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第二話 血を捧げる意味
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日が落ちた頃、我が家で宴が開かれた。
広間の間仕切りを外して二間続きにして、敷物を敷いて、座卓を並べた。そこにたくさんの酒や海鮮料理を並べ、お祝いに駆けつけた村人たちが持参した料理も一緒に並べるから、部屋が食べ物でいっぱいになって壮観だ。滅多に食べられない白いごはんや餅もあった。これは神様の生誕を祝い、村へ来られたことを歓迎する宴で、この村では毎年行われているものだ。
実を言うと、去年のちょうど今時期、これと全く同じ宴をひらいた。神様はナマコのようなお姿ではあったが、神様は神様なのだから宴をしないわけにはいかない。ただ肝心の主役が欠席で、村人の参加者もほとんどいないという寂しいものだったけれど。
去年とはうってかわって、今年はたくさんの人がやってきて、屋敷内は一気に賑やかになった。
無神経な発言が多いのが玉にきずと言われている村長も顔を出し、去年の神様が新しい姿で蘇ったことについてお祝いの言葉を述べた。
「一時はどうなるかと気を揉みましたよ。でも、良い結果になって何よりですな」
盃を持った村長はご機嫌に語る。
飲んでいるのは白濁した酒、白紀酒だ。村長がお祝いに持ってきてくれたようだ。村長の隣に座る父も白紀酒に舌鼓を打っている。相当美味なようで、村長の目を盗んで何度もおかわりしていた。
神様は広間の奥に座って、みんなのほうを眺めながら白紀酒を飲んでいる。私はそのすぐ隣に座って、神様のお酌役をやらされていた。
「箱から産まれた神が人の血を吸えば、凶神となって禍を生む。村の紅飛斗にはそう伝わっております。決しておかしてはいけない禁忌。あやうく辰様は凶神になるところでしたな」
自分の犯した罪を話題にされて、私は恥じ入って俯く。いたたまれない……。
「その話は、あまり正確ではありません」
と、神様がやんわり訂正した。
「私たち神が人の血をすすっても、凶神にはなりません」
これには広間にざわめきがわいた。常識が、いや、紅飛斗の口伝が覆ってしまったのだ。
「で、では、なぜ箱にお戻りになったのですか。凶神になるのを防ぐためかと思っておりましたが」
父の疑問に、神様は微笑んで私のほうを見た。
「それはもちろん、可愛い人を失いたくなかったからですよ。陽葉瑠の血があまりにも美味しくて、私はそのまま全て食べ尽くしそうになってしまったので、自分を止めるために、一旦死ぬことにしただけなのです」
「そ、そうでしたか……」
何気に怖いことを言われた気がするのだが、気のせいだろうか。美味しいって……。神様にとって私は食べ物みたいなものなのだろうか。
「陽葉瑠を救うために死んだだけなのです」
「辰様……」
申しわけない気持ちがこみ上げてきて、思わず顔を見上げると、透き通った碧色の瞳と目が合った。やわらかく微笑まれて、なんだか泣きたくなった。
「いやあ、これはこれは、のろけ話を引き出してしまいましたな」
村長は自分のはげた頭をぺしんとたたいた。神様は村長に向き直った。
「でも、私たちに神に血も肉も与えてはいけないのは本当です。これからも語り継いでいくべきでしょう。なぜなら、私たちは贄に縛られるからです。贄を与えた者の命令には逆らえません。血の制約がかかるのです」
「そ、それは……」
しんと静まりかえった宴会場で、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
「それは、つまり、神に血や肉を捧げれば、神を言いなりにできるということですか」
父がそう尋ねると、神様は頷いた。
「ええ。食べ尽くされることなく生き残れた者は、神を支配できるでしょう。でも、普通は全て食べてしまいます。人は美味しいので。食べずに我慢することなど……あり得ない」
「な、なるほど……」
村長と父は顔を見合わせた。
「辰様、どうかその話は他言無用に願います」
「わかっています。ここにおられる方々は皆、紅飛斗。だから、話したのです」
神様は私の髪に手を伸ばし、優しく撫でた。
「私はもう陽葉瑠に逆らえません。でも、それを幸せに思います」
先ほど私の血を美味しいといった神が、私を撫でている。強い力を秘めていそうな男の人の指先が頬をかすめた。私は咄嗟に身をひいてしまった。
ナマコのような、くにょっとした突起物の手なら、こんなふうに警戒せずに済んだのに。
神様は私をじっと見つめている。
「私は陽葉瑠と暮らすうち、心はその優しさに魅了され、血を飲んだことで、肉体もまた陽葉瑠のものとなったのです」
うっとりとささやく。
「はやく一つになりたい」
「い、いやあ、辰様、来年の二月まで待ってくださいよ、わっはっは」
「父親としては、何とも気まずいですな、ははは」
みんなわっと笑った。
私はもう恥ずかしくて逃げ出したいぐらいだった。それでいて、どこかで恐怖のようなものを感じていた。うまく説明できないけれど、何か本能的な恐怖を。
辰様は何かが……決定的に違っていた。それは直感だった。
神様も無事戻られたため、私は謹慎が解けて、翌日から子葉《しば》という紅飛斗の訓練所に入れてもらえることとなった。
本来であれば十八歳から入るのが決まりだから、今年の二月に子葉に入ることが決まっていたのだが、何せ紅飛斗長から謹慎を命じられていたので、どうしようもなかったのだ。
これから訓練を受けて、ようやく、幼馴染みのみんなに追いつける。
明日から、やっと前に進める気がした。
広間の間仕切りを外して二間続きにして、敷物を敷いて、座卓を並べた。そこにたくさんの酒や海鮮料理を並べ、お祝いに駆けつけた村人たちが持参した料理も一緒に並べるから、部屋が食べ物でいっぱいになって壮観だ。滅多に食べられない白いごはんや餅もあった。これは神様の生誕を祝い、村へ来られたことを歓迎する宴で、この村では毎年行われているものだ。
実を言うと、去年のちょうど今時期、これと全く同じ宴をひらいた。神様はナマコのようなお姿ではあったが、神様は神様なのだから宴をしないわけにはいかない。ただ肝心の主役が欠席で、村人の参加者もほとんどいないという寂しいものだったけれど。
去年とはうってかわって、今年はたくさんの人がやってきて、屋敷内は一気に賑やかになった。
無神経な発言が多いのが玉にきずと言われている村長も顔を出し、去年の神様が新しい姿で蘇ったことについてお祝いの言葉を述べた。
「一時はどうなるかと気を揉みましたよ。でも、良い結果になって何よりですな」
盃を持った村長はご機嫌に語る。
飲んでいるのは白濁した酒、白紀酒だ。村長がお祝いに持ってきてくれたようだ。村長の隣に座る父も白紀酒に舌鼓を打っている。相当美味なようで、村長の目を盗んで何度もおかわりしていた。
神様は広間の奥に座って、みんなのほうを眺めながら白紀酒を飲んでいる。私はそのすぐ隣に座って、神様のお酌役をやらされていた。
「箱から産まれた神が人の血を吸えば、凶神となって禍を生む。村の紅飛斗にはそう伝わっております。決しておかしてはいけない禁忌。あやうく辰様は凶神になるところでしたな」
自分の犯した罪を話題にされて、私は恥じ入って俯く。いたたまれない……。
「その話は、あまり正確ではありません」
と、神様がやんわり訂正した。
「私たち神が人の血をすすっても、凶神にはなりません」
これには広間にざわめきがわいた。常識が、いや、紅飛斗の口伝が覆ってしまったのだ。
「で、では、なぜ箱にお戻りになったのですか。凶神になるのを防ぐためかと思っておりましたが」
父の疑問に、神様は微笑んで私のほうを見た。
「それはもちろん、可愛い人を失いたくなかったからですよ。陽葉瑠の血があまりにも美味しくて、私はそのまま全て食べ尽くしそうになってしまったので、自分を止めるために、一旦死ぬことにしただけなのです」
「そ、そうでしたか……」
何気に怖いことを言われた気がするのだが、気のせいだろうか。美味しいって……。神様にとって私は食べ物みたいなものなのだろうか。
「陽葉瑠を救うために死んだだけなのです」
「辰様……」
申しわけない気持ちがこみ上げてきて、思わず顔を見上げると、透き通った碧色の瞳と目が合った。やわらかく微笑まれて、なんだか泣きたくなった。
「いやあ、これはこれは、のろけ話を引き出してしまいましたな」
村長は自分のはげた頭をぺしんとたたいた。神様は村長に向き直った。
「でも、私たちに神に血も肉も与えてはいけないのは本当です。これからも語り継いでいくべきでしょう。なぜなら、私たちは贄に縛られるからです。贄を与えた者の命令には逆らえません。血の制約がかかるのです」
「そ、それは……」
しんと静まりかえった宴会場で、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
「それは、つまり、神に血や肉を捧げれば、神を言いなりにできるということですか」
父がそう尋ねると、神様は頷いた。
「ええ。食べ尽くされることなく生き残れた者は、神を支配できるでしょう。でも、普通は全て食べてしまいます。人は美味しいので。食べずに我慢することなど……あり得ない」
「な、なるほど……」
村長と父は顔を見合わせた。
「辰様、どうかその話は他言無用に願います」
「わかっています。ここにおられる方々は皆、紅飛斗。だから、話したのです」
神様は私の髪に手を伸ばし、優しく撫でた。
「私はもう陽葉瑠に逆らえません。でも、それを幸せに思います」
先ほど私の血を美味しいといった神が、私を撫でている。強い力を秘めていそうな男の人の指先が頬をかすめた。私は咄嗟に身をひいてしまった。
ナマコのような、くにょっとした突起物の手なら、こんなふうに警戒せずに済んだのに。
神様は私をじっと見つめている。
「私は陽葉瑠と暮らすうち、心はその優しさに魅了され、血を飲んだことで、肉体もまた陽葉瑠のものとなったのです」
うっとりとささやく。
「はやく一つになりたい」
「い、いやあ、辰様、来年の二月まで待ってくださいよ、わっはっは」
「父親としては、何とも気まずいですな、ははは」
みんなわっと笑った。
私はもう恥ずかしくて逃げ出したいぐらいだった。それでいて、どこかで恐怖のようなものを感じていた。うまく説明できないけれど、何か本能的な恐怖を。
辰様は何かが……決定的に違っていた。それは直感だった。
神様も無事戻られたため、私は謹慎が解けて、翌日から子葉《しば》という紅飛斗の訓練所に入れてもらえることとなった。
本来であれば十八歳から入るのが決まりだから、今年の二月に子葉に入ることが決まっていたのだが、何せ紅飛斗長から謹慎を命じられていたので、どうしようもなかったのだ。
これから訓練を受けて、ようやく、幼馴染みのみんなに追いつける。
明日から、やっと前に進める気がした。
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