100日後に死ぬ彼女

変愚の人

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「俊太郎、こっちこっち」

あたしは改札の向こうから手招きした。俊太郎があたしの姿を捉え、小走りでやってくる。

「ゴメン、少し迷った。横浜方面に行くこと、あまりないから」

「あー、自由ケ丘って結構構造が複雑だからね。東横線から降りる時、間違って大井町線の方に向かいがちだし」

俊太郎はいつも通り黒系のコーディネートだ。お土産が入ってるのか、バッグが少し膨れている。

「荷物、大丈夫?」

「うん、そんな重くないから」

「お土産ならそんな気をつかわなくていいのに」

「礼儀として必要だろ。……ご両親のお口に合えばいいけど」

自信なさげな俊太郎を見て、あたしはクスっと笑った。きっと、色々回って探したんだろうな。

「うちはこっち。正面口から歩いて10分ぐらいかな。エバーグリーン自由ケ丘には、来たことなかったっけ」

「……うん。大体会う時は、うちか渋谷、そうじゃなかったら池袋だったし。お洒落な買い物は、僕に似合わない」

「そう?エバーグリーンモールとか、結構楽しいよ」

俊太郎がうちに来たことはない。両親に紹介するのには少し早いかなと思ってたからだ。もちろん、これまでの彼氏もそれは同様だ。
デートコースとしても人気があるエバーグリーンモールに来たがったのもいたけど、それはあたしが断っていた。多分、そんなに彼のことが好きじゃなかったからなんだろう。
あるいは知り合いの誰か、特に親に見られたら嫌だな、とどこかで思ってたからなのかもしれない。

でも、俊太郎ならそれでも構わないと思うようになっていた。こんなに続いたのは、彼が初めてだった。
だから、先週の突然の申し出に、あたしは応えた。パパとママも快くOKしてくれた。やはり、東大ブランドというのは信頼性の面で絶大らしい。

あたしたちは、手を繋いでゆっくり歩く。3分も歩くとすぐに人通りは少なくなり、閑静な住宅街に入った。

「……そういえば、この前の地震。大丈夫だった?」

不安そうな顔で、俊太郎があたしを見る。多分、また例の悪夢のことを思い出してるんだろうな。
あたしは少し大仰な作り笑いを浮かべた。

「うん、全然大丈夫だよ。結構揺れたけど、少し机の小物が落ちたくらいで」

「その後、何か変化は?ちょっとしたことでもいいんだ」

「ううん、今のとこ」

俊太郎は何か考えているようだった。なぜそこまで心配するのだろう。……まさか、ね。


「……俊太郎、予知夢とかって見る方なの?」


俊太郎が驚いたように足を止めた。

「……い、いや。そんなことは、ない」


誤魔化している。


あたしは直感した。半分冗談のつもりだったのに。
ただ俊太郎は、これまでの付き合いからしてそこまで勘が鋭い方じゃない。どっちかというと、理系らしく理詰めで考える方だ。だから彼が予知夢を見るなんて、思いもしなかった。
ただ、そう考えると、ここ最近の俊太郎が挙動不審なのには説明がついた。つまりあの悪夢が、将来起きるものだと思い込んでいる。

あたしは、俊太郎にどう言うべきか迷った。正直、気分は良くない。自分が死ぬ悪夢を本気にしているなんて、縁起でもない。
ただ、ただの虫の知らせにしては、俊太郎は悪夢を真に受けすぎている。メンタルヘルス的な問題?いや、多分違う。


悪夢を信じるに足る、何か理由があるんだ。ただ、それが何かは、見当も付かない。


「……なら、いいけど」

ここで問い詰めても仕方ない。それに、俊太郎は多分話さないだろう。
彼は、基本的に真面目だし、誠実だ。だから、いつか自分から話してくれるのを待った方がいい。


にしても、オカルトなんて興味もないと言い切ってた俊太郎が、どうしてそこまで。
その疑問だけは、澱のように残った。


*

俊太郎と両親との挨拶は、無事に済んだ。パパもママも、俊太郎に好感を持ってくれているようだった。
俊太郎はラスクで有名なお菓子屋の、群馬限定品を持ってきていた。「たまたま家にあっただけ」と言ってたけど、多分わざわざ実家のある高崎から取り寄せたんだろうな。

大手ゼネコン勤務のパパは、俊太郎……というより、彼の所属しているゼミに興味を持ってくれたようだった。
根っからの文系のあたしには俊太郎の研究内容はさっぱりだけど、あまり興奮しないパパが身を乗り出していたのにはちょっとビックリした。
どうも俊太郎の先生は、そこまでスゴい人らしい。何でも物理学だけじゃなく、化学・薬学分野でも有名な教授なのだそうだ。アルツハイマー病治療薬の原理も、彼が見つけたという。

俊太郎は、「ハハハ……」と笑ってばかりで、あまり青山教授のことは話したがらなかったけど。かなりのパワハラ気質なことは聞いてたから、その気持ちは分かる。

気付けば、時間は5時を回っていた。パパが俊太郎に笑いかける。

「竹下君、今日はこれから予定があるかな?」

「あ、いえ。特には」

「せっかくだから、夕食でも一緒にどうかな?なあ、母さん」

ママが少し困惑気味な表情を浮かべた。

「いいけど、まだ用意も何もしてないわよ?ちょっとお待たせするかもしれないけど……」

「ああ、それはいい。たまには外で食べようじゃないか。わざわざ竹下君が来てくれたことだし」

パパはすっかり俊太郎を気に入ってくれたようだった。俊太郎とどうなるかなんてまだ分からないけど、もし結婚ということになっても、そんなに問題はなさそうだ。

「すみません、僕のために」

「いやいや、気にしないでくれ。由梨花もいいかな?」

「うん。エバーグリーンモールに行く?」

「そうだな。少し混んでいるかもしれないが、たまにはいいだろう」


パシッ


その時、微かな音が聞こえた。注意していないと、聞き逃す程度の、小さな音だ。

「?」

「今、音がしませんでした?」

俊太郎の言葉に、パパが首を捻る。

「いや?仮にあったとしても、部材の乾燥に伴い起きる『家鳴り』だろう。マンションの場合は築10年ぐらいが多いらしいから、ちょうどかもしれないね。
そもそも、家鳴りはこれまでもたまにあった。気にするほどでもないよ」

「……ならいいんですけど」

「とはいえ、大規模修繕の時期も近いからね。その時、色々補修されるだろうな」

これが俊太郎が気にしていることなのだろうか。ただ、パパは建築士の資格も持っている。そのパパが言うなら、大丈夫なんだろう。

俊太郎は少し険しい顔で天井を見ていた。納得していないのだろうか。



その日の夜は、何もなかった。……そう、「その日の夜」は。



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