125 / 154
第18章 幸せの定義
3
しおりを挟む喧嘩の末、屯所を飛び出したはいいものの、行く当てなど薫にはない。
島原の花君太夫の所も考えたが、今は花街に行くのはどうも気が乗らない。
行く当てを探して、三条河原の橋の上で川の流れを眺めていると気が付けば日は傾いていた。
今晩、どうしよう。
黙って出てきたから、脱走と見なされて切腹させられるのかな。
段々と紺色に沈む空が薫の不安を煽る。
橋の欄干に背中を預けしゃがみこんだ薫の目の前に淡い光が立ち込める。
「何をしちょる。」
懐かしい声。
でもその声の主はこの世に存在するはずがない。
声のする方へ顔を上げると、会いたかった人の姿があった。
「稔麿さん…。」
「泣いちょったのか。」
稔麿は薫の前にしゃがみこみ、懐から手ぬぐいを取り出して薫の頬に落ちる涙を拭う。
しかし、薫の頬に手ぬぐいの当たる感触はいつまでたっても感じられない。
「会いに来てくれたんですか。」
「わしは阿呆じゃけんのう。」
「貴方を殺したのは私なのに。」
「そうじゃのう。」
「どうして優しくしてくれるんですか。」
「惚れた弱み…かの。」
思わず薫の頬が緩む。
「わしにはあの男のどこがいいのかわからん。」
稔麿も薫の隣に座りこんで橋の欄干に頭を預けて言った。
「わしの方がなんぼもええ男じゃ。」
稔麿の冷たい手が薫の頬に触れた。
「稔麿さんに敵う人はいないですよ。」
「じゃろう。」
「でも、歳三さんは意地っ張りで乱暴で、不器用で真っすぐなんです。」
「好きなんじゃな、あの男が。」
「近藤先生から夫婦になったらどうだって提案されたとき、嬉しいと思う自分がいたんです。
そのとき、やっと気づいたんです、自分の気持ちに。」
ずっと蓋をして抑えていた気持ちが稔麿との会話で溢れ出す。
でも、その気持ちに気づいたのが遅すぎた。
気づいたときには歳三さんには別の女性がいた。
「悔しかった。
出会い方が違っていれば、私は…。」
「後悔しとるのか。」
「え?」
「自分の生きてきた道を後悔しとるか?」
優しく問いかける稔麿の言葉に薫は黙った。
「後悔、してない。
だって、この時代に来なければ稔麿さんにも歳三さんにも会えなかった。」
今はむしろ、こんな目に遭わせた神様に感謝したいくらいだ。
「色んな人が私の目の前で死んでいった。
皆、色んな想いを渡しに託して。
だから、私は歳三さんの傍にいるって決めたんです。
一人の女としてではなく、一人の人間として。」
「そうじゃな。それでこそ、わしの惚れた女じゃ。」
稔麿が薫の顔に両手を添えて、自分の方へ顔を向かせた。
「お前の真っすぐな瞳に惚れたんじゃ。それを忘れたらいかんぞ。」
稔麿さんの体が段々と薄くなっていく。
「稔麿さん、ちゃんとお礼も言えていないのに…。」
「案ずるな。箒がお前に手を出そうとしたら、飛んで出てくるけえ。」
「待って。まだ、行かないで。」
薫は稔麿の体に飛びつこうと伸ばした腕の先にあったのは見慣れた天井だった。
まだ夜は明けていないのか、灯篭の火が枕元を照らす。
「死んだと思った。」
どうやら、橋に座り込んでいた私は途中で意識を手放したらしく、
それを見つけて屯所まで運んでくれたのは齋藤だった。
「齋藤先生。」
「子細は永倉さんから聞いた。」
「私は切腹ですか。」
「馬鹿を言え。非は土方さんにある。」
「でも…」
どんな顔して会えばいいんだろう。
歳三さんの妻でも恋人でも何でもない私が、
歳三さんの子供を宿した恋人に嫉妬したなんて口が裂けても言えない。
「素直になれ、薫。」
齋藤の言葉に薫は顔を上げた。
「率直に嫉妬したと言えばいい。」
「齋藤先生に名前を呼ばれたのは初めてな気がします。」
「そうだったか。」
「いつも、“あんた”呼ばわりされていたから。」
布団に手をついて起き上がろうとすると、齋藤に制される。
「長いこと外で倒れていたのだ。無理をするな。」
障子が開いた。
背の高い土方が薫を見下ろしている。
境内の鐘が時刻を知らせる。
どうやら今は草木も眠る丑三つらしい。
明りがなくてもわかる。
目の前にいる男は土方そのものだ。
眉間に深い皺を寄せて、土方は薫を見つめていた。
「悪かった。」
消え入るような声で土方は言った。
齋藤が薫の背中に手を這わせて起き上がらせてくれた。
何か言わなくちゃと薫は頭をフル回転させて思案したが、考えがまとまらない。
「えっと、その…あの…。」
「あんたが言えないなら俺が言うぞ。」
後ろから聞こえる齋藤の囁きに薫は半ば強引に言葉を発した。
「歳三さんが、好きです。」
自分でも予想だにしていない言葉が出て来て、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
目の前の土方も驚いたように目を丸くしている。
「だから、その…子供ができたって聞いたとき、悔しかった。」
稔麿さんが教えてくれた、私の感情を素直に、自分の感じるままに言葉にしていく。
土方も齋藤も黙って薫の話に耳を傾けた。
「でも、女としてではなく、一人の“武士”として貴方の傍に居たい。
自分で決めた誠を貫くことが私の幸せなんです。」
言った。言い切った。
薫の唇はわなわなと震え、顔は恥ずかしさで真っ赤だった。
土方は薫の傍に座り、そして強く抱きしめた。
「愛している。」
薫にだけ聞こえるように、土方は耳元でそう囁いた。
「トシ、夜分にすまない。ちょっと…」
障子が突然開いた。
外には正装姿の近藤が立っていた。
満月はとうに過ぎたが、月はまだ欠けるには早く開け放たれた障子から二人の抱擁を煌々と照らし出す。
「こ、ここ、これはすまなかった!」
土方は薫から光の速さで離れると、一度閉じられた障子をゆっくりと開けた。
「近藤さん、誤解だ!あ、いや、その…誤解というか…。」
「いや、薫君と一つ屋根の下で暮らしているんだ。
そ、そういうことがあっても、おお、おかしくは…。」
「と、とりあえず、どうしたんだ。
こんな夜更けに…。会津候に呼び出されたんだろう。」
「あ、あぁ。そうだ。」
近藤は咳を一つすると、小さな声で言った。
「帝が、おかくれあそばされた。」
慶応2年。
暮れも押し迫った師走の出来事である。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
桜の花びら舞う夜に(毎週火・木・土20時頃更新予定)
夕凪ゆな@コミカライズ連載中
ライト文芸
※逆ハーものではありません
※当作品の沖田総司はSっ気強めです。溺愛系沖田がお好きな方はご注意ください
▼あらすじ
――私、ずっと知らなかった。
大切な人を失う苦しみも、悲しみも。信じていた人に裏切られたときの、絶望も、孤独も。
自分のいた世界がどれほどかけがえのないもので、どんなに価値のあるものだったのか、自分の居場所がなくなって、何を信じたらいいのかわからなくて、望むものは何一つ手に入らない世界に来て初めて、ようやくその価値に気付いた。
――幕末。
それは私の知らない世界。現代にはあるものが無く、無いものがまだ存在している時代。
人の命は今よりずっと儚く脆く、簡単に消えてしまうのに、その価値は今よりずっと重い。
私は、そんな世界で貴方と二人、いったい何を得るのだろう。どんな世界を見るのだろう。
そして世界は、この先私と貴方が二人、共に歩くことを許してくれるのだろうか。
運命は、私たちがもとの世界に帰ることを、許してくれるのだろうか。
――いいえ……例え運命が許さなくても、世界の全てが敵になっても、私たちは決して諦めない。
二人一緒なら乗り越えられる。私はそう信じてる。
例え誰がなんと言おうと、私たちはもといた場所へ帰るのだ……そう、絶対に――。
◆検索ワード◆
新撰組/幕末/タイムスリップ/沖田総司/土方歳三/近藤勇/斎藤一/山南敬助/藤堂平助/原田左之助/永倉新八/山崎烝/長州/吉田稔麿/オリキャラ/純愛/推理/シリアス/ファンタジー/W主人公/恋愛
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
戦国の華と徒花
三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。
付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。
そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。
二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。
しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。
悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。
※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません
【他サイト掲載:NOVEL DAYS】
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~
花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。
この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。
長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。
~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。
船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。
輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。
その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。
それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。
~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。
この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。
桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる