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第四章『ファースト・ブラッド/A-311小隊、やがて少年たちは戦火の中へ』

Int.16:訪れる夏、しかしてそれは長すぎるひと夏の幕開け

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「――――ということで、本日この時を以て、授業は一旦終了となります」
 そして、迎えた金曜日の四限目の終わり頃。世にも珍しい午前だけで終わる短縮授業のこの日は、今教壇に立つ錦戸が言った通り、夏休み前最後の一日だった。
 それが今、まさに終わろうとしている。だからなのか、A組の教室も、そして他の所も。皆が皆どこかそわそわとしていて、落ち着きのない雰囲気ばかりが漂っていた一日だった。
 だが、それももうすぐ終わる。あと数分で終業を告げるチャイムが鳴り響けば、そこから一ヶ月と数日、楽しい楽しい夏休みの幕開けなのだ。
「分かっているとは思いますけれど、帰省する方でもし申請漏れがありましたら、すぐに申し出てください。心配なさらずとも、今ならまだ間に合いますから」
「裏を返せば、間に合わなかったらエラいことになるってことだ」
 教壇から少し離れた教室の隅、そこに立つ西條が、錦戸の告げる言葉に続けて、そんな脅しのようなことをニヤニヤとした顔で口走る。すると錦戸は「ははは……」と苦笑いをしてから「こほん」と咳払いを挟み、西條を軽くスルーしつつ話を続けていった。
「……とにかく。一ヶ月と数日というほんの短い期間ではありますが、怪我なくトラブルなく過ごして頂ければ幸いです。帰省される方々は道中、くれぐれも気を付けて。ここに残られる方々も同様です。存分に楽しんで貰って構わないのですが、とにかく気を付けて」
「そういうことだ」
 錦戸の言葉に続け、便乗するように西條がうんうんと頷く。白衣を羽織る西條は相変わらず教室だというのにお構いなしで煙草を吹かしているが、今更それをとやかく気にする者は誰一人として居ない。
「まあ、なんだ……。なんかこう、他に言うべきことがある気もするが、正直言って思い付かん! だから、私から諸君らに言えることはただひとつだ。
 ――――その青春、存分に楽しんでこい。なぁ、若者たち!」
 ニィッと笑いながらそんなことを言いつつ、しかし最後をビシッと決めて西條がそう言えば、丁度そのタイミングでチャイムの音色が校舎中に鳴り響く。束の間の終わりを告げ、そして待望の夏休みの到来を告げる鐘の音が、鳴り響いたのだ。
「よおし、解散っ!!」
 その西條の号令で、遂にA組にも夏休みが訪れた。




「さてさて皆々様方、お待ちかねの夏休みですよん!」
 …………とはいえ、早々からどこぞに遊びに行くわけでもなく。腹が減っては戦が出来ぬと言わんばかりに、とりあえず腹ごしらえにと一真ら以下七人の相変わらずな面々が食堂へ押し寄せると、それぞれ盆を持っていつもの窓際の席に着くなりそうやって白井が音頭を取り始める。
「…………」
 しかし、一同はそれぞれ白井には目もくれず。味噌汁を啜ったり箸を伸ばしたりと各々食を進めるのみで、そんな白井の音頭に反応する者は誰一人として居ない。
「ってえオイ! 無視かよ、スルーかよっ!?」
 とまあ、そんな具合に更に白井が騒ぎ出す。すると「はぁ」と溜息をつくのはステラで、
「アンタって、ホント元気よね」
「おうよ!」
 元気よく返事をする白井を横目に見ながら、ステラは更に溜息をつき。「皮肉のつもりで言ったんだけど?」と呆れたように言う。
「まあでも、お待ちかねって意味では白井の言う通りなんだけどね」
「だろ? だろぉ?」
「でも、今すぐどうこうするってワケじゃない。どのみち、本格的に色々アレするのは明日から。だからホラ、アンタもさっさと座りなさい」
「うう……」
 ひどく冷静な口調で、ステラから諭すみたいにそう言われてしまえば、白井も涙目になりながら大人しく席に座るしかなく。そんな白井の反応を見ながらステラはクスッと小さく笑うと、
「ひとまず、今は腹ごしらえ。此処では確か……腹が? 腹が減っては……? とかいうことわざがあるんだっけ、瀬那?」
「うむ」一真の真隣の位置に座る瀬那が頷く。「腹が減っては戦が出来ぬ、だ」
「そうそう、それそれ。ということで白井、アンタもさっさと食べなさい。早くしないと、置いてっちゃうわよ?」
 なんて風に悪戯っぽい顔をしながらステラが言えば、白井は「わ、分かったよ……」と素直に頷く。
「ふふっ……」
 すると、瀬那とは反対側で一真の隣に座っていたエマが小さく笑いだし。それにステラが「何がおかしいのよ、エマ」と訊けば、
「いや……。何か最近、ステラのアキラに対する態度っていうのかな? 接し方が、大分柔らかくなったからね」
「あっ、それ分かりますっ」
 エマが言うのに続けて、そう反応したのは美弥だ。
「なんか、最近ステラちゃん柔らかくなりましたよねー、白井さんの対応。何かあったんですかぁ?」
「なっ、何も無いわよ……」
 そんな風に美弥に言われ、即座に否定するステラだったが、しかし視線は何処か逸らし気味。
 すると、そんなステラの反応を見た霧香は「ふっ…………」と微かに口角を緩ませ、
「図星…………」
「ずっ、図星じゃないわよっ!?」
 いつものノリでそう言うものだから、ステラは途端に強い語気で言い返す。しかしそんな反応を示してしまったせいで、ステラの図星疑惑は余計に強まるばかり。
(ええ、そうよ。図星よ。ったく……あんな話聞かされたら、ちょっとやり辛くなるっての)
 気付かぬ内に中腰になっていた身体を席に戻しつつ、ステラは内心でそうひとりごちていた。
 ――――そう、確かに霧香の言う通り、本当の所は完全な図星だった。
 それもこれも、全部サヴァイヴァル訓練でのあの一件があってからだ。偶然とはいえ、白井のあの過去を聞いてしまえば……幾らステラといえども、多少は態度を軟化させてしまう。せざるを得なくなる。あの軽薄さの裏に、あんな過去が隠されていたと知ってしまえば……。
「…………」
 すると、それを美弥も何となく察してくれているのか、視線だけでステラにアイ・コンタクトを取ってくる。
 それに気付いたステラが小さく頷くと、美弥もクスッと軽く微笑み、互いの意思疎通が取れたことを暗黙の内にステラへ教えてくれた。
 ――――大丈夫ですっ。ステラちゃんの言いたいことは、何となく分かってますから。
 視線を交錯させる美弥の瞳の色は、言葉を介さずしてステラにそう語り掛けていた。
「じゃあ、本格的には明日からですねー」
 そうしていると、美弥は意図的に話題を逸らそうとしてくれたのか、そうやってまるで別の話を切り出す。
「んだな」
 唐揚げに箸を伸ばしながら、頷き相槌を打つ一真。「今日はまあ、俺は帰ってのんびりするよ」
「そうか。其方がそう申すのなら、私もそうしよう」
 ともすれば、一真の続けて言った一言に瀬那も同意の意を示す。その後でエマが「あ、じゃあ後でそっちの部屋、遊びに行っても良いかな?」と訊けば、一真も瀬那も二つ返事で頷いた。
「んじゃあまあ、アタシも今日はゆっくりしようかな。最近なんか、出ずっぱりだった気がするし」
 更に続けてステラはそう言うと「何なら、美弥。どっか行くなら付き合うけど?」と続けて訊くが、しかし美弥は「あはは……」と苦笑いをし、
「誘ってくれて、嬉しいんですけど……。残念ながら私、まだこの後に補習があるんですよぉ……」
「あー……」
 美弥に言われ、ステラは気まずそうに唸る。すると美弥は「きっ、気にしないでくださいっ!」と慌てて言い、更にこう続けた。
「誘って貰えたのは、とっても嬉しいですし……! も、もしステラちゃんが良ければ、また後日にでもっ!」
「え? あー、うん。それは全然オッケー」
 戸惑いながらも頷くステラに続いて、「そういや、夏休みまで食い込むって言ってたもんな、オペレータ部門の補習」と一真が口を挟む。
「あはは、こればっかりは仕方ないですよぉ。折角一真さんが言ってくれたことですし、やれるだけのことはやってみますから」
「おう、その意気だぜ美弥」
 意欲満々といった具合の美弥に向かって一真がニッと頬を綻ばせれば、美弥もぱぁっと顔色を明るくする。
「へへへ、じゃあさステラちゃーん? 折角だし、暇なら俺と……」
 そんな最中、美弥に断られたのを好機とみた白井がそうステラに話しかけるが、しかしステラは「却下」とそれをあまりに無慈悲な一言で一蹴する。
「うん、知ってた」
 ともすれば、どうやら回答は最初から分かっていたらしく、白井が諦めたみたいに肩を竦める。
「……でも、夏休みかあ」
 そんな二人のやり取りを半笑いで眺めていたエマが、ふとした折にそんなことを呟いた。
「早いね、本当に」
「だな」
 隣で呟くエマに相槌を打ちながら、一真も彼女と同じように、視線を窓の外に投げてみた。
 窓の外に広がる外界には、相変わらず刺し殺すかのような激しい夏の日差しが容赦無く照り付けていて。路面との照り返しで陽炎が揺れそうなぐらいに暑そうな光景の中で、蝉の激しい鳴き声が窓越しにでも微かに一真たちの耳にも届いてくる。
「……本当に、早いな」
 ――――季節は、巡る。早すぎるときの流れの中で、容赦無く巡り巡っていく。
(次の夏も、こうして)
 こうして、ここで次の夏も見られたら。それは、どんなに幸せなことか――――。
 微かな予感を抱きながら、一真はそう思っていた。
 蝉の鳴き声が、聞こえる。長い長い夏の到来を告げる、ひぐらし・・・・の鳴き声が――――。
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