婚約者だ。全身真っ白な花嫁衣裳に身を包み、ベールを被った婚約者の、その美しさといったら! 目にした瞬間一瞬気が遠くなるくらいの神々しさだった。始終無表情で相変わらず俺とは目も合わせてくれない事も、全然気にならない。そんな美しい人が俺の隣に立って指輪を交換し、あまつさえキスまでしてくれたんだ。こんな夢みたいな事あっていいのだろうか? 現実が信じられない。あの瞬間、間違いなく俺は世界一の果報者だっただろう。いや、彼と結婚できて、間違いなく今も幸せ者だ。その結婚式は実に三日三晩続いた。
そして、楽しい時間も穏やかに過ぎ、盛大な結婚式は終わって夜になる。参列者達は後ろ髪を引かれながらも1人、また1人と帰っていき、とうとうさっき最後の一団を見送ったところだ。疲れたろうから先に休んでいなさいと言ったのだが、婚約者……いいや、今はもう俺の伴侶か。兎に角。伴侶のルカさんは休んでいていいという俺の言葉をいなして、最後まで来客の見送りに付き合ってくれた。優しい。好き。だがしかし、悲しいかな気分は高揚していても、体の疲れは如何ともし難い。こちらも遅くまで付き合って起きてくれている使用人達の手を借りて婚礼衣装を脱ぎ、早々に休む事にした。
先にルカさんに風呂に入ってもらって、その間俺は明日から始まる結婚式の後片付けの段取りをする。それが終わった頃にルカさんが上がってきたので、入れ替わりに俺も風呂に入った。俺は結構な綺麗好きだ。ただでさえ浮いているのに怖くて不潔なんて印象持たれたら、周囲から益々人が遠ざかるからな。身綺麗にするのは強迫観念めいた義務感からだ。まあ、清潔感を保っても人は近寄ってこないのだが。何にせよ何故か疲れた時こそ体を隅々まで綺麗にしたくなる奇癖を持っており、この日も頭のテッペンからつま先まで余すことなくツルピカである。それでもヤッパリ疲れているのは疲れているので、丁寧ではあるがなるだけ手早く体を洗って風呂を出た。
バスローブに着替えて全身ホコホコさせながら寝室に行くと、掛け布団に慣れない膨らみが。ルカさんだ。そうか、今日から2人は一緒の寝室、一緒のベッドで寝るんだな。あぁー、夫婦って感じ! 幸せ! 体だけでなく心までホッコリしながら、ベッドに潜り込む。ルカさんはもう寝ちゃったかな? お休みを言いたかったけど、疲れてるだろうから仕方がない。挨拶の楽しみは明日のおはようまで取っておこう。あ、いや、待てよ。別に返事がなくても俺が一方的にいうだけでもいいのか。
「お休みなさい、ルカさん。いい夢を」
こちらに向けられた線の細い背中に向かって小声で挨拶をして、夫婦なんだから頬っぺにお休みのキスくらい……いや、頭ナデナデを……と思ったが結局勇気が出なくて止めた。半月前に初めて会ってから、結局今日この日までまともに会話すらした事がないんだ。眠っているとは言え、そんな相手に勝手に何かされたら嫌がられるだろう。体を横たえて目を閉じ、そのまま倦怠感のある体の感覚に身を任せ、眠りの世界へ……行けなかった。
「……?」
なんか、視線を感じる……? 俺の領地は辺境伯の名に恥じず、辺境らしく自然に囲まれ魔物や野生動物ばっかり出やがるので、それらに囲まれ育ち生活している俺は結構な野生児だ。気配には敏感で当然自分に向けられた視線もバッチシ分かる。その研ぎ澄まされた感覚によると、なんか、ルカさんの居る辺から発せられる視線が、胸の辺りに向けられているような……? なんで?
不思議に思い、恐る恐る薄ら目を開ける。因みに俺は夜目もきく。野生児凄いだろ。その凄い目で見たものとは。それは、夜闇の中、いつの間にやら体を反転させて前側をこちらに向けたルカさんが、俺の胸の辺りを凝視する姿だった。……なんで?
ルカさんは都会育ちで感覚が鈍いからなのか、それとも俺の胸を凝視する事に集中し過ぎて他に気が回らないのか、俺が気がついている事に気がついていない。ただ、無言かつ無表情で俺の胸筋の盛り上がりを見つめ続ける。えー……。なにこれどういう状況? 意味が分からなさ過ぎて混乱する。明かりも消した夜中に伴侶の胸を黙って見つめ続けるってどういう心理? そういう宗教? いや、宗教だとしたらどんな教義やねん。ルカさんはどうしてこんなことをしているんだろう。いつまでもこのままじゃ落ち着かなくて寝られないし……。いっそ真意を本人に聞いてみるしかないか。
「あのー……ルカさん? どうしたんですか?」
「ッ!」
俺の問いかけに、ルカさんは息を詰め、ガバリと顔を上げて驚愕の表情を見せた。ああ、暗闇の中朧気に見える驚いた表情まで美しい。つくづく綺麗な人だと思う。
「ルカさん。疲れ過ぎて目が冴えて眠れませんか? それなら眠くなるまでお話でもします? それとも、動き過ぎて筋肉痛にでもなりましたか? 簡単なマッサージくらいなら私でもできますので、やりましょうか?」
「いえ、その……」
「よく眠れるように暖かいココアでもいれましょうか? ブランデーを少し垂らせば朝までグッスリですよ。そうだ、庭にジャスミンの花が咲いているんです。あの香りを嗅げば眠くなるかも。ひとっ走り取りに行って」
「ま、待って!」
大事な伴侶が寝不足になっては一大事だと、勇んで庭まで降りてジャスミンの花を摘んでこようとした俺だったが、ベッドを出る既のところでバスローブの裾を引かれて止められる。引いたのは勿論ルカさんだ。彼もベッドの上で起き上がって、相変わらず明後日の方を見ながら口の中で何かをモゴモゴ言っている。
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「しない、とは?」
「……だから、あれを、です」
「あれ?」
「あれって、あれですよ、あれ」
「……?」
「~っ! だから! 性行為ですよ、性! 行! 為!」
一向に言わんとしている事を理解できない俺に痺れを切らしたルカさんが、最後にはキレ気味に大声を上げた。彼のこんなに大きな声は初めて聞いたので、ビックリしてしまう。俺が驚きついでに固まっていると、それを見て益々いきり立ったルカさんはヤケにでもなったのか更に言葉を続けた。
「だって! あなた突っ込める穴があると見れば、子供だろうが老人だろうが、男女の別なく無理矢理組み敷いて突っ込んで、痛がるのを見て楽しむのが趣味なんでしょう!? どうして僕に突っ込もうとしないんですか!?」
「へ ? いやいや、同意のない性行為は、例え夫婦であっても犯罪ですよ?」
「何常識人ぶってるんですか! 今更カマトトぶったって騙されませんからね! 僕、あなたに無体を働かれたら刺し違える覚悟で懲らしめてやろうと思って防犯道具を用意してきたのに……! 寝静まった隙に事に及ぼうとでも思っていたんですか? 油断しているところを襲おうったって、そうは行きませんよ!」
なんだ? どうしたんだ、ルカさん。さっきから言ってる意味がよく分からない。俺は子供相手に発情する趣味はないし、特に年寄りを好む趣向もない。痛がっているところに突っ込む? そんな事したら絶対可愛そうになって萎えて中折れする。だから、突っ込むに至らないと思う。そもそもさっき口にした通り同意を伴わない性行為は犯罪だ。たとえ最初に同意が取れていたとしても、相手が痛がったり嫌がったりするのを無理矢理押し通したら駄目だろうに。
ていうか。そもそも常識人ぶるもなにも童貞の俺の性癖はドノーマルなんだが。そもそもあれだけ絶対大切にすると誓ったルカさんに意味もなく無体を働くなんて、とんでもない。だから防犯道具なんて必要ないんだけどなぁ……?
「えっと、心配なさらなくても今日は何もしませんよ?」
「へ」
「3日間殆ど休みなく動き回って、ルカさんもお疲れでしょう? 向こう1週間は静養を取ってください。それでも疲れが取れなかったらもっと休んでいただいても構いません。あなたはただ、体を休める事に専念してください」
「じゃ、じゃぁ……。そういった事は、いつするんですか?」
「そういった事……? ああ、お仕事の事ですか? 大丈夫、なんの心配も有りません。ルカさんは趣味でもなんでも、好きな事だけをしていただいて結構です。俺にはあなたを100人養ったって、まだ余りあるだけの収入が有りますからね! 読書を楽しむなり、狩りをするなり、お好きにどうぞ? パーティーを開いてもいいですし、旅行に行くのもいいですね。その時必要なものがあれば遠慮なく仰ってくださいね? 直ぐに手配しますから」
「……」
朗らかに言ってのけた俺に、ルカさんは何故か驚愕の表情を作る。いやぁ、美人って驚いても美人なんだな。目を見開いて口をアングリ開けても、全く美しさが崩れない。でも、なんでルカさんはそんな驚いた表情をしているのだろうか? 俺みたいな所に嫁いできてくれたんだから、これくらい尽くすのは当然じゃない? 家が潰れない程度なら、どれだけ豪遊してくれても俺は構わないのだけれど。……あ、だけど、1つだけ許容できない事があったな。
「ルカさん。お金なら出せるだけ出しますし、あなたの為なら労力もいくらでもつぎ込みますが、1つだけ俺と約束してくれませんか?」
「な、なんですか?」
「手近なところで相手を見つけるのは止めて欲しいのと、避妊だけはシッカリしておいてくれませんか?」
「……は?」
「男遊びを控えろとは言いません。ルカさんは大変奔放な方で色事がお好きだとお聞きしていますから、我慢させてしまうのは申し訳ないですからね。俺はあなたに伸び伸び生きて欲しいんです。けど、手近なところで相手を見つけられたら人間関係が破綻しますし、子供ができてしまったら流石にその子の父親との問題が出てきて大変ですからね。勿論できてしまったのなら堕ろせとは言いませんし、私の子供として十分に可愛がりますけど、将来子供が真実を知ったら可哀想じゃありませんか」
「……」
我が家の使用人は男女問わず魅力的なのが多いからなぁ。ルカさんが気に入って誰かが彼のお手つきになる可能性がある。俺は仕方がないと受け入れられるが、忠義心に厚い彼等はきっと苦しむと思う。できる事なら相手は外で捕まえてきて欲しい。
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「……アルフォンソさん、正気ですか? 僕は今、あなたが僕の浮気を容認し、あまつさえ子供を作ることまで許容したように聞こえましたが」
「正しくその通り。どこも間違っていませんよ?」
「……」
え、ルカさん、何その表情。苦虫を噛み潰したような、呆れ返っているような。どんな表情でもヤッパリあなたは美人だけど、人間の表情筋はそんな使い方もできたのかとビックリしてしまう。どうしたのだろうかと心配して俺がオロオロしていると、ルカさんはハァーッとドデカい溜息をついた。
「……僕は浮気なんて絶対に嫌ですし、婚外子なんてもっての外です。それとも、アルフォンソさんの今の言葉はあれですか? お前に対して許容してやるから、こっちの浮気と婚外子作りも許容しろってやつですか?」
「はぁ!? まさか! とんでもない!」
ルカさんみたいな素晴らしい伴侶が居て、浮気ぃ!? まさか! そもそも俺はモテないので論外だが、仮にモテたとしても他に相手を探す気にはなれないだろう。婚姻の話が来た日に、俺の一生はこの人の為に使うと勝手に決めたんだ。それを今更覆す気は毛頭ない。
「なら、軽々しく変な事を言わないでください。折角夫婦になれたのに、早速関係が破綻しかけたじゃないですか」
「ふ、夫婦……。そうですね。すみません」
おお、ルカさんが『折角夫婦になれた』と言ってくれた。言葉の綾かもしれないが、十分嬉しい。今の口振りだと、彼も俺との関係継続を望んでくれているみたいじゃないか。嬉しくってなんだか頭がフワフワするぞ!
「いやぁ、話し合いを経て、なんだか夫婦の絆が深まった気がしますね、ルカさん!」
「は、はぁ」
「それじゃあ、今日はもう遅いので寝ましょう!」
「へ? ちょ、待」
「お休みなさい!」
いやあ、いきなり実りある議論をしてしまったぞ! こうやってお互いの意見を出し合い、認識を擦り合わせる。いかにも別々の環境で育った人間が、夫婦という新しい共同体としてやっていこうとしてるみたいじゃないか! 凄く新婚っぽい! これから暫くこんな事が続くんだろうな。なんたって新婚だから! ああ、とっても幸せ! どんな意見の相違も、夫婦として乗り越えてみせるぞ! そんな達成感と決意を胸に俺は目を閉じ、満ち足りた気分のまま今度こそ眠りの世界に……。
「待てっつっとるやろがこの野郎!!!」
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公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。
アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。
一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。
これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。
小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。


【完結】家も家族もなくし婚約者にも捨てられた僕だけど、隣国の宰相を助けたら囲われて大切にされています。
cyan
BL
留学中に実家が潰れて家族を失くし、婚約者にも捨てられ、どこにも行く宛てがなく彷徨っていた僕を助けてくれたのは隣国の宰相だった。
家が潰れた僕は平民。彼は宰相様、それなのに僕は恐れ多くも彼に恋をした。
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