零度

創研 アイン

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 彼女との最初のボランティアという名のデートから数週間がたった。
 あれからも、僕は何度も彼女の善良な活動を手伝わされては土日を潰され、気付いたら冬休みに入っていた。
 この時の僕には自分のことがよくわからなくなっていた。
 彼女といる時間は何事にも代えがたいほどに苦痛なはずなのに、彼女からの要請が入るたびに断れず、その手伝いをしている自分のことが。
 彼女の笑顔が、彼女の言葉が、彼女という存在が、僕を分からなくさせる。気付けば僕の日々の中には彼女が、白野香奈がいることが当たり前になっている。彼女がいない生活など想像できなくなり始めていた。
(どうして、僕は)
 自分の中で途切れなく繰り返される、不可思議な問いについて考えていると頭が痛くなってきた。
 一度思考をリセットさせようと、溜息を深く吐いてベッドに腰かけると部屋のドアを叩く音が僕の部屋に響いた。
「入るぞ」
 そう言って僕の返事も聞かずに部屋に入ってきたのは父だった。蓄えられた髭はその厳格な雰囲気に合ってはいるが、四十代前半というには見えないほどに老けさせている。
「なんだいるじゃないか。まったく、返事くらいしなさい」
「返事を待たずに入ってきたのは父さんの方だよ……それで、何の用事?」
 不躾な父の態度に、僕も相応のそれで返す。別に仲が悪いわけではなく僕らは互いに親子らしく似て愛想が無いだけだ。
「なに、最近あの悪趣味な真似を辞めたのだと思ってな」
 そう言われて、思いつくのは一つ。冷凍保存された愛しい者たちを作り、愛でることを言っているのだろう。
「悪趣味だなんて、父さんにだけは言われたくないんだけど。……母さんを殺したくせに」
「殺したとは人聞きが悪いな。私たちは合意の上だ。それに私は真に愛したものだけを選んでいる。お前の場合は無差別すぎる」
 僕らのこの家に母親はいない。母は、僕を産んですぐに父さんのモノになったからだ。
「まぁいい。この事について議論しても不毛なだけだ。それでどうした。最近何かあったのか?あの場所にもしばらく行ってないだろう」
 理由を聞かれても答えようもない。自分でもわからないからだ。あれ程愛したあの場所が、あの時が、僕の中で意味のないものに変わり始めていることに僕自身が戸惑っていたほどだ。
「別に……特に理由はないよ」
 だから、答えを持ち合わせてない僕にはそう言うしかなかった。
 父は僕のそんな様子を見て「そうか」とだけ言うと部屋を出ていった。これ以上は疑問を解消することは出来ないと判断したのだろう。
 父さんが扉を閉める音を最後に、僕の部屋をまた静寂が包む。
 なんとなく今日は疲れた。そう思ってベッドに横になり携帯電話を確認すると、一件だけメールが入っていることに気が付いた。白野香奈からだった。
『クリスマスの夜に駅に集合。暖かくかつ動きやすい服装で来ること。もちろん、断る権利は無いわ。』
 いつも通りの簡素なメール文に溜息を吐く。どうせ、断れないのだろうと思って『了解』と一言だけのメールを打つ。
 今度はいったい何をさせるつもりだ……と嫌になる。嫌な、はずだった。
 メールを返し、電源を閉じた画面に映る自分の表情に驚いた。
 笑っていたのだ。まるで彼女との約束が楽しみで溜まらないというように。
 思ってもいなかった自分の表情に戦慄したのと同時に、胸の内からいつも溢れ出てくる黒い澱みが僕の全身を包み込むような感触が広がり、理解した。自分のこの嫌悪だと思っていた彼女に対する澱みの正体を。
 嫌悪というには白すぎて、好意というには黒すぎる、汚い感情。

 僕は彼女を愛してしまったのだと。


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