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第14章 誠と正義と

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土方宛に山崎から早飛脚が届いた。

恐らくは長州の動向に関する大事な手紙だろう。

薫は急ぎ土方の部屋に赴いたが、姿は見えず。

近くを通りかかった沖田に薫は土方の行方を尋ねた。

「土方さんなら今頃島原でしょう。」

「昼間から女の所にいるんですか?」

今までの勤勉な土方の姿からは想像のつかない居所であった。

「そう言っておあげなさんな。

あの人は存外弱い人なんですから、お酒でも飲まないとやってられないんですよ。」

「そういうものでしょうか。」

土方の脆いところは知っているけれど、

それでも隊士たちが汗水垂らしている間に悪所通いをしているなんて信じたくはなかった。


しかし、屯所のどこを探しても土方の姿が見えないので、薫は諦めて島原へ足を運んだのである。





街は、先の戦による戦火を逃れ、昔ながらの街並みが相変わらず広がっている。

人通りも変わらずで、昼間だというのに賑やかだ。

島原に来たはいいものの、土方の馴染の店など知る由もなく、薫は路頭に迷っていた。



花君太夫のところだろうか。

そう思って、薫はかつて自分がお世話になった置屋へと足を向けたときだった。

「おおい!お里さんやないかえ!」

道の真ん中でこちらに向かって手を勢いよく振っている男が薫に話しかけたのである。

しかも、長州で使った偽名で。


今は男のなりをしているから、「お里」だと認識する手立てはないはずなのに。


これが、坂本龍馬の凄さとでも言うのだろうか。



「ひ、人違いです。お、女子と見間違うとは無礼ではありませんか!」

「そうは言うてものう…。どこからどう見たって、お里さんじゃき…。」

「お里さんなんて人、知りません。し、失礼します。」

急いでその場を去ろうとしたが、坂本に腕を掴まれ勢いそのままに、

薫の体は坂本の腕の中にすっぽりと納まってしまった。

まるで、後ろから抱きすくめられた状態になっていたのである。

「わしは気に入った女子の顔を間違えたことは一度もないぜよ。」

耳元でそう呟かれた。

本来なら、じたばたと暴れるべきなのだが、薫にはそれができなかった。

何故なのかは自分でもわからない。



「そいつから離れろ。」

薫の正面に探し求めていた男が現れた。

静かにしかし、殺気を含めた声色で、土方は言った。

ようやく坂本は薫から離れ、薫の体は解放された。

「おお、おまんの知り合いやったがか。悪かったのう。」

薫は土方を見上げたが、殺気に押されて近づくことさえできない。

「何者だ。」

「名乗るほどのものではないぜよ。」

「名乗れ、と言っている。」

「怖いのう。」

ポリポリと頭をかいて、坂本は飄々と答えた。

「十津川郷士、才谷梅太郎。」

「こいつには二度と近づくな。次近づけば、斬る。」

坂本はその言葉に笑って言い返した。

「怖いのう。あんまり、怖いと女子に嫌われるぜよ。」

そう言って、坂本は薫に手を振ると人ごみの中に消えて行った。



たくさん人がいるはずなのに、薫には土方と二人だけの世界のように感じられた。

人を殺しかねない雰囲気を纏って、土方は無言で薫の腕を引っ張った。

「ふ、副長!」

痛い。

そう訴えても、土方は引っ張って前を歩くのを止めてはくれなかった。

気づけば屯所の中を過ぎ、そして薫がようやく解き放たれたのは土方の部屋に入ってからだった。

今まで引っ張られていた腕を離され、薫は部屋の畳に倒れこんだ。

そして、次の瞬間。

薫の唇に土方の唇が重ねられた。

優しさのない、野獣のようなキスだった。



土方の衝動を止めようと胸を何度か叩いたら、今度は腕を絡めとられた。

薫にとってその行為は恐怖でしかなかった。

ようやく唇が離れたと思えば、、今度は土方の長い指が懐の中を蠢く。

「嫌です。やめて…!」

そう言ったが、土方の恐ろしいほどに冷たい目が薫に降り注がれて、

薫はそれ以上何も言えず、抵抗すらできなくなった。


土方の指が体中をはい回る。

本当は愛を確かめ合うための行為のはずなのに、

そこには愛の入る余地などなく、あるのは欲望だけだった。

何が土方をそうさせているのか、薫にはわからなかった。

ただ、苦しさと恐怖と悲しさがぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。



どうして。

私はこんなことのために歳三さんの傍に居たわけじゃないのに。

薫の目から涙がこぼれた。



土方の手が止まった。

そして、体から土方の指が離れた。

「泣いているのか。」

「…泣いてません。」

「泣いてるだろう。」

「泣いてませんってば!」

薫ははだけた胸元も直さずに、土方の部屋を飛び出した。



一人、日の落ちた暗がりの部屋に土方は取り残された。



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