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第4章 両想いってことで

第13話

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──ホテルオオクワ大宴会場。PM19:30。

毎年行われている、TONTON株式会社の新入社員歓迎会に私が出席するのは明菜が入社してきて以来五年ぶりだ。先に世界を含め、部下たちを会場へ送り出し、残った仕事を片付けてからここまで来たがすでに三十分遅れている。

ホテルのエントランスを潜り抜けるとすぐに私はエレベーターのボタンを押した。大宴会場のある三階のボタンを押すと扉が閉まる直前で、また扉が開いた。

「梅子、乗せてっ」

「え、殿村っ」

私は慌てて『開』ボタンを押し、殿村がエレベーターに乗り込んだことを確認してから再度『閉』ボタンを押した。

「ふう……梅子も遅刻で良かった」

「あら、どこかの誰かさんの課からの見積依頼が多くてこんな時間になっちゃったんだけど?」

「いつも助かってるよ、ありがとう」

殿村の大きな掌が私の頭をポンと撫でた。

(え……?)

残業中私が作る見積書を待ちながら、じっと見られることはあっても、直接触れることなんて今まで一度もない。

「な……どしたのよ、急に」

「僕がお礼いったらダメなのかな?」

「ダメっていうか……なんか同期の殿村から改めてお礼言われると照れるっていうか恥ずかしいっていうか」

(ていうか頭……)

「うん、たしかに顔が少し赤いかもな。な、梅子、今日の歓迎会終わったら飲みに行かないか?」

「え?」

「久しぶりにあそこの焼き鳥どう?」

殿村の顔を見ながらすぐに世界の顔と言葉が浮かんでくる。

──歓迎会のあと一緒に帰ろ、あと梅子さん家で飲みなおしたい

世界が退勤する前に、私が頼んでいた見積書を持ってきたのだが、その見積書につけられていた付箋に書かれていた文言だ。

「ええっと……今日は予定あって」

今日の後半は仕事しながらも、隣の世界を見るたびに心奈の言葉がよみがえってきて、何度もため息を我慢した。

まだ契約交際は始まって二週間だが、このもやもやと抱えた気持ちがどうにも我慢できなくて、私は今夜世界に契約解除の話をしようと心に決めていた。

あの通り、マイペースで勝気でわがままな世界が何ていうかは分からないが、これ以上世界と一緒にいれば、あっという間に世界にペースに染められて、これまでの自分が自分じゃなくなってしまいそうでこわくてたまらない。

仕事だけに生きていくと決めたのに。仕事の方が恋をするよりずっと簡単で裏切られることも傷つくこともないから。

「……どした?もしかして子犬?」

「え?子犬って……」

「あの生意気で、梅子のまわりでキャンキャン鳴いて、僕にすぐ噛みついてくる子犬だよ」

「あ、御堂くんか」

私がふっと笑うと殿村も笑う。確かにあの綺麗な瞳につい見惚れれば、隙を突かれて、あっという間に世界に心の真ん中を噛みつかれる。

「今年の新入社員の代表挨拶、彼らしいな」

「らしいね」

(世界くん。無事、挨拶終わったかな……)

毎年新入社員の歓迎会で代表一名が新入社員を代表して挨拶をするのだが、今年は世界が挨拶することになっている。

──『ね、梅子さん、ちゃんと俺のこと見ててよ』

先週、映画から帰ってハンバーグをご馳走になりながら世界に甘ったるい声でそう念押しされたことを思い出した私は、ついに小さくため息を溢した。

「梅子?」

「あ、なんでもないの」

エレベーターのドアが開いて、殿村が『開』ボタンを押し私を先に下ろしてから宴会場の扉を開いた。すぐに壇上から響いてくる少し高めの甘い声に、私は目を見張った。

『……であります。まだ入社したばかりですが、今後はわが社の衛生陶器製造技術をもとに、新たな革新的な事業を展開を模索しTONTON株式会社を日本のみならず、世界中でより認知してもらえる世界規模のプロジェクトも企画できればと思っております』

熱気を纏った宴会場の中は、新入社員100名に先輩社員300名さらに、上役も参加しており会場内には500名ほどが参加している。その視線を一身に集めながら、堂々と挨拶をしている世界は新入社員とはとてもおもえない立ち振る舞いで圧倒的なカリスマ性を放っている。

(すごい……)

「へぇ、キャンキャン鳴くだけかと思ってが、ちゃんと挨拶できるんだな……梅子?」

「あ……びっくりしちゃって……」

『……まだまだ至らない点ばかりでございます。どうぞご指導ご鞭撻を何卒宜しくお願い申し上げます』

世界が丁寧にお辞儀をすると盛大な拍手が起こり、その拍手を背に舞台袖から世界が階段を降りてくる。世界と入れ替わりで司会である経理の課長がマイク片手に舞台袖から現れると、すぐに明るい声が聞こえてくる。

『それでは、お飲み物の準備が整いましたのでご自由にご歓談くださいませ。時間は六十分でそのあとは自由解散と致します』

すぐにざわざわと騒がしくなった会場で殿村が私の肩を叩く。

「梅子、シャンパンでいい?」

「あ、うん。あっちの隅っこのテーブルで待ってるね」

「了解」

殿村の背を見送りながら私は会場の端っこのテーブルに移動する。つい目が勝手に世界の姿を探すが人が多すぎて分からない。

すぐ後ろの新入社員とおぼしきグループから「それなー」「ワンチャンあると信じたい」「これ、すこ」といった会話が聞こえてくる。

(え?ワンチャン、すこ?……どういう意味でどういう場面で使うのよ……)

最近の若者言葉なんて全然分からない。世界は私と一緒にいるとき、特に今どきの若者言葉をつかわないが、もしかして年上の私に気を遣ってくれているのだろうか。

(ってそんなこと考えたって、今日の夜で契約解除なんだから……)

私はにぎわっている会場から目をそらした。元々大人数での会食や飲み会は苦手でほとんど出席したことがない。課長という立場上の部下への配慮もあるが、自宅でポテチを頬張りながら、暴れすぎ将軍を見ている方がよっぽど気が楽だし、リラックスできるから。

(それにしても……殿村遅いな……)

殿村がシャンパンを取りに行ってからもう十分は経っただろうか。

「はい、どうぞ」

後ろから聞こえてきたその声に振り返れば、世界が私にシャンパンを差し出していた。

「あれ?御堂くん?」

「誰待ってたんすか……あ、その顔、マジで気に食わないっすね」

「ちが……殿村がシャンパン持ってきてくれるっていうから……ていうか、そもそもこんな会話ここで……」

「こんなガヤガヤしてんのに誰も聞いちゃいないですよ。てゆかコレ、早く受け取ってよ」

世界が私の隣に移動すると自分のシャンパンに口づけながら、私にシャンパンを突き出した。

「ありがと」

「どういたしまして。ちなみにアイツですけど、途中で経理の部長につかまってて、なんか話込んでたから来ないって」

「そうなんだ」

私はシャンパンを一口口に含む。喉にシュワッとした刺激と共に甘酸っぱい後味がやって来る。思っていたよりものどが渇いていていた私はさらに二口、三口とグラスを傾けた。

「どこのだろ、このシャンパンうまいっすね」

「うん、確かに飲みやすいし、後味がすっきりしてて美味しいね」

「ですね。ワインならちょっとはわかるんですけど、シャンパンはわかんないや」

世界がシャンパングラスを傾けながら細かい泡をのぞき込んだ。

「御堂くん、お酒なんでも飲めるんだね」

この間二人でハンバーグを食べたとき、世界は私と同じものがいいとカルピスチューハイとレモンチューハイを呑んでいた。

「そうすね、酒はなんでも飲めますし結構強いですね。ボスから二十歳過ぎてから時々ですけど、上役たちの会合に連れてかれたりしてたんで。あ、てゆうかちゃんと見てくれた?」

世界が急にため口になるとそのまま私をのぞき込んだ。世界の肩にこつんと頭が触れて慌てて私は一歩下がった。

「仕事終わらなくて遅刻しちゃったから、最後の方だけだけど見たよ……すごく良かったと思う」

「そうすか、良かった。ちゃんと大人だったでしょ?」

「え?」

「今日の挨拶、梅子さんに一番聞いてほしかったんです。俺、入社したばっかだし全然年下ですけど、ちゃんと大人なんで。だから俺と……」

「みーつけたー」

世界の続く言葉を聞けないまま、世界の体はあっという間に華奢な細い腕に包まれる。

「せーかいっ、おまたせー」

「やめろ、待ってねぇよ」

甘ったるい声に香水の香りが鼻をかすめる。世界がシャンパンを溢しそうになりながら心奈を睨んだ。

「心奈っ!急に抱きついてくんなっていっつもいってるよなっ」

「怒んないでよ、電話してもでないからずっと探してたんだよ」

「勝手に俺を探すなっ」

世界はすぐ近くのテーブルにグラスを置くと心奈の腕を解く。

「あ、源課長―、お疲れ様ですー。世界の許嫁の花田心奈ですー」

「花田さん、お疲れ様」

(何度も言わなくたって分かってるわよ……)

私が短く返事をすると、世界が心奈に向かって顔を顰めた。

「おい、心奈!勝手なこと言うなよなっ」

「え?だってホントのことだもん。社長からも電話あって、歓迎会来られない旨と、代わりに世界のことお願いねって頼まれたんだもん。意味わかるでしょう?」

心奈が世界に寄りかかるように体を寄せる。

「飲みすぎちゃった、送ってー」

「は?なんで俺が」

「許嫁だしー、これからいろんな意味でパートナーだしー」

心奈が一瞬私のことを見ると勝ち誇ったように笑う。私は思わず視線をそらしていた。二人の姿をみているとすぐに心の中が濁っていく。

「とりあえず離れろよ」

世界と心奈のやり取りを見ていれば、やはり若い世界には心奈のような同年代の女の子がよく似合うと思う。それに幼馴染なのだから当然なのだが、心奈のことを呼び捨てたり、「お前」とよんで親し気に話す二人の様子を見ているのが苦しくなる。私はこみあげてくる想いを鎮めるようにシャンパンを飲み干した。

「ね、世界―。眠くなってきちゃった」

見れば心奈の足元はおぼつかず、綺麗な二重がとろんとしてきている。

「御堂くん、送ってきてあげたほうがいいわ」

「嫌ですよ。心奈は……」

「いいから、彼女、そんなんじゃ一人で家まで無理だから」

世界がさらに言葉を続けようと口を開けたが、世界と心奈の後ろからようやくやってきた人物が見つけた私は軽く手を挙げた。

「殿村」

「梅子、ごめんおまたせ」

「経理の部長さんは大丈夫?」

「あぁ、なんとか飲みの誘いは断ってきたよ。でなんだ?お取込み中かな?」

「あ、お殿さま部長お疲れ様ですー」

見れば心奈の足元は先ほどよりもおぼつかない。

「ん?梅子この子って経理課の?」

「そうよ。花田さんがちょっと飲みすぎたみたいで……でも御堂くんが送っていくみたいだから……」

「いや、梅子さん、ちょっと待っててもらえます?こいつタクシー乗せたら、俺すぐ戻ってくるんで」

世界が心奈を脇に抱えたまま、殿村をけん制するように私を真っすぐに見つめる。

「花田さん、かなり酔っぱらってるみたいだし、御堂くんがちゃんと家まで運んであげて」

「でも、俺は梅子さんと」

「おっと、そこまでだな」

殿村が世界と私の間に立ち、世界と視線をしっかり合わせてから口を開いた。

「悪いけど梅子は今から僕と飲みなおすから」

「は?俺のが先約なんだけど、てゆうか」

「おいおい、早くしなきゃ彼女完全にねむっちゃうから。ちなみに梅子は僕が責任もって送る。梅子、いこう」

「うん、そうね……」

殿村が世界の言葉を遮ると、私の手首を掴み世界と心奈の脇を抜けていく。僅かに世界と視線が合い、世界が何か言いたげにしていたが、私は気づかないフリをして殿村と宴会場を後にした。
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