153 / 154
第21章 裏切りの代償
4
しおりを挟む
土方が井上とともに新入隊士を連れて京に戻ってきた日、みぞれ交じりの雪が降った。
空は灰色によどんだ雲に覆われており、雪は当分やみそうにない。
大きな雪の結晶が、薪を運ぶ薫の肩を濡らした。
土方が帰って来たことは、自覚していたよりも薫の心を躍らせたようで、夕飯は鶏の照り焼きを作ることにした。
肉食が珍しいこの時代に、バリエーション豊富な肉料理を作れることは、薫の強みであり個性でもある。
鶏肉を自分では捌けないので、女中の人にお願いして、肉の塊になったところで薫が下味の処理を始める。
新しい隊士を加え、二百人強の大所帯の食事を作るのは一日がかりの作業だ。
廊下をドタドタと走る音が近づいてくる。
余りの騒々しさに薫は手を止めて廊下の方を振り向くと、競い合うように台所へ向かって走る二人の少年の姿があった。
二人は押し合い圧し合いしながら廊下を駆けていたが、やがて薫の姿を認めると、速度を緩めて薫の前に立った。
「あの、東雲殿はここにおられますか!」
二人のうち、年長と思しき少年は声変わりしたての掠れ声で薫に尋ねた。
「東雲は私ですが…。」
薫は恐る恐る少年の質問に答えたが、状況が掴めずにいた。
「あなたが、東雲殿…?」
「母上みてえだ。」
年長の少年の背に隠れていた、もう一人の少年が発した言葉に、薫の心臓は飛び跳ねる。
子供は素直だ。思ったままを口にする。
「こらっ、銀之助!失礼だろう、東雲殿は我らの先任なんだぞ。」
年長の少年が銀之助と呼ぶ男の子に拳骨を食らわせた。
「ああ、二人とも仲良くして。貴方たちの先任ってことは…。」
「ご挨拶が遅れました。この度新選組に入隊しました、市村鉄之助と申します。先だって、副長から副長付に任じられました。」
ほら、お前も挨拶しろと市村に促され、市村の後ろに隠れていた少年も顔を覗かせ、小さく頭を下げた。
「田村銀之助…と申します。」
「副長が、副長付の先任が台所にいるから、その指示に従うようにとおっしゃって。」
どうやら土方は少年たちの面倒を薫に見させようという魂胆らしい。
どうせ幼子の面倒はお前の方が得意だろう、としたり顔をする土方の顔が目に浮かぶ。
「ご挨拶ありがとう。荷ほどきは済ませましたか。」
「いえ、まだですが。副長に近藤局長と大事な話があるからと部屋を出ていくように言われまして…。」
困った表情の市村は上目遣いで薫を見た。
そんな表情をされては薫も無下にはできない。
女中に作業の指示を出すと、2人の少年を連れて屯所を案内することにした。
道場、大広間、大部屋。
それから、武器庫。
これまで見たことがなかった大筒と火縄銃に、田村と市村は興奮していた。
一通り屯所を回って二人のこれからの仕事をどうしようかと思案した。
薫や女中たちが台所で作業をしている間に、洗濯の作業をしてもらえれば、大分効率が上がると薫は考え、二人には稽古の後に洗濯の仕事を手伝うよう命じた。
そんな女がするようなことを、と怪訝そうな顔をしたが、渋々二人は承諾した。
夕飯の時間になって、ようやく薫は土方と顔を合わせることができた。
今日は旅の疲れもあるのか、大広間で食事は取らず、部屋に食事を運ぶよう土方から指示を受けた。
出来立ての鶏の照り焼きをお膳に乗せて、土方の前に差し出す。
「長旅、お疲れさまでした。」
「あぁ。」
土方は美味いとも、まずいとも口にしなかったが、いつもより口に掻き込む白飯の量は多いように感じた。
「副長付の田村君と市村君ですけど。」
食事を終えてお茶をすする土方に、薫はそれとなく尋ねてみることにした。
「面倒を頼む。」
「なんでまた、あんな子供が新選組に?」
「しょうがねえだろう。江戸の連中は御公儀が政権を返上したと聞いて、戦になると踏んでいる。老いも若いも戦支度を進めてらぁ。今回は兄弟そろって入隊した連中も多い。」
「江戸はそんな風に…。」
京にいる分にはそこまで戦だと危惧する風潮はない。
どちらかといえば、「ええじゃないか」と踊り狂った民衆による打ちこわし等、治安の悪化の方が目下の課題だった。
「近々戦になることは間違いない。いくら大樹公が政権を返上したからといって、薩長の連中が黙って見ているとは思えん。」
「あの子たちも戦に?」
「市村は来年元服の年だから別としても、田村は戦に出すわけにはいかんだろう。」
「そうですよね。」
薫は少し胸をなでおろす。
まだあどけない彼を少年兵として命のやり取りをさせずに済みそうだ。
「餓鬼の扱いは慣れてるだろう。よろしく頼む。」
「まあ、誰かさんよりずっとお利口さんですからね。…って、痛い。」
薫が言い終わる前に、土方は薫の左頬を軽くツネって部屋を後にした。
空は灰色によどんだ雲に覆われており、雪は当分やみそうにない。
大きな雪の結晶が、薪を運ぶ薫の肩を濡らした。
土方が帰って来たことは、自覚していたよりも薫の心を躍らせたようで、夕飯は鶏の照り焼きを作ることにした。
肉食が珍しいこの時代に、バリエーション豊富な肉料理を作れることは、薫の強みであり個性でもある。
鶏肉を自分では捌けないので、女中の人にお願いして、肉の塊になったところで薫が下味の処理を始める。
新しい隊士を加え、二百人強の大所帯の食事を作るのは一日がかりの作業だ。
廊下をドタドタと走る音が近づいてくる。
余りの騒々しさに薫は手を止めて廊下の方を振り向くと、競い合うように台所へ向かって走る二人の少年の姿があった。
二人は押し合い圧し合いしながら廊下を駆けていたが、やがて薫の姿を認めると、速度を緩めて薫の前に立った。
「あの、東雲殿はここにおられますか!」
二人のうち、年長と思しき少年は声変わりしたての掠れ声で薫に尋ねた。
「東雲は私ですが…。」
薫は恐る恐る少年の質問に答えたが、状況が掴めずにいた。
「あなたが、東雲殿…?」
「母上みてえだ。」
年長の少年の背に隠れていた、もう一人の少年が発した言葉に、薫の心臓は飛び跳ねる。
子供は素直だ。思ったままを口にする。
「こらっ、銀之助!失礼だろう、東雲殿は我らの先任なんだぞ。」
年長の少年が銀之助と呼ぶ男の子に拳骨を食らわせた。
「ああ、二人とも仲良くして。貴方たちの先任ってことは…。」
「ご挨拶が遅れました。この度新選組に入隊しました、市村鉄之助と申します。先だって、副長から副長付に任じられました。」
ほら、お前も挨拶しろと市村に促され、市村の後ろに隠れていた少年も顔を覗かせ、小さく頭を下げた。
「田村銀之助…と申します。」
「副長が、副長付の先任が台所にいるから、その指示に従うようにとおっしゃって。」
どうやら土方は少年たちの面倒を薫に見させようという魂胆らしい。
どうせ幼子の面倒はお前の方が得意だろう、としたり顔をする土方の顔が目に浮かぶ。
「ご挨拶ありがとう。荷ほどきは済ませましたか。」
「いえ、まだですが。副長に近藤局長と大事な話があるからと部屋を出ていくように言われまして…。」
困った表情の市村は上目遣いで薫を見た。
そんな表情をされては薫も無下にはできない。
女中に作業の指示を出すと、2人の少年を連れて屯所を案内することにした。
道場、大広間、大部屋。
それから、武器庫。
これまで見たことがなかった大筒と火縄銃に、田村と市村は興奮していた。
一通り屯所を回って二人のこれからの仕事をどうしようかと思案した。
薫や女中たちが台所で作業をしている間に、洗濯の作業をしてもらえれば、大分効率が上がると薫は考え、二人には稽古の後に洗濯の仕事を手伝うよう命じた。
そんな女がするようなことを、と怪訝そうな顔をしたが、渋々二人は承諾した。
夕飯の時間になって、ようやく薫は土方と顔を合わせることができた。
今日は旅の疲れもあるのか、大広間で食事は取らず、部屋に食事を運ぶよう土方から指示を受けた。
出来立ての鶏の照り焼きをお膳に乗せて、土方の前に差し出す。
「長旅、お疲れさまでした。」
「あぁ。」
土方は美味いとも、まずいとも口にしなかったが、いつもより口に掻き込む白飯の量は多いように感じた。
「副長付の田村君と市村君ですけど。」
食事を終えてお茶をすする土方に、薫はそれとなく尋ねてみることにした。
「面倒を頼む。」
「なんでまた、あんな子供が新選組に?」
「しょうがねえだろう。江戸の連中は御公儀が政権を返上したと聞いて、戦になると踏んでいる。老いも若いも戦支度を進めてらぁ。今回は兄弟そろって入隊した連中も多い。」
「江戸はそんな風に…。」
京にいる分にはそこまで戦だと危惧する風潮はない。
どちらかといえば、「ええじゃないか」と踊り狂った民衆による打ちこわし等、治安の悪化の方が目下の課題だった。
「近々戦になることは間違いない。いくら大樹公が政権を返上したからといって、薩長の連中が黙って見ているとは思えん。」
「あの子たちも戦に?」
「市村は来年元服の年だから別としても、田村は戦に出すわけにはいかんだろう。」
「そうですよね。」
薫は少し胸をなでおろす。
まだあどけない彼を少年兵として命のやり取りをさせずに済みそうだ。
「餓鬼の扱いは慣れてるだろう。よろしく頼む。」
「まあ、誰かさんよりずっとお利口さんですからね。…って、痛い。」
薫が言い終わる前に、土方は薫の左頬を軽くツネって部屋を後にした。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
桜の花びら舞う夜に(毎週火・木・土20時頃更新予定)
夕凪ゆな@コミカライズ連載中
ライト文芸
※逆ハーものではありません
※当作品の沖田総司はSっ気強めです。溺愛系沖田がお好きな方はご注意ください
▼あらすじ
――私、ずっと知らなかった。
大切な人を失う苦しみも、悲しみも。信じていた人に裏切られたときの、絶望も、孤独も。
自分のいた世界がどれほどかけがえのないもので、どんなに価値のあるものだったのか、自分の居場所がなくなって、何を信じたらいいのかわからなくて、望むものは何一つ手に入らない世界に来て初めて、ようやくその価値に気付いた。
――幕末。
それは私の知らない世界。現代にはあるものが無く、無いものがまだ存在している時代。
人の命は今よりずっと儚く脆く、簡単に消えてしまうのに、その価値は今よりずっと重い。
私は、そんな世界で貴方と二人、いったい何を得るのだろう。どんな世界を見るのだろう。
そして世界は、この先私と貴方が二人、共に歩くことを許してくれるのだろうか。
運命は、私たちがもとの世界に帰ることを、許してくれるのだろうか。
――いいえ……例え運命が許さなくても、世界の全てが敵になっても、私たちは決して諦めない。
二人一緒なら乗り越えられる。私はそう信じてる。
例え誰がなんと言おうと、私たちはもといた場所へ帰るのだ……そう、絶対に――。
◆検索ワード◆
新撰組/幕末/タイムスリップ/沖田総司/土方歳三/近藤勇/斎藤一/山南敬助/藤堂平助/原田左之助/永倉新八/山崎烝/長州/吉田稔麿/オリキャラ/純愛/推理/シリアス/ファンタジー/W主人公/恋愛
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~
花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。
この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。
長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。
~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。
船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。
輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。
その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。
それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。
~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。
この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。
桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。
偽典尼子軍記
卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。
戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる