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恵まれなかった少年と異端の邂逅
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もういっそのこと、死んでしまえたら良かった。揺らぐ水面に映った自分の瞳は、忌々しいほどに輝いていた。
ボクの産まれたモーリス家にはとある言い伝えがある。血を継ぐ子どもは、夜空を閉じ込めたような瞳を持つ。そして、その中でも――一代に一人だけ産まれる男児には唯一のスキル、『精霊の祝福』があるのだと。
何代も続いた由緒正しいこの伝統は、ボクの代で途切れてしまった。名家に産まれたその唯一の男児である自分は、本来所有しているはずのスキルを母の胎内に忘れてきてしまったらしい。
母が不貞を働いたのだという不名誉な街談が飛び交った。父も一時はそれを信じかけた。いっそそうであって欲しかったのだろう。しかし、父譲りの瞳は確かにモーリス家の子どもであることを証明している。だから、根も葉もない噂を信じて母ごとボクを追い出す暴挙には出なかったようだ。
穴を埋めるように得意な光魔法を練習したけれど、父からの評価は変わらなかった。母は暗い表情を浮かべたままでボクに関わろうともしない。前までよりもずっと成長したのに、誰も目を向けてくれやしなかった。どん底に落とされたような絶望と、どうしようもない虚しさだけの毎日だった。
僅かな変化が生まれたのは、あの夜。
ひとりの男に出会った、あの晩。いつものように家から抜け出し、都のそばにある湖をぼんやり見つめていたときだ。抜け道の茂みから獣か何かが飛び出して来たかと思えば、それは野生生物などではなくひとりの人間だった。自分よりも年上らしいその男はおどおどしていて、この王都では名も顔も広いボクのことを知らないようだった。それは幸運であった。咄嗟のことでローブのフードを被れなかったが、無知により救われたのだ。
不信感を顕にすればすぐにどこかへ逃げようとした。
「待ってよ」
しかしボクは、考えるよりも先にその男へ声をかけていた。突然あからさまに態度を変えて引き止めたのは――彼に、スキルも魔力も全く無かったから。ただ、何の気なしにスキルを使っただけ。予想もしなかったその結果に、易々と帰す訳にはいかないと咄嗟に思ったのだ。
興味深く、もっと知りたいと考えたから? そうだろう。本来持つべきはずの能力が無い男に親近感を覚えたから? ああ、それもそうだろう。……なによりも。自分よりも力に恵まれない存在を知って、安堵してしまったからだ。
その男は自分の想像よりもずっと常識を知らなかった。子どもでも知っているような知識も知らず、いったいどれほどの田舎であればここまでものを知らず育って来られたのか不思議なくらい。箱入りの令息か、とも思ったが令嬢ならまだしもありえないだろう。そもそもそれほど家が太いのならば、社交界に多少は精通している自分が知らないはずがない。
精霊の加護が満ちるこの湖は落ち着く。特に満月の晩は。だけど、少しだけ辛くもなる。こういった場所に来ないと、それか満月にならないと。加護を得られないのは、自分に才能が無いことの裏付けだから。
満月が出る日は、ここに来なくとも力が満ちるような感覚がある。父は、そうでなくとも──満月の日でなくともその感覚を得られるようだ。
ああ。あらゆるものに責められている感覚だ。このまま、消えてしまいたい。
***
母が父に縋っている。「それだけは」「どうか考え直してください」と、弱々しい涙声が扉の隙間から漏れていた。
「そもそもお前がきちんと産んでいればこんなことにはならなかったんだ! お前の責任でもあるのだぞ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、でも……!」
「『鑑定』などという凡百な技能で、どれほど私が恥をかいたかわかるか!」
息を殺して耳を澄ませる。一言も聞き漏らさぬように。体全体に伝わる心臓の音だけがただ煩かった。
「いいか。明後日の晩、"あれ"を部屋から出すな。エルフの肉は満月の夜に食わせないとより高い効果を得られないからな……妙な手立てをしたら、わかるな」
ああ。理解した。王都に伝わる与太話──エルフ属の肉を喰らえば、望んだスキルを得られる。父はそれを信じている。いや、それにすら縋りたいのか。どこからか狩り殺されたエルフ属の血肉を、父は違法取引で入手したのだ。そしてそれをボクに食わせ、摂らせるのだと。
足元ががらがらと崩れていくような感覚を覚えた。そうか。そこまでさせてしまうほど……犯罪に手を染めさせてしまうほど、ボクは。父を、皆を苦しめていたのか。
***
「アンタといると、安心する」
消え入りそうな声だった。語尾は震えた。男が驚いたように息を飲む音が聞こえる。そうして盗み見た横顔がみっともなく破顔していくのを、ボクは何も言わず見ていた。……いや、何も言えなかったのだ。
「え……はは、そっかぁ。嬉しいよ」
言葉と共に、男がこちらを向く。直視など出来なくて、一瞬合った視線を無理やり逸らして膝を抱えた。
ああ。本当に、バカみたい。言葉の真意も知らないで。ボクがアンタを、自分より才能に恵まれなかった存在を見てほっとしていることも知らないで。間抜け面で笑ってさ。
バカだ。バカ。……一番バカで情けなくて醜いのは、ボクだった。
いっそ幼い子どものように泣いてしまいたい。喚き散らしてしまいたい。自分勝手すぎて嫌気が差す。呑気に笑うこの男だって、醜い心の奥底を覗けば失望するだろう。されて然るべきなんだ。なのに嫌われたくないと思ってしまうなんて。
思いを、弱音を吐露したある日。逃げるように、その日はその場を後にした。ユウトと、彼の名前を呼んだ。初めて。これがきっと、最初で最後。穢れた姿では、もう会いたくないから。見せたくないから。
「少し、いいでしょうか」
「ッ!!」
後ろから聞こえた声に距離を取る。誰だ。不審者か、刺客か。魔法を出す準備を整えて相手の動向を窺う。
しかし、動く様子はないようだ。炎のような紅い眼が、いやに印象的だった。
「貴方は、ユウトの友人でしょうか」
「……は?」
口から出てきたのは、意外なもので。──ユウト。忘れようもない、あの変な人間。思わず、構えていた姿勢を解いた。
「……別に。ただ、話す仲だってだけ」
「……そう、ですか」
男の声から、張った緊張が抜けたのがわかる。質問するのはこちらの番だった。
「アンタこそ何。友だち?」
「同じパーティの仲間です」
「……ふーん」
……なんか、面白くない。勝ち誇ったような言い方に聞こえて。
ああ、そうだ。
「はは……ならユウトに伝えといてよ。……もう、会わないって。飽きたから。バイバイって言っといて」
ああ。鼻の奥がつんとする。涙が滲む。うざったい。震えそうな声を、必死に絞り出した。
「……それは、貴方のスキルに関係があるからですか」
一瞬。息の仕方を、忘れた。
「……は? なに、何言ってんの……?」
「貴方は、モーリス家に代々受け継がれるはずのスキルを受け継がなかった。父君は、それを解決しようと──薄暗い方法に手を出そうとしている。違いますか」
反論しようとして、口を開いて──結局、図星を突かれたボクはなにも言えずに。飛び出していたのは、情けのない慟哭だった。
「っああそうだよ! ボクが出来損ないだから、欠陥品だから!! ボクのせいで、ボクの、父さんも、母さんも……ああ、ああああ……」
崩れ落ちる。顔が涙でぐしゃぐしゃになって、みっともなかった。息が上手くできない。言葉を発そうとして、嗚咽が代わりに出て。
「……自分の父を、『鑑定』スキルで見たことはありますか」
「は……? そんなの、当たり前でしょ。……ボクには無い、選ばれたスキルがあるのを見たんだから」
言われなくとも確認したことなどある。
スキルを使うことで見ることが出来る紋様。柔らかく胸に灯る暖色の紋様、選ばれた者の証明を。残酷な文字列を。父が身につける瀟洒な服。首元へと付けられた、高貴な印象を与える家紋はその紋様をかたどっていて。それが刻まれたブローチを、優しく包むように紋様と同色のオーラが纏っている。
いつからか、辛くなって見るのをやめた。
「満月の夜には、見たのですか」
「……何を、言って……」
「やってみる価値はある。貴方の血が反応し加護の満ちる、満月の晩──スキルは力を強めているはずだ。……見えなかったものが、わかるかもしれない」
ボクの産まれたモーリス家にはとある言い伝えがある。血を継ぐ子どもは、夜空を閉じ込めたような瞳を持つ。そして、その中でも――一代に一人だけ産まれる男児には唯一のスキル、『精霊の祝福』があるのだと。
何代も続いた由緒正しいこの伝統は、ボクの代で途切れてしまった。名家に産まれたその唯一の男児である自分は、本来所有しているはずのスキルを母の胎内に忘れてきてしまったらしい。
母が不貞を働いたのだという不名誉な街談が飛び交った。父も一時はそれを信じかけた。いっそそうであって欲しかったのだろう。しかし、父譲りの瞳は確かにモーリス家の子どもであることを証明している。だから、根も葉もない噂を信じて母ごとボクを追い出す暴挙には出なかったようだ。
穴を埋めるように得意な光魔法を練習したけれど、父からの評価は変わらなかった。母は暗い表情を浮かべたままでボクに関わろうともしない。前までよりもずっと成長したのに、誰も目を向けてくれやしなかった。どん底に落とされたような絶望と、どうしようもない虚しさだけの毎日だった。
僅かな変化が生まれたのは、あの夜。
ひとりの男に出会った、あの晩。いつものように家から抜け出し、都のそばにある湖をぼんやり見つめていたときだ。抜け道の茂みから獣か何かが飛び出して来たかと思えば、それは野生生物などではなくひとりの人間だった。自分よりも年上らしいその男はおどおどしていて、この王都では名も顔も広いボクのことを知らないようだった。それは幸運であった。咄嗟のことでローブのフードを被れなかったが、無知により救われたのだ。
不信感を顕にすればすぐにどこかへ逃げようとした。
「待ってよ」
しかしボクは、考えるよりも先にその男へ声をかけていた。突然あからさまに態度を変えて引き止めたのは――彼に、スキルも魔力も全く無かったから。ただ、何の気なしにスキルを使っただけ。予想もしなかったその結果に、易々と帰す訳にはいかないと咄嗟に思ったのだ。
興味深く、もっと知りたいと考えたから? そうだろう。本来持つべきはずの能力が無い男に親近感を覚えたから? ああ、それもそうだろう。……なによりも。自分よりも力に恵まれない存在を知って、安堵してしまったからだ。
その男は自分の想像よりもずっと常識を知らなかった。子どもでも知っているような知識も知らず、いったいどれほどの田舎であればここまでものを知らず育って来られたのか不思議なくらい。箱入りの令息か、とも思ったが令嬢ならまだしもありえないだろう。そもそもそれほど家が太いのならば、社交界に多少は精通している自分が知らないはずがない。
精霊の加護が満ちるこの湖は落ち着く。特に満月の晩は。だけど、少しだけ辛くもなる。こういった場所に来ないと、それか満月にならないと。加護を得られないのは、自分に才能が無いことの裏付けだから。
満月が出る日は、ここに来なくとも力が満ちるような感覚がある。父は、そうでなくとも──満月の日でなくともその感覚を得られるようだ。
ああ。あらゆるものに責められている感覚だ。このまま、消えてしまいたい。
***
母が父に縋っている。「それだけは」「どうか考え直してください」と、弱々しい涙声が扉の隙間から漏れていた。
「そもそもお前がきちんと産んでいればこんなことにはならなかったんだ! お前の責任でもあるのだぞ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、でも……!」
「『鑑定』などという凡百な技能で、どれほど私が恥をかいたかわかるか!」
息を殺して耳を澄ませる。一言も聞き漏らさぬように。体全体に伝わる心臓の音だけがただ煩かった。
「いいか。明後日の晩、"あれ"を部屋から出すな。エルフの肉は満月の夜に食わせないとより高い効果を得られないからな……妙な手立てをしたら、わかるな」
ああ。理解した。王都に伝わる与太話──エルフ属の肉を喰らえば、望んだスキルを得られる。父はそれを信じている。いや、それにすら縋りたいのか。どこからか狩り殺されたエルフ属の血肉を、父は違法取引で入手したのだ。そしてそれをボクに食わせ、摂らせるのだと。
足元ががらがらと崩れていくような感覚を覚えた。そうか。そこまでさせてしまうほど……犯罪に手を染めさせてしまうほど、ボクは。父を、皆を苦しめていたのか。
***
「アンタといると、安心する」
消え入りそうな声だった。語尾は震えた。男が驚いたように息を飲む音が聞こえる。そうして盗み見た横顔がみっともなく破顔していくのを、ボクは何も言わず見ていた。……いや、何も言えなかったのだ。
「え……はは、そっかぁ。嬉しいよ」
言葉と共に、男がこちらを向く。直視など出来なくて、一瞬合った視線を無理やり逸らして膝を抱えた。
ああ。本当に、バカみたい。言葉の真意も知らないで。ボクがアンタを、自分より才能に恵まれなかった存在を見てほっとしていることも知らないで。間抜け面で笑ってさ。
バカだ。バカ。……一番バカで情けなくて醜いのは、ボクだった。
いっそ幼い子どものように泣いてしまいたい。喚き散らしてしまいたい。自分勝手すぎて嫌気が差す。呑気に笑うこの男だって、醜い心の奥底を覗けば失望するだろう。されて然るべきなんだ。なのに嫌われたくないと思ってしまうなんて。
思いを、弱音を吐露したある日。逃げるように、その日はその場を後にした。ユウトと、彼の名前を呼んだ。初めて。これがきっと、最初で最後。穢れた姿では、もう会いたくないから。見せたくないから。
「少し、いいでしょうか」
「ッ!!」
後ろから聞こえた声に距離を取る。誰だ。不審者か、刺客か。魔法を出す準備を整えて相手の動向を窺う。
しかし、動く様子はないようだ。炎のような紅い眼が、いやに印象的だった。
「貴方は、ユウトの友人でしょうか」
「……は?」
口から出てきたのは、意外なもので。──ユウト。忘れようもない、あの変な人間。思わず、構えていた姿勢を解いた。
「……別に。ただ、話す仲だってだけ」
「……そう、ですか」
男の声から、張った緊張が抜けたのがわかる。質問するのはこちらの番だった。
「アンタこそ何。友だち?」
「同じパーティの仲間です」
「……ふーん」
……なんか、面白くない。勝ち誇ったような言い方に聞こえて。
ああ、そうだ。
「はは……ならユウトに伝えといてよ。……もう、会わないって。飽きたから。バイバイって言っといて」
ああ。鼻の奥がつんとする。涙が滲む。うざったい。震えそうな声を、必死に絞り出した。
「……それは、貴方のスキルに関係があるからですか」
一瞬。息の仕方を、忘れた。
「……は? なに、何言ってんの……?」
「貴方は、モーリス家に代々受け継がれるはずのスキルを受け継がなかった。父君は、それを解決しようと──薄暗い方法に手を出そうとしている。違いますか」
反論しようとして、口を開いて──結局、図星を突かれたボクはなにも言えずに。飛び出していたのは、情けのない慟哭だった。
「っああそうだよ! ボクが出来損ないだから、欠陥品だから!! ボクのせいで、ボクの、父さんも、母さんも……ああ、ああああ……」
崩れ落ちる。顔が涙でぐしゃぐしゃになって、みっともなかった。息が上手くできない。言葉を発そうとして、嗚咽が代わりに出て。
「……自分の父を、『鑑定』スキルで見たことはありますか」
「は……? そんなの、当たり前でしょ。……ボクには無い、選ばれたスキルがあるのを見たんだから」
言われなくとも確認したことなどある。
スキルを使うことで見ることが出来る紋様。柔らかく胸に灯る暖色の紋様、選ばれた者の証明を。残酷な文字列を。父が身につける瀟洒な服。首元へと付けられた、高貴な印象を与える家紋はその紋様をかたどっていて。それが刻まれたブローチを、優しく包むように紋様と同色のオーラが纏っている。
いつからか、辛くなって見るのをやめた。
「満月の夜には、見たのですか」
「……何を、言って……」
「やってみる価値はある。貴方の血が反応し加護の満ちる、満月の晩──スキルは力を強めているはずだ。……見えなかったものが、わかるかもしれない」
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