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終章《図書館司書の日常》

#2

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 紙本シオリは一人喫茶店にいた。

 インドア派のシオリは何気なしに喫茶店に立ち寄ることなどない。
 待ち合わせをしており、相手が来るのを待っているのだ。
 
 シオリが、待ち合わせ時間の三十分も前から待っているというのに相手は既に二十分もの遅刻。
 注意すべきだろうか、確かに注意はするべきだろう。しかし、遅れるだけの理由があるのかもしれない。
 一度きちんと話を聴いたうえで注意することにしよう。

 結局相手は三十分の遅刻。シオリの待ち時間を合わせると一時間。無駄な時間を過ごした。
 それでも感情的になってはいけないと、深呼吸。二度、三度と繰り返すうちに少し気持ちが和らいだ気がした。

 カランカランとドアベルが鳴った。
 入店した客は店内を見回して「あっ!」と声を上げて手を挙げる。
 シオリも軽く手を挙げて応える。
 
「すみません。遅刻しました」
「ええ、そうですね」
「相変わらず手厳しい」

 笑いながらウェイターを呼び「コーヒーをひとつ。ブラックで」注文を済ませると、どうしますか? とシオリに尋ねる。

「同じものを」とウェイターに告げる。
「かしこまりました。コーヒーをブラックでお二つですね。少々お待ちください」

 軽やかな声のウェイターは、その声同様の軽い足取りで駆けて行った。
 遠くから「コーヒーお二つブラックです」先程のウェイターの声が聞こえてくる。

「それにしても先生が喫茶店で待ち合わせなんて驚きましたよ。こういう場所とは縁のない方だと思っていたので」
「縁なんてありませんよ。私も初めて来ましたから」
「それともう一つ驚いたことがあります」
「もう一つ?」
「ええ、よく喋るようになられましたね」
「うるさいですか?」
「いえ、滅相もありません。むしろ私は嬉しく思いますよ。こうして先生とお話しできるんですから」

 浮かべる笑みは長年その顔に貼り付けてきた営業スマイル。
 もしかしたら笑う事とイコールで営業スマイルがインプットされてしまっているのかもしれない。

「嘘くさいです」

 シオリは率直な感想を述べる。
 頭を掻きながら「ヒドイ言われようだな」と苦笑を浮かべる。

「それではお仕事の話をしましょうか」

 そう言うと鞄から封筒を取り出しシオリの前に広げる。
 封筒の一つを手に取って中身を確認する。
 
「どれも却下です」
「なんでですか? どれも綺麗に撮れているのに」
「とにかくすべて却下です」
「これなんかいいじゃないですか」

 封筒から中身を取り出そうとする手をシオリが押さえる。
 やめてください。
 不服そうな表情で、渋々「わかりましたよ」と手を引く。
 本当に残念だとしつこいのでシオリは条件を提示する。

「正面からの全身像は却下です。それ以外であれば要検討です」
「わかりました。今日は検討していただけるところまでこぎつけたことで善しとしましょう」

 ところで話は変わりますが、とどこかショウスケを彷彿とさせる雰囲気を纏って「彼氏さんとはいかがですか?」
 随分と乱暴な質問である。
 それでも質問には答える。

「ええ、仲はいいです」

 そうなんですか、と笑う顔が、どこかシオリを嘲笑しているように見える。
 以前のシオリを知っている人間からしてみれば、シオリが異性と交際していることが信じられないのかもしれない。

 自己顕示欲などシオリにはないが、恋人は顕示したいという衝動に駆られる。意外と束縛するタイプなのかもしれない。

 新たな自分の発見にシオリは失笑する。
 色恋沙汰とは人の性質すら――その本質、人格の芯の部分までも変質させてしまう。
 
「今日は彼とのデートの下見です」

 昔のシオリであればデートなんて単語は出てこなかっただろう。
 そこからはせきを切ったように彼氏――フミハルとの出来事を矢継ぎ早に話した。


 …………
 ……
 …


 どれだけの時間が経過しただろうか?
 注文したコーヒーはすでにぬるくなっている。ちなみに三杯目である。
 シオリのマシンガントークに辟易した様子で目を擦りながら、

「せ、先生。私、次の打ち合わせが入っていまして……」
「そんなことはどうでもいい。それよりもフミハルくんの話が最優先。
 この前も、まのかちゃん、て言う女の子が図書館で一冊の本を持って「わたしの本」だなんて言うものだから、その言葉の意味を必死に推測するんだけど、ことごとくはずしていて――とてもかわいい。萌え死にしそうだった」

 そうですか……と消え入りそうな声で合いの手が入る。

「結局はその子の叔父さんが書いた本だったのだけど、それだけじゃ「わたしの本」なんていう言い方はしない。その本のタイトルは『魔女のかくしごと』。分かりますよね? まのかちゃんが「わたしの本」といった理由……――なんで首を傾げているんですか?」
「いやいや、先生。それだけのヒントでわかる人はそうはいませんよ。むしろそれだけのヒントでわかると思っているんですか? 先生って案外馬鹿――抜けていますよね」
「馬鹿って言った?」
「言っていませんよ」

 シオリは眉根に皺を寄せる。
 
「あれはかなりの大ヒントだった」
「ただでさえ先生は言葉数少ないんですから。どうせ「これ読んで」とか「ここを見れば分かる」みたいな大雑把なヒントしか出してなかったんでしょう」

 シオリは言葉に詰まる。
 図星だった。

「話はすごく簡単。『魔女のかくしごと』の中に、まのかちゃんの名前が隠されているって話。魔女の「ま」、次に「の」、最後にかくしごとの「か」。これで「まのか」になる」
「……なるほど。確かに言われてみれば簡単な事ですけど、やっぱり先生のヒントの出し方にも問題があると思います。彼氏さんを責めることは出来ないでしょう。フミハルくん? でしたっけ? よく先生に付き合っていますね。先生は彼氏さんに感謝しないといけませんよ」

 窘めるような口調に自分が喋りすぎたことに気づかされる。反省。
 フミハルの事となると喋りすぎてしまう。
 シオリの最近見つかった悪い癖。

「すみませんでした。お喋りが過ぎました」
「いえいえ、今まで先生との会話が全く続かず、お逢いしても一言二言交わすだけでしたから、これまでの分、今日話されたと思えばんじゃないんですか? 今後はもう少し短い打ち合わせをお願いしたいですけど」

 よろしくお願いしますねと頭を下げられ、シオリもお願いしますと頭を下げる。
 席を立つ際に「ここは私がもちます」と言って精算を済ませてしまう。
 すみませんと、謝罪と感謝の入り混じった面持ちで頭を下げると、「いいんですよ。先生社会人二年目のペーペーでしょ? 私も十年選手ですから、社会人の先輩としてコーヒーの一杯や二杯奢りますよ」

 正確には三杯を奢ってもらい、店を出た。


   ***


 夏休み前にデートに誘うことには成功した。
 せっかくのデートなのだ。それも夏休みという長期休暇にデートをするのだ。どこかに遠出何て言うのもありだし、近場で丸一日遊ぶのもいい。

 しかし、そんなデートプランは成り立たない。
 なぜなら、フミハルの彼女――シオリは超が付くインドアだからだ。
 遠出する体力はない。近場と言えど、長時間外にいることを嫌う。ならば近場でなおかつ室内。折角のデートなのだからフミハルだけでなくシオリにも楽しんでもらいたい。

 そこでフミハルは近場で落ち着いた雰囲気のお店を探していた。
 シオリの趣味は読書。一に読書、二に読書、三四も読書で五も読書。そういう人種だ。
 だったら心ゆくまで読書をしてもらおう。彼女ファーストだ。

 きっとシオリも喜んでくれるだろう。
 目ぼしいお店をデート前に見て(下見して)おこうと思って自ら休暇返上で調査に出た。
 そこで遭遇してしまった。

「なんでシオリさんがここに……それに一緒にいる男は……」

 フミハルはすぐに気が付いた。
 ――図書館に来ていたイケメンだ。

 シオリが浮気だなんてことはない。だがしかし、楽しくお茶をする仲から恋愛に発展しないとは限らない。段階を踏んでいけばいずれは……。
 フミハルは頭を抱える。
 ウェイターが訝しげにフミハルの事を見ていたが、そんな視線など全く気にならなかった。
 フミハルの目の前では目を疑いたくなる光景が起こっていた。

 シオリが楽しげに他の男と話し込んでいる。
 普段は必要最低限の会話しかしないシオリ。それは彼氏であるフミハルに対しても同様で、いつも言葉足らずなシオリの言葉を脳内補完して会話している。

 それなのに今のシオリは楽しげに頬を少し上気させて、白い歯を覗かせながら対面する男に熱心に話している。
 フミハルといる時よりも饒舌になっている。
 会話の内容は魔では聞き取れない。

 フミハルは注文したコーヒーを一口啜る。
 すでに冷めたコーヒーをテーブルに置いて、ため息を吐いた。
 それから小一時間、楽しげに話すシオリに見つからないように息を潜めていた。
 相手の顔は全く目に入らなかった。

 シオリたちに続いて店を出た。
 シオリのあとを追うのも手だが、フミハルの足取りは重かった。
 
 ……帰ろう。

 シオリに背を向けたフミハルは帰路についた。
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