1 / 46
異世界と冷たい現実
しおりを挟む
入社四日目の朝。俺は会社などではなく、見知らぬ草原に立っていた。
「え……? なに……なにここ……?」
こんがらがりそうな頭を抱えて記憶を辿る。そうだ、確か、俺は……家を出て、まさに会社へ向かおうと徒歩で通勤していたところだったのだ。拭いきれない緊張混じりに横断歩道を渡っていると、ふと耳慣れない音がした。黒板を爪で引っ掻いたような、不愉快な音。そちらを向き視界の真ん中に映ったのは、俺目掛けて突っ込んで来る居眠り運転の乗用車。迫る車体に終わった、と運命を察したそのとき、強く体が引っ張られる感覚がし――次の瞬間、目の前には草原が広がっていた。
そして、冒頭に戻る。
「……うっそだろ」
整理しても頭は余計にとっちらかるばかりだ。悪い夢でも見ているのではないかと考えもしたが、頬を抓っても夢から覚めることはない。まさか、本当に。
これが俗に言う、異世界転生……いや、転移? どちらが正しいのかはわからないが、そういったものだろうか。
……ドッキリ、じゃないのこれ。
だって新卒で? 入ったばかりの会社に慣れもしていない内に? 追い込まれに追い込まれた俺にようやく内定を出してくれた、恐らくホワイトな会社だったのに? 上司も同僚も優しい人ばっかりで喜んでいたのに? せめて就活でメンタルが終わっていた頃に転移だか転生でも良かったんじゃないかな。
いいや、それどころではない。両親にももう会えない。友人もきっと一目見ることすら叶わないだろう。
気づけば溢れる無力感で膝を着いていた。一陣の風が吹き抜けて草がざわめく。どこまでも広がる地平線に、なんとも言えぬ喪失感がまた生まれる。涙は出なかった。戻れないことはどこかで悟っているのに、どこか現実味が無いからだろうか。
いつまでそうしていただろう。はああ、と肺の中の空気を全て出すように、長く息を吐く。両手で顔を挟み頬を叩いた。
「……ここに居たってどうしようもないんだ。とにかく、動くしかない」
良いように考えろ、菅原悠斗。活を入れる。
希望を持て。ほら、よくあるだろう。SNSの広告でやたらと流れてきた漫画。ここが異世界だとしたら、いつの間にか与えられたチートスキルで無双したりして。容姿もパッとしないし飛び抜けた才能もないけど、冴えない俺がギルド最強、いやそれどころか世界最強の名を轟かせ、なんだか良い感じの人生が送れるのだ!! ──なんて、自分に言い聞かせる。……なによりもしかしたら、元に戻れる方法もあるかもしれないし。そうだよ、きっとそうだ。
もう戻れないとうっすら漂う不安感は無視して、立ち上がる。
これから始まる新たな冒険譚と帰還への希望を思い描きながら、俺は草原を歩んで行った。
そうして、数ヶ月。俺は────異世界ギルドの英雄などではなく、村人のひとりとして暮らしていた。
辿り着いた小さな村で、俺は出会った村人へ赤裸々に身の上話をすると村中の人が集まることとなった。といってもそれほど人が多い訳ではない。訝しげな視線を向けられる居心地は余り良いとは言えなかったが、怪しい余所者が来たのだ、当然の反応だろう。
そうして、促されるままスキルや魔力の鑑定をしてもらった。『鑑定』スキルとやらの持ち主は人の固有スキルや体力、魔力を見ることができるらしい。それ自体はありふれたものらしく、そこの村にも一人使い手がいたため見てもらったのだ。
結果は、スキルも魔力も全く無し。
本来は優劣あれど必ずどちらも有するものらしい。これが異世界から転移した弊害なのだろうかと、当初はそれなりに凹んだ。それに尚更村の人たちからの視線はより不信感を増していくばかり。いい歳した成人男性がみっともなく涙ぐみそうになったことは、今からでも記憶から消したい。
しかし、肌を刺す不穏な空気の中、ひとりの村人──鍛冶屋の店主が「行く宛てが無いのなら俺のところに来ればいい」と何の気なしに言い放ったのだ。救世主が現れたとまた泣きそうになったのは仕方ないことだろう。
結果として、俺はそのままお世話になった。鍛冶屋を手伝いながら日を過ごすうちに、他の村人とも次第に打ち解けることができたように思う。仕事は少しだけ慣れてきた。といっても、俺は簡単な手伝いくらいしか出来ないとはいえ。
昔気質の職人といった気風の親父さんはやはり厳しいところもあるが、それでも優しい。一見とっつきにくいように見えて人情深い人で、俺を弟子どころか本当の息子のように扱ってくれている。俺があくどい人間で嘘をついていたらどうするのだろうか、なんてちょっと心配になってしまう。
ドラマティックな事件も冒険もなにも無い。ここがマンガなどの世界なら、俺は目も書かれていないようなモブであるはずだ。
だけどただのんびりと日々を過ごしている。それもまた、ひとつの幸せだろう。
始めのうちは元の世界に帰る希望が胸の中で燻っていたものの、ゆっくりと薄れていく感覚がある。それは特別な力も何も無い、自分の無力さ故だった。
「え……? なに……なにここ……?」
こんがらがりそうな頭を抱えて記憶を辿る。そうだ、確か、俺は……家を出て、まさに会社へ向かおうと徒歩で通勤していたところだったのだ。拭いきれない緊張混じりに横断歩道を渡っていると、ふと耳慣れない音がした。黒板を爪で引っ掻いたような、不愉快な音。そちらを向き視界の真ん中に映ったのは、俺目掛けて突っ込んで来る居眠り運転の乗用車。迫る車体に終わった、と運命を察したそのとき、強く体が引っ張られる感覚がし――次の瞬間、目の前には草原が広がっていた。
そして、冒頭に戻る。
「……うっそだろ」
整理しても頭は余計にとっちらかるばかりだ。悪い夢でも見ているのではないかと考えもしたが、頬を抓っても夢から覚めることはない。まさか、本当に。
これが俗に言う、異世界転生……いや、転移? どちらが正しいのかはわからないが、そういったものだろうか。
……ドッキリ、じゃないのこれ。
だって新卒で? 入ったばかりの会社に慣れもしていない内に? 追い込まれに追い込まれた俺にようやく内定を出してくれた、恐らくホワイトな会社だったのに? 上司も同僚も優しい人ばっかりで喜んでいたのに? せめて就活でメンタルが終わっていた頃に転移だか転生でも良かったんじゃないかな。
いいや、それどころではない。両親にももう会えない。友人もきっと一目見ることすら叶わないだろう。
気づけば溢れる無力感で膝を着いていた。一陣の風が吹き抜けて草がざわめく。どこまでも広がる地平線に、なんとも言えぬ喪失感がまた生まれる。涙は出なかった。戻れないことはどこかで悟っているのに、どこか現実味が無いからだろうか。
いつまでそうしていただろう。はああ、と肺の中の空気を全て出すように、長く息を吐く。両手で顔を挟み頬を叩いた。
「……ここに居たってどうしようもないんだ。とにかく、動くしかない」
良いように考えろ、菅原悠斗。活を入れる。
希望を持て。ほら、よくあるだろう。SNSの広告でやたらと流れてきた漫画。ここが異世界だとしたら、いつの間にか与えられたチートスキルで無双したりして。容姿もパッとしないし飛び抜けた才能もないけど、冴えない俺がギルド最強、いやそれどころか世界最強の名を轟かせ、なんだか良い感じの人生が送れるのだ!! ──なんて、自分に言い聞かせる。……なによりもしかしたら、元に戻れる方法もあるかもしれないし。そうだよ、きっとそうだ。
もう戻れないとうっすら漂う不安感は無視して、立ち上がる。
これから始まる新たな冒険譚と帰還への希望を思い描きながら、俺は草原を歩んで行った。
そうして、数ヶ月。俺は────異世界ギルドの英雄などではなく、村人のひとりとして暮らしていた。
辿り着いた小さな村で、俺は出会った村人へ赤裸々に身の上話をすると村中の人が集まることとなった。といってもそれほど人が多い訳ではない。訝しげな視線を向けられる居心地は余り良いとは言えなかったが、怪しい余所者が来たのだ、当然の反応だろう。
そうして、促されるままスキルや魔力の鑑定をしてもらった。『鑑定』スキルとやらの持ち主は人の固有スキルや体力、魔力を見ることができるらしい。それ自体はありふれたものらしく、そこの村にも一人使い手がいたため見てもらったのだ。
結果は、スキルも魔力も全く無し。
本来は優劣あれど必ずどちらも有するものらしい。これが異世界から転移した弊害なのだろうかと、当初はそれなりに凹んだ。それに尚更村の人たちからの視線はより不信感を増していくばかり。いい歳した成人男性がみっともなく涙ぐみそうになったことは、今からでも記憶から消したい。
しかし、肌を刺す不穏な空気の中、ひとりの村人──鍛冶屋の店主が「行く宛てが無いのなら俺のところに来ればいい」と何の気なしに言い放ったのだ。救世主が現れたとまた泣きそうになったのは仕方ないことだろう。
結果として、俺はそのままお世話になった。鍛冶屋を手伝いながら日を過ごすうちに、他の村人とも次第に打ち解けることができたように思う。仕事は少しだけ慣れてきた。といっても、俺は簡単な手伝いくらいしか出来ないとはいえ。
昔気質の職人といった気風の親父さんはやはり厳しいところもあるが、それでも優しい。一見とっつきにくいように見えて人情深い人で、俺を弟子どころか本当の息子のように扱ってくれている。俺があくどい人間で嘘をついていたらどうするのだろうか、なんてちょっと心配になってしまう。
ドラマティックな事件も冒険もなにも無い。ここがマンガなどの世界なら、俺は目も書かれていないようなモブであるはずだ。
だけどただのんびりと日々を過ごしている。それもまた、ひとつの幸せだろう。
始めのうちは元の世界に帰る希望が胸の中で燻っていたものの、ゆっくりと薄れていく感覚がある。それは特別な力も何も無い、自分の無力さ故だった。
577
お気に入りに追加
723
あなたにおすすめの小説
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
俺のまったり生活はどこへ?
グランラババー
BL
異世界に転生したリューイは、前世での死因を鑑みて、今世は若いうちだけ頑張って仕事をして、不労所得獲得を目指し、20代後半からはのんびり、まったり生活することにする。
しかし、次代の王となる第一王子に気に入られたり、伝説のドラゴンを倒したりと、今世も仕事からは逃れられそうにない。
さて、リューイは無事に不労所得獲得と、のんびり、まったり生活を実現できるのか?
「俺と第一王子との婚約なんて聞いてない!!」
BLではありますが、軽い恋愛要素があるぐらいで、R18には至りません。
以前は別の名前で投稿してたのですが、小説の内容がどうしても題名に沿わなくなってしまったため、題名を変更しました。
題名変更に伴い、小説の内容を少しずつ変更していきます。
小説の修正が終わりましたら、新章を投稿していきたいと思っています。
転生令息の、のんびりまったりな日々
かもめ みい
BL
3歳の時に前世の記憶を思い出した僕の、まったりした日々のお話。
※ふんわり、緩やか設定な世界観です。男性が女性より多い世界となっております。なので同性愛は普通の世界です。不思議パワーで男性妊娠もあります。R15は保険です。
痛いのや暗いのはなるべく避けています。全体的にR15展開がある事すらお約束できません。男性妊娠のある世界観の為、ボーイズラブ作品とさせて頂いております。こちらはムーンライトノベル様にも投稿しておりますが、一部加筆修正しております。更新速度はまったりです。
※無断転載はおやめください。Repost is prohibited.
魔力なしの嫌われ者の俺が、なぜか冷徹王子に溺愛される
ぶんぐ
BL
社畜リーマンは、階段から落ちたと思ったら…なんと異世界に転移していた!みんな魔法が使える世界で、俺だけ全く魔法が使えず、おまけにみんなには避けられてしまう。それでも頑張るぞ!って思ってたら、なぜか冷徹王子から口説かれてるんだけど?──
嫌われ→愛され 不憫受け 美形×平凡 要素があります。
※総愛され気味の描写が出てきますが、CPは1つだけです。
異世界に転移したショタは森でスローライフ中
ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。
ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。
仲良しの二人のほのぼのストーリーです。
Restartー僕は異世界で人生をやり直すー
エウラ
BL
───僕の人生、最悪だった。
生まれた家は名家で資産家。でも跡取りが僕だけだったから厳しく育てられ、教育係という名の監視がついて一日中気が休まることはない。
それでも唯々諾々と家のために従った。
そんなある日、母が病気で亡くなって直ぐに父が後妻と子供を連れて来た。僕より一つ下の少年だった。
父はその子を跡取りに決め、僕は捨てられた。
ヤケになって家を飛び出した先に知らない森が見えて・・・。
僕はこの世界で人生を再始動(リスタート)する事にした。
不定期更新です。
以前少し投稿したものを設定変更しました。
ジャンルを恋愛からBLに変更しました。
また後で変更とかあるかも。
悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】
瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。
そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた!
……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。
ウィル様のおまけにて完結致しました。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
異世界転生したのに弱いってどういうことだよ
めがてん
BL
俺――須藤美陽はその日、大きな悲しみの中に居た。
ある日突然、一番大切な親友兼恋人であった男を事故で亡くしたからだ。
恋人の葬式に参列した後、誰も居ない公園で悲しみに暮れていたその時――俺は突然眩い光に包まれた。
あまりに眩しいその光に思わず目を瞑り――次に目を開けたら。
「あうううーーー!!?(俺、赤ちゃんになってるーーー!!?)」
――何故か赤ちゃんになっていた。
突然赤ちゃんになってしまった俺は、どうやら魔法とかあるファンタジー世界に転生したらしいが……
この新しい体、滅茶苦茶病弱だし正直ファンタジー世界を楽しむどころじゃなかった。
突然異世界に転生してしまった俺(病弱)、これから一体どうなっちゃうんだよーーー!
***
作者の性癖を詰め込んだ作品です
病気表現とかあるので注意してください
BL要素は薄めです
書き溜めが尽きたので更新休止中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる