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第40話 ドラゴン

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 弟を殺してやろうと思ったが、あとでいいだろう。どのみち全員殺すことになるのだ。まずはこの王城の人間を皆殺しにしよう。そう考えたエルドは、剣を杖がわりにしてどうにか立ち上がった。体が重くてたまらない。体が動くのを拒否しているかのようだ。だが休んでもいられない。

 重い体をひきずり、謁見の間の出口までたどり着いた時、見慣れない女がドア近くに立っているのに気づいた。

「社長が泣いている声が聞えたから来てみたら。そっか、社長を殺しちゃったんだ」
 銀髪の若い女は眉間に皺を寄せて、ため息をついた。

「これだから人間は信じられないんだよね。呪術をこんな悲しいことのために使ったりして最低」
 エルドはこの女には憎しみを感じなかった。だが、自分に向けられた攻撃の意思を感じ取り、剣を構えた。

「消えて? やっぱり要らない、あなたたち。この島には私たちだけがいればいい」

 エルドは大きく踏み出して間合いを詰め、女に向かって一気に剣を振り下ろした。しかし、肩に当たった剣は堅い音を立て、弾かれてしまい、女に傷一つつけることができなかった。
「私は金属と呪術をつかさどるドラゴンだよ。鋼の剣なんて通じるわけないでしょ」
「ドラゴン……だと……?」
 冷たい銀の瞳がきらりと輝く。
「そうだよ。あなたたちに絶望して姿を消したドラゴンだよ!」

 エルドの持つ剣が手を離れて宙に浮いた。剣は一瞬真っ赤に光った後、球体になったかと思うと、すぐさま10個ほどの小さな珠に分裂し、それらは飴のように伸びて細身のナイフになった。先端が鋭く尖り、きらりと光る。
 呆然と見上げていたエルドの体めがけて、ナイフがあらゆる角度から突き刺さった。
 小刻みに痙攣する体からナイフが抜かれると、エルドは仰向けに倒れた。血だまりが床にゆっくりと広がっていく。
 空中に戻ったナイフたちは、今度はエルドの首に狙いをつける。

「ビビカ、もうやめよう」
 知らない男の声、いや、どこかで聞いたことがある男の声だと、痛みでもうろうとする意識の片隅でエルドは思った。
「マノ」
「この男が死んだら、社長が悲しむ」
「でも……」
 マノと呼ばれた男は手のひらを上に向けて、目を閉じた。あたりに光が溢れ、一点に凝縮したかと思うと、光る赤いものが男の手の中に発生していた。男は赤いものを握りつぶして、汁をエルドの口元に垂らした。反射的に飲み込むと、青臭い味がした。ふわりと体があたたまるような感覚とともに、エルドの体が発光し始めた。

「自分がやったことに向き合うといい。ビビカ、解呪を」
「はあ……。もうしょうがないな」
 ビビカはエルドを踏みつけた。踏んだ胸のあたりから、さらに光が溢れていく。謁見の間は火を焚いたようなまぶしさに包まれた。
 光が徐々に弱まるのにつれ、エルドの目には正気の光が戻っていった。
「ぐっ……こ、これは……」
 全身に熱い痛みが走っていた。記憶はおぼろげだが、自分を踏みつけている女にナイフで串刺しにされたことは覚えている。腹のあたりを触ってみた。血で生ぬるく湿った感覚と、びりりとする痛みが走った。だが、その痛みも少しずつ引いていっている。傷が急速に癒えているのだ。

 女が足をどけたので、身を起してあたりを見回し、恐怖で身がこわばるのを感じた。玉座のあたりに血だまりができており、その中に横たわるもの……。
「まさか……いや、違うはずだ、そんなことは絶対にない、絶対に……」
 よろよろと立ち上がると、血だまりに向かって歩いた。衣服に染みこんだ血がしずくとなって、点々と赤いしみをつくっていく。
 本当はもうわかっていた。
 そこにいるのは誰なのかということが。
「嘘だろう……。スウミ……どうしてこんな……。誰が……」
 床に膝をついてスウミを抱き上げ、冷たくなった頬におのれの頬を寄せた。
 ぞわり、と絶望の記憶が押し寄せる。
「俺か……。俺がやったんだな……。スウミ……おまえを愛していたのに!」
 謁見の間に悲痛と狂気に満ちた叫び声が響き渡った。
「殺してくれ……誰か俺を殺してくれ! ああ……ああああ!」
 叫びはやがて嗚咽に変わり、エルドの背が小刻みに震えている。それをマノとビビカは冷たく見下ろしていた。

「エ、エルド様! 大変です」
 数人の兵士たちが慌てた様子で謁見の間に駆け込んできた。血まみれの王子と血だまりを見てぎょっとした顔をしたが、それでも真っすぐに部屋を進み、エルドの前に跪いた。
「ランガジルが攻めてきました! ミルン沖で戦闘が始まっています。ご指示を!」
 だが、エルドは動かない。
「エルド様!」
 何度呼ばれても返事をせず、顔も上げなかった。
「……もういい、イスレイ様を探そう」
 兵士たちはエルドに見切りをつけ、去っていった。

「放置するのか? もうすぐ王になる者が?」
 マノは嫌悪の表情を浮かべて、エルド王子に語りかけた。
「君たちがこの島に来たときに、この島のあるじである僕と交わした約束を忘れたか? みんなが幸せに暮らせるよう努力するのではなかったか」
「……」
「恥知らずにも王族などと名乗って、ふんぞり返っているだけか」
 罵倒されても、エルドは俯いたままで反応がない。

「そうか……。なら、ビビカの望むように」
「うん! この島の人間は皆殺しにしよう。心配事はさっさと排除しなきゃね!」
「待て」
 食いしばった歯の間から、かすれた声をはき出す。
「俺は王として、この国の者たちが幸せに暮らせるよう努める。皆殺しなど許さない」
 エルドはゆっくりと顔を上げた。
「あら、王様ったら殺してほしいんじゃなかったの?」
 ビビカに嘲笑され、エルドは自嘲するような笑みを浮かべた。
「殺してほしいさ。いやもう死んでいるのかもしれん。心は一生死んだままだろう。だが王の責務からは逃げない。いまにも気が狂いそうだ。それでもだ」

 マノは少しだけ嬉しそうな顔をして、ビビカに微笑みかけた。
「そういうことだから、皆殺しはやめてあげようよ、ビビカ」
「えー? しょうがないなあ。ほんとマノは人間が好きだよね」
「祝福のドラゴンだからね」
 マノは再び手のひらを上に向けた。光が集まり、赤い珠が出現した。先ほどのものより小さな珠だ。
「僕の野菜で強化されている社長は仮死状態になっているだけだし、これぐらいあれば十分かな」
 親指と人差し指で挟んだそれを押しつぶし、スウミの口へと入れてやった。


★★★

 誰かの泣き声で目が覚めた。

 気づいたら誰かに抱きしめられていて、あまりに強くしっかりと抱えこまれていたから、息苦しいというのがスウミが最初に感じたことだった。
 やがて、泣き声はこの抱きしめている主のものだとわかり、頭が混乱した。

 一体どういうことなのか。

 確か呪術にかかったエルド王子に……自分は殺されたはずだが。どうやら自分は生きているし、痛いところもない。強いて言うなら、抱きしめる腕が強すぎて肩が痛むぐらいだ。

「スウミ……! 良かった、スウミ!」
 この声は聞き間違えるはずもない。
「エルド王子……」
 抱きしめられていた手が緩んで、顔を覗き込まれた。
「呪い……解けたんですね……」
「ああ、もう大丈夫だ。済まなかった。本当に済まなかった……」
 スウミは涙を両手でぬぐってやった。
「愛している。こんなにも愛しているのに、おまえを……!」
 ぬぐっても、ぬぐっても涙が溢れてくる。
「いいんですよ、こうして無事なんだから」
「あ、甘いよ、社長、甘過ぎるよ! もっと怒った方がいいって! 王様の分際で悪い呪術に負けるとか根性が足りないよ!」
 急に割り込んできたビビカの声に、二人きりだと思い込んでいたスウミは驚くやら恥ずかしいやらで立ち上がろうとして、よろけてしまった。だが、すぐにエルド王子が支えてくれて、そのまままた抱き包まれてしまった。
「あの、ビビカさんの前ですし、もうちょっと離れていただけるとありがたいのですが」
「断る」
 より強く抱きしめられただけだった。もうしょうがないので、このまま話すしかなさそうだ。

「ビビカさんは一体どうしてここへ?」
「社長が泣いてる気配を感じたから、様子を見に来たの。そうしたら男が呪われてて、社長が仮死状態になってた。私としては社長だけ残してあとは全部消そうかなって思ったけど、マノに止められたから今回は諦めたの」
 詳しいことはさっぱりわからないが、二人のおかげで死なずに済んだようだ。
「ビビカさんとマノ君が助けてくれたんだね。本当にありがとう。いつも二人には助けられるね。感謝してもしきれないよ!」
 そういえば首輪も鎖もなくなっている。これもビビカたちのおかげなのだろう。
「あれ、でもマノ君は? 見当たらないけど」
 あたりを見回していたら、なんだか見覚えのあるものが目に入った。茶色い松ぼっくりがビビカの足元に転がっていたのだ。それは父が起業のお祝いにくれた、そして、いつの間にかなくなっていたものだった。

「な、なんでこんなところに……?」

 ビビカは松ぼっくりを拾い、スウミに渡すと、
「これ、マノだよ」と奇妙なことを言った。
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