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第7章 平穏と不穏

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薫は今、感動している。


なぜならば、維新の三傑の一翼を担う西郷隆盛が目の前に座っているからだ。

上野の銅像とは違って、髷を結った西郷を目にしているのだから感慨もひとしおである。



山南は静かに座って口上のように述べた。

「此度はお忙しい中、時間を割いていただきかたじけない。

私は会津藩お預かり新選組総長山南敬助と申す。

平野國臣殿から預かった手紙をお渡しに参った。」

それに対し、西郷は深々と頭を下げた。

「平野どんはおいの昔からの知り合いでごわす。

丁寧に痛み入りもす。」

西郷は畳の上に置かれた手紙を手に取ると目を通した。





「平野殿の最期は立派でした。死を恐れず、死を静かに受け入れておられた。」

山南は膝の上に置いた拳を震わせながら言った。

恐らく六角獄で見た地獄を思い出したのだろう。

「平野どんはお裁きを待って獄におられたと聞きもした。

ないごて、急に亡くなられたとでごわすか。」

「それは…。」

言えば幕府を批判することになると思ったのか、山南は口を噤む。

「おいは平野殿の義兄弟として知る必要がある。半次郎、席を外してくれ。」

後ろに控えていた中村ははっ、と短く答えると立ち上がり部屋を去った。

薫もそれに倣い、立ち上がろうとした。

「薫君、君もあの場に居合わせた者として一緒にいてはくれないか。」

山南にそう言われては席を外すわけには行かない。

薫は再び元の場所に戻ると腰を下ろす。



「我々は火の勢いが強く、こちらにも火が及ぶと思ったので壬生に近い六角獄の応援に向かいました。

六角獄には池田屋での一件や他で捕らえられた志士達が多く入っておりましたので
それらを移動させる必要があると思ったからです。

しかし、実際に六角獄に行ってみると役人どもが彼らを槍で突き、皆殺しにしていたのです。」

「なんち!」

西郷は大きな目を見開かせて驚いた。

「我々が到着したときはまだ平野殿は御存命でした。

役人に止めるよう訴えたが、平野殿がそれを退けたのです。

そして、我々にこの詩を託し、彼は言いました。ご公儀に明日はない、と。」

山南は肩を震わせて、振り絞るように語った。




本当は誰かにこの話を聞いてほしかったのだろう。

そして、山南自身が実感したのだ。


幕府は腐りきっていることを。


元は尊王攘夷の志熱く、新選組の働きはその志を果たすことに繋がると奮闘してきた人である。


彼は苦しんでいるのだ。


果たして新選組がご公儀のために働くことで尊王攘夷の志を遂げられるのか。


今回の一件で山南の信念が揺らいでいる。


薫は山南の震える背中を見てそう感じた。


「西郷殿。最早、ご公儀に正義は…。」


山南はそれ以上言わなかった。

きっと言えないのだろう。

言えば、幕府に熱い忠義を誓う近藤や土方への裏切りになるからだ。



「山南さあ、よくおいに教えてくれもした。平野どんの志はおいが承りもんそ。」

西郷は厚い手で山南の肩を優しく叩いた。

山南は声を殺して泣いていた。




そして、山南と薫はその部屋を後にした。

帰り際、薫は中村に呼び止められた。


振り向けば、中村は何かを包んだ風呂敷を抱えている。

「東雲どん。こいをお渡ししもす。」

「これは?」

「おまんさあの上役が欲しがっちょった本でごわす。」

「え、お貸しくださるんですか。」

「うんにゃあ、差し上げもんそ。」

薫はありがたくその風呂敷に包まれた本を受け取ることにした。

「ありがとうございます。恩に着ます。」

「お礼は先生に言ってたもんせ。」

中村が先生と慕うのは西郷のことだろう。

「それでは、西郷先生によろしくお伝えください。」

「またお会いすることがあるかもしれもはんな。」

薫は中村に一礼すると、その場を辞した。







その日の夜。

土方が帰ってきたら本を渡そうと風呂敷を傍に置いたままにしていた。

しかし、土方が帰って来て、おかえりなさいと言う言葉が引っ込んでしまうほどに不機嫌であった。

薫は思わず手に持っていた風呂敷を後ろ手に隠した。

「今帰った。」

「お、おかえりなさいませ。」

慌てて立ち上がり、土方の刀を受け取る。




「永倉が謀反を起こすぞ。」

「む、むほん…!?」

「声がでかい。」

「す、すみません。」




謀反って、敵は本能寺にあり、というあれか。

永倉先生は明智光秀みたいになるということか。

それって屯所を燃やすの。

近藤先生を殺すというのか。




「薫、おい。薫。」

土方の声に薫はようやく我に返った。

「あ、す、す、すみません。む、む、謀反って。」

「薫が何を想像しているのか大概想像つく。」

土方は着流しに着替えると、ようやく腰を下ろした。

「近藤さんが図に乗っていると会津候に訴え出ようとしている。」

「近藤局長が…?」

土方は重苦しくため息をついた。



あんなに真っすぐな人が、図に乗っているなんて。



しかし、山南の姿が頭をよぎる。

新選組の思想と自分の思想の間に生まれた溝で苦しんでいる人もいる。

今まで長州という敵によって一つにまとまっていた新選組がバラバラになりかけている。





「どうした、薫。」

「あ、いえ。」

土方が薫の逡巡を見逃すはずがない。



「何か知っているなら、白状しろ。」

「え、いや、何も…。」

「何も知らない奴がそんな顔するか。」



逆らえない。

薫は諦めて山南のことを少しだけ話すことにした。



「その六角獄で見たことがきっかけで山南先生は苦しんでおられる様子で…。」

「山南さんが。」

「で、でも、その永倉先生の謀反のことは何も知らないと思います。

仲間に加わることも、ないと思います。…多分。」



土方はクソッと拳を畳にたたきつけると勢いよく立ち上がった。

「山南さんもお辛いみたいで、その…。」

「近藤さんと今後について相談するだけだ。」



そう言うと、土方は部屋を出ていった。

薫は本を渡せないまま、一人取り残された。



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