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第五話
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「七海先生、見ましたよ」
「見たって何をですか」
放課後、作本先生は相談室に入ってくるなり話を切り出した。
「もう、わかってるくせに。保健室だよりですよ。先生すごい絵がうまいじゃないですか。これからは毎月保健室だよりにイラストを載せましょうよ」
「え、えっと……?」
これから毎月って、私が毎月保健室だよりを担当するのだろうか。困る。書く話題がない。
じゃなくて、絵がうまい? そのとき、また違和感があった。何だろう、この感じ。どこかで……。
「先生?」
「あ、いえ、済みません、ちょっとぼうっとてしまいました。お褒めいただきありがとうございます」
作本先生にソファをすすめ、自分も真向かいのソファに移動した。生徒と保護者が並んで座ることを想定して、相談室にはロングサイズのソファが設置されている。作本先生はソファの真ん中にそっと腰を下ろしたので、私もその前に座った。
「先生の特技、絵だったんですね。以前、得意なことなんて何もありませんとか言ってたけど、ちゃんとあるじゃないですか、特技」
「はあ、そうなんでしょうか」
「そうですよ。だって、あんなに上手いんですし。学生時代は賞とか取ったりしてたんじゃないですか」
そんなわけない、私は絵が下手だから、賞なんて……賞?
「……そういえば、小学生のころ、何かで銀賞をもらったような」
「ほら、やっぱり」
「でも、まぐれですよ。金賞ならまだしも銀ですから。それ以外には褒められたことなんて一度もないですし……」
一度もない。そうだっただろうか? ほかにも何かあったのでは……。
私が私の中にもう一人いて、遠くから呼びかけてくるような幻を見た。
(ねえ、仁美、私はずっとここにいたんだよ)
もう一人の私が脳内をすみずみまで虫眼鏡で点検しているような奇妙な感覚のあと、ないはずの記憶が突如よみがえった。それは思い出したというより、発生したと言ったほうが正しいのではないかと思えるほど不自然で作り物めいた記憶だった。
「中学のとき、美術の先生から呼び出されて、絵の道に進みなさいと言われました。その先生は転勤で違う学校に行ってしまって、新しく赴任してきた美術の先生も、私に美術系の学校を受験するようにと……」
文化祭で描いた絵。ノートのすみに描いたイラスト。黒板にチョークで描いた先生の似顔絵。卒業式の寄せ書き。切り刻まれて脳内に保管されていた意味不明なイメージが真珠のネックレスみたいに一連のつながりとなり、意味のあるストーリーを暗示する。
すごい。上手。消すのもったいないね。この絵ちょうだい……。
なんだこれは、誰の記憶だ。絵がうまいのは誰なんだ。私のはずがない。こんな記憶があるはずがない。私は絵が下手なんだから……。
「でも臨床心理士になられたわけですよね。なんで絵の道には行かなかったんですか」
「それは母が」
ああ。
そうだった。
どうして忘れていたんだろう。
「あなたの描く絵、ちっとも良くない」
数え切れないほど何度も母から聞かされた否定の言葉。
「あなたは絵が下手なの」
そうだ、私は絵が下手なんだ。だって。
「だって、私には絵なんて描けないもの」と、母は冷たい台所でじゃがいもの皮をむきながら、鼻で笑った。否定され破り捨てられた銀賞の絵。それからコンテストの類いには一切出なくなった。
りだ。
「見たって何をですか」
放課後、作本先生は相談室に入ってくるなり話を切り出した。
「もう、わかってるくせに。保健室だよりですよ。先生すごい絵がうまいじゃないですか。これからは毎月保健室だよりにイラストを載せましょうよ」
「え、えっと……?」
これから毎月って、私が毎月保健室だよりを担当するのだろうか。困る。書く話題がない。
じゃなくて、絵がうまい? そのとき、また違和感があった。何だろう、この感じ。どこかで……。
「先生?」
「あ、いえ、済みません、ちょっとぼうっとてしまいました。お褒めいただきありがとうございます」
作本先生にソファをすすめ、自分も真向かいのソファに移動した。生徒と保護者が並んで座ることを想定して、相談室にはロングサイズのソファが設置されている。作本先生はソファの真ん中にそっと腰を下ろしたので、私もその前に座った。
「先生の特技、絵だったんですね。以前、得意なことなんて何もありませんとか言ってたけど、ちゃんとあるじゃないですか、特技」
「はあ、そうなんでしょうか」
「そうですよ。だって、あんなに上手いんですし。学生時代は賞とか取ったりしてたんじゃないですか」
そんなわけない、私は絵が下手だから、賞なんて……賞?
「……そういえば、小学生のころ、何かで銀賞をもらったような」
「ほら、やっぱり」
「でも、まぐれですよ。金賞ならまだしも銀ですから。それ以外には褒められたことなんて一度もないですし……」
一度もない。そうだっただろうか? ほかにも何かあったのでは……。
私が私の中にもう一人いて、遠くから呼びかけてくるような幻を見た。
(ねえ、仁美、私はずっとここにいたんだよ)
もう一人の私が脳内をすみずみまで虫眼鏡で点検しているような奇妙な感覚のあと、ないはずの記憶が突如よみがえった。それは思い出したというより、発生したと言ったほうが正しいのではないかと思えるほど不自然で作り物めいた記憶だった。
「中学のとき、美術の先生から呼び出されて、絵の道に進みなさいと言われました。その先生は転勤で違う学校に行ってしまって、新しく赴任してきた美術の先生も、私に美術系の学校を受験するようにと……」
文化祭で描いた絵。ノートのすみに描いたイラスト。黒板にチョークで描いた先生の似顔絵。卒業式の寄せ書き。切り刻まれて脳内に保管されていた意味不明なイメージが真珠のネックレスみたいに一連のつながりとなり、意味のあるストーリーを暗示する。
すごい。上手。消すのもったいないね。この絵ちょうだい……。
なんだこれは、誰の記憶だ。絵がうまいのは誰なんだ。私のはずがない。こんな記憶があるはずがない。私は絵が下手なんだから……。
「でも臨床心理士になられたわけですよね。なんで絵の道には行かなかったんですか」
「それは母が」
ああ。
そうだった。
どうして忘れていたんだろう。
「あなたの描く絵、ちっとも良くない」
数え切れないほど何度も母から聞かされた否定の言葉。
「あなたは絵が下手なの」
そうだ、私は絵が下手なんだ。だって。
「だって、私には絵なんて描けないもの」と、母は冷たい台所でじゃがいもの皮をむきながら、鼻で笑った。否定され破り捨てられた銀賞の絵。それからコンテストの類いには一切出なくなった。
りだ。
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