85 / 154
第14章 誠と正義と
1
しおりを挟む
広島城の近くにある、料亭の一室で三人はひざを突き合わせていた。
蝋燭の明かりだけでは、薫からは伊東の表情が良く見えない。
一方、薫からの報告を聞いた近藤は満足そうに何度も頷いていた。
「薫君、私の目となり足となりよく働いてくれた。感謝する。」
「お役に立てて光栄です。」
薫は畳に手をついて頭を下げた。
「やはり長州は幕府との戦に備えている様子…。
会津候の耳に入れば、我々も長州討伐に加えていただけるやもしれません。」
近藤は意気揚々と言葉を発したが、伊東の返事は芳しいものではなかった。
「薫殿の報告だけでは噂程度にすぎませぬ。
確固たる証拠がなければ、勅命をいただく訳には参りませぬ。」
伊東は平伏する薫を見下ろした。
「しかし、一介の賄い方の方が侍かぶれよりも有能だったようですね。」
侍かぶれ、という伊東の言葉が薫の喉に引っかかる。
山口の街で会った、赤根という男のことを伊東は揶揄しているのだろうか。
薫は暗い視界の中で赤根のことを考えた。
「薫君、ご苦労であった。君はすぐに京に戻りなさい。」
近藤の優しい声が薫の耳に響く。
「お待ちください、私は近藤先生の手足です。
今は少しでも先生のお役に立ちたいと考えております。」
近藤はこれから岩国に向かい、長州入りを目指すという。
そんな危険な任務を果たそうとしているときに、薫一人逃げ帰る訳にはいかなかった。
「その義には及ばず。君は既に向こうに顔を知られている。
君が動けば、君の命が危うい。
君を危険に晒したとなれば、私が京に戻ったらトシに殺されてしまうだろう。」
ハハハ、と豪快に笑う近藤の横で、嘲りを含んだ目を伊東は薫に向けた。
「こんなときでも、土方君ですか。」
フフフ、と口元を抑えて笑う伊東はさながら歌舞伎役者のようだ。
己の力を過信し、今も近藤の横で自分が近藤を操っているとこの男は勘違いしている。
薫は伊東の嘲りを跳ね返すように、伊東を睨んだ。
「京に残る彼らにも俺達の無事を誰かが伝えねばなりますまい。
薫、頼んだぞ。」
近藤の大きな器を前にして、伊東の皮肉は無力であった。
薫は短く返事をすると、その場を辞した。
「薫はん、よう帰って来はった。」
部屋を出た所で待ち受けていたのは、監察方の山崎であった。
「島原で得た人脈が活きました。」
「それは何より。今度はわての番や。」
町人に扮した山崎は、薫の肩を扇子で軽く叩いた。
「くれぐれもお気をつけて。赤根武人という裏切り者が長州に帰って来たと多くの者が警戒しています。」
「赤根は死んだで。」
何の感情も挟まない調子で、山崎は言った。
「赤根さんが…。」
「かわいそうにな。
彼の国を思う気持ちは、高杉とも桂とも変わらへんかったはずやのに。」
「伊東は、姑息です。」
彼の思いを利用して、そして捨てた。
「そないなこと、端からわかってたやろ。」
「そうですけど…。」
「ま、伊東の力を借りるしかなかった、あの男の限界や。」
ほななと言って、ポンポン、と再び扇子で薫の肩を叩くと、
鼻歌交じりに山崎は近藤達の控える部屋に吸い込まれていった。
蝋燭の明かりだけでは、薫からは伊東の表情が良く見えない。
一方、薫からの報告を聞いた近藤は満足そうに何度も頷いていた。
「薫君、私の目となり足となりよく働いてくれた。感謝する。」
「お役に立てて光栄です。」
薫は畳に手をついて頭を下げた。
「やはり長州は幕府との戦に備えている様子…。
会津候の耳に入れば、我々も長州討伐に加えていただけるやもしれません。」
近藤は意気揚々と言葉を発したが、伊東の返事は芳しいものではなかった。
「薫殿の報告だけでは噂程度にすぎませぬ。
確固たる証拠がなければ、勅命をいただく訳には参りませぬ。」
伊東は平伏する薫を見下ろした。
「しかし、一介の賄い方の方が侍かぶれよりも有能だったようですね。」
侍かぶれ、という伊東の言葉が薫の喉に引っかかる。
山口の街で会った、赤根という男のことを伊東は揶揄しているのだろうか。
薫は暗い視界の中で赤根のことを考えた。
「薫君、ご苦労であった。君はすぐに京に戻りなさい。」
近藤の優しい声が薫の耳に響く。
「お待ちください、私は近藤先生の手足です。
今は少しでも先生のお役に立ちたいと考えております。」
近藤はこれから岩国に向かい、長州入りを目指すという。
そんな危険な任務を果たそうとしているときに、薫一人逃げ帰る訳にはいかなかった。
「その義には及ばず。君は既に向こうに顔を知られている。
君が動けば、君の命が危うい。
君を危険に晒したとなれば、私が京に戻ったらトシに殺されてしまうだろう。」
ハハハ、と豪快に笑う近藤の横で、嘲りを含んだ目を伊東は薫に向けた。
「こんなときでも、土方君ですか。」
フフフ、と口元を抑えて笑う伊東はさながら歌舞伎役者のようだ。
己の力を過信し、今も近藤の横で自分が近藤を操っているとこの男は勘違いしている。
薫は伊東の嘲りを跳ね返すように、伊東を睨んだ。
「京に残る彼らにも俺達の無事を誰かが伝えねばなりますまい。
薫、頼んだぞ。」
近藤の大きな器を前にして、伊東の皮肉は無力であった。
薫は短く返事をすると、その場を辞した。
「薫はん、よう帰って来はった。」
部屋を出た所で待ち受けていたのは、監察方の山崎であった。
「島原で得た人脈が活きました。」
「それは何より。今度はわての番や。」
町人に扮した山崎は、薫の肩を扇子で軽く叩いた。
「くれぐれもお気をつけて。赤根武人という裏切り者が長州に帰って来たと多くの者が警戒しています。」
「赤根は死んだで。」
何の感情も挟まない調子で、山崎は言った。
「赤根さんが…。」
「かわいそうにな。
彼の国を思う気持ちは、高杉とも桂とも変わらへんかったはずやのに。」
「伊東は、姑息です。」
彼の思いを利用して、そして捨てた。
「そないなこと、端からわかってたやろ。」
「そうですけど…。」
「ま、伊東の力を借りるしかなかった、あの男の限界や。」
ほななと言って、ポンポン、と再び扇子で薫の肩を叩くと、
鼻歌交じりに山崎は近藤達の控える部屋に吸い込まれていった。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
桜の花びら舞う夜に(毎週火・木・土20時頃更新予定)
夕凪ゆな@コミカライズ連載中
ライト文芸
※逆ハーものではありません
※当作品の沖田総司はSっ気強めです。溺愛系沖田がお好きな方はご注意ください
▼あらすじ
――私、ずっと知らなかった。
大切な人を失う苦しみも、悲しみも。信じていた人に裏切られたときの、絶望も、孤独も。
自分のいた世界がどれほどかけがえのないもので、どんなに価値のあるものだったのか、自分の居場所がなくなって、何を信じたらいいのかわからなくて、望むものは何一つ手に入らない世界に来て初めて、ようやくその価値に気付いた。
――幕末。
それは私の知らない世界。現代にはあるものが無く、無いものがまだ存在している時代。
人の命は今よりずっと儚く脆く、簡単に消えてしまうのに、その価値は今よりずっと重い。
私は、そんな世界で貴方と二人、いったい何を得るのだろう。どんな世界を見るのだろう。
そして世界は、この先私と貴方が二人、共に歩くことを許してくれるのだろうか。
運命は、私たちがもとの世界に帰ることを、許してくれるのだろうか。
――いいえ……例え運命が許さなくても、世界の全てが敵になっても、私たちは決して諦めない。
二人一緒なら乗り越えられる。私はそう信じてる。
例え誰がなんと言おうと、私たちはもといた場所へ帰るのだ……そう、絶対に――。
◆検索ワード◆
新撰組/幕末/タイムスリップ/沖田総司/土方歳三/近藤勇/斎藤一/山南敬助/藤堂平助/原田左之助/永倉新八/山崎烝/長州/吉田稔麿/オリキャラ/純愛/推理/シリアス/ファンタジー/W主人公/恋愛
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
大和型戦艦4番艦 帝国から棄てられた船~古(いにしえ)の愛へ~
花田 一劫
歴史・時代
東北大地震が発生した1週間後、小笠原清秀と言う青年と長岡与一郎と言う老人が道路巡回車で仕事のために東北自動車道を走っていた。
この1週間、長岡は震災による津波で行方不明となっている妻(玉)のことを捜していた。この日も疲労困憊の中、老人の身体に異変が生じてきた。徐々に動かなくなる神経機能の中で、老人はあることを思い出していた。
長岡が青年だった頃に出会った九鬼大佐と大和型戦艦4番艦桔梗丸のことを。
~1941年~大和型戦艦4番艦111号(仮称:紀伊)は呉海軍工廠のドックで船を組み立てている作業の途中に、軍本部より工事中止及び船の廃棄の命令がなされたが、青木、長瀬と言う青年将校と岩瀬少佐の働きにより、大和型戦艦4番艦は廃棄を免れ、戦艦ではなく輸送船として生まれる(竣工する)ことになった。
船の名前は桔梗丸(船頭の名前は九鬼大佐)と決まった。
輸送船でありながらその当時最新鋭の武器を持ち、癖があるが最高の技量を持った船員達が集まり桔梗丸は戦地を切り抜け輸送業務をこなしてきた。
その桔梗丸が修理のため横須賀軍港に入港し、その時、長岡与一郎と言う新人が桔梗丸の船員に入ったが、九鬼船頭は遠い遥か遠い昔に長岡に会ったような気がしてならなかった。もしかして前世で会ったのか…。
それから桔梗丸は、兄弟艦の武蔵、信濃、大和の哀しくも壮絶な最後を看取るようになってしまった。
~1945年8月~日本国の降伏後にも関わらずソビエト連邦が非道極まりなく、満洲、朝鮮、北海道へ攻め込んできた。桔梗丸は北海道へ向かい疎開船に乗っている民間人達を助けに行ったが、小笠原丸及び第二号新興丸は既にソ連の潜水艦の攻撃の餌食になり撃沈され、泰東丸も沈没しつつあった。桔梗丸はソ連の潜水艦2隻に対し最新鋭の怒りの主砲を発砲し、見事に撃沈した。
この行為が米国及びソ連国から(ソ連国は日本の民間船3隻を沈没させ民間人1.708名を殺戮した行為は棚に上げて)日本国が非難され国際問題となろうとしていた。桔梗丸は日本国から投降するように強硬な厳命があったが拒否した。しかし、桔梗丸は日本国には弓を引けず無抵抗のまま(一部、ソ連機への反撃あり)、日本国の戦闘機の爆撃を受け、最後は無念の自爆を遂げることになった。
桔梗丸の船員のうち、意識のないまま小島(宮城県江島)に一人生き残された長岡は、「何故、私一人だけが。」と思い悩み、残された理由について、探しの旅に出る。その理由は何なのか…。前世で何があったのか。与一郎と玉の古の愛の行方は…。
偽典尼子軍記
卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。
戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる