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第一章
第三話
しおりを挟む陛下が政務に戻る時間となり、お開きとなった。
浰青さんのおすすめの書物の話と、父についての話をしたのみであったが、彼が何でも聞いてくれるような空気感を持っていたせいで、浰青さんについて熱く語り倒そうとしてしまった瞬間が幾度となくあった。
数刻の間に交わされた会話はあまり多くは無かったけれど、妙に満たされたような気持ちだ。
「あ、娘娘」
「弦沙、戻ってきてくれたの?」
「当たり前ですよ、俺は娘娘の護衛ですから」
「室に戻ったら、皆を集めてくれる?」
そういうと、あからさまに嫌そうな表情をしだした。
「なにその顔は」
「娘娘の話を聞くのは好きですけど、俺は文字が読めないので……」
「大丈夫よ。今日は浰青さんについて聞いてほしいだけなの」
雅鹿殿をあとにし、輿に揺られながら梓涼宮へと急いだ。
日が傾いてきたことを、臣下の帰宅を知らせる太鼓の音で知った。
目の前の弦沙は、何も言わずに話を聞いていてくれた。少し離れたところで、凌梁も話を聞いてくれていたらしい。
浰青さんの話から、本の内容、自分なりの解釈までを赤裸々に語り倒してしまった。
「あれ、もうこんな時間ですか。もう少し聞いていたかった」
「娘娘の話は、聞いていて楽しいから好きです」
「おだてても何も出ないわ」
そろそろ夕餉の時間である。厨には料理を担当する侍女たちが大忙しで駆け回っている。
しばらく時間がかかるため私は弦沙と他愛ない話をして、支度が終わるのを待つことにした。
「そういえば、娘娘。お話し合いはどうでしたか?」
「そうね、確実に良い人だと思ったわ。話しやすいい雰囲気のある方ね」
「娘娘も大家の良さが分かりましたか?」
「ええ、誠実な人だと思ったわ。だから少し不思議に思ったの」
「何にです?」
真っすぐで、誠実で、全身から滲み出ている善良な雰囲気。臣下に慕われる皇帝を間近で見た。
だからこそ、不思議だった。
「なぜ皇后を決めず、誰とも褥を共にしないのか。夜の訪いは藍洙様にしているわけでしょう?それでも同衾をしたことがない。必ず自分の寝殿に戻ってしまうらしいじゃない」
誠実そうな彼からは考えられないことだと思ったのだ。
あんなに真っすぐに人を見る彼が、一人に絞らずにいること。
皇后に一番近いと言われる彼女とすら、閨を共にしないこと。
「藍洙様のお家は、焦っているでしょうね。訪いだけでは心許ないもの」
彼女の侍女だって、毎夜のごとく訪れる陛下に期待を寄せているはずだ。
皇后付きの侍女になれれば、待遇が良いと聞く。
「しがらみだらけで、気も休まらなさそうね。毎日読書に明け暮れる私とは大違いだわ」
臣下である名家と縁付くことはいいことだが、夫婦仲がその臣下との信頼関係に響くとなると、扱いにも気疲れしそうだ。だが、そこが気にならないくらい愛されるように努力するのが、妃の仕事と言っても過言ではない。夫を支え、実家との釣り合いを取る。
そういう気遣いが出来るまでが皇后なのではないかと思っている。
今更ながらに、なんで私が妃になったのか甚だ疑問である。
***
夕餉を終えた私は、室に籠って『雪尽』を読もうと几に向かっている。
凌梁に入れてもらったお茶と、大好きな著者の本。
私にとってこれが何よりも至福である。
ゆったりとした時間が流れる今、遠くの方からずっと足音が響いている。気のせいでなければこちらに近づいてきている。
―――ドタドタドタ!
バンっと勢いよく開かれた戸の先に、息を切らした侍女がいた。
その手には書簡が握られていた。
「皇帝陛下が、梓涼宮にお渡りになります!!」
目の前に突き出された書簡には、確かに訪いの伺いが書かれていた。
「え、どういうこと?」
口を開けたまま固まる私を他所に、色めき立つ侍女と、ようやくかと言わんばかりの宦官と護衛たち。
―――私は、輿入れの日よろしく侍女に着飾られている。
夜着にしては煌びやかな薄手の生地。
本を持っていた手から本を放り投げられて、おしとやかに組まされた。
結わえられた髪に金歩揺が挿され、しゃらしゃらと揺れるがどうにも邪魔くさい。
彼が訪いの時間を書き付けて、書簡にしてわざわざ届けたということは藍洙様以外のもとへ訪うのは本当に初めてのことのようである。
栞の一件はあの話の場で終わったと思っていたのだけれど奇妙な縁というのは続くものなのかもしれない。
「娘娘、やっとですね」
「きっと大家も娘娘の美しさに気付かれたのですよ!」
「褥を共にしないと言われておりますが、娘娘ならば!」
私の宮は陛下の訪いで、てんやわんやである。
普段は断ったら聞いてくれるはずの侍女も、化粧をばっちり施してくれた。
凌梁は嬉しそうだし、弦沙も張り切ってしまって手が付けられない。
準備が整ったらしく侍女に促されるまま、彼の出迎えをしようと椅子から立ち上がる。
なにやら先に出て行った侍女たちが騒がしい。
ちらり顔を覗かせると、そこにはすでに羲和様だけを連れた陛下の姿。
え?なんで?まだ出迎えに出てもいないのに、どうしているの?
目を瞠ったままでいると、陛下がこちらに気付いて歩いてくる。
え、え、と混乱状態に陥った私は―――
「待ってくれ、話があるんだ」
―――陛下の制止も聞かずに、踵を返して逃げ出していた。
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