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第四章『ファースト・ブラッド/A-311小隊、やがて少年たちは戦火の中へ』

Int.23:真影の詩、真夏の蒼穹と金色の少女④

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 そんなこんなを経て、無事に参道を登り切った二人は、そのまま清水寺の境内に足を踏み入れていく。
 手前にある一対の石造りの狛犬に見送られながら、金剛力士像の安置される赤々とした丹塗りがまぶしい仁王門を潜り抜け、境内の奥深くへ。
「ねえカズマ、これ何かな?」
「ん?」
 仁王門を潜り、鐘楼を横目に本堂へ行く道から少し脇へ逸れると。高くそびえ立つ三重塔を一真がぼーっと仰いでいると、ちょいちょい、と一真が腕を捲った格好で羽織るジャケットの裾を小さく引きながら、エマが何処かを指差していた。
 何の気無しに振り向くと、平屋建てに近い格好のちょっとしたお堂が目に入る。随求堂ずいぐどうというらしいそこには、何やら"胎内巡り"という奴の受付があった。
「なんだかよく分かんないけど、やってみようよカズマ」
「あ、ああ。――――って、引っ張るなって!」
 手を引っ掴まれ、エマに強引に引っ張られながら、一真も一緒にその随求堂の方へと連れて行かれる。
 受付で拝観料の百円を支払い、その胎内巡りとやらに向かう。壁に貼り付けられていた説明を見る限り、どうやら堂の地下に潜り、真っ暗闇の中を手探りで行って帰ってくるというもののようだ。菩薩の胎内を模しているというそれは、どうやらそこを巡って再び現世に還るという、輪廻転生のプロセスをイメージしているらしい。
「書いて字の如く、ってワケか」
 そんな説明文を眺めながら、独り言を呟きながら一真がうんうんと頷いていると。先に行こうとしていたエマは何故か立ち止まり、「……カズマ?」と、引き攣った顔でこっちに振り向いてきた。
「どしたよ、エマ?」
「えーとね……。か、カズマが先に、行ってくれる……?」
 何処か落ち着かない瞳の色でそう言うもんだから、一真は首を傾げつつ「まあ、構わんけど……」と一応頷いた後で、
「……怖いのか?」
 からかうようにそう訊けば、しかしエマはあまりにも素直に「……う、うん」と、しおらしく頷く。
「僕、昔から暗闇っていうか、暗いところがどうしても苦手でさ……。閉所恐怖症ってワケじゃなくて、単純に暗いところが苦手っていうか……」
 そう言うエマに、言い出しっぺでそれはないぜ、なんて一真は半分無意識で口走りそうになったが、やめた。彼女がこれをどういうものか知らないのも、決して無理はない。ならば、それを言うのは筋違いというものだろう。
「しゃーない、分かったよエマ」
 だから一真は、半笑いのままでエマの手を引っ掴めば、一瞬振り向き「行くぜ」と告げて、エマの手を引きながらそっちに歩いて行く。
「あ……」
 それに一瞬戸惑いの色を浮かべるエマだったが、その後で小さく微笑むと「……分かった」と、ほんの少しだけ頷いた。
 片手でエマの手を握り引いてやりながら、もう片方の手で手すりを掴みつつ、割と急角度な階段を下っていく。
 そうやって降りて行くと、次第に光は薄れてきて。完全に降りてから数歩進めば、もうそこは何も無い、真っ暗な空間が広がっていた。
「…………」
 後ろで、エマが息を呑むのが分かる。握り返してくる長く華奢な手に籠もる力が一層強まり、しかし何処か小刻みに震えているのも、そんなエマの手を握る一真に伝わってくる。
 ――――どうやら、本気で暗闇が苦手らしい。
 そんなエマの反応に苦笑いしながら、しかし確かにこれは無理ないな、とも一真は思っていた。
 何せ、前も後ろも、前後左右も上も下も、何一つ見えないのだ。あるのは、ただただ暗闇のみ。瞼を開けても閉じても景色は変わらず、両眼はきっちり見開いているつもりなのに、しかし瞼を開けていないような、そんな妙な錯覚にすら襲われてしまうのだ。別段苦手でもない一真が軽く息を呑むぐらいなそんなところ、暗闇が苦手だというエマにとっては、かなりのものだろう。
「よっ、と……」
 故に、一真は軽く腕を手前に引き、エマを何歩かこっちに近づかせてやった。
「えっ、なっ、カズマっ!?」
 たったそれだけのことなのに、大袈裟すぎるぐらいに狼狽えるエマに苦笑いしながら、一真は「変な拍子ではぐれそうだ、裾でも掴んでろ」なんてことを言う。
「う、うん……」
 すると、エマは戸惑いながらも手探りで手を伸ばしてきて。しかし掴んだのは、一真の履くジーンズのベルトループに通した革ベルト。それに一真がもう一度苦く笑いながら「そりゃあベルトだ」と言ってやれば、エマは「ごっ、ごめんっ!」と言って手を離し、今度はやっとこさジャケットの裾を掴んだ。
「ホントに苦手なんだな、暗闇」
 なんてことを半分独り言のように言いながら、一真は片手を掴むエマに裾を引っ張られながら、暗闇の中を先へ先へと進んでいく。
 真っ暗闇で何も見えず、何処へ向かえばいいのかも分からないような中だが、しかし壁際には手すり代わりの数珠が延々と伝っている。これを伝いながら進んでいけば、例え真っ暗闇だろうが最終的に出口まで辿り着けるといった寸法だ。
 そんな暗闇の中を進んで行き、途中でちょっとした緩いカーブなんかの曲がり角を挟みながら、エマの手を引きながら一真は奥へ奥へと進んでいく。
(こりゃあ、ここは瀬那を連れてくるのはチョイとマズいな……)
 数珠伝いに歩きながら、しかし一真は頭の中でそんなことを考えてもいた。
 こんな状況下で考えることではないのだろうが、しかしこれだけの真っ暗闇だ。例え免許皆伝の腕前を持つ剣の使い手である瀬那で、しかも本物の忍者である霧香にも警護の為にこっそり付いて来て貰って。その上で自分が傍に付いている状況でも、流石に真っ暗闇の中で襲われてはひとたまりもないだろう。万が一、相手の刺客がNVG(暗視ゴーグル)でも着けていたら、それこそ一巻の終わりだ。
 ともすれば、ある意味今日の時点でここを知れたのは、一真にとって僥倖だった。エマには大変悪いのだが、しかし瀬那の事情は少しばかり……とは言えないほどに特異なのだ。用心に用心を重ねて、損はない。
「……おっ」
 そうしている内に、先を往く一真の真っ暗な視界の中に、やっとこさ光の色が戻ってきた。
「カズマ、あれは……?」
 すると、一真の背中の陰から顔を出しながら、エマも不思議そうにそっちの方を見る。
 ぼんやりと一点だけ淡い光が漏れる中に、石が安置されていた。梵字ぼんじ――古代インド・サンスクリット語(梵語ぼんご)の表記文字で、日本では主に悉曇しったん文字を指す――が刻まれたその石は随求石というもので、それに触れてから出っ張りのようなものを回して一つだけ願いごとをすれば、それが叶うとされている……らしい。
 梵字はとても表記できるものでないのでここでは省くが、とにかくそれが刻まれた光差す随求石の元へ、一真とエマは二人揃って歩いて行く。
「さてと、エマ」
「えっ?」
 先にやらせてやろうとエマを前に出すと、戸惑い振り向く彼女に向けて一真はニッと小さく口角を緩ませ、
「レディ・ファーストだ」
 そんなことを言ってやれば、エマはクスッと軽く微笑んだ後で「分かった」と頷いて、その随求石に触れる。
「えーと、こうすればいいのかな……?」
 戸惑いながらもエマはその石を撫で、そうしながら上の出っ張りを回す。
「…………」
(――――戦いが終わった世界で、カズマとずっと、一緒に居られますように)
 声に出さないまま、少しの間だけ瞼を閉じて。そうして祈りを捧げた後でクルッと踵を返すと、首を傾げたエマは微笑みながら「終わったよ」と一真に告げる。
「何をお願いしたんだ?」
「ふふっ、内緒っ♪」
「へいへい」
 ご機嫌そうに語尾を上げるエマにわざとらしく肩を竦めながら、続けて一真が同じように石を撫で、出っ張りを回して祈りを捧げる。
「…………」
(俺は、ちからが欲しい。圧倒的なちからが。奴らを一匹残らずすり潰せる、エマやステラ、それに瀬那を――――俺の手の届く範囲だけで良い。手の届く範囲を、その全てを護り抜けるだけのちからが)
 その祈りは、果たして届くか否か。しかしそれは、一真にとってもその決意を固く改めるきっかけに等しかった。
(……俺は、強くなけりゃならない。誰よりも、何よりも――――)
 それが、あの日に舞依と交わした、約束だから――――。
「…………」
 そうしてから、一真が石から離れると。振り向けばエマが「終わった?」と声を掛けてくる。
「ああ」
 一真が頷いてやれば、エマは「じゃあ……」と小さく頷いて、再び一真の手を取りながら、今度はその背中に抱きついてきた。
「え、エマっ!? 何のつもり――――」
「いいの」しかし、戸惑う一真を強引に押し切るみたいに、エマは言葉を遮ってくる。
「このまま、出口までお願い。…………やっぱり僕、暗いところ、怖いから」
 そう言われてしまえば、一真も肩を竦めこそすれど、しかし「……しゃーない」と頷くことしか出来ず。その後で一真が「分かったよ、好きにしてくれ」と言えば、エマが安心したように微笑むのが、背中越しにでも何となく分かった。
「じゃあ、カズマ。…………お願いね?」
「へいへい、仰せのままに……」
 そうしながら、エマに抱きつかれたままの格好で一真はそこを離れ。また暗闇の中へと身を溶かし込んでいく。背中に押し当たるふにふにと柔らかい感触を味わいながら、溶けていく理性を抑えつけるのに一真が随分と苦心したのは、また別のお話だ。
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