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悲劇は突然に

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「私はこのような結婚、認めておりませぬぞ!」
「静かにせぬか。他に客がおらぬからと言って騒ぐでない」
「あのような小童こわっぱ、姫様のお力ならば一瞬で消し炭に出来るではありませぬか!」
「恐ろしい事を口にする狐がおるものよ」
「姫様!!」

 あれから一ヶ月後。衣装店は、この間とは違った意味で騒然としている。
 新婦の中堂様は好みがハッキリしている事もあり、短時間で即決された。白無垢が決まり、後は色打掛を選ぶのみだったけど。

急遽きゅうきょ撮影のご予約が入って、試着出来なくなったんだよね)

 あれだけの声量で話しかけられているのに、全く意に介さず優雅にドレスを眺める新婦の中堂様。
 そうなると怒りの矛先は別の相手に向くもので。中堂様に付き添う白い狐は、振り返ると同時にものすごい形相で私を睨んできた。

「小娘! 姫様がお望みの品を用意出来ないのは職務怠慢なのではないか! 本当に隅々すみずみまで探したのか!」
「そう申されましても」
「爺や、他の者にあたるでない。わらわの挙式までは余裕があるのじゃから、そうカリカリする事も無かろう」

 あちらの狐は爺やさん。世話役であり、中堂様が幼い頃から大切に守り育ててきたらしい。
 中堂様の滞在時間が伸びるにつれ苛立ちを募らせる。そんな爺やさんの姿に私は苦笑した。

 授かり婚だとお腹が大きくなる前に式や写真撮影を行いたい、と望む方も多い。その場合、衣装を選んでから当日までの日数が限られる。
 今日使用した衣装のクリーニングが間に合わず、色打掛の試着は今度となった。

 もちろん、その辺りの事情は事前に説明していて、それならばドレスの試着をしてみたい、という流れになったのだ。

(爺やさん、虫の居所が悪いのか怒ってばっかり。お腹空いてるのかな)

 こうして怒鳴られるのも六回目。お小言を言われるのは慣れてきたけど。
 爺やさんが怒鳴る度に、空気がビリビリ震える感覚は未だに慣れない。

「そもそも、この区域は女人のみが入れるのだぞ? 何ゆえ爺やがここにおるのじゃ」
「お命を狙う不届き者が紛れ込んでいるやもしれませぬ!」
「まったく…いつの時代の話をしておるのだ。暇ならば真朱と男同士で話をしておれ」

 よりにもよって憎き新郎様の元へ行くよう命じられ、爺やさんはショックに打ちひしがれる。
 そんな爺やさんには目もくれず、中堂様は嬉々として試着室に入って行った。

「あっ!」
「よいよい。放っておけ」

 爺やさんは人語理解しているだけでなく、意思の疎通が図れる。しかし、歯茎を見せて低い声で唸る姿は獣そのもの。
 悔しげに顔を歪めたかと思うと、猛ダッシュで男性の試着エリアに走っていく。例え不本意な命令でも、中堂様の指示ならば忠実に従うらしい。

「あれっ!?」

 その数分後。男性側のエリアから武ノ内さんの声がした。
 首を傾げ、解せないと言った様子でこちらへ歩いてくる。

「何かあったんですか?」
「それが、用意しておいた草履が消えてて。ちゃんと試着室の前に置いたんだけどな」

 武ノ内さんは腑に落ちない様子ながらも、予備の草履を取りに行く。
 その背中を見送りつつ、私はチラッと試着室に視線を向けた。

 早見さんはドレスに合わせるアイテムを取りに、バックヤードへ。
 中堂様は試着室の中にいる。
 着替えの為にカーテンが閉まっている事もあり、外で起きている異変に気付いていない。

 犯人の目星は付いているし、そうするに至った理由も分かっている。
 私は天井の隅を見上げ、しばらく現実逃避をする事にした。

 爺やさんに手を貸しても、貸さなくても。どちらに転んでも厄介事の匂いしかしない。
 そんな事をしても時間稼ぎにしかならず、渋い表情でため息を吐くと、意を決して報告する事にした。

「あのっ!」
「おいっ、新人! その狐を捕まえろ!」
「えっ!?」

 次は倉地さんの怒声が響く。
 よほど慌てていたのか丁寧な接客モードではなく、素の口調に戻っていた。

 訳が分からず困惑していると、どういう訳か爺やさんがこちらに駆けて来る。
 口には何かをくわえていて、背後からドミノのように何かが倒れる音や、珍しく焦る倉地さんの声が続く。

「止まって下さい!」

 向かってくる爺やさんを止めようと、狙いを定めて飛びかかる。
 爺やさんはそれを難なくかわし、私の背中を踏み台にして跳躍した。

「グエッ!?」

 思わず衝撃でカエルが潰れたような声が漏れる。
 爺やさんは華麗に着地すると、フロアにうつ伏せで倒れ込む私を尻目に店内を走り回る。
 とっさに手を付いた事もあり、顔面強打は免れたけど。打ち付けた手の平と膝が痛い。

「新人、仕留めたか!?」
「取り逃がしました」
「何やってんだ。さっさと捕まえろ!」
「ハイッ!!」

(反射的に返事しちゃったけど。仕留めちゃマズいでしょ)

 突っ込みたい気持ちはあるけど、鬼気迫る倉地さんの声に跳ね起きた。動かないと私の命が危ない。
 直ぐに周囲を見回すと、爺やさんはラックに掛けてあるドレスの側で私の様子を窺っている。

「待って! 穏便に話し合いをしましょう」

 慌てて追いかけるも、動きが素早くてなかなか捕まえられない。
 爺やって呼ばれるくらいだから、人間で言うおじいちゃんなんだし、すぐ捕まるだろうと舐めていた。

 こちらはドレスを傷付けないよう、衣装近くでは慎重になるざるを得ない。結果、ドレス付近に逃げ込まれると手が出せない。
 それが分かっているのか、爺やさんは追い詰めたと思ったらドレスの裾をくぐり抜けたり、ラックに飛び上がって器用に駆け抜ける。

「騒々しい。何事じゃ?」
「危ない!」
「……っ!!」

 振り返りながら走っていたせいで、爺やさんは試着室から出てきた中堂様に気付くのが遅れてしまう。
 ギリギリの所で体をひねって難を逃れた爺やさんと違って、ドレスで足元が見えなかった中堂様の体が前のめりに傾いた。

「何じゃ!?」
「姫様!」

 爺やさんは草履を吐き捨て、中堂様の元に駆け寄ろうとUターンした瞬間――悲劇が起きた。

「中堂様。そちらのドレスはイタリアチュールのベールと合わせても」
「ぎゃんっ!!」
「えっ、何っ!?」

 中堂様はとっさに壁に手を付き、倒れずに済んだ。
 ほっとしたのも束の間――戻って来た早見さんが足を踏み出した瞬間、爺やさんのしっぽを思いきり踏みつけてしまう。
 足元から聞こえる絶叫に早見さんは慌てて足を退ける。

 数メートルに及ぶベールを収納している箱とあって、元々小柄な早見さんが更に小さく見える程の大きな箱。
 そんな箱を抱えていたせいで、足元の爺やさんに気付かなかったらしい。
 目の前で起こった惨状に思わず顔をしかめる。あれは絶対痛い。

「ボケッとすんな! 草履を回収!」
「はいっ!!」

 倉地さんにどやされ、反射的にピシッと背筋が伸びる。爺やさんが気になるけど、今は草履の状態を確認した方が良さそうだ。
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