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第19章 信念と疑念

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祇園祭の狂乱ぶりは膳立寺までは届かないようで、齋藤の立つ寺の門前は蝉の羽音以外何も聞こえない。

夜が明ける頃から斎藤は門前に立ち、かれこれ一刻は過ぎたあたりに、

伊東の予想通り、茨木達は膳立寺の門前に現れた。

その数、十名。

先頭に茨木と佐野の姿があった。



「齋藤先生、どうかここをお通しください。

我々は伊東先生にお話しできればそれでよいのです。」

「伊東先生は、おぬしらに会わぬと仰せである。」

面会を訴える茨木を前に齋藤は眉一つ動かさず、何度もそう繰り返した。

茨木もこの問答の無意味さを理解している様子だったが、

取り巻きたちは茨木と伊東の間に交わされた密約を知らないらしい。

「茨木さん、我々は見捨てられたのです。

先生にとって、我々はただの手駒に過ぎぬということなんでしょう。」

「ち、違う!先生にとって私たちはかけがえのない同志だと…!」

「同志ならばなぜ、身の危険を顧みず我々をお救い下さらぬのか。」

「今は、近藤先生達と対立するべきではないのです。

だから、我々は何とか逃げ切って時が来るのを…。」

「伊東先生が我々の願いをお聞き届け下さらぬのなら、武田先生が教えてくださった策を…。」

先程までの喧騒は嘘のように静まり返った。

最早伊東が自分たちを助けれくれないと悟った彼らに残された道はないのだ、

と茨木以外の面々は佐野の提案を受け入れたとでも言うように、

思い詰めた表情を浮かべる佐野の言葉に頷いている。

「な、ならぬ!武田殿の知恵を借りて伊東先生の御意思に背くことは…」

茨木は佐野の着物の裾を捕らえて坂を下りようとする佐野を引き止める。

「茨木、まだ伊東先生を信じるのか。

こうなった以上は我々だけで生き延びる道を模索するしかない。」

「そうと決まれば、先を急ごう。

先に会津公のお耳に入れなければ、我々の立場が危うくなる。」

「行くぞ、茨木!」

「ま、待ってくれ」

佐野は茨木の静止を振り切り、急いで坂を下りていく。
茨木の手は虚しく空を掴んでいた。

「おい、茨木。『武田殿の知恵』とはなんだ。」

項垂れる茨木に斎藤は歩み寄り、尋ねた。

「武田観流斎殿が佐野に吹き込んだ策です。

会津公に申し開きをして脱退を認めてもらえれば、君たちは無事に新選組を抜けられる、と。

仔細はわかりませぬが、副長には話を通しておくと武田殿から言われたそうです。

…武田殿は、伊東先生に恩を売ってあわよくば、自分も伊東先生に合流したいとお考えなのでしょう。」

「武田はあんたらのことを副長に取り次ぐほど度胸はない。」

「…伊東先生にお伝えください。

お役目をまっとうできず申し訳ありません、と。」

「早まるな、茨木。まだ道はある。」

嘲笑うかのように茨木は乾いた笑い声をあげた。

「彼らの暴挙を止められなかった私に、道はありませぬ。」

齋藤に背を向けると、茨木は佐野達の背中を追いかけて会津屋敷に急いだ。



「行ったか。」

茨木達が去るのを見送った齋藤は、その足で伊東の元へ向かった。

伊東は部屋で書物に読み耽っており、齋藤が部屋に入ってきても尚視線を書物から放そうとはしなかった。

「会津屋敷へ向かいました。」

思わぬ返答に伊東はようやく齋藤を見た。

「なぜ。」

「武田殿が佐野をそそのかした様子。」

「なぜ、私の言葉に従わぬ。」

「人は弱い。故に、信念が必要です。

しかし、信念に対し一度でも疑いを持てば、強い結束は崩れ去る。」

「何が言いたい。」

「何故、伊東殿は茨木達に声を掛けてやらなかったのです。」

「私の言葉は全て茨木に託してある。」

「彼らは、茨木についてきたのではない。

貴方に、貴方の信念に従っているのです。

道に迷う彼らを導けるのは貴方しかいない。」



しまった、と齋藤は自ら発した言葉を悔いた。

茨木が見せた最後の姿に少し感情的になっているようだった。



「私を信じられぬのなら、別に無理をしてついて来てもらわずとも良い。」

「…貴方は、近藤勇にはなれない。」

齋藤の呟きは伊東の耳には届かなかった。
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