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第一章《10年前の記憶を探る》
#5
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「ここに前に言った本があるんですか?」
「ええ、多分。思いの外棚本くんが課題終わらせるのが早かったから調べる余裕がなかったけど」
二人がやってきたのは、大学からほど近いところにある個人経営の小さな書店だった。
大学から近いということもあって客足には困らない。しかしベストセラー本なんかの入荷量は少なく、すぐに売り切れてしまう。発売されて一週間経たないうちに階に行ったのに売り切れていたりと、世相を反映した買い付けはしてくれない。
その代わりに店主の独断と言うか、ポリシーと言うべきか、多種多様なジャンルを幅広く入荷している。誰が買うんだ? と疑問を抱くようなラインナップには、読書家のシオリも頭を捻った。古書店でもないのに絶版本が本棚に乱雑に突き刺さっている。
だからシオリも学生時代にはよく大学の帰りに立ち寄っては、なけなしの所持金――当時は大金をはたいて買ったものだ。
そのせいで多くの学生からは不評である。一部のコアな客(学生時代のシオリなど)によって支えられている地域密着型の書店だ。
「でも俺、前にここにも来ましたよ」
「でも見つからなかった」
「そうですよ。この店にあれば大学の図書館にもありますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ。それにこっちよりも駅前の紀伊國屋書店の方が確率的に高いですよ。まあ、アッチもなかったですけどね」
半ば諦めた表情でフミハルが言う。
しかしシオリは哀れむような視線をフミハルに向ける。まるで何も知らない無知な子供の話を黙って聞く大人のようにシオリは何も言わなかった。
一通りフミハルが喋り終えるのを待って、シオリが話し始めた。
「折角だから謎解き風に語ってみようかな……。謎って程の謎ではないけれど、どんな陳腐なトリックでも名探偵が語れば難解なトリックに早変わりするかのごとく、私の口を通してこの些細な謎を難解な謎風に語ってみましょう」
勿体ぶった喋りをしているシオリだが、要約すれば理詰めで順を追って説明すると言うことだ。
フミハルはしっかりとシオリの話を聞く態勢を整えている。
その姿勢を確認したシオリは、大仰に頷いてから話し始めた。
「まずは棚本くんが前に話してくれた情報を整理しながら話を進めていきましょうか。まず初めに探している本は小説ということだったわね」
「ええ、小説でしたよ。漫画とか絵本みたいなイラスト重視の本でなかったのは確かです」
「でも、活字中心の本だったからって小説とは限らない」
「確かにその通りですよ。でも専門書とかとは違って物語でしたから。この前も話しましたけど、スポーツものでした」
そうよね、と相槌を打ちながらシオリは頷く。
でもそれだけじゃない、とフミハルはすかさず付け加える。
「あと挿絵もありました」
「そうだったわね。これだけでも十分ジャンルは絞れるわ」
「もうですか?」
「ええ、他にもある情報を合わせて考えるとおのずと答えは見えてくる」
「だったら今すぐ教えてくれてもいいじゃないですか!」
「それはダメ」
なんで!? 問うよりも早く、
「折角雰囲気作ったんだから楽しまなくちゃ」
最早、フミハルの探している本を見つけると言う本来の目的が、最優先事項から追いやられてしまっている。
フミハルの意思とは関係なくシオリの大仰な推理ショーは続く。
「今までの本に関する情報に加えて、その本があった場所っていうのが重要。その本は小学校の図書室にあった。そして大学附属図書館にはなかった。一小学校の図書室より、大学の図書館の方が蔵書量も圧倒的に多い。小学校の図書室にあって大学の図書館にはない。それはつまり、小学校――小学生には必要で、大学――学生には必要ではないもの――……」
ここまで言えばわかるでしょ? とフミハルに視線を送る。
しかしシオリの視線にフミハルは首を振る。
シオリは、ふぅと息を吐いて、唇をなぞるように舌で湿らす。
「じゃあ、大学の図書館にあまり所蔵されていないジャンルを考えてみればいい。
大学は小・中・高・と言った教育機関とは決定的違いがある。大学も教育機関と言うのは同じだけど、それと同時に研究機関でもある。
だから大学の教員は小・中・高と違って教員免許が不要。教育者としてはそれまでの教育機関――学校の先生より教えるのが下手な人間も多い。だって教えることは専門じゃないから。研究者って言うのが本職。
大学は教育機関と言う一面と研究機関って言う一面を持っている。研究機関にある図書館だから、研究用の資料として使う様な専門書は学外の図書館よりも沢山ある。でもその反面、研究資料となる専門書以外のところ、エンタメ本なんかは所蔵数も限られてくる。
つまり、ジャンルとしてはエンタメ系の本。これは棚本くんも言っていたわ。私も全面的にアナタの意見を支持する。
それでも小学校の図書室より、大学の図書館の方がエンタメ系の所蔵数も上。でも、大学の図書館より図書室の方が所蔵数の多いジャンルがある」
シオリは断言する。
「児童文学」
「児童文学?」
「子どもたちに活字に触れてもらう手始めに読んでもらうような本だから、挿絵やなんかのイラストが添えられているし、物語には違いはないから児童向け小説と言っていい。イラストがある小説だったらライトノベルなんかもあるけど、小学校にはあまり置かないわ。だとすれば、棚本くんが昔読んだ本というのは児童文学だった可能性が非常に高い」
そこまで言ってシオリは一度大きく深呼吸をして息を整えてから、
「そしてここの書店は児童文学も豊富に揃っている」
フミハルが口をはさむ。
「でも十年くらい前に読んだ本だったらまだ大手の書店にあるんじゃ……」
フミハルの指摘に、シオリは即座にその可能性を否定した。
「確かに、十年くらい前に出版されたものであれば、在庫があるかもしれないけど、もしその本が寄贈本だったらどうかしら? 十年前に読んだイコール十年前に出版されたとは限らない。もしかすると二十年、三十年前に出版されたものかもしれない。だとすれば普通の書店には置いてない可能性がある。そんな昔の本を置いているのは変わり者の店主が営む書店にしかない。ここみたいな」
二人は児童文学のコナーに行き、目的の本を探した。するといとも簡単に見つかった。
装丁には、サッカーボールを蹴っている少年のイラストが描かれていた。
これですよ! と興奮気味に本を手にしたフミハルから本を受け取ると、出版年度を確認。十三年前の出版だった。もしかしたら他の書店にもあったかもしれない。
が、そのことについては言及することなく、シオリはその本をそのままレジへと持って行く。
「あ、あのシオリさん?」
「この本プレゼントする。ちょっと――かなり遅れたけど入学祝い」
シオリが本を手渡すと、フミハルが「おおぉっ……」と声を震わせながら受け取ると破願した。
パァっと蕾が花咲くように満面の笑みに、思わずシオリは視線を逸らす。
反則だよぉ……心の中でそう呟き、慌てて平静を取り繕う。
「目的の本は手に入れたし、帰りましょうか」
「はい」
書店を出て駅へと向かう。
「棚本くん、帰り道こっちじゃないでしょ?」
「駅まで送って行きますよ。夜道の一人歩きは危ないですから」
夜道とは言え、まだまだ明るい。駅に着くまでに陽が落ちることはおそらくないだろう。
小刻みに身体を揺らしながら隣を歩くフミハルの足取りは軽い。
「お疲れ様会いつ開いてくれます?」
「え、本当にやる?」
「もちろんです。そのために課題終わらせたんですから」
「うーん……わかった。じゃあ連絡先交換しましょう。予定が決まったら連絡する」
互いに連絡先を交換すると、フミハルは小躍りして喜んだ。
その姿を見てシオリは苦笑した。
「早く行きましょう」
置いて行くわよ、と小走りするシオリのあとを、フミハルが大股でついて行く。
温かく柔らかい空気を纏った二人は、白い歯を覗かせながら蝉時雨の中を歩く。
駅に到着すると、どちらともなく口元を綻ばせて「またね」と言って別れた――。
「ええ、多分。思いの外棚本くんが課題終わらせるのが早かったから調べる余裕がなかったけど」
二人がやってきたのは、大学からほど近いところにある個人経営の小さな書店だった。
大学から近いということもあって客足には困らない。しかしベストセラー本なんかの入荷量は少なく、すぐに売り切れてしまう。発売されて一週間経たないうちに階に行ったのに売り切れていたりと、世相を反映した買い付けはしてくれない。
その代わりに店主の独断と言うか、ポリシーと言うべきか、多種多様なジャンルを幅広く入荷している。誰が買うんだ? と疑問を抱くようなラインナップには、読書家のシオリも頭を捻った。古書店でもないのに絶版本が本棚に乱雑に突き刺さっている。
だからシオリも学生時代にはよく大学の帰りに立ち寄っては、なけなしの所持金――当時は大金をはたいて買ったものだ。
そのせいで多くの学生からは不評である。一部のコアな客(学生時代のシオリなど)によって支えられている地域密着型の書店だ。
「でも俺、前にここにも来ましたよ」
「でも見つからなかった」
「そうですよ。この店にあれば大学の図書館にもありますよ」
「そうかしら?」
「そうですよ。それにこっちよりも駅前の紀伊國屋書店の方が確率的に高いですよ。まあ、アッチもなかったですけどね」
半ば諦めた表情でフミハルが言う。
しかしシオリは哀れむような視線をフミハルに向ける。まるで何も知らない無知な子供の話を黙って聞く大人のようにシオリは何も言わなかった。
一通りフミハルが喋り終えるのを待って、シオリが話し始めた。
「折角だから謎解き風に語ってみようかな……。謎って程の謎ではないけれど、どんな陳腐なトリックでも名探偵が語れば難解なトリックに早変わりするかのごとく、私の口を通してこの些細な謎を難解な謎風に語ってみましょう」
勿体ぶった喋りをしているシオリだが、要約すれば理詰めで順を追って説明すると言うことだ。
フミハルはしっかりとシオリの話を聞く態勢を整えている。
その姿勢を確認したシオリは、大仰に頷いてから話し始めた。
「まずは棚本くんが前に話してくれた情報を整理しながら話を進めていきましょうか。まず初めに探している本は小説ということだったわね」
「ええ、小説でしたよ。漫画とか絵本みたいなイラスト重視の本でなかったのは確かです」
「でも、活字中心の本だったからって小説とは限らない」
「確かにその通りですよ。でも専門書とかとは違って物語でしたから。この前も話しましたけど、スポーツものでした」
そうよね、と相槌を打ちながらシオリは頷く。
でもそれだけじゃない、とフミハルはすかさず付け加える。
「あと挿絵もありました」
「そうだったわね。これだけでも十分ジャンルは絞れるわ」
「もうですか?」
「ええ、他にもある情報を合わせて考えるとおのずと答えは見えてくる」
「だったら今すぐ教えてくれてもいいじゃないですか!」
「それはダメ」
なんで!? 問うよりも早く、
「折角雰囲気作ったんだから楽しまなくちゃ」
最早、フミハルの探している本を見つけると言う本来の目的が、最優先事項から追いやられてしまっている。
フミハルの意思とは関係なくシオリの大仰な推理ショーは続く。
「今までの本に関する情報に加えて、その本があった場所っていうのが重要。その本は小学校の図書室にあった。そして大学附属図書館にはなかった。一小学校の図書室より、大学の図書館の方が蔵書量も圧倒的に多い。小学校の図書室にあって大学の図書館にはない。それはつまり、小学校――小学生には必要で、大学――学生には必要ではないもの――……」
ここまで言えばわかるでしょ? とフミハルに視線を送る。
しかしシオリの視線にフミハルは首を振る。
シオリは、ふぅと息を吐いて、唇をなぞるように舌で湿らす。
「じゃあ、大学の図書館にあまり所蔵されていないジャンルを考えてみればいい。
大学は小・中・高・と言った教育機関とは決定的違いがある。大学も教育機関と言うのは同じだけど、それと同時に研究機関でもある。
だから大学の教員は小・中・高と違って教員免許が不要。教育者としてはそれまでの教育機関――学校の先生より教えるのが下手な人間も多い。だって教えることは専門じゃないから。研究者って言うのが本職。
大学は教育機関と言う一面と研究機関って言う一面を持っている。研究機関にある図書館だから、研究用の資料として使う様な専門書は学外の図書館よりも沢山ある。でもその反面、研究資料となる専門書以外のところ、エンタメ本なんかは所蔵数も限られてくる。
つまり、ジャンルとしてはエンタメ系の本。これは棚本くんも言っていたわ。私も全面的にアナタの意見を支持する。
それでも小学校の図書室より、大学の図書館の方がエンタメ系の所蔵数も上。でも、大学の図書館より図書室の方が所蔵数の多いジャンルがある」
シオリは断言する。
「児童文学」
「児童文学?」
「子どもたちに活字に触れてもらう手始めに読んでもらうような本だから、挿絵やなんかのイラストが添えられているし、物語には違いはないから児童向け小説と言っていい。イラストがある小説だったらライトノベルなんかもあるけど、小学校にはあまり置かないわ。だとすれば、棚本くんが昔読んだ本というのは児童文学だった可能性が非常に高い」
そこまで言ってシオリは一度大きく深呼吸をして息を整えてから、
「そしてここの書店は児童文学も豊富に揃っている」
フミハルが口をはさむ。
「でも十年くらい前に読んだ本だったらまだ大手の書店にあるんじゃ……」
フミハルの指摘に、シオリは即座にその可能性を否定した。
「確かに、十年くらい前に出版されたものであれば、在庫があるかもしれないけど、もしその本が寄贈本だったらどうかしら? 十年前に読んだイコール十年前に出版されたとは限らない。もしかすると二十年、三十年前に出版されたものかもしれない。だとすれば普通の書店には置いてない可能性がある。そんな昔の本を置いているのは変わり者の店主が営む書店にしかない。ここみたいな」
二人は児童文学のコナーに行き、目的の本を探した。するといとも簡単に見つかった。
装丁には、サッカーボールを蹴っている少年のイラストが描かれていた。
これですよ! と興奮気味に本を手にしたフミハルから本を受け取ると、出版年度を確認。十三年前の出版だった。もしかしたら他の書店にもあったかもしれない。
が、そのことについては言及することなく、シオリはその本をそのままレジへと持って行く。
「あ、あのシオリさん?」
「この本プレゼントする。ちょっと――かなり遅れたけど入学祝い」
シオリが本を手渡すと、フミハルが「おおぉっ……」と声を震わせながら受け取ると破願した。
パァっと蕾が花咲くように満面の笑みに、思わずシオリは視線を逸らす。
反則だよぉ……心の中でそう呟き、慌てて平静を取り繕う。
「目的の本は手に入れたし、帰りましょうか」
「はい」
書店を出て駅へと向かう。
「棚本くん、帰り道こっちじゃないでしょ?」
「駅まで送って行きますよ。夜道の一人歩きは危ないですから」
夜道とは言え、まだまだ明るい。駅に着くまでに陽が落ちることはおそらくないだろう。
小刻みに身体を揺らしながら隣を歩くフミハルの足取りは軽い。
「お疲れ様会いつ開いてくれます?」
「え、本当にやる?」
「もちろんです。そのために課題終わらせたんですから」
「うーん……わかった。じゃあ連絡先交換しましょう。予定が決まったら連絡する」
互いに連絡先を交換すると、フミハルは小躍りして喜んだ。
その姿を見てシオリは苦笑した。
「早く行きましょう」
置いて行くわよ、と小走りするシオリのあとを、フミハルが大股でついて行く。
温かく柔らかい空気を纏った二人は、白い歯を覗かせながら蝉時雨の中を歩く。
駅に到着すると、どちらともなく口元を綻ばせて「またね」と言って別れた――。
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