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第七章『ティアーズ・イン・ヘヴン/復讐は雨のように』

Int.20:水平線の先、往く先は業火に焼かれし煉獄の大地③

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「……まだ悩んでるのかしら、彼のこと」
 同じ頃、ヒュウガ艦内に穿たれた巨大な空間たる格納庫、その壁を伝う高所の通路から瀬那が格納庫をぼうっと見下ろしていれば。数分前から隣で同じように下を見下ろしていたクレアが、今までの沈黙を破ってボソリ、と隣の瀬那に呟き問うていた。
「……否定はせぬよ」と、彼女の方を見ぬままで、何処か自嘲っぽい笑みを横顔に浮かべた瀬那が頷く。
彼奴あやつへの、一真へのこの想いを封じるべきだと思う私がる。しかしその一方で、諦めきれぬ私もまた、同じくここにるのだ。
 ……笑うがよい、クレア。私は結局、これだけ悩んでもまだ、答えの一つも出せてはおらぬのだ」
 最後にはそれこそ、自虐するような言葉だった。
 しかしクレアは、そんな瀬那の言葉に対し「笑う必要性は、感じられないわ」と相変わらずの氷みたいにクールな表情で返す。
「貴女が思う以上に、難しい問題だわ。……特に、貴女の場合は尚更のこと」
 瀬那の事情を、綾崎財閥の事情を少なからず知っているクレアの言葉だからこそ、確かな重みと説得力を感じ取り。瀬那は素直に彼女の言葉を受け止め、「うむ……」と悩ましげに唸った。
「……男一人、誰かと取り合っている時の辛さは、私にも分かるわ」
 そんな瀬那の横で、クレアがボソッと微かに呟く。それに瀬那は「取り合ってなど……!」と反論しようとするが、しかしクレアは「今は、ね」と諭すように首を横に振る。
「いつかは、決着を付けなきゃならない。お互いにお互いの優しさに甘えてばかりじゃあ、関係をなあなあで済ませては居られないのよ、いつまでもね。
 ……きっと、彼の方もそう感じているはず。貴女も勿論のこと、アジャーニ少尉だって」
 そこまでクレアに言われれば、瀬那は思わず浮かび上がってきた自嘲気味の笑みを堪えきることが出来なかった。まるで隣のクレアに全部見透かされているようで、馬鹿らしいというか、阿呆らしいような気分になってくる。
「……クレア、其方は本当に、何処までも見透かしておるのだな」
「表面上だけよ」と、クールな顔でクレアが言う。「深いところまでは知らないし、知ろうとも思わないわ」
「ならば、何故私にこんな……言ってしまえば、助言をするような真似を致すのだ?」
「前も言ったでしょう。……よく似ているのよ、昔の私と」
「昔の、其方と私が?」
「ええ」振り向いた瀬那の問いかけに、クレアはやはり彼女の方を向かないままで頷いた。
「私にも経験があるのよ。貴女と同じような経験が、少しだけね」
 尤も、綾崎を背負う貴女の重みと私とでは、比べるのもおこがましいぐらいでしょうけれど――――。
 続けて言ったクレアのそんな言葉は、何処か自虐めいていたような語気だった。昔の自分を、思い返せば愚かだった自分の行動を、恥じるかのように。
「クレア……」
「雅人と愛美が幼馴染みだってこと、多分貴女も知っているわよね」
 尚もこちらを向かないままで話を続けようとするクレアの言葉に、瀬那は彼女の横顔を見据えながら「うむ」と頷く。
「そのようなことを申しておったな、確か」
 続けて瀬那が言うと、クレアは「なら、話が早いわ」と前置きをし、言葉を続ける。
「とどのつまりね、私はあのに負けたの。……ううん、自分から身を引いたって言った方が正しいかしら」
「……其方」
 深刻そうな顔で受け止める瀬那に、小さく横目を流して。クレアは「意外だったかしら?」と、クールな表情の中にほんの少しだけ、自嘲めいた笑みを浮かべて返してみせる。
「結局、あのが雅人に向ける愛の深さに、私は勝てる気がしなかったの。過ごしてきた時間でも、想いの深さでも。何もかも、あのに……愛美に勝てる気がしなかった」
「故に、其方は大尉から身を引いたと、そう申したいのであるか?」
 訊き返す瀬那に「ええ」とクレアは頷けば、口慰みにいつものアーク・ロイヤル銘柄の煙草でも吸おうと、羽織るフライト・ジャケットの懐を弄った。だが此処が火気厳禁の格納庫内であることを思い出せば、残念そうに肩を落とし、煙草とを取り出しかけていた手を戻す。
「……貴女も、同じじゃなくて?」
「其方の場合と全く同じ、というわけでもない」と、瀬那は返す。
「で、あるが……似てはおる。確かに私も、彼奴あやつに対する想いの深さでは、エマに勝てると思えなくなってきた」
 おかしな話よ。前までは確かに、一真を想う気持ちは誰にも負けておらぬつもりであったのに――――。
 自虐っぽく、しかし何処か哀しげな語気と横顔で瀬那が紡ぎ出す言葉を、クレアは今だけは、敢えて無言のままで聞き耳を立てていた。
「私の場合は、どちらかといえば綾崎の重荷を彼奴あやつに、一真に背負わせたくはないという方が強い。一真は自由に生きるべき者なのだ。故に、この重荷を、私が背負って生まれ落ちてきたこの呪いを、彼奴あやつにまで背負わせるわけにはいかぬのだ。
 …………しかし、クレア。其方が申したこともまた、事実なのだ。私ではもう、彼奴あやつの背負う苦しみを、痛みを受け止めてやることは叶わぬ。彼奴あやつの何もかもを受け止めてやるだけの懐が、結局のところ……私には備わっていなかったのだ。
 そして、向ける愛の深さでも、懐の広さでも。全てに於いて、私はもうエマに敵わぬと……いつの間にか、気付いてしまっておったのだ」
 それは、今まで誰にも言えなかった瀬那の率直な気持ちだった。他の誰にも打ち明けることが出来ず、そして親友ともであるエマにも――いや、誰よりも信頼する親友ともであるからこそ、言えなかったことだった。
 なのに、今クレアにこうして愚痴っぽく吐けてしまっている。何故だろうかと思い、瀬那は小さく自嘲した。
 そして理解した。きっと、彼女とこうして直に話し始めて、まだ日が浅い関係が故のことだからと。同時に、彼女もまた己と似たような経験をしてきた……言い方は変かも知れないが、先達せんだつのような立場ということもあったからかもしれない。
 何にせよ、瀬那は今こうして隣り合うクレアに対し、ちょっとした愚痴相手のような感覚みたいなものを抱いていた。
 やっていることといえば、場末のショット・バーのマスターに愚痴を垂れているのと変わらない。なのに何故か、少しだけ心が軽くなるような、そんな感覚を瀬那は感じていた。こういう関係性の相手だからこそ吐ける愚痴、相談できることがあるのだということを、彼女は何も知らなかったから。
「貴女が彼から身を引こうが、引くまいが。どういう決断をしようが、そこは貴女の自由だわ。そこまで私は踏み込まないし、干渉しない。お互いそこまで深い関係じゃあないもの、貴女も私も」
 そんな、愚痴のような瀬那の言葉をひとしきり聞き終えて。クレアはボソリと、やはりほっそりとしたクールな声音で、返す言葉を紡ぎ始めた。
「……ただ、相談相手ぐらいにはなるわ。暇が合えば、また声を掛けて頂戴」
「……済まぬな、クレア」
「構わないわ」と、フッと微かに笑みを浮かべながら、クレア。
「言ったでしょう、貴女と私はよく似ている。先に経験した人間として、少しぐらい貴女の愚痴聞き相手になったところで、バチなんてものは当たらないわよ」
 そう言った後で、クレアは「でもね」と言い、一気に顔色をシリアスなものに切り替えてから言葉を続ける。
「無用な迷いや躊躇を戦場に持ち込めば、それが結果的に死に繋がるわ。まして、これから私たちが向かおうとしているのは、最悪クラスの戦場よ。
 …………ひとたびコクピットに乗り込んで、そしてこのヒュウガを飛び立ったら。今の悩み事の一切を忘れなさい、綾崎の巫女。一時的にで構わない、忘れるようにしなさい。でなければ、貴女も私も一緒に死ぬことになる」
 やたらと胸に重く響くその言葉を、瀬那はただ黙って受け止めていた。
 二人の見下ろす眼下、格納庫では出撃準備が忙しなく進んでいる。三島やクリス、他にも見知ったメカマンたちが他の連中に混ざり慌ただしく動き回る中、その傍らには慣れ親しんだ機影の姿もまた、見受けられた。
 白と藍色、それぞれ塗り分けられたJS-17F改≪閃電≫・タイプF改。そして市街地迷彩をその身に宿した欧州機・EFA-22Ex≪シュペール・ミラージュ≫……。
 純白に染め上げられた一真のタイプF改・試作一号機は、エマの愛機たる≪シュペール・ミラージュ≫のすぐ隣に。そして藍色をした自らのタイプF改・試作二号機は、そんな二機からは遠く離れた場所に駐機されていた。
 それが、まるで今の自分たちの関係性と、遠く離れてしまった距離感を表しているようで。それを思うと、瀬那は金色の双眸を無意識の内に細くさせる。
 ――――想いがすれ違う中、それでも出撃のときは刻一刻と迫ってくる。時には優しく包み込んでくれる時間の流れが、秒針の刻む一秒一秒が。今はそれがあまりに残酷で、棘のように鋭く刺さっては瀬那の心を浅く削り取っていく。
(……それでも)
 生きなければならない、生き延びねばならないのだ。生きていなければ、何も解決などしないのだから。
 今だけは、燻るこの想いと渦巻く葛藤の渦を押さえ込み。目の前に迫る戦いにだけ集中しようと、瀬那はそう自分に言い聞かせていた。
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