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おまけ1 後編(攻め視点)
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目の前に立つ人物の存在に、総身が震える。
肺が引きつって、上手く息が吸えない。
「セヴラン、どうして……」
辛うじてその言葉だけを口から絞り出した。
だが、その後に何を言うべきなのか分からない。
ただ目の前の光景に困惑する。
「久しぶりだね、ロラン。君と最後に会ってから、もう10年になるかな? 元気そうでよかった」
そう親しげに話しかけてきたのは、幼いあの日に私のせいで大怪我をさせてしまった幼馴染みの、セヴランだ。かつては儚い印象のある線の細い美少年だったが、先程の母上の紹介の通り騎士になったらしい彼は、武人に見合った逞しい体と精悍な顔つきをした大人になっていた。
どうして彼がここに居るんだろう。彼に合わせる顔がなくて、私は彼の前から逃げ出し、この場所を飛び出したのに。
「ロラン、ぼんやりするのは結構ですけれど、それはちゃんと挨拶をしてからになさい。差し出された手をそのままにしておくのは失礼ですよ」
母上の言葉にハッとして、あわててセヴランと同じように自分も手を差し出す。その手が傍から見て明らかに分かるほど震えているのが、他人事のように遠くに感じられる。セヴランはそんな私の震える手を、なんでもない事のように黙って力強く握って握手をしてくれた。
セヴランが私と握手してくれた拍子に袖から零れた彼の肌に、幼い私が彼に負わせた傷が覗く。20年近く経ってなお、その体に残る傷はとても痛々しく、私を責めるようだ。
いや、分かってる。そんなの私の被害妄想だ。セヴランがこの傷のことで私を責めたことなど、未だかつて1度もない。自罰感情にそんな優しい彼を利用するなんて、酷すぎる。彼は私が誰かに責められることで、心の重荷を軽くするための道具ではないのだから。
「セヴラン、その、想像以上に立派になっていて、驚いたよ。見違えるようだ」
「はは、よせやい。照れるじゃないか」
セヴランが屈託なく笑う。心の底から楽しそうに、ニコニコと。そこに私を非難するような意思は感じられない。今日も純粋に私との久しぶりの再会を願ってここに来たのだろう。
昔からそうだった。私に大怪我をさせられた時も、彼はまだ5歳にもならない子供だったのに、私を一言も責めたりしなかった。それどころか、彼の傷を気に病む私を心配する言葉さえ口にしたのだ。
セヴランとの再会を純粋に喜べない自分が悲しい。負い目を感じるあまり、こんな自分とまだ親しくしようとしてくれている幼馴染みに、何も返してあげられないなんて。
それなのにこんな時でも優しいセヴランは、いっぱいいっぱいになってもうそれ以上何も喋れなくなった私の様子を察したのか、自分の方から話題を提供してくれる。
「今日はお招きいただきありがとう。家族水入らずの大切な日に、俺みたいな部外者を呼んでくれるなんて、嬉しいな」
「……こちらこそ、君が来てくれて嬉しいよ。騎士になったんだってね、だったら忙しいだろうに、態々時間を作ってくれたのか?」
最初躓きはしたが、なんとか答えられた。だが、次はどうだろう。私は彼とどんな顔をして話をすればいいんだ?
これではいけない。これ以上失敗したら、またセヴランに気を使わせてしまう。そんなこと、あってはならない。これ以上まだ私のことを友人と思ってくれているセヴランに、心配をかけたくなかった。
そう、私は変わったんだ。隣に座る、愛しい人のことを思う。マルセルに会って、彼と共に時間を過ごし、彼に愛されて、私は自分に自信を持つことができるようになった。今の私なら、過去の傷を乗りこえ、セヴランとまた友情を育むことをできるはず。そうに決まっている。
決意を新たにして、私は改めてセヴランへと目を向けた。もう、大丈夫。
セヴランは少し心配そうにこちらを見ていたが、私の雰囲気が変わったことを察したのか、僅かに緊張を解いて話を続けてくれる。
「忙しいといえば忙しいが、どうということはないさ。ちょうど有給も余ってたしね。何より絶対ここに来なくてはと思ったんだ。なんてったって君が……」
『帰ってくるって聞いたから。だから急いで駆けつけたんだ』大方そう続くと思っていた。それに『君が私を相変わらず友達と思ってくれていて光栄だ』とか『君の思いに感動した。もう一度あの日のことを謝罪をしたい、それが済んだら君さえよければ改めて私と友情を育んでくれないか』とか、私なりに答えだって考えていたんだ。
しかし、セヴランが口にしたのは。
「君が、お嫁さんを連れてくるって聞いたから」
「はああぁぁぁ!?!?!?」
自分でもビックリするくらい大きな声が腹から出た。だって、それくらい驚いたんだ!
私が? 嫁を?? 連れてくる???
誰だ! そんなこと言ったのは!? バッと家族の方を振り返ると、家族は皆一斉に私から目をそらす。腕に抱いた赤ん坊の目線まで手で隠す念の入れようだ。
どういうことか、こうなったら1人1人首を絞めあげてでも吐かせてやると体の向きを変えようとした時、隣に座っているマルセルの様子がおかしいことに気がついた。
どうしたのかと目を向けると、マルセルは顔を青ざめさせ、絶望的な表情で全身を戦慄かせながら私のことを見ている。具合でも悪くなったのかと心配になって声をかけようとすると、それより先にマルセルが口を開き、驚くべき言葉を発した。
「ひ、酷い、ロラン。酷すぎる。俺という者が有りながら、家族にまで紹介したくせに、何処の馬の骨とも知れない女を嫁として連れてくるつもりなんて……」
何を言ってるんだ馬鹿かこいつは! とんでもない発言にずっこけるかと思ったわ! 何故世慣れていて察しも悪くないのにこういう時だけ知能が下がるんだ!
「馬鹿っ! 嫁とはお前のことだ、マルセル!」
「えっ、でも俺男……」
「男だろうが、お前は私の嫁だろうがっ!!!」
あまりのことに時と場所を弁える考えもなくなって、感情のままに怒鳴る。思いっきり叫んだせいでハアハアと肩で息をしながら、何故私の愛を信じない、と怒りをもってマルセルを睨めつけた。
当のマルセルといえば、更に悲嘆に暮れるでも、逆ギレするでもない。初めはキョトンとしていたが、ジワジワと私の言葉を理解し始めるにつれ、真っ青だった顔に赤味がさし、最終的に茹で蛸のようにボンッと真っ赤になった。
フンッ、鈍いヤツめ。ようやく分かったようだな、私の愛が。
両手で顔を挟み、落ち着きなく動く視線を地面に落としながら、真っ赤な顔をして照れているマルセルを見て、私は勝利を確信した。両腕を組み、どうだ、ざまあみろ、とマルセルを見下ろす。
そうしてマルセルに対して自分の愛を知らしめて大満足の私の耳に、ヒューッと高らかに口笛を鳴らす音と、無遠慮な外野の声が聞こえてきた。
「まあ、ロランたら。こんな大勢の目の前で愛を叫ぶなんて、やるわね」
「さすが私の弟だ!」
「義弟君、なかなか男前だなぁ」
そういえばそうだ。すっかり忘れていたが、ここには小煩い私の家族たちがいるんだった。
途端に私は羞恥心に駆られ、恥ずかしさのあまり全身の毛を逆立てて家族を問いつめる。
「ていうか! そもそも私が『嫁を連れてくる』なんて知らせをセヴランにやったのは誰ですか!? 私は直接自分の口から話そうと思って、手紙にはマルセルのことを自分の好い人だなんて一言も書かなかったし、ましてや嫁だなんて……!」
「私が、セヴランに知らせました」
思いもよらぬ方向から返事が返ってきて、私は驚いて振り返った。
その視線の先には、何か問題でも? といった様子のすまし顔の母上がいる。
「ロラン。あなたは世間慣れしていないとはいえ、もう少し想像力を働かせるべきです。普通過去の事故から心を閉ざし、何年も音沙汰のなかった我が子から突然『紹介したい人がいる、会って欲しい』と言われれば、誰だってその人と我が子がただならぬ関係だと察しがつきます」
「だ、だからって……!」
「確かに女性かと思って『嫁』と知らせたのは私の早合点でしたが、男性だからといってあなたの好い人であることは変わりないのでしょう? 図らずも今、あなた自身がそのことを証明したのですから、言い訳は聞きませんよ」
「……母上は私の恋人が男でも構わないのですか?」
「全然! なんの不都合もありません! 知っての通り私たち狼の獣人は多産で私には子供も孫も沢山います。1人くらい同性愛に走っても全く困りません。それに、あなたの筋金入りの対人恐怖症が治って人前に出られるようになったのと同時に好い人が現れたのなら、タイミング的にその好い人があなたの対人恐怖症を克服してくれたのではないかと思っているのだけれど、違うかしら? そんな素敵な人とのご縁を蔑ろにしたら、バチが当たるわ」
「……」
「あら、どうやらあたりのようね」
本当にこの人は、我が母ながら恐ろしい迄の洞察力だ。千里眼が使えるのではないかと思ってしまう。実は私はずっとこの人に魔法で監視されてたんじゃないのか?
不審顔の私に母上は目を細め、さらなる言葉を続ける。
「ロラン、悪いことは言わないから、マルセルさんを絶対に離さないように死ぬ気で努力なさいよ。器量がいい、愛想がいい、性格が良くて、しかもトラウマの克服までしてくれるなんて、あなたに彼以上の良い相手は望めません。マルセルさんに愛想をつかされて捨てられても、私は助けてあげませんからね」
「言われなくても、そのつもりです。私の一生は彼に捧げるともう決めているんだ」
そのことを態度でも分からせるために私は未だに真っ赤になって固まっているマルセルを抱き寄せ、母上を睨む。そんな私の様子を、母上はどこか楽しそうに見ていた。
「ヒューッ! いいぞ、ロラン! よく言った! お前は今、輝いている!」
「素敵! 私も1度でいいからあんなセリフ言われてみたいわ。ねえあなた、言ってくださらない?」
「お母様、お腹がすきました」
「ウッ、グスッ。ああ、感動した。ちょっと待ってね。お母様は今それどころじゃないのよ、モン・ルー」
「我が息子ながらやるなあ! カッコイイぞ、ロラン!」
外野が五月蝿え! 少しは余韻に浸らせろや!
思わず家族の方を振り向いて睨むが、むしろ歓声が大きくなるばかりで逆効果だった。ああ、山中の静かな我が家が恋しい。
「あのー……。お取り込み中の所申し訳ないんだけれど、そろそろ俺にもそのロランのお嫁さんを紹介してもらえないかな? この中で彼と仲良くなっていないのは俺だけみたいで、寂しい」
どんどん騒がしくなる家族だったが、セヴランのその一言で少し落ち着きを取り戻す。ナイス、セヴラン。君はいつも私を救ってくれる。
「これは失礼致しました! ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ロラン様とお付き合いさせて頂いております、マルセル・カシニョールと申します」
「やあ、これはご丁寧に、どうもありがとう。先程紹介にあずかった、セヴラン・エリュアーヌです。いやー、それにしても、ロランのお嫁さんがこんなに美人だなんて、驚いたよ」
「美人だなんて、そんな。滅相もない。今まで言われたこともありませんよ」
「いやいや、あなたは確かにお美しいですよ。ロラン、いけないな。君の『お嫁さん』は君という『旦那様』が居るのに、美人だなんて言われたことがないって言ってるぞ。どうして愛しい人に言葉を尽くしてやらないんだ。これじゃあそう遠くないうちに愛想つかされてお嫁さんに捨てられしまうな」
「マルセルは私を捨てたりなんかしない!」
セヴランの言葉にムッとして言い返す。
救世主かと思ったが、違った。こいつは私の家族と同じで、久しぶりに会った私を、好い人ができたという格好のネタでからかい、遊び倒そうという算段らしい。
もちろん、これは親しい仲だから成立するおふざけだ。分かっている。分かってはいるが、だからってからかわれるのは面白くない!
歯を剥き出しにして唸って威嚇する私にもお構い無しに、セヴランはこっちによってきてマルセルの手を掬い上げ、握手をした。
「マルセルさん、どうぞ仲良くしてくださいね」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
「コラッ! この不届き者! マルセルに触るな!」
「やれやれ、ロラン。そんなに束縛すると嫌われるぞ。マルセルさんだって1人の人間なんだから、自分の意思だってあるんだからな。マルセルさん、ロランが嫌になったらいつでも俺のところに来てくださいね。私は貴族で家柄は十分だが、後継問題とは無縁の気楽な次男で自由な独り身だし、王家に仕える騎士で個人的能力も稼ぎも申し分ない。そして、只今絶賛恋人募集中。いつだってあなたを受け入れますよ」
セヴランはウインクと共にキザなセリフを吐きやがる。もう昔怪我をさせてしまった気後れなんて忘れて、私はセヴランを威嚇し続ける。
「お前のところにマルセルが行く日なんて、永遠に来ない! マルセルは私だけのものだ! 誰にも触れさせやしない!」
忌々しい、こんなことなら爪も牙も捨てるんじゃなかった! 歯噛みしながら、せめて残った牙でどうにかできないものかとガルルルルルッ、と威嚇の低い声を出す。
「もう、ロラン様ってば、落ち着いて。からかわれてるだけですよ。久しぶりにお会いしたご友人にそんなに牙をむかないでくださいな」
そう言ってマルセルが私の頭を撫でる。指で毛を梳かれるのは心地が良い。マルセルは怒りでペタンと倒れていた私の耳の後ろを撫で、宥めるために喉の下を擽ってくる。彼は不機嫌になった時の私の扱いをよく心得ているのだ。
「しかし、マルセル。セヴランはお前のことを口説いているんだぞ」
「だから、からかわれているだけですって。そんなに心配しなくても、私はあなた以外の誰のものにもなりませんから安心してください。せっかく苦労して口説き落とした上に、家族の前でこいつは自分の嫁だなんて堂々と宣言してくれる人を蔑ろにするなんて、そんな罰当たりなことしませんよ」
言葉と一緒にマルセルは私の鼻の頭に軽くチュッとキスを落とす。それだけで随分と気分が上向いてしまうのが自分でもわかる。我ながらチョロいが、仕方がない。マルセルのキスにはそれだけの価値があるのだから。
「うーん、ちょっとからかうつもりが、随分と甘い惚気を聞かされる羽目になって、こっちが負けた気分だ」
「次、冗談でも私のマルセルを口説いたら、首の骨を圧し折るからな」
「うわっ、怖いこと言うなあ!」
そうやってやいのやいのと3人で言い合っていると、ワクワクとした顔で義姉の1人が声をかけてきた。
「あのー、そんなことよりも私『マルセルさんがロラン君を苦労して口説き落とした』という話が聞きたくてたまらないのですけれど、よろしいかしら?」
「あら、私もとっても興味があるわ!」
「女はすぐ恋愛話をしたがるなあ。まあ、俺も気になるんだが」
「マルセルさん、ぜひともその話を私たちに聞かせてくださらない?」
そう言って老いも若きも女性陣が身を乗り出す。恋愛話が好きな女性陣だけでなく、男共も興味が無いふりをしつつも奴らのこっちを向いた耳で聞く気満々なのが丸わかりだ。なんで皆そんなに私たちの馴れ初めを聞きたがる!
私は彼らに馴れ初めを教えるつもりなんて毛頭もなかったが、マルセルは違ったようだ。期待に充ちた周囲の視線に当てられて、やる気満々声を上げる。
「それだけ請われれば答えるのが人の情というものでしょう。よろしい、全部話してみせます!」
「いや、待て待てマルセル! なんでそんな恥ずかしい話、家族に聞かせなきゃならんのだ! さっきのおとぎ話の続きでいいだろう!」
「分かってないな、ロラン。私たちは皆、お前とお前の嫁のマルセルさんとお近付きになるためにここいるんだよ? そのためにはまず2人の過去の馴れ初めから聞かなくちゃならんだろう!」
「アルノー兄さん、あなただけは味方だと信じていたのに!」
「俺も聞きたいなー」
「セヴランは帰れ!」
「あれは頬に当たる風の爽やかな日のことでした……」
「マルセルは話し始めるな!」
「ロラン、静かにしなさい。折角のマルセルさんお話が聞こえません」
「しかし、母上……」
「お黙りなさい」
「……はい」
こうして、一族にマルセルとセヴランの2人を混じえたお茶会は、平和にすぎていくのだった。
やがて日も暮れ、夕食も済み、子供たちはとうの昔に眠りについた頃。大人たちも夜の挨拶を済ませ自室に下がった、その日の夜。
窓の外に美しい星空の見える夫婦用の広い客室で、私とマルセルは仲良く同じベッドの中に入っていた。
「あはっ。もう、ロランってば。そんなに強く抱きしめたら擽ったいよ」
私の腕の中でマルセルが笑う。私に抱きしめられたマルセルは、私の毛皮にモフモフと埋もれていて、2人はベッドに横たわっている。
「こんなに甘えたになって、昼間からかわれすぎて、拗ねちゃったの?」
「別に、拗ねてなんか」
結局、あの後散々だったのだ。
マルセルは私が止めるのも聞かず、請われるままに私たちの馴れ初めを1から順に全て話し、家族とセヴランはそれを聞いて笑うやら感激するやら興奮するやらで、私もからかわれまくって大忙しだった。
だが、結果としてそれでよかったと思う。馴れ初め話をきっかけに忌憚なく交流することで、約10年ぶりに会って私たちの間にまだ少し残っていた蟠りも解消され、和気藹々とした雰囲気のままお茶会は和やかなムードでお開きになったからだ。
「俺の前でまで取り繕わなくていいんだよ。今は部屋に引っ込んで、2人きりの『夫婦』の時間だ。言いたいことがあるのなら言うといい」
胴体にまわったマルセルの腕が、あやす様にポンポンと背中を優しく叩く。子供扱いされているようだが、悪い気はしない。
「……マルセルが私の家族やセヴランと仲良くなってくれたのは嬉しいが、あんまりにも仲良くなりすぎるもんだから、嫉妬したんだ。マルセルは私の恋人なのに」
呟くようにそう言って、私の胸のあたりにあるマルセルの頭に自分の頭を擦り付けて甘える。マルセルはそんな私の頭を撫でてくれた。その優しい手付きが心地よくて、目を閉じる。
「今日はとても頑張ってたよな。大勢の人と話して、自分のトラウマと向き合って。大変だったと思う。でも、最後には皆ともセヴランさんとも普通に話せるようになってたじゃないか。すごい進歩だ」
「あー、あれは、なんというか、マルセルが私たちの馴れ初めを話すのが恥ずかしくて止めようと、感情のままに喋っていたらそうなっただけで、荒療治にも程があったと思うんだが」
「でも、傍から見てもまるで長年の空白がなかったみたいに仲良く話せていたぜ。俺も、皆と話せてよかった」
「マルセルは仲良くなりすぎだ」
「もう、まだ言ってる」
私の拗ねた口調にマルセルは可笑しそうに苦笑した。そして手を伸ばして私の頭を撫でてくれる。口にこそ出したことはないが、私はこうしてマルセルに頭を撫でられるのが好きだ。マルセルの方もそれを承知しているらしく、私を励ましたり宥めたりする時によく撫でてくれる。
「それにしても、マルセルがあんなに皆と仲良くなるとは。私は嫉妬で気が気じゃなかったぞ。幼馴染が恋人と仲良くなりすぎて嫉妬するのなんて、普通逆だろう!」
「セヴランさんはいい人だったからなあ。あ、おい、また拗ねんなよ。恋愛感情はないんだから、別にいいだろ」
「私のマルセルなのに」
「はいはい、あなたのマルセルですよ」
また、頭を撫でられた。それがあんまりにも心地よくて、膨れっ面を保てない。そうしてしばらくマルセルの手の感触を堪能した。
「まったく、あなたって人は。本当に甘えん坊で、可愛いんだから。さ、もう寝よう。明日はみんなで出かけるんだから、寝不足なんてあっちゃいけない」
「外になんて出たくない。ずっとマルセルと、引きこもっていたい」
「足が悪くて今日来れなかったお祖父様とお祖母様に会いにいくんだろう? 年寄りには孝行しなくちゃいけないよ。ほら、もっと俺を抱きしめて。そうしたらよく寝られるはず」
「……分かった」
言われた通りマルセルを更に抱き寄せる。腕の中に愛しい温もりを感じ、体がリラックスして、眠気が誘われるのが分かった。確かに、これならよく眠れそうだ。マルセルの方は寝巻きが肌蹴て覗いた私の胸に自分の顔をグリグリと押し付けて、毛皮の感触を感じているようだったが、収まりのいい所が見つかったらしく、暫くすると大人しくなった。
幸せだ。絶対に、誰にも渡してなんかやれない。この男は頭のてっぺんから爪先に至るまで、全部私のものだ。
「おやすみ、マルセル」
「おやすみ、ロラン」
ゆっくりと目を閉じる。
腕の中に愛しい人間の気配を感じ、満たされた気持ちになって、体の力が抜けていく。
腕にかかる重み、胸に感じる感触、小さく聞こえてくる息遣い、その全てを享受しながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
肺が引きつって、上手く息が吸えない。
「セヴラン、どうして……」
辛うじてその言葉だけを口から絞り出した。
だが、その後に何を言うべきなのか分からない。
ただ目の前の光景に困惑する。
「久しぶりだね、ロラン。君と最後に会ってから、もう10年になるかな? 元気そうでよかった」
そう親しげに話しかけてきたのは、幼いあの日に私のせいで大怪我をさせてしまった幼馴染みの、セヴランだ。かつては儚い印象のある線の細い美少年だったが、先程の母上の紹介の通り騎士になったらしい彼は、武人に見合った逞しい体と精悍な顔つきをした大人になっていた。
どうして彼がここに居るんだろう。彼に合わせる顔がなくて、私は彼の前から逃げ出し、この場所を飛び出したのに。
「ロラン、ぼんやりするのは結構ですけれど、それはちゃんと挨拶をしてからになさい。差し出された手をそのままにしておくのは失礼ですよ」
母上の言葉にハッとして、あわててセヴランと同じように自分も手を差し出す。その手が傍から見て明らかに分かるほど震えているのが、他人事のように遠くに感じられる。セヴランはそんな私の震える手を、なんでもない事のように黙って力強く握って握手をしてくれた。
セヴランが私と握手してくれた拍子に袖から零れた彼の肌に、幼い私が彼に負わせた傷が覗く。20年近く経ってなお、その体に残る傷はとても痛々しく、私を責めるようだ。
いや、分かってる。そんなの私の被害妄想だ。セヴランがこの傷のことで私を責めたことなど、未だかつて1度もない。自罰感情にそんな優しい彼を利用するなんて、酷すぎる。彼は私が誰かに責められることで、心の重荷を軽くするための道具ではないのだから。
「セヴラン、その、想像以上に立派になっていて、驚いたよ。見違えるようだ」
「はは、よせやい。照れるじゃないか」
セヴランが屈託なく笑う。心の底から楽しそうに、ニコニコと。そこに私を非難するような意思は感じられない。今日も純粋に私との久しぶりの再会を願ってここに来たのだろう。
昔からそうだった。私に大怪我をさせられた時も、彼はまだ5歳にもならない子供だったのに、私を一言も責めたりしなかった。それどころか、彼の傷を気に病む私を心配する言葉さえ口にしたのだ。
セヴランとの再会を純粋に喜べない自分が悲しい。負い目を感じるあまり、こんな自分とまだ親しくしようとしてくれている幼馴染みに、何も返してあげられないなんて。
それなのにこんな時でも優しいセヴランは、いっぱいいっぱいになってもうそれ以上何も喋れなくなった私の様子を察したのか、自分の方から話題を提供してくれる。
「今日はお招きいただきありがとう。家族水入らずの大切な日に、俺みたいな部外者を呼んでくれるなんて、嬉しいな」
「……こちらこそ、君が来てくれて嬉しいよ。騎士になったんだってね、だったら忙しいだろうに、態々時間を作ってくれたのか?」
最初躓きはしたが、なんとか答えられた。だが、次はどうだろう。私は彼とどんな顔をして話をすればいいんだ?
これではいけない。これ以上失敗したら、またセヴランに気を使わせてしまう。そんなこと、あってはならない。これ以上まだ私のことを友人と思ってくれているセヴランに、心配をかけたくなかった。
そう、私は変わったんだ。隣に座る、愛しい人のことを思う。マルセルに会って、彼と共に時間を過ごし、彼に愛されて、私は自分に自信を持つことができるようになった。今の私なら、過去の傷を乗りこえ、セヴランとまた友情を育むことをできるはず。そうに決まっている。
決意を新たにして、私は改めてセヴランへと目を向けた。もう、大丈夫。
セヴランは少し心配そうにこちらを見ていたが、私の雰囲気が変わったことを察したのか、僅かに緊張を解いて話を続けてくれる。
「忙しいといえば忙しいが、どうということはないさ。ちょうど有給も余ってたしね。何より絶対ここに来なくてはと思ったんだ。なんてったって君が……」
『帰ってくるって聞いたから。だから急いで駆けつけたんだ』大方そう続くと思っていた。それに『君が私を相変わらず友達と思ってくれていて光栄だ』とか『君の思いに感動した。もう一度あの日のことを謝罪をしたい、それが済んだら君さえよければ改めて私と友情を育んでくれないか』とか、私なりに答えだって考えていたんだ。
しかし、セヴランが口にしたのは。
「君が、お嫁さんを連れてくるって聞いたから」
「はああぁぁぁ!?!?!?」
自分でもビックリするくらい大きな声が腹から出た。だって、それくらい驚いたんだ!
私が? 嫁を?? 連れてくる???
誰だ! そんなこと言ったのは!? バッと家族の方を振り返ると、家族は皆一斉に私から目をそらす。腕に抱いた赤ん坊の目線まで手で隠す念の入れようだ。
どういうことか、こうなったら1人1人首を絞めあげてでも吐かせてやると体の向きを変えようとした時、隣に座っているマルセルの様子がおかしいことに気がついた。
どうしたのかと目を向けると、マルセルは顔を青ざめさせ、絶望的な表情で全身を戦慄かせながら私のことを見ている。具合でも悪くなったのかと心配になって声をかけようとすると、それより先にマルセルが口を開き、驚くべき言葉を発した。
「ひ、酷い、ロラン。酷すぎる。俺という者が有りながら、家族にまで紹介したくせに、何処の馬の骨とも知れない女を嫁として連れてくるつもりなんて……」
何を言ってるんだ馬鹿かこいつは! とんでもない発言にずっこけるかと思ったわ! 何故世慣れていて察しも悪くないのにこういう時だけ知能が下がるんだ!
「馬鹿っ! 嫁とはお前のことだ、マルセル!」
「えっ、でも俺男……」
「男だろうが、お前は私の嫁だろうがっ!!!」
あまりのことに時と場所を弁える考えもなくなって、感情のままに怒鳴る。思いっきり叫んだせいでハアハアと肩で息をしながら、何故私の愛を信じない、と怒りをもってマルセルを睨めつけた。
当のマルセルといえば、更に悲嘆に暮れるでも、逆ギレするでもない。初めはキョトンとしていたが、ジワジワと私の言葉を理解し始めるにつれ、真っ青だった顔に赤味がさし、最終的に茹で蛸のようにボンッと真っ赤になった。
フンッ、鈍いヤツめ。ようやく分かったようだな、私の愛が。
両手で顔を挟み、落ち着きなく動く視線を地面に落としながら、真っ赤な顔をして照れているマルセルを見て、私は勝利を確信した。両腕を組み、どうだ、ざまあみろ、とマルセルを見下ろす。
そうしてマルセルに対して自分の愛を知らしめて大満足の私の耳に、ヒューッと高らかに口笛を鳴らす音と、無遠慮な外野の声が聞こえてきた。
「まあ、ロランたら。こんな大勢の目の前で愛を叫ぶなんて、やるわね」
「さすが私の弟だ!」
「義弟君、なかなか男前だなぁ」
そういえばそうだ。すっかり忘れていたが、ここには小煩い私の家族たちがいるんだった。
途端に私は羞恥心に駆られ、恥ずかしさのあまり全身の毛を逆立てて家族を問いつめる。
「ていうか! そもそも私が『嫁を連れてくる』なんて知らせをセヴランにやったのは誰ですか!? 私は直接自分の口から話そうと思って、手紙にはマルセルのことを自分の好い人だなんて一言も書かなかったし、ましてや嫁だなんて……!」
「私が、セヴランに知らせました」
思いもよらぬ方向から返事が返ってきて、私は驚いて振り返った。
その視線の先には、何か問題でも? といった様子のすまし顔の母上がいる。
「ロラン。あなたは世間慣れしていないとはいえ、もう少し想像力を働かせるべきです。普通過去の事故から心を閉ざし、何年も音沙汰のなかった我が子から突然『紹介したい人がいる、会って欲しい』と言われれば、誰だってその人と我が子がただならぬ関係だと察しがつきます」
「だ、だからって……!」
「確かに女性かと思って『嫁』と知らせたのは私の早合点でしたが、男性だからといってあなたの好い人であることは変わりないのでしょう? 図らずも今、あなた自身がそのことを証明したのですから、言い訳は聞きませんよ」
「……母上は私の恋人が男でも構わないのですか?」
「全然! なんの不都合もありません! 知っての通り私たち狼の獣人は多産で私には子供も孫も沢山います。1人くらい同性愛に走っても全く困りません。それに、あなたの筋金入りの対人恐怖症が治って人前に出られるようになったのと同時に好い人が現れたのなら、タイミング的にその好い人があなたの対人恐怖症を克服してくれたのではないかと思っているのだけれど、違うかしら? そんな素敵な人とのご縁を蔑ろにしたら、バチが当たるわ」
「……」
「あら、どうやらあたりのようね」
本当にこの人は、我が母ながら恐ろしい迄の洞察力だ。千里眼が使えるのではないかと思ってしまう。実は私はずっとこの人に魔法で監視されてたんじゃないのか?
不審顔の私に母上は目を細め、さらなる言葉を続ける。
「ロラン、悪いことは言わないから、マルセルさんを絶対に離さないように死ぬ気で努力なさいよ。器量がいい、愛想がいい、性格が良くて、しかもトラウマの克服までしてくれるなんて、あなたに彼以上の良い相手は望めません。マルセルさんに愛想をつかされて捨てられても、私は助けてあげませんからね」
「言われなくても、そのつもりです。私の一生は彼に捧げるともう決めているんだ」
そのことを態度でも分からせるために私は未だに真っ赤になって固まっているマルセルを抱き寄せ、母上を睨む。そんな私の様子を、母上はどこか楽しそうに見ていた。
「ヒューッ! いいぞ、ロラン! よく言った! お前は今、輝いている!」
「素敵! 私も1度でいいからあんなセリフ言われてみたいわ。ねえあなた、言ってくださらない?」
「お母様、お腹がすきました」
「ウッ、グスッ。ああ、感動した。ちょっと待ってね。お母様は今それどころじゃないのよ、モン・ルー」
「我が息子ながらやるなあ! カッコイイぞ、ロラン!」
外野が五月蝿え! 少しは余韻に浸らせろや!
思わず家族の方を振り向いて睨むが、むしろ歓声が大きくなるばかりで逆効果だった。ああ、山中の静かな我が家が恋しい。
「あのー……。お取り込み中の所申し訳ないんだけれど、そろそろ俺にもそのロランのお嫁さんを紹介してもらえないかな? この中で彼と仲良くなっていないのは俺だけみたいで、寂しい」
どんどん騒がしくなる家族だったが、セヴランのその一言で少し落ち着きを取り戻す。ナイス、セヴラン。君はいつも私を救ってくれる。
「これは失礼致しました! ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ロラン様とお付き合いさせて頂いております、マルセル・カシニョールと申します」
「やあ、これはご丁寧に、どうもありがとう。先程紹介にあずかった、セヴラン・エリュアーヌです。いやー、それにしても、ロランのお嫁さんがこんなに美人だなんて、驚いたよ」
「美人だなんて、そんな。滅相もない。今まで言われたこともありませんよ」
「いやいや、あなたは確かにお美しいですよ。ロラン、いけないな。君の『お嫁さん』は君という『旦那様』が居るのに、美人だなんて言われたことがないって言ってるぞ。どうして愛しい人に言葉を尽くしてやらないんだ。これじゃあそう遠くないうちに愛想つかされてお嫁さんに捨てられしまうな」
「マルセルは私を捨てたりなんかしない!」
セヴランの言葉にムッとして言い返す。
救世主かと思ったが、違った。こいつは私の家族と同じで、久しぶりに会った私を、好い人ができたという格好のネタでからかい、遊び倒そうという算段らしい。
もちろん、これは親しい仲だから成立するおふざけだ。分かっている。分かってはいるが、だからってからかわれるのは面白くない!
歯を剥き出しにして唸って威嚇する私にもお構い無しに、セヴランはこっちによってきてマルセルの手を掬い上げ、握手をした。
「マルセルさん、どうぞ仲良くしてくださいね」
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
「コラッ! この不届き者! マルセルに触るな!」
「やれやれ、ロラン。そんなに束縛すると嫌われるぞ。マルセルさんだって1人の人間なんだから、自分の意思だってあるんだからな。マルセルさん、ロランが嫌になったらいつでも俺のところに来てくださいね。私は貴族で家柄は十分だが、後継問題とは無縁の気楽な次男で自由な独り身だし、王家に仕える騎士で個人的能力も稼ぎも申し分ない。そして、只今絶賛恋人募集中。いつだってあなたを受け入れますよ」
セヴランはウインクと共にキザなセリフを吐きやがる。もう昔怪我をさせてしまった気後れなんて忘れて、私はセヴランを威嚇し続ける。
「お前のところにマルセルが行く日なんて、永遠に来ない! マルセルは私だけのものだ! 誰にも触れさせやしない!」
忌々しい、こんなことなら爪も牙も捨てるんじゃなかった! 歯噛みしながら、せめて残った牙でどうにかできないものかとガルルルルルッ、と威嚇の低い声を出す。
「もう、ロラン様ってば、落ち着いて。からかわれてるだけですよ。久しぶりにお会いしたご友人にそんなに牙をむかないでくださいな」
そう言ってマルセルが私の頭を撫でる。指で毛を梳かれるのは心地が良い。マルセルは怒りでペタンと倒れていた私の耳の後ろを撫で、宥めるために喉の下を擽ってくる。彼は不機嫌になった時の私の扱いをよく心得ているのだ。
「しかし、マルセル。セヴランはお前のことを口説いているんだぞ」
「だから、からかわれているだけですって。そんなに心配しなくても、私はあなた以外の誰のものにもなりませんから安心してください。せっかく苦労して口説き落とした上に、家族の前でこいつは自分の嫁だなんて堂々と宣言してくれる人を蔑ろにするなんて、そんな罰当たりなことしませんよ」
言葉と一緒にマルセルは私の鼻の頭に軽くチュッとキスを落とす。それだけで随分と気分が上向いてしまうのが自分でもわかる。我ながらチョロいが、仕方がない。マルセルのキスにはそれだけの価値があるのだから。
「うーん、ちょっとからかうつもりが、随分と甘い惚気を聞かされる羽目になって、こっちが負けた気分だ」
「次、冗談でも私のマルセルを口説いたら、首の骨を圧し折るからな」
「うわっ、怖いこと言うなあ!」
そうやってやいのやいのと3人で言い合っていると、ワクワクとした顔で義姉の1人が声をかけてきた。
「あのー、そんなことよりも私『マルセルさんがロラン君を苦労して口説き落とした』という話が聞きたくてたまらないのですけれど、よろしいかしら?」
「あら、私もとっても興味があるわ!」
「女はすぐ恋愛話をしたがるなあ。まあ、俺も気になるんだが」
「マルセルさん、ぜひともその話を私たちに聞かせてくださらない?」
そう言って老いも若きも女性陣が身を乗り出す。恋愛話が好きな女性陣だけでなく、男共も興味が無いふりをしつつも奴らのこっちを向いた耳で聞く気満々なのが丸わかりだ。なんで皆そんなに私たちの馴れ初めを聞きたがる!
私は彼らに馴れ初めを教えるつもりなんて毛頭もなかったが、マルセルは違ったようだ。期待に充ちた周囲の視線に当てられて、やる気満々声を上げる。
「それだけ請われれば答えるのが人の情というものでしょう。よろしい、全部話してみせます!」
「いや、待て待てマルセル! なんでそんな恥ずかしい話、家族に聞かせなきゃならんのだ! さっきのおとぎ話の続きでいいだろう!」
「分かってないな、ロラン。私たちは皆、お前とお前の嫁のマルセルさんとお近付きになるためにここいるんだよ? そのためにはまず2人の過去の馴れ初めから聞かなくちゃならんだろう!」
「アルノー兄さん、あなただけは味方だと信じていたのに!」
「俺も聞きたいなー」
「セヴランは帰れ!」
「あれは頬に当たる風の爽やかな日のことでした……」
「マルセルは話し始めるな!」
「ロラン、静かにしなさい。折角のマルセルさんお話が聞こえません」
「しかし、母上……」
「お黙りなさい」
「……はい」
こうして、一族にマルセルとセヴランの2人を混じえたお茶会は、平和にすぎていくのだった。
やがて日も暮れ、夕食も済み、子供たちはとうの昔に眠りについた頃。大人たちも夜の挨拶を済ませ自室に下がった、その日の夜。
窓の外に美しい星空の見える夫婦用の広い客室で、私とマルセルは仲良く同じベッドの中に入っていた。
「あはっ。もう、ロランってば。そんなに強く抱きしめたら擽ったいよ」
私の腕の中でマルセルが笑う。私に抱きしめられたマルセルは、私の毛皮にモフモフと埋もれていて、2人はベッドに横たわっている。
「こんなに甘えたになって、昼間からかわれすぎて、拗ねちゃったの?」
「別に、拗ねてなんか」
結局、あの後散々だったのだ。
マルセルは私が止めるのも聞かず、請われるままに私たちの馴れ初めを1から順に全て話し、家族とセヴランはそれを聞いて笑うやら感激するやら興奮するやらで、私もからかわれまくって大忙しだった。
だが、結果としてそれでよかったと思う。馴れ初め話をきっかけに忌憚なく交流することで、約10年ぶりに会って私たちの間にまだ少し残っていた蟠りも解消され、和気藹々とした雰囲気のままお茶会は和やかなムードでお開きになったからだ。
「俺の前でまで取り繕わなくていいんだよ。今は部屋に引っ込んで、2人きりの『夫婦』の時間だ。言いたいことがあるのなら言うといい」
胴体にまわったマルセルの腕が、あやす様にポンポンと背中を優しく叩く。子供扱いされているようだが、悪い気はしない。
「……マルセルが私の家族やセヴランと仲良くなってくれたのは嬉しいが、あんまりにも仲良くなりすぎるもんだから、嫉妬したんだ。マルセルは私の恋人なのに」
呟くようにそう言って、私の胸のあたりにあるマルセルの頭に自分の頭を擦り付けて甘える。マルセルはそんな私の頭を撫でてくれた。その優しい手付きが心地よくて、目を閉じる。
「今日はとても頑張ってたよな。大勢の人と話して、自分のトラウマと向き合って。大変だったと思う。でも、最後には皆ともセヴランさんとも普通に話せるようになってたじゃないか。すごい進歩だ」
「あー、あれは、なんというか、マルセルが私たちの馴れ初めを話すのが恥ずかしくて止めようと、感情のままに喋っていたらそうなっただけで、荒療治にも程があったと思うんだが」
「でも、傍から見てもまるで長年の空白がなかったみたいに仲良く話せていたぜ。俺も、皆と話せてよかった」
「マルセルは仲良くなりすぎだ」
「もう、まだ言ってる」
私の拗ねた口調にマルセルは可笑しそうに苦笑した。そして手を伸ばして私の頭を撫でてくれる。口にこそ出したことはないが、私はこうしてマルセルに頭を撫でられるのが好きだ。マルセルの方もそれを承知しているらしく、私を励ましたり宥めたりする時によく撫でてくれる。
「それにしても、マルセルがあんなに皆と仲良くなるとは。私は嫉妬で気が気じゃなかったぞ。幼馴染が恋人と仲良くなりすぎて嫉妬するのなんて、普通逆だろう!」
「セヴランさんはいい人だったからなあ。あ、おい、また拗ねんなよ。恋愛感情はないんだから、別にいいだろ」
「私のマルセルなのに」
「はいはい、あなたのマルセルですよ」
また、頭を撫でられた。それがあんまりにも心地よくて、膨れっ面を保てない。そうしてしばらくマルセルの手の感触を堪能した。
「まったく、あなたって人は。本当に甘えん坊で、可愛いんだから。さ、もう寝よう。明日はみんなで出かけるんだから、寝不足なんてあっちゃいけない」
「外になんて出たくない。ずっとマルセルと、引きこもっていたい」
「足が悪くて今日来れなかったお祖父様とお祖母様に会いにいくんだろう? 年寄りには孝行しなくちゃいけないよ。ほら、もっと俺を抱きしめて。そうしたらよく寝られるはず」
「……分かった」
言われた通りマルセルを更に抱き寄せる。腕の中に愛しい温もりを感じ、体がリラックスして、眠気が誘われるのが分かった。確かに、これならよく眠れそうだ。マルセルの方は寝巻きが肌蹴て覗いた私の胸に自分の顔をグリグリと押し付けて、毛皮の感触を感じているようだったが、収まりのいい所が見つかったらしく、暫くすると大人しくなった。
幸せだ。絶対に、誰にも渡してなんかやれない。この男は頭のてっぺんから爪先に至るまで、全部私のものだ。
「おやすみ、マルセル」
「おやすみ、ロラン」
ゆっくりと目を閉じる。
腕の中に愛しい人間の気配を感じ、満たされた気持ちになって、体の力が抜けていく。
腕にかかる重み、胸に感じる感触、小さく聞こえてくる息遣い、その全てを享受しながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
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