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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』

Int.40:アイランド・クライシス/極限状況、生き残る術はただひとつ⑥

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「錦戸、みなの首尾はどうか?」
「順調、なようですな」
 そして、海岸沿いのプレハブ小屋――――。そこに戻り、コーヒーカップを傾けながら西條が問えば、傍らの錦戸が目の前の長テーブルに広げたラップトップPCの画面と睨めっこしながら、相変わらずの柔らかい温和な笑みを浮かべてそう言う。
「GPSトラッカーの数、合ってるよな?」
「勿論です。少佐、そんなに心配ですか?」
「心配にもなるさ、仮にも私の教え子たちだからな」
 さも当然と言った顔で西條が珈琲を啜りながら言えば、それに錦戸はラップトップの画面を見たままで「ははは、確かに」と笑う。
 ――――実は、今回の演習に際し、西條は全員の荷物の中にこっそりとGPS追跡装置トラッカーを紛れ込ませてあったのだ。今錦戸が睨めっこする画面に映るのは、そのGPSトラッカーが今どこに居るのか、といった具合の数の表示だ。冠島を表す地図の上に、幾つもの光点がある。
「どうやら、到着が一番早そうなのはレーヴェンスさんたちの班のようですな。流石にお二人とも、経験者なだけある」
「だな」胸のポケットに手を伸ばし、咥えたマールボロ・ライトの煙草に自前のジッポーで火を付けながら、西條が頷く。
「仮にお荷物が一人増えたところで、やっぱり大して苦にもならんか」
「ははは、そう言ってあげないでください、少佐。白井くんも、決して悪気があるわけではないのですから」
「分かってるよ、ンなことは」
 ふぅ、と紫煙混じりの息を吐き出しつつ、錦戸の返す言葉にそう言う西條。すると錦戸は「ははは」と好々爺めいた笑みを浮かべながら自分も愛飲するラッキー・ストライクの煙草を吹かし始め、訓練生たちの現在位置を示す光点を表示するディスプレイを眺めながら、紫煙を燻らせる。
「ああ、少佐が懸念されておられた壬生谷さんも、どうやら順調なようです。東谷さんをペアに組ませたのは、正解ですな」
「だろぉ?」ニヤニヤと、さも自慢げな顔で西條が言い返す。「私の言った通りじゃないか」
「ははは、全くその通りで。流石は綾崎さんの庭番役というワケですかな」
「当然。仮にも宗賀そうが衆の忍を名乗るんなら、美弥程度のお守りぐらいやって貰わんとな」
「……しかし、宜しかったのですか?」
「何がだ?」と西條が訊き返せば、錦戸は「ええ」と頷き、
「綾崎さんには、やはり東谷さんがペアを組んだ方が良かったのでは、と思いまして」
「…………まあ、確かにな」
 もう一度紫煙混じりの息を大きく吐き出して、口から離した煙草の灰をテーブルの上にある灰皿にトントン、と落としながら西條が呟けば、再びそれを咥え直すと、少しの間を置いてから西條はその答えを提示した。
「確かに、楽園エデン派がここで襲撃を掛けてくる可能性を少しでも考えるんなら、瀬那と組ませるのは霧香がベストだったろうさ」
「では、何故……」
「――――霧香本人からの、進言でな」
「東谷さんが直接、ですか?」
「ああ」西條は頷き、目を丸くした錦戸の言葉を肯定してやる。「瀬那には自分よりも、弥勒寺と組ませてやって欲しい、だそうだ」
「それは、まあなんと……」
「アイツ自身も、今回の訓練で奴らが仕掛けてくる可能性は、限りなくゼロに近いって見解だ。――――勿論、私も同意見だが」
「ええ、それは私も同意します。……しかし、それでも可能性は捨てきれません」
「相変わらずのネガティヴ思考だな」
 口角を緩めながら、横目の視線を流す西條が悪戯っぽい笑みで言えば、錦戸は「ははは……」と参ったような苦笑いを浮かべる。
「こればかりは、昔からの性分でして。少佐は十分、ご承知かと思いますが」
「承知も承知。お前との付き合い、どんだけ長いと思ってる? 私みたいな奴の副官にしとくにゃ、お前ぐらいマイナス思考な方がバランスが取れてて丁度良いのさ」
「ははは……」
 ニヤニヤとする西條に、苦笑いする錦戸。それに西條はフッと軽く笑うと、短くなった吸い殻を口から離し灰皿に押し付け、新しい煙草を咥えた後で再び口を開く。
「ま、話は逸れたが――――私もな、霧香に言われるまでもなく、瀬那にはアイツと組ませるつもりだった」
「弥勒寺くんと、ですか?」
 当たり前だ、とぶっきらぼうに肯定しながら、西條は口に咥えた新しいマールボロ・ライトにジッポーで火を付ける。
「…………奴ならば、或いは瀬那のちからになれるやもしれん」
「綾崎さんのちからに、弥勒寺くんが?」
「抽象的な表現で、済まないけどね……」
 自嘲めいた笑みを一瞬だけフッと浮かべると、西條は煙草を吹かしながらで話を続けていく。
「なんというか、アイツら二人を見てると、最近私はそう思えて仕方ないんだ。それに、この間の戦技演習で確信した」
「確信、ですか」
 ああ、とそれに頷き、一度口から煙草を離し灰を落としながら、ふぅ、と紫煙混じりの息を大きく吐き出せば、西條は焦らすように言い淀んでいたその言葉の続きをポツリ、と錦戸に向かって話し始めた。
「あの二人なら、もしかすれば私たちの未来すらをも、変えてくれるやもしれない……なんてな」
「綾崎さんと、弥勒寺くんが……?」
「おっと、少々ポエムが過ぎたかな?
 ――――まあ冗談はさておき、私は本気でそう思い始めてるんだよ。これからのこの国の、いやこの世界の行く末そのものを、あの二人なら変えてくれるんじゃないか……ってな」
 それに錦戸は、少しの間押し黙った後で、
「…………確かに、綾崎さんは家柄もありますから、説得力が無いわけではありませんね」
 と、一応は西條の妙な言葉に同意の意志を示す。
「だろ?」ニヤニヤとしながら彼の方に横目を流し、少しばかり嬉しげに西條がフッと笑う。
「だから、敢えて今回はあの二人を組ませてみた。良いだろ、別に? どうせ四六時中顔突き合わせてるような奴らだ、今更何とも思わんだろうて」
「意図的にそうしたのは、少佐ご自身ですけれどね」
 それを言うな、と苦笑いで返しつつ、西條は目の前の灰皿に煙草の灰を落とす。
 ――――実は入学時、訓練生寮の部屋を一真と瀬那が同室になるよう仕組んだのは、他ならぬこの西條なのだ。本当の所を言えば二人分けて住まわせられる程度に空き部屋の余裕があったのだが、しかしそこを西條は敢えて強引に二人を同室に押し込んだ。
 それは、何の意図があってのことなのか。瀬那の、そして一真の過去や事情、それに家柄を鑑みてのことなのか……。
 確かに境遇が似た二人であるが、しかしその二人に何を思って部屋を同室などにさせたのかは、西條の他にその意図を知る者は、彼女の腐れ縁である隣の錦戸しかいなかった。
「…………それで、錦戸。"プロジェクト・スティグマ"の方はどうなってる?」
 煙草を咥え直した西條がいきなりシリアスな顔になったかと思えば、唐突にそう問いかけてくる。しかし錦戸はして驚いた様子も見せず、「ええ」と頷いてから彼女の問いに答え始める。
「先日、戦技演習分までの収集データは少佐のご指示通り、向こうに送っておきました。プロジェクト自体は現在、マーク・デルタの改修作業をメインに進めているようです。それに平行して、再設計されたマーク・イプシロンの製作も」
「そうか……」
 ふぅ、と大きく息をつき、西條は座っていたパイプ椅子の背もたれに大きく背中を預けると、ふと頭上を見上げてみた。そこにあるプレハブ小屋の、蛍光灯があるだけの簡素な白い天井を眺めながら、西條はポツリ、と呟く。
「後はマーク・イプシロンの結果次第か、ゼータとイータを、果たしてどう作っていくかは……」
「ですな」煙草を吹かしたまま、ラップトップのディスプレイを見つめたまま。錦戸は、その言葉に深く頷いた。
「まあ、今はとにかく祈ろう。この訓練、無事に何事も無く終わってくれることを」
「全くですな、少佐」
「ああ、本当に」
 パイプ椅子の背もたれから背中を離すと、西條はもう一度灰皿に灰を落とし。それから短くなったそれを咥え直すと、錦戸の方へ横目を流しながら、フッと軽い笑みを浮かべながらでこう言った。
「――――それと、いい加減少佐はやめろ」
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