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第六章『黒の衝撃/ライトニング・ブレイズ』

Int.44:Fの鼓動/仮初めの蒼穹に白狼は舞う

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 それから、数週間ものときが流れ。短くも長かった八月が終わりがけに差し掛かった頃、しかし一真はこの日もまた、校舎地下のシミュレータ・ルームに籠もっていた。
「ふう……」
 待機位置に戻ったシミュレータ装置から、すっかり着慣れてしまった85式パイロット・スーツ姿の一真が這い出てきて、シミュレータの上から傍のキャット・ウォーク上へと飛び降りる。カツン、と薄い鉄板のキャット・ウォークに軽い靴音を立てて着地すれば、一真は肩の力を抜くみたいに小さく息をついた。
「お疲れ様、カズマっ」
 とすれば、傍に控えていたエマがとたとたと駆け寄ってきて、汗拭いのタオルとギンギンに冷えたミネラル・ウォーターのペットボトルを差し出してきてくれる。一真はそれを「助かるぜ」と礼を言いながら受け取り、首に掛けたタオルで額の微かな汗を拭いつつ、蓋を開けたペットボトルを思い切り煽る。
「それにしても、カズマもかなり上達したよね」
「分かるか?」
「観てて分かるよ。前とは比べものにならないや」
「教える相手が良いからだろうな。仮にも相手は現役の特殊部隊だ。……勿論、エマだって上手く教えてくれてる。助かってるよホントに」
 そう言う一真の前でえへへ、と照れくさそうに笑う彼女もまた、同様にパイロット・スーツを纏う格好だった。当然、一真の85式と異なり欧州連合軍のCPW-52/Aのパイロット・スーツだ。
 ――――この数週間、出撃命令が下される機会は一度として無かった。
 やはり、空輸担当の輸送ヘリ部隊の代替の問題が付きまとっているのだろう。瀬戸内海絶対防衛線の戦況が芳しくない今、訓練生小隊にまで戦力を割く余裕は、今の日本国防軍――――ひいては陸軍・中部方面軍には決して多くないのが現状だ。慧たちの対戦車ヘリ小隊・ハンター2の補充機と補充パイロットの目処も、漸く立つか立たないかといった今の現状で、需要の高いCH-3大型輸送ヘリ小隊を用意するまでの余裕はあまりないのだろう。
 だが、これは一真にとっては僥倖なことだった。出撃が無いことをチャンスと見て、一真は積極的に≪ライトニング・ブレイズ≫の面々へと教えを請うていた。あの一戦を経てから関係が良好に変化した(といっても、嫌味な奴であることには変わりないが)中隊長の壬生谷雅人や、雨宮愛美。そしてあのチャラ男っぽい桐生省吾や、それに堅物っぽく刺々しい神崎クレアまでもが暇を見ては一真のシミュレータ訓練に付き合ってくれていた。
 尤も、他の三人はともかくとして、クレアに関しては雅人が軽く説得してくれたのが大きいだろうと一真は踏んでいる。というか、それをクレア自身が隠す気も無い。相変わらずの態度で仕方なくといった具合で渋々教えてくれている彼女だが、しかしクレアとて特殊部隊のパイロット。その腕前は決して偽物でなく、なんだかんだと教え方も上手い。余計なコトを言わず淡々とこなしてくれる分、一真にとっては寧ろやりやすい相手でもあった。
 それ以外にも、先に一真自身が述べた通りにエマにだって。そして本当にたまにではあるが、錦戸も気まぐれでシミュレータ訓練に付き合ってくれている。教官職の錦戸はさておくとしても、毎度のようにこうして訓練に付き合ってくれるエマには深い感謝しかない。曰く「少しでも、カズマの力になりたいから」だそうだが……。
「……お疲れ様」
 なんてことを考えていれば、コツコツという足音と共に近寄ってきたクレアが、相変わらずのクールな声音でそう一真に呼びかけてきた。振り向いた一真の双眸が捉えたクレアの格好は当然のようにパイロット・スーツで、黒を基調とし赤いラインが入った≪ライトニング・ブレイズ≫仕様の85式だ。
「やっぱり神崎中尉には敵わねえな。どうすりゃあそこまで反応できる?」
 一真がわざとらしく肩を落としながら訊いてみた。ちなみに初日の白井やステラたちとのメキシカン・スタンドオフの一件以降、一真は意図的にクレアのことを"神崎中尉"と呼ぶことを心掛けている。こんな所で、しかもそんな些細なことで荒野の決闘と洒落込む趣味は、生憎だが一真は持ち合わせちゃいないのだ。
「背中にも眼を付けることよ、そうすれば後ろの動きも感じられるわ」
「ンな無茶な……」
「無茶でも冗談でもないわ。……言い方は比喩だけれど、つまりは背中にも気を巡らせろということよ」
 一見すると滅茶苦茶なことを言っているように聞こえるクレアだが、しかし一真はその言葉を確かな説得力を伴った形で感じていた。
 ――――クレアの動きは、例に漏れず常軌を逸している。
 今日のシチュエーションは市街地、一対一での対人近接戦闘だった。そんな中でクレアはFSA-15J≪雪風≫なんて珍妙な機体を使い、一真の仕掛けた正面からの攻撃はともかくとして、陽動を仕掛けた後での背後からの奇襲ですら簡単に躱してみせたのだ。それこそ、先程の言葉じゃないが「背中にも眼が付いている」ような動きで。
 だからこそ、一真は彼女の言葉を真摯に受け止めていた。クレアの言葉はクールな上に刺々しく、それでいて歯に衣を一切着せないスタイルだが、それでも何もかもの的を的確に射ているのは間違いないのだ。
「……今後の貴方の課題は、無用な突撃をする癖を抑えることね」
 腕を組みながら、銀色の前髪の下に見せる切れ長の真っ赤な瞳で一真の双眸をじっと見据えつつクレアが言う。
「突撃を仕掛けての近接格闘戦、確かに有効よ。でもタイミングを見誤れば、それはただの無謀な蛮勇でしかないの。
 焦らし、翻弄し、そして適切なタイミングで適切に踏み込む。これこそが最も有用な突撃戦術にして、最も成功率と生還率に長けた鉄則よ。……それは、相手が幻魔だろうが、人間だろうが変わらないわ」
「焦らし、翻弄し、適切なタイミングで適切に……」
 一真はその言葉を噛み締めるように、改めて反芻する。するとクレアは「ええ」と頷き、
「とりあえず、今の段階の貴方に私から言えることは、そこまでだわ。精々それを心掛けなさい」
 それだけを一方的に言い放つと、「じゃあ、私は此処までよ。お疲れ様」と続けて言ったクレアはくるりと踵を返し、一真たちに背を向ければさっさとシミュレータ・ルームを出て行ってしまった。
「あはは……僕が言おうとしてたこと、全部神崎中尉に言われちゃったや」
 遠ざかっていくクレアの背中を見送りながら、苦笑い気味にエマが言う。どうやら観戦していた彼女も何かしらの助言をしてやろうと思っていたらしいが、全てクレアに言われてしまったようだ。
「そういえばエマ、瀬那は来てないのか?」
 そんなエマに対しわざとらしく肩を竦めてやりつつ、周りをくるりと見渡した一真がきょとんと首を傾げて訊くと。するとエマは「……みたいだね」と頷き、それを肯定した。
「今日も、来てないみたいだ」
「そうか……」
 ――――まどかが殺された、あの日の一戦以来。あれだけべたべたとくっ付いていた瀬那は、何故か途端に一真たちから距離を置くようになってしまっていた。
 その理由は、一真もエマも知らない。敢えて訊こうとも思わない。瀬那には瀬那なりの考えがあると思い、敢えて今日まで訊かないでおいた。彼女の事情を知り得ている二人だからこそ、些細なことで彼女を傷付けるような真似はしたくなかった。
 とはいえ、心配なのは事実だ。瀬那が何を考えているのか、気にならないといえば嘘になる。嘘になるが……。
 それでも、今は敢えて訊くまいと、一真とエマは二人で話し合って決めていた。一真の方は、まどかの死にまつわることで瀬那もまた精神的なダメージを負っているからと考え。そしてエマの方は、一真と雅人が剣を交えたあの日に、瀬那の抱えた葛藤の片鱗を見てしまっていたから……。
「じゃあ、もう一戦だけ僕とやったら、お昼にしようかっ。確かカズマ、この後は午後からアレの起動試験があるんだっけ?」
「らしいぜ。舞依と、それにクリスやおやっさんたちにも呼ばれてる。やっとこさ二機とも組み上がったらしいから、今日はそのテストだ」
 あれから数週間、やっと試作一号機と試作二号機、二機の≪閃電≫・タイプFの改修作業が終わったと連絡が入った。今日は午後から、そのタイプF改の機動テストなのだ。
「だったら、早めにこれも済ませちゃわないとね」
「……お手柔らかに頼む」
「ふふっ、手加減はしてあげないよー?」
 こんな具合ににこやかな笑みと共に言葉を交わし合い、一真とエマの二人はそれぞれシミュレータ装置に乗り込んでいく。本日最後の仮想訓練だ、気合いを入れていかねばならない。
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