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小説家④

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「ノイギアさんも、恋を経験されたことが無いんですか」

 ノートに筆を走らせている彼に聞けば、ああ、と顔は伏せたまま返事が返ってきた。

「強いて言えば小説には恋しているようなものだが……それとはまたきっと違うのだろう?」

「……どうでしょう?」

「なんだ。曖昧だな」

 顔を上げ、呆れた表情で俺を見る。世には無生物にだって恋愛をする人もいるのだから、小説に恋をしてもおかしくはない、かもしれない。
 そも、俺は彼ではないのだから、彼が小説へどんな想いを抱いているかもわからないわけで、断言はできなかったのだ。


「感受性が豊かだった幼少期にそんな経験をしていればなあ……」


 はあ、とまた何度目かの大きな溜息。頬杖をついた横顔。ちら、と流し目で俺たちを見つめてから、勢いよく立ち上がって彼は詰め寄ってきた。

「聞くかい? 聞くだろう? 僕がさっきから語りたそうにしていたのに気づかないなんて、キミたちどれだけ鈍感なんだい!」

「は、はい、聞きます!」

「ええ。ぜひ聞かせてください」

「それでいいんだ、うんうん」

 満足気に頷いてから、懐古するように目を伏せる。そうして、ぽつりと呟いた。


「故郷がどうも、合わなかったものでね」


 顔を上げて、エーベルさんとリュディガーさんを顎でしゃくった。


「ほら、キミたちならわかるだろう。ダークエルフを目の敵にしているエルフ。偏見に満ちた彼らに囲まれて僕は生まれた。些か窮屈だったんだ」


「ああ……」

 ふたりから聞いた話を思い出す。根拠の無い噂でダークエルフは忌み嫌われていた、と。挙句の果て──ダークエルフの住む場所へ突然攻撃をしかけたことを。
 ノイギアさんの生まれた場所も、同じような偏見に満ちていたのか。近くに座るふたりを思うと、顔を顰めてしまう。

「お、話がわかりそうだねえ」

「ふふ、光栄だよ」

 俺の反応とは反対に、エーベルさんやリュディガーさんは平然としていた。その心の内はなにを思っているかはわからないが──俺よりずっと落ち着いている。

「当然疑問に思うわけさ。なんで? どうして? まあ、納得のいく答えは返ってこなかった。結果は異端扱い。僕も迫害までされてね、出ていかざるを得なかった」


 どうだい、取るに足らない悲劇だろう?


「……酷いな……」


 自嘲するように吐き捨てられたそれに、思わず呟いていた。なにが、取るに足らないのか。
 仲間から迫害を受けるなんて、除け者にされるなんて、辛いに決まっている。程度の強弱も無く、胸が張り裂けるような痛みを覚えたはずだ。



「酷くもない。この程度で酷いなんて言っていたら──キミたちに申し訳が立たないからね」



 そうだろう。



 痛々しげに微笑んで、ノイギアさんはふたりへと同意を求める。

 沈黙が、耳に痛かった。ふたりは何を感じているのか、ただ彼の表情を見つめている。信じられない、というような顔で。


「……貴方のようなエルフに会えて、良かった」


 リュディガーさんが、消え入りそうな声で呟いた。そうして、手を差し出す。握手を求めているのだ。ナイギアさんは目を瞬かせて──小さく笑ってから、応える。


「……そうだね、リュディガー。私も、嬉しいよ」


 落ち着いたそれに浮かぶのは、痛切な色。続くように、彼も手を握る。
 三人が、笑って握手をした。俺は言いようもなく、胸が震えた。だってふたりは、故郷を滅ぼされてからエルフたちへの復讐に身を投げてきて。一時は、全滅すらさせようとしていたから。

 ……なんだか、傍観者の俺の方が泣きそうになってしまう。ただ、良かったと、心の底からそう思えて。
 苦しんできた二人は、いいや──三人は。種族間の問題で心に深く根付いたわだかまりを、少しは解すことができただろうか。
 
 じんわり胸に拡がる感情を覚えていると、ノイギアさんは少しだけ気まずそうに頬を掻いた。

「はは、なんだか湿っぽくなってしまったね。いけないな」

「いいえ──なんか、その……よかった、です。上手くは言えないんですけど」

「ははは、語彙力が無いねキミ!」

 一段落してから、ロイが窺うように口を開いた。

「それで──私たちは、貴方の目的を果たせたでしょうか」

「うん。モデルと大体の設定もできた、あとはどんな出来か見てみようか」

 出来を見る?
 それはつまり──この場で書く、ということだろうか。さらさらと筆を走らせ、ノイギアさんの視線がノートの上を滑った。

「ふむ、できた。こんなものかな」

 もうできたのか──そう思った瞬間、彼がぱちんと指を鳴らして。


 突然、目の前にひとりの青年が現れた。


 ロイに瓜二つの面影を持つ、柳眉倒豎の彼は。床に膝をつき、俺の手を取ったかと思うと──甲へと軽く唇を落とした。そして弾けるように明るく、破顔する。


 ……え。息を飲む。


「わー! キスした! 今キスしたよ!!」

「だ、だれ……誰ですか!?」

「……ユウト。一生、貴方だけを愛す。俺を選んでくれないだろうか」

 質問に答えることはなく──凛とした声が、薄い唇から発された。

 バクバク鳴る胸。顔に熱が集まるのが嫌でもわかった。手を取られながら、指先をぴくりとも動かすことができない。

「おお、いい反応だ。恋に落ちた令嬢のリアクションとして参考にさせてもらうよ。……ふむ、キミの好みに合わせたのは正解だったかな」

「こ、好み、って……」

 手を握られるその感触に、心臓がうるさい。見上げてくる燃える瞳が、俺を射抜く。

「ああ。なんてことはない、僕のスキルで生み出したキャラクターだからね。時間が経ったら消えるんだ」

 また指を鳴らせば、煙のように掻き消えた。それなのに顔が、全身が、緊張で熱いままだ。

「書いたキャラクターを実現化できる。多少は好きにも動かせる……僕みたいな奴にとってこれ以上ないスキルだろう?」

 なんだそれ。すごすぎる。
 未だうるさい胸を押えながら、彼の話が右から左へと流れて行った。

「まあ、魔力に依存しているために限界はあるが……それに、設定がある程度まで固まると意思に反して勝手に動いてしまうんだ。創作家にはよくあることだ」

 息を整える。そうしなければ死んでしまいそうだった。ああいう、なんというのか。恋愛ごとには不慣れなんだ。……恋人ができたこととか無いし。

「容貌は剣士くん、キミから。一途さはキミたち双子から。性格はさっきも言った通り好みに合わせたよ」

 だから、あんな明るい笑顔で甘いセリフを言ったのか。心臓に悪い。

 けらけら笑う青年は、眼鏡をかけ直すと。すう、と息を吸う。変わった空気を、肌で感じとり──僅かな緊迫感が走った。



「それでひとつ、キミたちを見ていて興味が湧いた。ユウト──キミの旅の目的を聞こうか」



 俺の旅の目的。元の世界に帰れなくなった今、この世界で冒険する理由は。
 どんな人間なのか、真意を鑑定するような瞳。それに緊張を覚えながら、率直に想いを口にした。


「……もっとこの世界を見て、友だちを作りたい、かな」


 沈黙が、場を満たし。一拍置いて、吹き出す音がする。

「……っふ、あははははは! なんだいキミそれ、子どもみたいだ! それで、魔力もスキルも無いのに冒険する、だって? ふ、っくふ、無謀すぎて、面白いな……!」

 ……俺、そんなに変なことを言った、だろうか。腹を抱えながら笑う彼を、微妙な表情で見つめることしかできなかった。
 しばらくして、ようやく落ち着いたらしい。すまない、と笑いの余韻を残しながら彼が謝る。


「だけど……純粋さと、泥臭さに勝る美しさは無いとも思う。キミはとても綺麗だ──友だちになろう。僕もそれを叶える手伝いをしたい」


 肩に手を置かれ、微笑まれる。その提案に、俺は舞い上がって。弾んだ声で、もちろん、と返事をした。褒められたのが、彼の好意が、真っ直ぐに嬉しくて。

「うん。今日はいい刺激を貰えたよ。……知りたかったものを知る、一歩を踏めた気もする」

 俺の額を人差し指で軽く小突いてから、ノイギアさんは続ける。


「平凡だけど非凡で、どんな状況になっても泥臭く足掻いてくれる人物も見かけたしね。僕のタイプさ」


 彼が、悪戯っぽく俺の顔を見て、ウインクをして笑った。俺がどんな人物像かはさておき──満足させられたなら、良しとする。応えるように微笑んだ。

「そして、気づいた。いいかい、キミたち。僕は創作界隈に革命を起こす」

 ふふ、ふふふ──と、肩を震わせて、どこか悪どい笑みを浮かべる。

「傍から見てバッドエンドでも、本人たちにとってハッピーエンドならいいんだ。もう編集に文句は言わせない! そうだ──これをメリーバッドエンドと名付けよう!!」

 あ。

 息を荒くするノイギアさんに、俺はなんとなく察する。
 この人、本当に創作界に革命を起こす。元の世界でも聞いたことがある名前。メリーバッドエンド。新たな一大ジャンルをこの異世界で興した発起人として、大成するだろう。


「ああ、こうしちゃいられない! キミたち、今日は本当にありがとう!! 突然で悪いがインスピレーションが降りてきたのでね、早速執筆に取りかかるとするよ!!」


 こうして、俺たちは──不思議な依頼を達成した。この世界の創作界に、これから巻き起こる嵐の予感を感じながら、その場を後にしたのだった。



 帰り道。少し先を歩いていたエーベルさんが、突然足を止め、くるりとこちらへ振り向いて。
 沈んでいく夕陽に照らされながら、口を開いた。

「今日はありがとう、悠斗」

「……え、何がですか?」

「君について行かなかったら……君がいなかったら、私たちは、ああいうエルフが居たことも知らないままだったから」

 何も言えず、俺はただ立ち竦む。茜に染まる表情は、今にも泣きそうに見えたから。

「……彼の存在を知らずに、殺戮していたらと思うと──俺たちは、そうしてきたエルフと同じになっていたんだな」

 険しい顔で、固く拳を握る。兄はそっとそこへ手を乗せて。きっと同じように感じている懊悩へ共感しているのだろう。

 ふたりの様子に、それなら、と声を発した。

「それなら……今日のことはエーベルさんのおかげですよ。依頼に興味を持ったのは、貴方なんですから」

 面食らったように、目を瞬かせている。今度はリュディガーさんへ向き直った。

「リュディガーさんだって、彼に手を差し出した。きっとおふたりとも、ノイギアさんを救ったんだと思います」

 だって俺は見たのだ。手を差し出し、ノイギアさんが面食らったあと。唇の端を緩めたそのとき──目尻には薄く涙が浮かんでいたのを。

「俺は何もしていない。おふたりの力で、ノイギアさんと絆を繋いだんですよ」

 くしゃりと、笑って言えば。
 ふたりは目元を拭ってから、こちらへと飛び込んできた。ぎゅうぎゅう抱きしめられるのを拒むこともできず、瞳の奥に集まりそうな熱を堪えた。

「……ユウトを潰すなよ」

「っふ……、……うん。もちろん」

 隣から聞こえたロイの声は、どこか硬かったけど──柔らかさも、持ち合わせていた。

 ***

 みなが落ち着いてからのこと。帰路につきながら、ロイはただひとり黙りこくっていた。双子と笑顔で言葉を交わす相棒の顔を盗み見て、今日のことを思い返す。
 あのとき。ノイギアのスキルによって、具現化された青年がユウトへキスをしたときだ。自分と同じ顔に、顔を赤くしていた相棒。それに──嫉妬を覚えると共に、ロイは確かな高揚を感じた。心臓は壊れてしまったかのように、高鳴っていて。

 ユウトは言った。恋をすると、思わず目で追ってしまうものだと。それは、まさに今の自分と同じで。頭をよぎった可能性に、は、と短く息を吐く。


「……俺は、ユウトに──恋を、しているのか?」


 独りごちた剣士の言葉には誰も気づかず。大きく見開いた瞳の色に負けぬほど、頬を紅潮させ──名前のついた感情に。剣士は、ただ胸を押さえた。
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