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【第1部】4.アルバイト
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「……よしっ」
気合いを入れ、テーブルに行き、聡子は挨拶をする。
「いらっしゃいませ。こんばんは。見習いのミヅキです」
「…………」
彼は聡子をちらりを見やり、どうぞと目で告げた。
「失礼します」
少し間を開け、トモの隣に座った。
「あのう……どなたかとお間違えなのでは?」
「いや、指名間違いじゃねえよ」
久しぶりのトモの声に、聡子は胸がドキドキした。
少し前に会ったのは会ったが、気が動転している時だったので、あまり感覚がない。
(本当にあの人だ……怪我、良くなったみたいでよかった)
あれから一年半ほど近くは経っている。
彼のほうは変わった様子もない。血が止まらないほどの怪我をしたというのに、無事な様子だというのは前回確認できた。
店内の灯りでは、はっきりとはわからないが、髪色が黒髪になっている。髪が短くなっているのは前回気付いたことだ。無精髭は前と変わらないが、薄めで、悪役俳優だと言われれば頷いてしまう風貌だ。
「何かお入れしますよ」
「……じゃあ、ロック」
聡子はウイスキーのロックを作る。
こんな濃いお酒飲めるなんてすごいな、と聡子は思っていた。飲んだことがなくても、濃いお酒だというのはわかる。
「どうぞ」
「ありがとう」
トモがグラスを手にし、ゆっくり酒を口にする。
聡子は素知らぬふりでいつもの接客会話を始めた。
「ご指名ありがとうございます。でも、わたしは見習いなので、本来はご指名いただけないんです」
「迷惑だったか?」
「そういうわけではないでんですが……」
想定していない応えに困惑した。
「あまり接客が上手くありませんので、お気を悪くさせてしまうことがあるかもしれませんがご了承いただけますか」
「いいよ」
トモは小さく笑った。
何が目的なのだろう。
誰かと間違えているのだろうか。
(それとも、わたしだとわかってて復讐でもするつもり……?)
一昨年の冬の出来事を思い出し、彼に言われた言葉も思い出した。
(次に会ったらヤらせろみたいなこと言われたよね……それに見たことは忘れろって……会ってしまったら……)
「迷惑じゃないなら少し付き合ってくれよ」
「はい、もちろんです」
そう言ったきり、トモは無言になった。
こうなったら自分からトークをするしかない。
「お客様はどんなお仕事をされてるんですか?」
「……なんだと思う?」
「なんでしょうね……? どこかの社長さん」
聡子はヘルプについていた時に学んだやり方でトークを開始する。
「違うな」
「じゃあ秘書とか」
「このツラでか」
「小説や物語じゃ、えらい方の右腕は男性が多いですよ。以前、どなたかと御一緒でしたよね」
ドラマや映画、と言えないのは、聡子があまりテレビを見ないからだった。
「そっちは? 見習いってことはまだ始めたばっかりか」
話が自分に振られた。
(まずい)
話がこちらに飛んできたではないか。
「はい、四月からお世話になってます」
「ファミレス、辞めたのか」
「えっ」
聡子は目を丸くさせ、まじまじとトモを見返す。
(気付かれてる……!)
「あの……」
「金髪の馬鹿な男に水ぶっかけられて、タバコを注意した、あの女子高生だろ」
「わ……わたしのこと」
「痴漢に遭って泣いてた女子高生」
「泣いてなんか……というか、あの、わたしのこと、覚えてらっしゃったんですか」
素の自分で言葉を発してしまい、口を噤んだ。
「覚えてるよ。高校はもう出たのか」
「……は、はい」
完全にバレていると察した。
トモはグラスを口にしながら、聡子を見た。
「今は? 大学生か?」
「いえ……昼間は会社員で、夜だけ時々こちらで働かせてもらってます」
「副業なのか?」
彼は少し驚いた顔をした。
もちろん会社には内緒ですけど、と補足することも忘れない。
「そんなに働きたいのか」
「お金がいるので……。ファミレスより時給がいいですし」
「男か?」
「ちっ、違いますよ!」
貢ぐ男が出来たのかと思ったな、と言われ慌てて首を振る。
「恥ずかしい話ですけど、家がそんな裕福じゃないので……」
「言いたくねえなら言わなくていいよ。別に」
「誤解されるのは嫌なので話します。昔、父が母に押しつけて逃げた時の借金とか、弟の学費とか、それに、自分のものは自分でなんとかしたいと思って……何れは自活もしたいと思っています。昼間だけだといつまでたっても資金が貯まらないしと」
彼氏を作る暇がなかったのはそういう理由か、とトモは言った。
「……男前なんだな。そうか……金がいるか……。なら、いい仕事紹介できるかもしれねえけど?」
「遠慮します」
間髪入れずに断った。
「早いな?」
「売春とか、もっとあくどい水商売とかですよね」
「…………いや違うけど」
「なんか間がありましたよね」
「気のせいだろ」
この人、わたしに身体売らせる気だったの、と呆れてしまう。
「いや、あやしい」
(だってヤクザでしょ)
「犯罪なんかするか。にしてもそんなカッコしてびっくりしたな」
とトモは乾いた笑いをもらした。
「なんか見違えたな」
「……似合いませんか」
「そうは言ってない」
距離を詰め、聡子の肩を抱こうとするトモに、
「おさわり厳禁ですよ」
とぴしゃりと言った。油断するところだった。
「別に触りてぇ思うほど欲求不満でもねえよ。てか、まあそんな生やさしい程度でもない」
「どういう意味ですか?」
中には以前の男性客のように露骨に身体を触ってきたり、見習いの聡子をアフターに誘う強者の客もいる。今ではかわせるようにはなったが、セクハラがひどい客は、きっと家でも会社でも満足していないのだと聡子は思っていた。先輩ホステスたちがそう教えてくれた。だから若い女の子のいる店でお酒が飲みたいのよ、と。
(欲求不満じゃない、ってことは……それなりにどこかで発散してるってことか……彼女とか、今もやっぱりいるのかな。生やさしい程度でもない、って、んんん、よくわかんないや)
「あの……バレてるなら開き直りますけど」
「ん?」
「あのときは、すみませんでした。本当に……申し訳なくて……何もお礼もお返しもできないままで……。あの後、どうされたのかって気にはなっていたんです。すっごい流血でしたし……救急車も呼ばないままでしたので……。ここにいらっしゃるってことは、怪我はあれから良くなったんだって思っていいですか」
おずおずと隣のトモを見上げる。
「ああ、大丈夫だ。まあ暫くクタってたな。けどあのあとはしっかり回復したわ」
「そうですか……安心しました」
泣きそうになるのをぐっと堪える聡子だったが、ほろりと涙がこぼれた。
「わりぃ、泣かせちまったか」
頭をぽんぽんと撫でられ、
「おっと、おさわり厳禁だったな」
とトモはすぐに両手を上げた。
あの日の最後にも、頭を撫でられたことを思い出し、聡子は身体が熱くなる。
「大丈夫です、それはおさわりとはちょっと、違いますので……」
傷が残ってはいるが、身体に支障はない、とトモが言ったので、それを聞いて心底ほっとした。
「俺はいいよ。あの時も言ったろ、責める気はないって。そっちも無事だったんだから」
ぽろりと涙が零れ、慌てて拭った。
「泣かせちまったか……」
「すみません……」
無事だったのが嬉しくて……、と小さく嗚咽をもらした。トモは咎めることも止めることもせず、聡子を時折見やりながら酒を飲み続けた。
気合いを入れ、テーブルに行き、聡子は挨拶をする。
「いらっしゃいませ。こんばんは。見習いのミヅキです」
「…………」
彼は聡子をちらりを見やり、どうぞと目で告げた。
「失礼します」
少し間を開け、トモの隣に座った。
「あのう……どなたかとお間違えなのでは?」
「いや、指名間違いじゃねえよ」
久しぶりのトモの声に、聡子は胸がドキドキした。
少し前に会ったのは会ったが、気が動転している時だったので、あまり感覚がない。
(本当にあの人だ……怪我、良くなったみたいでよかった)
あれから一年半ほど近くは経っている。
彼のほうは変わった様子もない。血が止まらないほどの怪我をしたというのに、無事な様子だというのは前回確認できた。
店内の灯りでは、はっきりとはわからないが、髪色が黒髪になっている。髪が短くなっているのは前回気付いたことだ。無精髭は前と変わらないが、薄めで、悪役俳優だと言われれば頷いてしまう風貌だ。
「何かお入れしますよ」
「……じゃあ、ロック」
聡子はウイスキーのロックを作る。
こんな濃いお酒飲めるなんてすごいな、と聡子は思っていた。飲んだことがなくても、濃いお酒だというのはわかる。
「どうぞ」
「ありがとう」
トモがグラスを手にし、ゆっくり酒を口にする。
聡子は素知らぬふりでいつもの接客会話を始めた。
「ご指名ありがとうございます。でも、わたしは見習いなので、本来はご指名いただけないんです」
「迷惑だったか?」
「そういうわけではないでんですが……」
想定していない応えに困惑した。
「あまり接客が上手くありませんので、お気を悪くさせてしまうことがあるかもしれませんがご了承いただけますか」
「いいよ」
トモは小さく笑った。
何が目的なのだろう。
誰かと間違えているのだろうか。
(それとも、わたしだとわかってて復讐でもするつもり……?)
一昨年の冬の出来事を思い出し、彼に言われた言葉も思い出した。
(次に会ったらヤらせろみたいなこと言われたよね……それに見たことは忘れろって……会ってしまったら……)
「迷惑じゃないなら少し付き合ってくれよ」
「はい、もちろんです」
そう言ったきり、トモは無言になった。
こうなったら自分からトークをするしかない。
「お客様はどんなお仕事をされてるんですか?」
「……なんだと思う?」
「なんでしょうね……? どこかの社長さん」
聡子はヘルプについていた時に学んだやり方でトークを開始する。
「違うな」
「じゃあ秘書とか」
「このツラでか」
「小説や物語じゃ、えらい方の右腕は男性が多いですよ。以前、どなたかと御一緒でしたよね」
ドラマや映画、と言えないのは、聡子があまりテレビを見ないからだった。
「そっちは? 見習いってことはまだ始めたばっかりか」
話が自分に振られた。
(まずい)
話がこちらに飛んできたではないか。
「はい、四月からお世話になってます」
「ファミレス、辞めたのか」
「えっ」
聡子は目を丸くさせ、まじまじとトモを見返す。
(気付かれてる……!)
「あの……」
「金髪の馬鹿な男に水ぶっかけられて、タバコを注意した、あの女子高生だろ」
「わ……わたしのこと」
「痴漢に遭って泣いてた女子高生」
「泣いてなんか……というか、あの、わたしのこと、覚えてらっしゃったんですか」
素の自分で言葉を発してしまい、口を噤んだ。
「覚えてるよ。高校はもう出たのか」
「……は、はい」
完全にバレていると察した。
トモはグラスを口にしながら、聡子を見た。
「今は? 大学生か?」
「いえ……昼間は会社員で、夜だけ時々こちらで働かせてもらってます」
「副業なのか?」
彼は少し驚いた顔をした。
もちろん会社には内緒ですけど、と補足することも忘れない。
「そんなに働きたいのか」
「お金がいるので……。ファミレスより時給がいいですし」
「男か?」
「ちっ、違いますよ!」
貢ぐ男が出来たのかと思ったな、と言われ慌てて首を振る。
「恥ずかしい話ですけど、家がそんな裕福じゃないので……」
「言いたくねえなら言わなくていいよ。別に」
「誤解されるのは嫌なので話します。昔、父が母に押しつけて逃げた時の借金とか、弟の学費とか、それに、自分のものは自分でなんとかしたいと思って……何れは自活もしたいと思っています。昼間だけだといつまでたっても資金が貯まらないしと」
彼氏を作る暇がなかったのはそういう理由か、とトモは言った。
「……男前なんだな。そうか……金がいるか……。なら、いい仕事紹介できるかもしれねえけど?」
「遠慮します」
間髪入れずに断った。
「早いな?」
「売春とか、もっとあくどい水商売とかですよね」
「…………いや違うけど」
「なんか間がありましたよね」
「気のせいだろ」
この人、わたしに身体売らせる気だったの、と呆れてしまう。
「いや、あやしい」
(だってヤクザでしょ)
「犯罪なんかするか。にしてもそんなカッコしてびっくりしたな」
とトモは乾いた笑いをもらした。
「なんか見違えたな」
「……似合いませんか」
「そうは言ってない」
距離を詰め、聡子の肩を抱こうとするトモに、
「おさわり厳禁ですよ」
とぴしゃりと言った。油断するところだった。
「別に触りてぇ思うほど欲求不満でもねえよ。てか、まあそんな生やさしい程度でもない」
「どういう意味ですか?」
中には以前の男性客のように露骨に身体を触ってきたり、見習いの聡子をアフターに誘う強者の客もいる。今ではかわせるようにはなったが、セクハラがひどい客は、きっと家でも会社でも満足していないのだと聡子は思っていた。先輩ホステスたちがそう教えてくれた。だから若い女の子のいる店でお酒が飲みたいのよ、と。
(欲求不満じゃない、ってことは……それなりにどこかで発散してるってことか……彼女とか、今もやっぱりいるのかな。生やさしい程度でもない、って、んんん、よくわかんないや)
「あの……バレてるなら開き直りますけど」
「ん?」
「あのときは、すみませんでした。本当に……申し訳なくて……何もお礼もお返しもできないままで……。あの後、どうされたのかって気にはなっていたんです。すっごい流血でしたし……救急車も呼ばないままでしたので……。ここにいらっしゃるってことは、怪我はあれから良くなったんだって思っていいですか」
おずおずと隣のトモを見上げる。
「ああ、大丈夫だ。まあ暫くクタってたな。けどあのあとはしっかり回復したわ」
「そうですか……安心しました」
泣きそうになるのをぐっと堪える聡子だったが、ほろりと涙がこぼれた。
「わりぃ、泣かせちまったか」
頭をぽんぽんと撫でられ、
「おっと、おさわり厳禁だったな」
とトモはすぐに両手を上げた。
あの日の最後にも、頭を撫でられたことを思い出し、聡子は身体が熱くなる。
「大丈夫です、それはおさわりとはちょっと、違いますので……」
傷が残ってはいるが、身体に支障はない、とトモが言ったので、それを聞いて心底ほっとした。
「俺はいいよ。あの時も言ったろ、責める気はないって。そっちも無事だったんだから」
ぽろりと涙が零れ、慌てて拭った。
「泣かせちまったか……」
「すみません……」
無事だったのが嬉しくて……、と小さく嗚咽をもらした。トモは咎めることも止めることもせず、聡子を時折見やりながら酒を飲み続けた。
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