上 下
14 / 28

指輪1

しおりを挟む

 会わなかったのは一週間ほどなのに、長年引き離されていたかのような気分だ。
 最後に見たのが苦悶の表情だったから、ソファにゆったりと腰掛ける姿を見ただけで安堵する。
 会いたくないと思ったはずなのに、会ってしまえば心は歓喜した。
 自制は働かず、やっかいな感情を知ってしまったなと項垂れるしかない。

「お申し付けの通り、ヨアンをお連れしました」

 敬礼し深々と頭を下げる神官にならい、ヨアンも礼をする。
 一度は努力が認められたと喜び、親しみを感じて満たされた。けれど聖獣との隔たりは遠く、むしろ出会った当初よりも離れてしまったかもしれない。
 ケビンに襲われたあの時に掴みかけたと思った何かも、すっかり思い出せなくなっていた。左手の甲にあるのは、変わらず歪な紋なしだ。

 聖獣がヨアンに視線を向け、わずかに眉を寄せる。
 彼も不調の原因はヨアンだと考えるのだろうか。そうと明言されれば、それが真実になる。
 わざわざヨアンを呼び出したのは、釈明の機会を与えようとしてくれたのか。

(どこまで守れるだろう……)
 この一週間でヨアンは恋というには切実な思いを抱き、蓋をして、壊されかけた。
 そうして思い知ったのだ。自分は搾取される献身ではなく、誰かの宝ものになりたかっただけ。
 それを聖獣に願うのは高望みだとわかっている。
 今のヨアンは覚えていないけれど、もしかしたら過去にも同じことを願い、叶って、けれど手放してしまったのかもしれない。
 そうかといって、一度自覚した思いを再び捨てることもできなかった。
 隠さなければいけないとしても、せめて自分だけはこの思いを大切にしたい。聖獣に焦がれる気持ちはあるけれど、やってもいないことで罰を受けるわけにはいかなかった。

(毅然としろ)
 ヨアンが己を奮い立たせていると、聖獣が腕を上げてひらりと手を振った。
 退室の合図らしく、神官はちらりとヨアンを一瞥する。視線で念を押されたが、これから何が起きてもそれは反意ではなく正当防衛だ。
 せめてこの人には伝わってほしい。話は聞いてくれるはずだ。もうそれ以上は望まないから。

 神官が立ち去り、しんと落ちる沈黙にヨアンはそのときを待った。

(何を言われても、何もしていないと言う)

 落ち度があるとすれば、苦しむ聖獣に適切な処置ができなかったことだけだ。

「何があった」
「なにも」

 準備した言葉を言いかけて、ヨアンははたと黙り込む。
 ──何をした、ではなく、何があった?

「私に隠し事ができると思っているのか」
「何も……して、いません」

 少し自信がなくなった。この回答で合っているのだろうか。
 自分としては正しい主張のはずだが、なんだか食い違っているような。

「紋を封じたところで、そこにある以上はわずかでも私と繋がりがある」
「え」

 まるでヨアンが拒絶したように言っているが、それよりも。
 左手の甲を凝視する。繋がりはあるのだと、他でもない聖獣が断言した。
 そっと紋を撫でる。封じるとは何のことだろう。怪しいのは紋を縛る蔦だが、ヨアンにできるはずもない。
 そもそも聖獣の祝福を人間ごときが封じられるのか。その魔法だって、祝福がなければ使えないというのに。

「動揺しているな。おまえが私を直視できないようなことがあったのだろう」
「……っ」

 ぎくりと肩が揺れてしまう。
 それは、あった。絶対に口にしてはいけないと戒めたもの。塞ごうとしても、顔を見たら簡単に溢れそうになる思い。
 言い当てられて、血の気が引く思いだった。

「……心が、読めるんですか?」

 声が震える。左手を隠し、痛むほど押さえ込んでいないと足まで震えそうだった。
 聖獣は不機嫌さを隠しもせずに目を眇める。
 まるで言い逃れを許さないとでもいうように。ヨアンが自ら罪を告白することを待っているのだ。

「俺が……身の程知らずな、思いを抱いた、のは」
「……なに?」
「許されないと、わかっています。一度、失敗したくせに、性懲りもなく……っ」

 思うことも罪だろうか。それさえも聖獣を傷つけてしまうのだろうか。感情の発露を抑えられない。
 喘ぐように息を吐くヨアンに、聖獣は目を瞠って腰を浮かせた。

「待て。何を言っている?」
「それを消せというなら、死ぬしかない……!」
「っ、う……っ」

 男がうろたえた、ように見えた直後。苦しげに顔を歪めて座り込む姿に、ヨアンははっと我に返った。

「あ…っ」
 まただ。やっぱりヨアンが原因なのだろうか。
 青褪め、後ずさって扉に手を伸ばす。今度こそ罰せられることになるだろうが、考えている余裕はなかった。助けを呼びに行かなければ。

「──待て!」

 だがその行動を阻んだのは、鋭い制止の声だった。
 魔法なのか重圧なのか、その場に縫い付けられたように足が動かない。
 視線だけで振り返れば、ふらりと立ち上がった男が険しい形相のままゆっくりと近寄ってくる。

「おまえ……何を、持っている」
「え?」

 立ち上がった聖獣は思った通りヨアンよりずっと背が高い。あちらから歩み寄るなんて奇跡では、などと思っていられる状況ではなく。

 ヨアンは扉に縋りつくように身を竦めた。
 真上から見下ろす瞳の青は陰り、ヨアンを見ているようで見ていない。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

転生先がハードモードで笑ってます。

夏里黒絵
BL
周りに劣等感を抱く春乃は事故に会いテンプレな転生を果たす。 目を開けると転生と言えばいかにも!な、剣と魔法の世界に飛ばされていた。とりあえず容姿を確認しようと鏡を見て絶句、丸々と肉ずいたその幼体。白豚と言われても否定できないほど醜い姿だった。それに横腹を始めとした全身が痛い、痣だらけなのだ。その痣を見て幼体の7年間の記憶が蘇ってきた。どうやら公爵家の横暴訳アリ白豚令息に転生したようだ。 人間として底辺なリンシャに強い精神的ショックを受け、春乃改めリンシャ アルマディカは引きこもりになってしまう。 しかしとあるきっかけで前世の思い出せていなかった記憶を思い出し、ここはBLゲームの世界で自分は主人公を虐める言わば悪役令息だと思い出し、ストーリーを終わらせれば望み薄だが元の世界に戻れる可能性を感じ動き出す。しかし動くのが遅かったようで… 色々と無自覚な主人公が、最悪な悪役令息として(いるつもりで)ストーリーのエンディングを目指すも、気づくのが遅く、手遅れだったので思うようにストーリーが進まないお話。 R15は保険です。不定期更新。小説なんて書くの初めてな作者の行き当たりばったりなご都合主義ストーリーになりそうです。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました

厘/りん
BL
 ナルン王国の下町に暮らす ルカ。 この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。 ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。 国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。 ☆英雄騎士 現在28歳    ルカ 現在18歳 ☆第11回BL小説大賞 21位   皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。    

実は俺、悪役なんだけど周りの人達から溺愛されている件について…

彩ノ華
BL
あのぅ、、おれ一応悪役なんですけど〜?? ひょんな事からこの世界に転生したオレは、自分が悪役だと思い出した。そんな俺は…!!ヒロイン(男)と攻略対象者達の恋愛を全力で応援します!断罪されない程度に悪役としての責務を全うします_。 みんなから嫌われるはずの悪役。  そ・れ・な・の・に… どうしてみんなから構われるの?!溺愛されるの?! もしもーし・・・ヒロインあっちだよ?!どうぞヒロインとイチャついちゃってくださいよぉ…(泣) そんなオレの物語が今始まる___。 ちょっとアレなやつには✾←このマークを付けておきます。読む際にお気を付けください☺️ 第12回BL小説大賞に参加中! よろしくお願いします🙇‍♀️

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

奴隷商人は紛れ込んだ皇太子に溺愛される。

拍羅
BL
転生したら奴隷商人?!いや、いやそんなことしたらダメでしょ 親の跡を継いで奴隷商人にはなったけど、両親のような残虐な行いはしません!俺は皆んなが行きたい家族の元へと送り出します。 え、新しく来た彼が全く理想の家族像を教えてくれないんだけど…。ちょっと、待ってその貴族の格好した人たち誰でしょうか ※独自の世界線

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

処理中です...