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第六章『黒の衝撃/ライトニング・ブレイズ』

Int.70:黒の衝撃/漆黒の生誕祭《バースデイ》①

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「……はぁ? アイツの誕生日会だって?」
 ほぼ日課と化している仮想空間上での訓練を終えた一真がシミュレータ装置から這い出してきた直後に、近寄ってきた愛美にそんな素っ頓狂なことに誘われたのは、あれから少しだけときの流れた、九月も初め頃のことだった。
「うんっ!」
 と、呆れ顔のような困り顔のような。そんな微妙な表情を浮かべるパイロット・スーツ姿の一真の前で元気いっぱいに愛美が頷く。相変わらず202特機の部隊章が縫い込まれたフライト・ジャケットを羽織る格好の愛美の、アイスブルーをした透き通る髪が彼女の仕草に合わせてふわっと柔らかく揺れた。
「十三日がね、雅人のお誕生日なの。だから、折角だしお祝いしてあげたいなって。……カズマくん、どうかな?」
「へえ、壬生谷大尉のお祝いか。……良いんじゃないかな、カズマ?」
 首を傾げ可愛らしい仕草で愛美が一真に訊けば、困惑した一真の横にいつの間にか現れていたエマがそう、同意するみたいなことを言う。
「あ、お疲れ様カズマっ。はい、これっ」
 とすれば、次の瞬間なれば思い出したように、エマは携えていたタオルとペットボトルを一真の方へと笑顔で差し出してきた。いつもの訓練後の差し入れみたいだ。
「お、おう。毎回悪いな、気使わせちまってさ」
 それを一真は有り難く受け取り、洗剤の匂いの真新しいタオルで顔や首の汗を拭えば、カチッと開けたペットボトルを一気に煽る。ギンギンに冷えたミネラル・ウォーターが熱々に火照った身体を冷やし、すぅっと癒やしてくれる。
「ふぅ……。でも、アイツの誕生祝いか……」
「駄目かな、カズマくん?」
「駄目ってワケじゃない」と、不安げな顔の愛美に一真が言い返す。
「でも、なんで今になってって。ちょっと気になってさ」
 続けて一真が問いかけるように言うと、愛美は「あー……」と合点がいったような顔になり。そうすれば「うんとね」と前置きの言葉を置いてから、紡ぐ言葉を選ぶようにゆっくりと唇を動かし、その件についての説明を始めた。
「……色々、忙しくって。士官学校を出てからは、雅人のお誕生日をお祝いしてあげる機会、殆ど無かったんだ。
 ほら、しかも私たちって、曲がりなりにも特殊部隊なワケじゃない? 当然スペシャルな部隊のお仕事って結構忙しいワケで、まして中隊長の雅人なんてかなりのものなの。冬場の休眠期ならまだしも、九月のこの時期って出撃も多かったし、尚更って感じ」
 言われてみればその通りだ。愛美の言葉に納得し、一真は独りでうんうんと頷く。その隣でエマも一緒になって同じような仕草を見せている辺り、彼女も同じく合点がいっているのか。
 第202特殊機動中隊≪ライトニング・ブレイズ≫。近頃は彼女らの存在が当たり前すぎてなんだか忘れがちなことだが、雅人や愛美の所属する部隊は歴とした特殊部隊、しかも中央直轄の精鋭中の精鋭なのだ。そんな彼女らが多忙なのも当然なことで、まして年間でも一番忙しいこの時期ともなれば、わざわざ一人の誕生日を祝っている余裕も無いだろう。
「でも、西條教官に呼ばれてカズマくんたちに合流して。それでまた、この士官学校にも戻って来られて。変な話だけれど、最近はびっくりするぐらいに平和なんだ。忙しい仕事も無くて、徹夜続きの出撃も何も無くて。
 ……本当に変な喩え方だけれど、まるで昔に戻ったみたい。雅人と省吾と、この士官学校に通っていた頃に戻ったみたいに、今の私たちは平和なんだ。不思議なぐらいに」
 そう言う愛美の声色は、心の底からの感謝すら垣間見えるような色をしていた。不意に訪れた不思議なぐらいの平穏に対しての、彼女が心の底から思う、純粋なまでの感謝の色を。
「だからね、こういう時にお祝いしておいてあげたいんだ。次はいつお祝いしてあげられる暇があるのかも分からないし、そもそも次があるのかも分からないから……」
 続けて愛美に言われ、一真とエマはそれぞれ互いに示し合うこともなく、ただ何気なく互いをチラリと横目で見合った。言葉を介さぬまま、ただ視線だけで相談し合うみたいにして二人が横目同士に見合っていると、愛美が「……どうかな、駄目かな?」と再三の確認を問うてくる。
「僕は大丈夫だよ、寧ろやってあげたいって感じ。カズマもさ、どう?」
「……ま、構わねえぜ。色々とあったが、何だかんだアイツには世話になっちまってる節もあるしよ」
 エマはにこやかに、一真の方は後頭部をボリボリと掻きながら、少しだけ顔の向きを逸らしつつ。こんな具合に態度こそ正反対だが、二人とも何だかんだで愛美の誘いに乗っかることにした。
 とすれば、愛美は「やったぁ♪」とあからさまに、無邪気に。それこそその場でぴょんっと飛び上がらんぐらいの勢いで喜ぶ。肩甲骨まであるアイスブルーの襟足がふわっと跳ねると、シャンプーの匂いが仄かに混じった愛美の髪の匂いの残り香が、それこそこっちにまで漂ってきそうだった。
「……へえ。貴女、面白いこと考えてるのね」
 なんてタイミングで現れたのは、クレアだ。今日もまた、一真は彼女にシミュレータ訓練を付き合って貰っていた。雅人が何か言い含めておいてくれたのか、最近は口先でこそ皮肉っぽく一真に当たれど、訓練の方には顔色ひとつ変えず付き合ってくれている。
 そんな彼女が、シミュレータ装置から降りてきて三人の前に歩み寄ってきた。格好は当然のように一真と同じ85式パイロット・スーツだが、やはり彼女の物も漆黒を基調に真っ赤なラインの入った、≪ライトニング・ブレイズ≫仕様のカラーリングだ。短く切り揃えた白銀の髪をふらふらと揺らしながら近寄ってくる彼女の表情は相変わらず冷え切ったもので、珠のように白い肌にも、一真とは対照的に汗一つ掻いていない。
「あ、クレアちゃん!」
「話は概ね聞かせて貰ったわ。……雅人の、誕生日を祝ってあげるんですってね」
「うんっ!」
 愛美が元気いっぱいに頷くと、クレアは「面白そうね」と言い、氷のような無表情の上でほんの僅かだが、珍しく笑みのような色を見せた。
「乗ったわ。愛美、良ければ私にもその話、一枚噛ませては貰えないかしら」
 そうすれば、次にクレアの口から飛び出してきた言葉は、一真とエマの二人にはあまりにも予想外な、そんな意外すぎる一言だった。
「えへへ、勿論オッケーだよっ! 省吾の方にはもう話は通してあるし、後は他の子たちを誘うだけだね……」
 だが、愛美はそれを特に意外に受け取っていないらしく、受け答えは極々当たり前のような風だった。
「……意外だね」
 愛美とクレアのやり取りを傍で眺めながら、エマが彼女らに聞こえない程度の小声で一真に囁きかけてくる。一真もそれに「な、意外だ」と同意を返した。
「もう少し、冷たいヒトかと思ってたけれど。……本音は、違うのかな?」
「さあな、ホントのところは分からないさ」
「でも、思ってたよりも優しいヒトなのかもね、神崎中尉も」
 本当に、クレアの態度は意外だった。普段からあんなつんけんとした刺々しい態度の彼女だから、てっきりこのテの話題にも乗っからないものだとばかり思っていたのに。もっと近寄りがたく、鋼鉄みたいな感じの雰囲気を二人とも感じていたのだが、どうやらクレア自身の心根は、そこまで冷たくもないらしい。
 今までのイメージが少しだけ変わるぐらいに、意外なことだ。意外なことだが、しかし一真もエマも、二人とも悪い気はしていない。寧ろ、少しだけ気持ちが暖かくなったような気がするぐらいだ。神崎クレアの意外な、しかしその本心を垣間見させる部分に触れて、二人は何処かクレアに対しての認識を徐々にだが改め始めていた。
「じゃあ、そんな感じだねっ。カズマくんにエマちゃんも、詳しい話が纏まったらまた話すから、それまでは雅人にバレないようにお願いねっ!」
 その後で愛美は数言をクレアと交わした後、最後にそう言うとくるりと踵を返し、「じゃーねー」なんて後ろ手に振りながら、笑顔でこのシミュレータ・ルームからバタバタと駆け足で出て行く。
「……カズマ、とか言ったかしら、貴方」
 そんな愛美を二人並んで見送っていると、今度はクレアに話しかけられる。
「前にも言ったと思うけれど、貴方の筋自体は悪くないわ。
 ……けれど、肝心なところで詰めが甘い。周囲に対する警戒も、脅威の認識もまだまだ甘いわ。頭の後ろに眼が付けられるよう、精々精進なさい」
 クレアはひとしきり、そんな……恐らくは助言のようなことを矢継ぎ早に捲し立てれば、一真の返す言葉を待たずして、そのままくるりと踵を返しシミュレータ・ルームを出て行ってしまう。ぽかんとした一真がハッとして「あー……」と遠ざかっていく彼女の背中を呼び止めようとしたが、クレアは意にも返さぬまま、止まらぬままに一真の前から消えてしまう。
「お誕生日、か……」
 取り残された一真が微妙な顔で立ち止まる傍らで、エマがポツリとひとりごちる。
「そういえば、エマの誕生日っていつなんだ?」
 それを聞きつけた一真が振り向きながら訊くと、エマは「えへへ、聞きたい?」と、首を傾げ何処か悪戯っぽい笑みで訊き返してくる。
「そりゃあ、知ってはおきたいさ」
 一真が微妙に照れくさそうに頷けば、「しょうがないなあ、じゃあ特別だよ?」と、尚も冗談めかして微笑みながら言い、そして続けた。
「……六月の、二二日だよ」
「あー、今年はもう終わっちまってるのか……」
「そうだね」と、エマ。「丁度、武闘大会の決勝戦ぐらいの頃かな?」
「しまったな、知らなかったこととはいえ……」
「気にしなくて良いよ、過ぎたことだからね」
「……来年は」
「ん?」
 エマが訊き返すと、一真はニッと微かに口元を綻ばせて言う。
「来年は、キッチリ覚えておくよ」
「……そっか♪」
 そんな一真の言葉に、エマは満足げに、頬に僅かな朱色を差して、何処か照れくさそうに笑うと。パイロット・スーツのグローブに包まれた一真の手を取り「じゃあ、僕らも戻ろっか」とその手を引いて歩き始めた。
(来年、か)
 エマに手を引かれ歩きながら、しかし一真は内心でまるで別のことに思いを巡らせていた。遠く、遙か彼方とも思える次の年、その瞬間のことに。
(その為にも、俺は生きなきゃならない。俺は、強くなきゃならない。誰よりも、何よりも……)
 その先で何を手に入れ、何を見るか。そんなことは――――その時になってから、考えれば良い。
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