維新竹取物語〜土方歳三とかぐや姫の物語〜

柳井梁

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第18章 幸せの定義

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喧嘩の末、屯所を飛び出したはいいものの、行く当てなど薫にはない。

島原の花君太夫の所も考えたが、今は花街に行くのはどうも気が乗らない。

行く当てを探して、三条河原の橋の上で川の流れを眺めていると気が付けば日は傾いていた。



今晩、どうしよう。

黙って出てきたから、脱走と見なされて切腹させられるのかな。

段々と紺色に沈む空が薫の不安を煽る。

橋の欄干に背中を預けしゃがみこんだ薫の目の前に淡い光が立ち込める。



「何をしちょる。」

懐かしい声。

でもその声の主はこの世に存在するはずがない。

声のする方へ顔を上げると、会いたかった人の姿があった。

「稔麿さん…。」

「泣いちょったのか。」

稔麿は薫の前にしゃがみこみ、懐から手ぬぐいを取り出して薫の頬に落ちる涙を拭う。

しかし、薫の頬に手ぬぐいの当たる感触はいつまでたっても感じられない。

「会いに来てくれたんですか。」

「わしは阿呆じゃけんのう。」

「貴方を殺したのは私なのに。」

「そうじゃのう。」

「どうして優しくしてくれるんですか。」

「惚れた弱み…かの。」

思わず薫の頬が緩む。

「わしにはあの男のどこがいいのかわからん。」

稔麿も薫の隣に座りこんで橋の欄干に頭を預けて言った。

「わしの方がなんぼもええ男じゃ。」

稔麿の冷たい手が薫の頬に触れた。

「稔麿さんに敵う人はいないですよ。」

「じゃろう。」

「でも、歳三さんは意地っ張りで乱暴で、不器用で真っすぐなんです。」

「好きなんじゃな、あの男が。」

「近藤先生から夫婦になったらどうだって提案されたとき、嬉しいと思う自分がいたんです。

そのとき、やっと気づいたんです、自分の気持ちに。」



ずっと蓋をして抑えていた気持ちが稔麿との会話で溢れ出す。

でも、その気持ちに気づいたのが遅すぎた。

気づいたときには歳三さんには別の女性がいた。



「悔しかった。

出会い方が違っていれば、私は…。」

「後悔しとるのか。」

「え?」

「自分の生きてきた道を後悔しとるか?」

優しく問いかける稔麿の言葉に薫は黙った。

「後悔、してない。

だって、この時代に来なければ稔麿さんにも歳三さんにも会えなかった。」

今はむしろ、こんな目に遭わせた神様に感謝したいくらいだ。

「色んな人が私の目の前で死んでいった。

皆、色んな想いを渡しに託して。

だから、私は歳三さんの傍にいるって決めたんです。

一人の女としてではなく、一人の人間として。」

「そうじゃな。それでこそ、わしの惚れた女じゃ。」

稔麿が薫の顔に両手を添えて、自分の方へ顔を向かせた。

「お前の真っすぐな瞳に惚れたんじゃ。それを忘れたらいかんぞ。」


稔麿さんの体が段々と薄くなっていく。

「稔麿さん、ちゃんとお礼も言えていないのに…。」

「案ずるな。箒がお前に手を出そうとしたら、飛んで出てくるけえ。」

「待って。まだ、行かないで。」

薫は稔麿の体に飛びつこうと伸ばした腕の先にあったのは見慣れた天井だった。

まだ夜は明けていないのか、灯篭の火が枕元を照らす。



「死んだと思った。」

どうやら、橋に座り込んでいた私は途中で意識を手放したらしく、

それを見つけて屯所まで運んでくれたのは齋藤だった。

「齋藤先生。」

「子細は永倉さんから聞いた。」

「私は切腹ですか。」

「馬鹿を言え。非は土方さんにある。」

「でも…」



どんな顔して会えばいいんだろう。

歳三さんの妻でも恋人でも何でもない私が、

歳三さんの子供を宿した恋人に嫉妬したなんて口が裂けても言えない。

「素直になれ、薫。」

齋藤の言葉に薫は顔を上げた。

「率直に嫉妬したと言えばいい。」

「齋藤先生に名前を呼ばれたのは初めてな気がします。」

「そうだったか。」

「いつも、“あんた”呼ばわりされていたから。」

布団に手をついて起き上がろうとすると、齋藤に制される。

「長いこと外で倒れていたのだ。無理をするな。」



障子が開いた。

背の高い土方が薫を見下ろしている。

境内の鐘が時刻を知らせる。

どうやら今は草木も眠る丑三つらしい。



明りがなくてもわかる。

目の前にいる男は土方そのものだ。

眉間に深い皺を寄せて、土方は薫を見つめていた。



「悪かった。」

消え入るような声で土方は言った。

齋藤が薫の背中に手を這わせて起き上がらせてくれた。


何か言わなくちゃと薫は頭をフル回転させて思案したが、考えがまとまらない。

「えっと、その…あの…。」

「あんたが言えないなら俺が言うぞ。」

後ろから聞こえる齋藤の囁きに薫は半ば強引に言葉を発した。



「歳三さんが、好きです。」



自分でも予想だにしていない言葉が出て来て、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

目の前の土方も驚いたように目を丸くしている。

「だから、その…子供ができたって聞いたとき、悔しかった。」



稔麿さんが教えてくれた、私の感情を素直に、自分の感じるままに言葉にしていく。

土方も齋藤も黙って薫の話に耳を傾けた。



「でも、女としてではなく、一人の“武士”として貴方の傍に居たい。

自分で決めた誠を貫くことが私の幸せなんです。」

言った。言い切った。



薫の唇はわなわなと震え、顔は恥ずかしさで真っ赤だった。

土方は薫の傍に座り、そして強く抱きしめた。

「愛している。」

薫にだけ聞こえるように、土方は耳元でそう囁いた。



「トシ、夜分にすまない。ちょっと…」

障子が突然開いた。

外には正装姿の近藤が立っていた。

満月はとうに過ぎたが、月はまだ欠けるには早く開け放たれた障子から二人の抱擁を煌々と照らし出す。

「こ、ここ、これはすまなかった!」

土方は薫から光の速さで離れると、一度閉じられた障子をゆっくりと開けた。

「近藤さん、誤解だ!あ、いや、その…誤解というか…。」

「いや、薫君と一つ屋根の下で暮らしているんだ。

そ、そういうことがあっても、おお、おかしくは…。」

「と、とりあえず、どうしたんだ。

こんな夜更けに…。会津候に呼び出されたんだろう。」

「あ、あぁ。そうだ。」

近藤は咳を一つすると、小さな声で言った。





「帝が、おかくれあそばされた。」





慶応2年。

暮れも押し迫った師走の出来事である。


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