半妖の陰陽師～鬼哭の声を聞け

第十三話 冬真の災難

　見つけた。
　見つけたぞ。
　そう、お前だ。
　お前が、アレを目覚めさせた。
　お前こそ禍わざわい、お前が元げん凶きよう。
　許せなさい。
　許さない。
　お前も喰くわれてしまえ、陰陽師。


　蔀しとみから滑り込んできた風が、燈とう台だいの灯あかりを揺らした。
　さらに耳じ朶だに触ふれた声音に、かの陰陽師は眉間に皺しわを寄せた。
　――まったく、忌いま々いましい……っ。
　視線を運んだ先には、黒い影が躍っていた。
「吾われはただ、かの者たちの願いを叶かなえただけに過ぎん。それに――、アレもいわば我が依頼者。お陰かげで稼かせがせてもらったが？」
　黒い影は大きく伸びて、嗤わらう陰陽師を襲おうとするがそれはしなかった。
「ふふ……、つまりそういうことだ。お前は吾には勝てぬ。吾を殺したとて、お前は元には戻らぬ。やかで意思も溶け、〝お前〟という存在は消える。違うか？」
『……』
「わかったら下へ手たに逆らわぬことだ。ま、お前が塵ちりとして消えようが、吾は次のモノを目覚めさせるがな。目覚めさせるも消すのも吾次第。言こと霊だまにはそれだけのちからがあるということだ」
　黒い影は、そのまま入ってきた蔀のほうに消えていく。
　そう、自分は彼らの願いを叶えただけ――。
　この世から、人の負の念が消えない限り、彼のような人間が嗤う。
　彼は腰を上げ、主しゆ殿でんに向かう。
「お待たせして申し訳ない」
　そこでは、一人の貴族が座ざしていた。
「そのほうが、呪じゆ詛そでもなんでも引き受けるという陰陽師か？」
　ほら、また愚かな依頼者がやって来た。彼はにやりと嗤った。
「――聞きましょうか？あなた様が消したい者の名前を」
　
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　亥いの四刻しこく（※午後二十二時半）――四条大路に馬が歩を進める蹄ひづめの音が響く。この夜、藤原冬真は王都の見回りに左さ近こん衛え少しよう将しよう・橘たちばな武たけ道みちを伴ともなって出ていた。
「まさかと思いますが……、出ないでしょうねぇ？」
　冬真の後ろに続く少将の頼りない声に、冬真は嘆息した。
「お前なぁ、それでよく衛え府ふの武官になれたな？」
　王都で起きている謎の怪異――、人があっという間に骨にされるというそれは、いまだ原因はわかってはいない。晴明は妖の仕業と断じたが。
「あ、相手は人間ではないのですよ？中将」
　少将は、自分も骨にされると怯えているようだ。　
「それでもだ。我々が怖がっていては、大内裏も帝も護れん」
「中将は、怖くはないのですか？」
「妖あやかしに少しばかり耐たい性せいがついているからな。誰かの所せ為いで……」
　冬真の脳のう裏りに、その『晴明だれか』の顔が浮かぶ。
　そもそも、都での事件は検け非び違い使しの担当である。しかし、最近は夜や盗とうが出しゆつ没ぼつしているらしく、人ひと手でが足らないという。
　困ったことに、都に出るとなると、近この衛え府ふではまたも誰が行くか行かないか揉もめだした。何しろ、人をあっという間に骨にするという怪かい異いが起きている王都だ。
　ならば俺が行くと冬真が名乗りを上げると、今し方まで青い顔でなすりあいをしていた武官たちが喜き々きとして冬真を褒ほめ始めた。
（いつか衛府うちは、廃すたれるぞ……？）
　半眼で嘆なげく冬真だが、彼とてまったく怖いわけではない。
　それは前から来るのか、後ろから来るのか、どんな姿なのかもわからない。襲われているのに、その姿を見た者がいないのだ。
　弓ゆみ矢やは携けい帯たいしていたが、はたして妖相手に通じるかどうか。
　そろそろ大宮大路と交わるという路で、冬真を乗せた馬が歩を止めた。
「どうした？」
　胡う乱ろんに眉を寄せる冬真の前を、拳こぶし大だいの何かが横切った。
「中将っ！！」
　馬は前足を上げ、冬真を地に振り落としたのである。
　彼は日ひ頃ごろから乗馬には慣れていた。馬が暴れたくらいで、振り落とされる男ではなかった。それほど彼の馬は、暴れた。
「くそ……っ、俺としたことが……」
　妖が目の前に現れたとしても、いまの冬真には弓は使えない。
　落馬の際に頭を打ったらしく、意識が消えていく。
　――どうやら、骨になるのは俺のようだな。
　冬真は自じ嘲ちようして、意識を手放した。

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　冬真が襲われた――、そう報しらせてきた天てん将しようたちに、晴明ははじめ「なんの冗じよう談だんだ？」と聞き返した。他の者ならいざ知らず、左近衛中将という地位にいる男である。性格に多少の難があるとはいえ、黙ってやられるとは思わない。
　顕けん現げんしたのは太たい陰いんと玄げん武ぶだった。
　いつもは賑にぎやかな二人が揃そろって唇くちびるを噛かんでいる。
　
　二人は晴明の命令を遂すい行こうしていた。
　謎の妖の気配を探り正体を突き止める――、そして妖気を察知した。
　だが妖気だけで、姿は見せない。
『十二天将わたしたちを馬鹿にしないで！』
　太陰は神しん気きを放ち、逃げる妖の退路を玄武が断った。
　そこに運悪く、見回り中の人間がやってきてしまった。二人はそのうちの一人が誰かよく知っていた。妖はなんと、その人物の前に飛んだのだ。
　それが、冬真だった。

　冬真は襲われたというより、巻き添えを食らった――というのが正解だろう。
　天将たちは、妖に逃げられたということよりも、人の気配に気づけず、その人間を攻撃に巻き込んだ自分たちに憤いきどおっているようである。
　詳しよう細さいを聞き終えた晴明は嘆たん息そくしたあと両腕を組み、口を開いた。
「それで――、冬真あいつは死んだのか？」
　晴明に責められるだろうと思っていたのか、太陰と玄武は「え……」という顔をして、目を瞬しばたたかせた。
　
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　――現在の藤原家は、都がまだ平城へいじように置かれている頃の四兄弟が祖そだという。
　やがて彼らは、それぞれ家を興おこす。
　長男は嫡ちやく流りゆうの北ほつ家け、他の兄弟は傍ぼう流りゆうの三家――次男は南なん家け、三男は西さい家け、四男は東とう家げと別れたという。だが西家と東家は後こう継けいとなる子が絶え、藤原家は北家と南家によって存続することになったという。
　現・南家は右大臣・藤ふじ原はら有あり朋ともが当主の本家とその南家から派は生せいした家には子し弟ていがそれぞれいるらしい。本家直系が絶えたとしても、その家から養子を迎えれば問題はないという。それは北家も同じで、関白・藤原頼房の後継は、北家から派生した家から迎えた人物だという。ただかの家は、頼房に姫（現中宮・瞳子）しか生まれずそうなったのだが。
　その南本家は中御門大路なかみかどおおじにあり、当主・有朋は跡取り息子に起きた災難に「ああ、やっぱりか」と思っていたらしい。
　型に染まらぬ冬真の性格上、いつ災難に見舞われるかひやひやしてと、邸やしきを訪ねてきた晴明を前に笑った。
　邸の女房に案内されて簀すの子こ縁えんを進んだ晴明は、室へやの前で盛せい大だいな溜め息をついた。
「なんだ。生きているのか……」
　そんな晴明に、額ひたいに布を巻かれた冬真の目が据すわった。
「お前なぁ……、その残念そうな顔はなんだ。危うく、白骨になりかけたんだぞ。俺は」
　茵しとねの上で胡座あぐらをかいて腕を組み、彼は憤ふん然ぜんと抗議した。
「その分では、とうぶんあの世とは縁はなさそうだな？」
「俺を勝手に殺すな。俺は爺じじいになっても長生きしてやるよ」
　普通の人間ならば、落馬すれば死んでいたかも知れない。冬真が軽傷ですんだのは、暴れ馬だとう鋼鐵を乗りこなし、落馬の際の受け身も体たい得とくしていたからだろう。
「お前には……、悪かったと思っている」
「どうした？急に」
　天将たちの代わりに詫わびたのだが、彼らが視えぬ冬真にそれを話しても理解するまで時間がかかるだろう。使役している晴明でさえ、十二天将とはなにかと未だ理解しがたい存在なのだから。　
　だがこれでわかったのは、かの妖は晴明の近くまで来ていること。

　そして――。
　　

 「なにゆえ……」
　かの男は呟つぶやき、背を向けた男に手を伸ばした。
　躯からだは黒いモノが徐じよ々じよに覆い、ついに目だけが小さな隙間から覗ける程度になった。
　男は振り向いた。
「なにゆえ？あなたを消して欲しいと依頼されたのですよ」
「お……まえは……」
　ああ、喰われていく。
　得体の知れぬモノに、なにもかも。
　なにゆえ、かような目に遭う。
　誰が、自分を疎うとんじたのか。
　なにゆえ――。
　喰われていく男に、その男は嗤った。
「私は――陰陽師ですよ」
　そして、見えていたものを見えなくなった。
　絶望の中、男は最さい期ごにかの陰陽師に向かって呟いた。
　
  ――バケモノめ。