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第7章 雷雨は恋の記憶と突然に
第51話
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※※
手元の時計をちらりと見れば、もう二十二時を回るところだ。
「梅子、もうすぐ降りそうだな」
「ホントだね」
殿村の言葉にタクシーから窓の外を見上げれば、今宵の空は暗い雲に覆われていて星一つ見えない。
「それにしてもお母さん、大事に至らなくて良かったな。僕も安心した」
「うん……殿村のおかげだよ。私ひとりだったら動揺してたしもっと取り乱してたから……ありがとう」
「水臭いな、同期だろ?」
殿村が目じりを下げると形の良い唇を引き上げた。
「でもお母さん、明日退院って聞いたけど……本当にいいのか?誕生日会はまた今度でも……」
「あ、お母さんもああ言ってたし、言い出したら聞かない人だから、大丈夫」
自分の誕生日なんてすっかり忘れていたくせに、世界のことがあって明日だけは誰かに側にいて欲しいと思う私は本当どうしようもなく弱い。私は殿村に分からないようにほんの小さく息を吐き出した。
「そっか……梅子あのさ」
「ん?どうしたの?」
「実は……修二さんに教えてもらったあの料理アプリダウンロードしてみたんだ。それでもし明日一緒に過ごせるなら、明日の梅子の誕生日に何かリクエストのお答えして作ってみようと思ってさ……メニューの相談したいし、良かったら僕の家でコーヒー飲んでから帰らないか?」
思ってもみない殿村の提案に無意識にどきんと鼓動が一跳ねする。
(殿村の自宅に……いまから……)
「あ、でも……」
何て返事をするのが正解なんだろうか。世界と別れたばかりのその日に誘われたからと言って、殿村の自宅に行くのは違う気がした。それにいくら殿村の告白を断ったからと言って、殿村の気持ちを知っているのであれば、殿村の家に行かない選択肢をすることが自分にとっても殿村にとってもいい事だと頭では理解している。
それでもこのままひとりぼっちで自宅に帰ることが辛い。
自宅に帰ればすぐ隣に住んでいるのに、世界に会えないことが苦しくて、もう触れることも声を聞くこともかなわない事実に胸が張り裂けそうになる。
──心が寂しい。
殿村がふっと息を吐き出した。
「……そんな顔した梅子は帰せない。はっきり誘うよ。僕の家においで」
「……そんなの……殿村が……」
「今日だけは僕を利用すればいい。僕は梅子にならいくらでも利用されたって構わないから」
私は何も言えない。
何を言っても偽りになりそうだから。
今日だけは一人で帰りたくない。
誰かに縋りたい。
そばにいて欲しい。
タクシーが私の自宅ではないマンションのエントランスに到着する。殿村が何も言わずに私の手を引いた。
ガチャリと殿村が玄関を開ける音に、何故だか悪いことをしているかのような錯覚を起こす。部屋に一歩入れば、殿村の優しい匂いとわずかにタバコの匂いがした。
「はい、どうぞ。散らかってるけど」
殿村がスリッパを出しながら部屋の奥を指差した。
「あ、ありがとう」
私はそっと足を差し入れる。殿村とお揃いの紺色のスリッパを履くだけでこんなに緊張するとは思わなかった。殿村についてリビングへ行けば今度は殿村がソファーを指差す。
「ココア入れるから、適当に座ってて」
「うん……」
私はスプリングコートを脱ぐと畳んで鞄の上におき、ちょこんと正座した。すぐに殿村の笑い声が聞こえてくる。
「あのな、商談しにいたわけじゃあるまいし、足崩せよ。また攣るぞ」
「そう、よね。そうする……」
私はぎこちなくそう返事をすると控えめに足を斜めにして崩した。殿村の自宅にはもちろん初めてきたが、一人暮らしにしてはかなり広く2LDKの間取りで、ブラウンを基調とした木製家具がセンスよく配置されている。穏やかで優しい殿村の人柄と同じでほっとする空間だ。
(世界くん家とは全然違う……)
黒を基調としたスタイリッシュな家具とセミダブルのベッドがポツンとおいてあるだけの、ほとんど物のない世界の部屋とは正反対かもしれない。
「すごく、綺麗にしてるじゃない」
カチッと電気ポットの音がして、殿村がマグカップにお湯を注ぐ音がする。
「そうか?完璧主義の梅子がそう言うってことは、僕の方が綺麗好きってことかな?」
「そうね。こんなに綺麗にされてたら、うちなんて見せれたもんじゃないわよ」
(あ……)
そう言ってからすぐに後悔する。
「気になるな、今度梅子の部屋も現場調査いかなきゃだな。どうぞ」
殿村がマグカップをソファーの前の木製テーブルにコトンと置くと、私の斜め向かいのカーペットの上にあぐらをかいた。
手元の時計をちらりと見れば、もう二十二時を回るところだ。
「梅子、もうすぐ降りそうだな」
「ホントだね」
殿村の言葉にタクシーから窓の外を見上げれば、今宵の空は暗い雲に覆われていて星一つ見えない。
「それにしてもお母さん、大事に至らなくて良かったな。僕も安心した」
「うん……殿村のおかげだよ。私ひとりだったら動揺してたしもっと取り乱してたから……ありがとう」
「水臭いな、同期だろ?」
殿村が目じりを下げると形の良い唇を引き上げた。
「でもお母さん、明日退院って聞いたけど……本当にいいのか?誕生日会はまた今度でも……」
「あ、お母さんもああ言ってたし、言い出したら聞かない人だから、大丈夫」
自分の誕生日なんてすっかり忘れていたくせに、世界のことがあって明日だけは誰かに側にいて欲しいと思う私は本当どうしようもなく弱い。私は殿村に分からないようにほんの小さく息を吐き出した。
「そっか……梅子あのさ」
「ん?どうしたの?」
「実は……修二さんに教えてもらったあの料理アプリダウンロードしてみたんだ。それでもし明日一緒に過ごせるなら、明日の梅子の誕生日に何かリクエストのお答えして作ってみようと思ってさ……メニューの相談したいし、良かったら僕の家でコーヒー飲んでから帰らないか?」
思ってもみない殿村の提案に無意識にどきんと鼓動が一跳ねする。
(殿村の自宅に……いまから……)
「あ、でも……」
何て返事をするのが正解なんだろうか。世界と別れたばかりのその日に誘われたからと言って、殿村の自宅に行くのは違う気がした。それにいくら殿村の告白を断ったからと言って、殿村の気持ちを知っているのであれば、殿村の家に行かない選択肢をすることが自分にとっても殿村にとってもいい事だと頭では理解している。
それでもこのままひとりぼっちで自宅に帰ることが辛い。
自宅に帰ればすぐ隣に住んでいるのに、世界に会えないことが苦しくて、もう触れることも声を聞くこともかなわない事実に胸が張り裂けそうになる。
──心が寂しい。
殿村がふっと息を吐き出した。
「……そんな顔した梅子は帰せない。はっきり誘うよ。僕の家においで」
「……そんなの……殿村が……」
「今日だけは僕を利用すればいい。僕は梅子にならいくらでも利用されたって構わないから」
私は何も言えない。
何を言っても偽りになりそうだから。
今日だけは一人で帰りたくない。
誰かに縋りたい。
そばにいて欲しい。
タクシーが私の自宅ではないマンションのエントランスに到着する。殿村が何も言わずに私の手を引いた。
ガチャリと殿村が玄関を開ける音に、何故だか悪いことをしているかのような錯覚を起こす。部屋に一歩入れば、殿村の優しい匂いとわずかにタバコの匂いがした。
「はい、どうぞ。散らかってるけど」
殿村がスリッパを出しながら部屋の奥を指差した。
「あ、ありがとう」
私はそっと足を差し入れる。殿村とお揃いの紺色のスリッパを履くだけでこんなに緊張するとは思わなかった。殿村についてリビングへ行けば今度は殿村がソファーを指差す。
「ココア入れるから、適当に座ってて」
「うん……」
私はスプリングコートを脱ぐと畳んで鞄の上におき、ちょこんと正座した。すぐに殿村の笑い声が聞こえてくる。
「あのな、商談しにいたわけじゃあるまいし、足崩せよ。また攣るぞ」
「そう、よね。そうする……」
私はぎこちなくそう返事をすると控えめに足を斜めにして崩した。殿村の自宅にはもちろん初めてきたが、一人暮らしにしてはかなり広く2LDKの間取りで、ブラウンを基調とした木製家具がセンスよく配置されている。穏やかで優しい殿村の人柄と同じでほっとする空間だ。
(世界くん家とは全然違う……)
黒を基調としたスタイリッシュな家具とセミダブルのベッドがポツンとおいてあるだけの、ほとんど物のない世界の部屋とは正反対かもしれない。
「すごく、綺麗にしてるじゃない」
カチッと電気ポットの音がして、殿村がマグカップにお湯を注ぐ音がする。
「そうか?完璧主義の梅子がそう言うってことは、僕の方が綺麗好きってことかな?」
「そうね。こんなに綺麗にされてたら、うちなんて見せれたもんじゃないわよ」
(あ……)
そう言ってからすぐに後悔する。
「気になるな、今度梅子の部屋も現場調査いかなきゃだな。どうぞ」
殿村がマグカップをソファーの前の木製テーブルにコトンと置くと、私の斜め向かいのカーペットの上にあぐらをかいた。
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