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【第4部】浩輔編
1.舞衣との出会い
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母親がいた記憶はあまりない。
最後の記憶は、母親が珍しくお菓子を買ってくれて、
「ちょっと待ってて」
と言われ、長い時間ずっと待っていたら、そのうち大人に囲まれてどこかへ連れていかれた……ということだった。大人になって見たドラマで、似たようなシーンが出てきて、自分と同じだなと思ったことがあった。
ドラマじゃなくてほんとにある、と言いたかったが、大人になっていたので言わなかった。それに大人になって、似たような境遇の仲間達と出会い、自分だけじゃなかったという、複雑ではあるが安心感を得られた。後々彼らは大切な仲間になったし、腐らないで(多少は道を逸らしたが)過ごしてきてよかったと思えた。
連れていかれた場所は、児童養護施設で、浩輔は幼少から高校を出るまでがずっとそこで暮らすことを余儀なくされた。
母親は、ショッピングセンター内にあるベンチに浩輔を座らせたあと立ち去り、ずっとそこにいることを不思議に思った巡回警備員に通報されたことで、浩輔は保護された。児童養護施設に出入りしていたことで身元がすぐにわかり、今度はずっと施設で暮らすことになった──それが経緯だった。
そこで出会った仲間は、すぐに出て行く者、親に戻される者、里親に引き取られて行く者、素行の悪い者……いろいろいたが、屋根のある建物で寝て起きて、食事が出来ることが幸せなことだと子供心に気づいている者も多かった。浩輔は誰も迎えに来てくれることはない、子供ながらに察したのだった。
小学校に上がると、同じクラスに佐藤舞衣という女の子がいた。
それが舞衣と出会った最初だった。
彼女はさらさらの長い髪を、二つに分けて、毎日違うリボンで結んで来ていた。施設にはいないような女の子だった。
鈍くさいのか、引っ込み思案なのか、舞衣はワンテンポ行動が遅いようで、浩輔はやけに目に留まった。
「あれー、みかんあまってる! 誰か配られてない人いないか?」
給食当番の男子児童が言った。
教室をぐるりと素早く見渡し、
「みんなあるな!? じゃあ、欲しい人でじゃんけんな!」
おずおずと手を挙げようとしている女性児童に気づかないのか、気づかないふりなのか、彼はみかんを手にして高く掲げた。
「あの……」
浩輔は気づいていた。
舞衣が手を挙げようとし、当番の声に、その手をすっと下ろしたのを。
「待って! 舞衣ちゃんがないみたいだよ」
浩輔は立ち上がって言った。
「なんだよ、ないならないってさっさと言えよ」
当番はふてぶてしく言いつつも、そのみかんを舞衣に手渡した。
「ごめんなさい……。ありがとう……」
小学生は小柄だが、舞衣はさらに小柄だったように思えた。浩輔自身、施設に入所した当初は、栄養が行き渡っていないと診断されたこともあったが、小学一年生時では問題ないと診断されていた。
(舞衣ちゃん、身体も弱そう……)
浩輔は何かと舞衣を気に掛けるようになっていた。
一人で帰っている時には、声をかけて一緒に帰ることもあった。
小学二年生も、一年生と同じクラスメイトのまま持ち上がり、担任だけが代わった。
そこでも舞衣は、やはり人より行動が遅いということが少なくなかった。友達はいるが、大人しいので積極的自発的に行動することは少なかったようだ。
身体も丈夫ではなかったのか、人より休むことが多かった。
給食にプリンが出た日に舞衣が欠席をした。
(舞衣ちゃん、プリンが好きだったのに。残念だよな)
余ったものを届けるというシステムが、浩輔のクラスにはなかった。余ったものは、欲しい人がじゃんけんで獲得する、というシステムになっていた。
「欲しい人!」
その号令に、
「はいっ!」
浩輔は勢いよく手を挙げた。
何人かの児童が前に出て、じゃんけんをする。
「じゃんけん……ぽんっ」
最終的に浩輔が勝ち取った。
(よし、舞衣ちゃんに持っていける!)
浩輔が嬉しそうにそれを受け取ると、誰かが嫌みのように口を開いた。
「あいつ、プリン買ってもらえないから、余り物狙ってるんだぜ、意地汚いやつ」
浩輔が施設から通学していることを知っている者も多い。この小学校には、浩輔と同じ施設から通学している児童が何人がいる。特に気にしていない児童が殆どだ。というより低学年の時ほど「施設」が何なのかわかってはいない。本人達より寧ろ保護者のほうがそれを知っていることが多く、子供達は大人に情報を吹き込まれ、何かと持ち出してくるのだ。……それに気づくのはもっと後のことだったが。
浩輔を下に見ているのか、その児童はたびたび食ってかかってきていた。
しかし浩輔は、どこかずれているのか、腹は立っても言い返すことはあまりしなかった。
「うん、買ってもらえないからな。ほかの子にも食べさせたいからもらうよ」
事実だから、と一度肯定すると、相手は怯む。
こんな返しがくるとは予想していなかったのだろう、口をつぐんだ。恐らく次は、こう言ってくるだろうと学習して次の手を考えてくるはずだ。しかし浩輔は子供にしては頭の回転が良かったようで、怯むことはなかった。
悪口や嫌みにも動じなかった。
冷蔵庫はないので少し温くなってしまったプリンだが、それを持って、舞衣の家を訪ねた。大きな一軒家だった。
呼び鈴を鳴らし、ドアホン越しに名乗ると、しばらくしてパジャマ姿の舞衣が出てきた。
てっきり母親が出てくるのだろうと思っていたが、舞衣の両親は共働きらしい。
「舞衣ちゃん大丈夫か?」
「大丈夫……」
「これ冷やして食べて。給食のプリン」
「え? ありがとう!」
舞衣の顔が明るくなるのがわかった。
やはりプリンが好きだというのは間違いなかったようだ。
「え、けど、これはどうやって?」
「じゃんけんで勝ったから。舞衣ちゃんに届けに来た」
「わざわざ……?」
「うん。舞衣ちゃんも食べたかったんじゃないかなと思った」
「ありがとう……」
嬉しい、と舞衣は笑った。
「じゃあ、帰るよ」
「えっ、あの、何かお礼しなくちゃ」
「いいよ、そんなの」
「でも……」
「いいんだよ、別に。じゃ、またな。早く元気になれよ。待ってるからさ。またな」
パタンと浩輔はドアを締め、踵を返した。
背後で、慌ててそのドアが開く音がする。
「三原君、ありがとう!」
振り返ると舞衣が顔を出していた。
「うん、またな」
浩輔が手を振ると、舞衣も小さく手を振った。
前を向いて歩き出した浩輔だが、もう一度振り返るとまだ舞衣が見送ってくれていた。手を振れば、また舞衣は手を振り返してくれた。
最後の記憶は、母親が珍しくお菓子を買ってくれて、
「ちょっと待ってて」
と言われ、長い時間ずっと待っていたら、そのうち大人に囲まれてどこかへ連れていかれた……ということだった。大人になって見たドラマで、似たようなシーンが出てきて、自分と同じだなと思ったことがあった。
ドラマじゃなくてほんとにある、と言いたかったが、大人になっていたので言わなかった。それに大人になって、似たような境遇の仲間達と出会い、自分だけじゃなかったという、複雑ではあるが安心感を得られた。後々彼らは大切な仲間になったし、腐らないで(多少は道を逸らしたが)過ごしてきてよかったと思えた。
連れていかれた場所は、児童養護施設で、浩輔は幼少から高校を出るまでがずっとそこで暮らすことを余儀なくされた。
母親は、ショッピングセンター内にあるベンチに浩輔を座らせたあと立ち去り、ずっとそこにいることを不思議に思った巡回警備員に通報されたことで、浩輔は保護された。児童養護施設に出入りしていたことで身元がすぐにわかり、今度はずっと施設で暮らすことになった──それが経緯だった。
そこで出会った仲間は、すぐに出て行く者、親に戻される者、里親に引き取られて行く者、素行の悪い者……いろいろいたが、屋根のある建物で寝て起きて、食事が出来ることが幸せなことだと子供心に気づいている者も多かった。浩輔は誰も迎えに来てくれることはない、子供ながらに察したのだった。
小学校に上がると、同じクラスに佐藤舞衣という女の子がいた。
それが舞衣と出会った最初だった。
彼女はさらさらの長い髪を、二つに分けて、毎日違うリボンで結んで来ていた。施設にはいないような女の子だった。
鈍くさいのか、引っ込み思案なのか、舞衣はワンテンポ行動が遅いようで、浩輔はやけに目に留まった。
「あれー、みかんあまってる! 誰か配られてない人いないか?」
給食当番の男子児童が言った。
教室をぐるりと素早く見渡し、
「みんなあるな!? じゃあ、欲しい人でじゃんけんな!」
おずおずと手を挙げようとしている女性児童に気づかないのか、気づかないふりなのか、彼はみかんを手にして高く掲げた。
「あの……」
浩輔は気づいていた。
舞衣が手を挙げようとし、当番の声に、その手をすっと下ろしたのを。
「待って! 舞衣ちゃんがないみたいだよ」
浩輔は立ち上がって言った。
「なんだよ、ないならないってさっさと言えよ」
当番はふてぶてしく言いつつも、そのみかんを舞衣に手渡した。
「ごめんなさい……。ありがとう……」
小学生は小柄だが、舞衣はさらに小柄だったように思えた。浩輔自身、施設に入所した当初は、栄養が行き渡っていないと診断されたこともあったが、小学一年生時では問題ないと診断されていた。
(舞衣ちゃん、身体も弱そう……)
浩輔は何かと舞衣を気に掛けるようになっていた。
一人で帰っている時には、声をかけて一緒に帰ることもあった。
小学二年生も、一年生と同じクラスメイトのまま持ち上がり、担任だけが代わった。
そこでも舞衣は、やはり人より行動が遅いということが少なくなかった。友達はいるが、大人しいので積極的自発的に行動することは少なかったようだ。
身体も丈夫ではなかったのか、人より休むことが多かった。
給食にプリンが出た日に舞衣が欠席をした。
(舞衣ちゃん、プリンが好きだったのに。残念だよな)
余ったものを届けるというシステムが、浩輔のクラスにはなかった。余ったものは、欲しい人がじゃんけんで獲得する、というシステムになっていた。
「欲しい人!」
その号令に、
「はいっ!」
浩輔は勢いよく手を挙げた。
何人かの児童が前に出て、じゃんけんをする。
「じゃんけん……ぽんっ」
最終的に浩輔が勝ち取った。
(よし、舞衣ちゃんに持っていける!)
浩輔が嬉しそうにそれを受け取ると、誰かが嫌みのように口を開いた。
「あいつ、プリン買ってもらえないから、余り物狙ってるんだぜ、意地汚いやつ」
浩輔が施設から通学していることを知っている者も多い。この小学校には、浩輔と同じ施設から通学している児童が何人がいる。特に気にしていない児童が殆どだ。というより低学年の時ほど「施設」が何なのかわかってはいない。本人達より寧ろ保護者のほうがそれを知っていることが多く、子供達は大人に情報を吹き込まれ、何かと持ち出してくるのだ。……それに気づくのはもっと後のことだったが。
浩輔を下に見ているのか、その児童はたびたび食ってかかってきていた。
しかし浩輔は、どこかずれているのか、腹は立っても言い返すことはあまりしなかった。
「うん、買ってもらえないからな。ほかの子にも食べさせたいからもらうよ」
事実だから、と一度肯定すると、相手は怯む。
こんな返しがくるとは予想していなかったのだろう、口をつぐんだ。恐らく次は、こう言ってくるだろうと学習して次の手を考えてくるはずだ。しかし浩輔は子供にしては頭の回転が良かったようで、怯むことはなかった。
悪口や嫌みにも動じなかった。
冷蔵庫はないので少し温くなってしまったプリンだが、それを持って、舞衣の家を訪ねた。大きな一軒家だった。
呼び鈴を鳴らし、ドアホン越しに名乗ると、しばらくしてパジャマ姿の舞衣が出てきた。
てっきり母親が出てくるのだろうと思っていたが、舞衣の両親は共働きらしい。
「舞衣ちゃん大丈夫か?」
「大丈夫……」
「これ冷やして食べて。給食のプリン」
「え? ありがとう!」
舞衣の顔が明るくなるのがわかった。
やはりプリンが好きだというのは間違いなかったようだ。
「え、けど、これはどうやって?」
「じゃんけんで勝ったから。舞衣ちゃんに届けに来た」
「わざわざ……?」
「うん。舞衣ちゃんも食べたかったんじゃないかなと思った」
「ありがとう……」
嬉しい、と舞衣は笑った。
「じゃあ、帰るよ」
「えっ、あの、何かお礼しなくちゃ」
「いいよ、そんなの」
「でも……」
「いいんだよ、別に。じゃ、またな。早く元気になれよ。待ってるからさ。またな」
パタンと浩輔はドアを締め、踵を返した。
背後で、慌ててそのドアが開く音がする。
「三原君、ありがとう!」
振り返ると舞衣が顔を出していた。
「うん、またな」
浩輔が手を振ると、舞衣も小さく手を振った。
前を向いて歩き出した浩輔だが、もう一度振り返るとまだ舞衣が見送ってくれていた。手を振れば、また舞衣は手を振り返してくれた。
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