上 下
13 / 14

第十二話  人が鬼となるとき

しおりを挟む
「あと、もうひとしだ」
 けんしわを刻み、かの人物はあんふけった。
「もう、十分なのでは……? お父さま」
 父と呼ぶその人物の前で、娘はおうぎを開く。
「なにをいう。せっかくのこうにはできぬ。なに、脅してやるだけじゃ。かの者たちは甘い汁を吸ってえる一方。だが、天は我らにほほんだではないか? あと一押し、そうあと一押し。お前は見て振りをしておればよい。これまでどおりに」
 父親の言葉に、娘は何も言えなかった。
 権力というものに取りかれ、罪に手を染め始めた父を止められない。その理由わけを、娘はわかっていた。自分も夢を見たのだ。ただ彼女としては、通ってくる男の心をつなめておきたかっただけだ。それを父がぼうそうした。
 ――わたくしは、なにもしてはいないわ。
 彼女はもくにんすることで、自身をせいとうした。
 これまでそうだった。お前のため――と言われて、彼女は見ない振りをしてきた。彼女にしつようふみを送ってきた男が地方に飛ばされた時も、先帝からはいりようされたというつぼをうっかり割ってしまったときも、彼女の父は「お前のため」とその罪を舎人とねりになすりつけた。
 だがはたして、自分は本当になにも悪くはないのか。
 彼女の脳裏に、ある男の顔が浮かぶ。
 その男は、口を開くことはなかったが、彼の目がなにもかも見透かされているようで不安になる。

「――申し上げます」
 我に返った彼女は、ゆっくりと視線を運ぶ。女房の一人がすのえんへいふくしている。
「何か? みよう(※中級の女官)」
「安倍晴明さまが、お越しになっております」
「陰陽師の……?」
 なぜここに、陰陽師がくるのか。
 手にする檜扇が、きざみにふるえる。
 いや、大丈夫。いつものように微笑んでいればいい。そういつものように。
 彼女はそう己に言い聞かせ、顔を上げた。

                   ◆
 
 なにゆえ、わからぬ。
 なにゆえ、届かぬ。
 なんどもなんども、よんだのに。
 だが、わかった。
 わが声が聞こえないのは、おまえがあのモノたちと同じだからだ。
 ゆえに、聞こえぬ。
 ゆえに、わからぬ。
 ちがうというなら、答えてみよ。
 この心が奴らに喰われる前に。


 ぶんだいに視線を落としていた晴明は、ふと視線をしとみに運んだ。
 風を入れるために上げた蔀のそこからは、くもからのぞく青いそらが見えていた。
『どうかしたか?』
 晴明が座るかたわらで、ぞうおおくびの末に耳の掃除を始めた。
「いま、あそこに何かいたような気がしたんだが……」
『そんなもの、いなかったぞ。わいそうに、もうその年でもうろくしたか?』
 雑鬼の言葉に晴明がけついんし、小さなだまが雑鬼をかすめた。
『あぶねぇなぁ。髪がげたじゃねぇか。やしきの中でじゆなどぶっぱなすもんじゃねぇぞ』
 頭をさする雑鬼を、晴明はへいげいする。
「次はその口にはなってやろうか?」
 雑鬼は飛び上がりそそくさとはりに昇っていく。
 晴明は最近、こうした気配を感じることがある。
 黙って見つめられているというのは、どうもいい気分ではない。用があるなら出てくればいいものを、無言のまま消えるのはしやくぜんとしない。
 お陰で依頼されたれいの一つが、書きそんじてになった。
 黒々とした墨の文字がぐにゃり曲がっている。それはまるで、池で見たあやかしのように――。
 こうなると、仕事どころではなくなる。
 心を静めて書かねば霊符に意味はない。じやねんのまま書こうものなら、その霊符は害となる。心にしようじたうつぷんを持てあましていると、すのえんけいかいな足音が響いた。
 だんだん近づいてくるそれは、いつもなら迷惑この上ないのだが――。
「――ちょうどいいところにきたな? 冬真」
 ひさしの下に立った藤原冬真はあつに取られた顔で、首をかしげた。

                    ◆◆◆
  
 さらさらと風が吹く。
 づき(※八月)となれば、ようしやないにちりんに身をあぶられることになるが、自然のせつに人は逆らえぬ。それでも人は暑ければ暑いと言い、りが続けば雨が恋しいと嘆き、逆に多めが降ればかわあふれるとおそれ、何かと文句が多い生き物ではあるが。
「――しようようしやゆかしたから、かたしろが見つかったらしい」
 冬真が切り出した話題に、晴明は口に運んだ土器かわらけから視線を冬真に運ぶ。
 形代というのはりよう(※物を書くための用紙)を人の形に切り抜いたもので、陰陽師なられたものだ。おもに自身の代わりに手足となる〝式〟として使うが、呪いの道具ともなる。それが昭陽舎(なしつぼ)の床下から見つかったということは――。
「……やはりな」
「なんだ、知っていたのか? 晴明」
「まぁな」

 内裏で乞巧祭会きこうさいえが行われる三日前、晴明は昭陽舎を訪ねた。
 突然の陰陽師のらいほうに、昭陽舎の主・梨壺の更衣こういは驚いていた。確かに普通は、よほどのことがない限り、陰陽師は後宮には入らない。
 しかし晴明が昭陽舎を訪ねたのは自身の目的の他に、帝の依頼も受けてのことだ。
 梨壺の更衣は、中宮に次ぐ今上帝ごちようあい妃嬪ひひんである。更衣という身分はにようの下だが、それでも帝のちようを受けるということは、出世に繋がる。
 だが幽鬼騒ぎが起きてから、梨壺の更衣の顔色が優れないという。帝はそれを気にしたのだ。
「――恐れながら、この殿でんしやおんな気が漂っております」
「え……」
 梨壺の更衣から、顔の半分を覆っていた檜扇が落ちた。
「気の流れは心身を病みます。これはじゆによるものかと」
「わたくしが、呪詛をされている……と?」
「ご安心を。すぐに呪は返します。もう二度と愚かなことを考えぬよう、少し荒っぽい呪詛返しとなりますが」
「そこまでする必要はございませんわ。このとおり、害はありませんませもの」
「それでは、かの者は消えてくれません」
「かの者……?」
「本物の幽鬼ですよ。梨壺の更衣さま」
 梨壺の更衣は、びくっとからだを震わせた。その態度から、晴明はわかってしまった。
 彼女の視線は、晴明が退室するまで絡むことはなかった。
 だが晴明には、それでもよかった。陰陽師としての勤めを果たせばそれで――。
 
「――しかし、昭陽舎に呪詛を仕掛けたのは何者なんだろうな? 晴明」
 晴明の酌を受けながら、冬真が胡乱に眉を寄せた。
 晴明は、それは誰かとは口に出すことはなかった。陰陽師はわざわいをはらうだけで、ことを仕組んだ者を裁く権限はない。
 恐らくそれは、晴明の前に現れたはかなげなだまも望んではいないだろう。
 聞けばかの人物は、こころやさしき人物だったという。あやまちを犯していたとしてもその者を責めず、過ちを犯すに至ったその理由を慮ったという。
 生きていれば、将来はけんていとなっていたであう前・東宮――。
 せいおんりようとしてたたっていると知った皇子のたまは、そうではないと、自分たちはじゆではなく病で死んだのだと、晴明に訴えに来た。
 ゆえに、晴明はその依頼を受けた。
 冬真と二人で昭陽舎に駆けつけた際、晴明が目撃した人影。あの人物はなぜあの場にいたのか。ぼくせんですぐに答えは出た。
 昭陽舎に不穏な気が漂っているというと、梨壺の更衣こういびんかんに反応した。人は心にやましいことがあると、態度やぐさに現れる。
 視線をさまわせ始めた更衣に、晴明は確信した。
 呪詛返しをしたとなると、その顔は急に青ざめた。呪詛された側が、呪詛返しで青ざめる――この違和感に、呪詛の形代は本来ならば違う場所に置かれるべきものだったのではないかと。まさか、それが呪詛する側におかれた。
 恐らく呪詛の依頼主は、間違えたのだ。
 その去って行く姿を更衣は幽鬼と勘違いし、晴明に後ろ姿を見られた。
 何ともおまつな結果だが、かくさくしたちようほんにんは梨壺の更衣ではなかろう。呪詛返しをすれば、その呪いは呪った相手に返る。
 ふじつぼの件でほつの名をおとしめんとしたのだろうが、呪詛に手を出したことがけつを掘った。 かの人物はもう、先の東宮とその母までけがすような真似はもうしないだろう。再び手を出せば、今度こそ王都にはいられなくなる。
 帝はこの件に関しては、晴明が多く語らなかったため追求することなかった。帝としては、藤壺のにようも前・東宮も呪詛による死ではなかったことにあんしたようだ。
「これで、内裏が静かになるといいが……」
(それは無理だな……)
 内裏もまた、あつしゆそうくつのような場だと晴明は思う。
 権力に群がる者たちは、これからもあの手この手でさくぼうめぐらせるだろう。
 以前、冬真が言った。

 ――俺は、人間のほうが怖い。

 けがれをとことん嫌う貴族たちは直接人を害さないが、結果的に新たな憎悪を生む。
 それら負の念が闇をつくり、あやかしが引き込まれるのだ。
 人はいつなんどき、どうちるかわからない。
 かくいう晴明も、くらがりに半分足を入れてはいるが。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜

紫 和春
歴史・時代
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。 第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

陰陽師の娘

じぇいど
歴史・時代
時は乱世。京は応仁の乱ですっかり荒れ果て、日本各地で武将たちが戦を繰り返している永禄3年(1560 年)。 勧修寺晴豊は17歳。公家と武家の両方の血を引く彼は、山深き若狭国(福井県大飯郡)に足を踏み入れていた。 政略結婚の相手――かの安倍晴明の末裔である、土御門家の姫に会うために。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

戦艦タナガーin太平洋

みにみ
歴史・時代
コンベース港でメビウス1率いる ISAF部隊に撃破され沈んだタナガー だがクルーたちが目を覚ますと そこは1942年の柱島泊地!?!?

処理中です...