天の神子

ジャックヲ・タンラン

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天の神子 第二章 「その脚はまだ遅い」

天の神子 第二章 「その脚はまだ遅い」 その20

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「時計が……」
「ああ、もう夕方だったんだ」

 雨雲を抜けて現れた斜陽。それを浴びた時計は、いつの日か見たように起動し、石畳の隙間から溢れた光が太陽の花を象る。

「綺麗ね」
「うん……同じ夕日の色なのに、あのオオカミとは全然違うや」

 夕日と、その光を受ける時計が見せる強烈な赤に、二人はあの恐怖を思い出す。
 血みどろの狼に脅かされた瞬間は、二人が己の死を覚悟するには十分すぎた。
 一方で、今こうして世界を照らす陽光はひたすらに美しかった。この時だけは感傷に浸ってもいいと、誰もが思うだろう。
 ふと、ヨウレスが口を開いた。

「多分、この時計は誰かの為にあるからでしょうね」
「誰かの為に?」
「ユーインに聞いたわ。町の皆が集まる場所だって」
「まあ、そうだね。今日は誰もいないけど」

 いつもなら此処は多くの人が立ち寄り、騒がしくしているのだろう。だが今は雨を避けてか雑音は無く、石畳を打つ心地よい雨音だけが響く。
 日常に差し込んだ幻想を見ているのは二人だけだった。

「きっとこの時計を作った人は、この広場にやって来る人達に、何かを伝えたかったんだと思うわ」
「何かって何さ?」
「さあ。大切な人と過ごす時間が、焼き付く思い出になるように、とか?」

 シュグに向けて、ヨウレスは少し格好つけた笑みを見せる。その直後、輝きを放っていた時計が、ガコン、と重く鳴った。

「えっ?」

 二人がその異音を聞いた途端に、時計の輝きが増していく。

「眩しい……」
「こんなの、初めて見たよ……」

 目を慣らさなければ眩んでしまいそうな強い光が広場を包む。
 何とか光に慣れたふたりの前には、文字盤が扉のように開き、中身が露になった時計があった。
 台座に鎮座し続けた大きな時計は、何故かこの時だけ変貌し、その内に秘めた輝きを晒した。

「何かある……?」

 ヨウレスは光に誘われるように時計の中へ手を伸ばし、赤く輝くものを取った。
 彼女の手が時計から離れると、その手にある輝きを見送るように文字盤が閉じた。同時に、象られた太陽の花も儚い光の粒となって散り去った。
 時計の中で輝いていたもの。それは本来、時計という物にとっては不要なはずの部品だった。

「これは……鏡?」
「多分、そうなのかな……あったかい」

 両手に収まる程度の丸い鏡。それが夕日と同じ光を放ち、夕日と同じ温もりを感じさせる。

「これ、もらっちゃっていいのかしら」
「う~ん。とりあえず師匠に見せてみようよ。すっごいお宝かもしれないし」
「お宝……まあ、一旦持っていきましょうか」

 不思議な鏡を時計から譲り受け、二人は今度こそ帰ることにした。

「ただいま帰りました」
「おかえり!」

 ギィ、と開いた扉が閉まると、まずユーインが速足で迎えに来た。
 彼女はこみ上げてきた声をせき止めることなく、涙と共に吐き出した。

「シュグ先輩!おかえりなさい!」
「う、うん、ただいま」
「えっと、大丈夫ですか?その……大丈夫ですか⁉」
「だ、大丈夫だよ」
「シュグ!」

 次に、オルラウンが奥から出て来た。シュグの無事な姿を見て、自然と笑みが溢れていた。

「オルラウ……うわっ!」

 彼はシュグよりもずっと大きな身体を余すことなく抱擁させた。
 腕の中にはシュグと、ついでに近くにいたユーインも巻き込まれていた。

「心配したんだぜ~!このガキンチョが~!」
「わ、分かったから、離し、離して……」

 少し抱擁に入れた力が強すぎたのか、子供達は頬を合わせられながら呻く。だが、そこに苦しみの表情はほとんど存在していない。
 はっと気付いたオルラウンが腕を放し、落ち着くと、それを見ていたヨウレスが笑った。それに釣られて三人も吹き出すように笑った。

「シュグ」

 その後ろで冷静な声が聞こえてくる。先ほどとは違って落ち着いた調子で歩み寄ってきたのはエトリアだった。

「師匠……」

 シュグは少し不安を覚えた。
 きっといつか順番に教えてくれるはずだった事情を盗み聞き、勝手に拒絶してしまった。
 そんな僕を許してくれるのかな?

「ご飯」
「え?」
「ご飯出来てるよ。とっとと手洗ってきな」

 切り出された言葉は、なんてことない、いつも通りの日々を取り戻そうとする。

「あ……はい!」

 シュグもまた、その温もりを望んだ。
 元気な返事を聴いたエトリアは、ゆっくりとシュグの前に立ち、彼の頭に手を乗せる。

「……おかえりなさい」
「ただいま!師匠!」

 柔らかい髪を撫でられながら、少年はとうとう家出を終えた。
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