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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』

Int.12:我が魂は金色の一刀、天下に丸に花菱の風が吹く①

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「…………」
 霧香に連れられ、無言のままに瀬那は暗い闇の支配する夜の中を歩いていた。
 歩くこと暫く、辿り着いたのは士官学校から少し離れた、丘か何かのような緑地の入り口。住宅街の端から逸れた所にある、車一台が通れるか通れないかぐらいの狭い一本道を暫く行ったところで、霧香はやっとこさ立ち止まった。
「…………」
 街灯一本無く、そこはあまりにも暗かった。吹き込む風で微かに葉を揺らす木々の合間に、不作法に生い茂った竹藪のような景色が周り一体に広がる一本道のド真ん中で立ち止まれば、霧香も瀬那も、無言のままで神経を研ぎ澄ませる。
「……居るね、近くだ」
「分かっておる」
 そう言う瀬那の背中に、己の背中を合わせるように霧香は背中合わせになる。
「して、其方の獲物は?」
「残念だけど、これしか」
 瀬那の問いに小さく答えれば、霧香は少し長い丈のスカートの裾を捲り、その奥――恐らくは太腿辺りに巻き付けて――隠していた短刀をチラリと取り出してみせた。柄に滑り止めの黒いゴム質のテーピングを巻いてある、少し大きなコンバット・ナイフかってぐらいの長さな刀身しかない、少しばかり頼りなくも思える奴だ。
「其方なら、それでも問題なかろう」
 小さく頷きながら瀬那はそう言えば、鋭い視線を己が前方へと戻し、再びその神経を研ぎ澄ませる。
「――――隠れん坊はもうしまいにしようではないか。大人しく出てくるがい。幾ら隠れたところで、獣は匂いで分かる……。
 貴様らがこの私の後をけていることは、既に承知しておることぞ」
 虚空に向かって瀬那が堂々たる態度で、やたらとよく通る声でそう告げてやれば。「……くっくっくっ」という低い引き笑いが闇の中から木霊し、そして何者かの人影がすうっと、真っ暗闇の中からその輪郭を浮かび上がらせる。
「まあ、バレているとは思っておりましたが。流石に勘はお鋭いようで」
 現れたのは、男だった。背丈の小さい、少しふくよかな体格の背広を着た男だ。帽子を目深まぶかに被り、両手を背中で組むその姿は堂々としているが、しかし濃すぎる湿気にも似た嫌な気配を、瀬那に感じさせてくる。
「この私に何用なにようだ、貴様。後をけるなどという不作法、私が綾崎の血族だと知ってのことであろうな」
「無論です」
 低い声色で告げる瀬那の言葉に、男は再びの引き笑いを混ぜながらそう肯定してみせた。
「…………楽園エデン派の手の者か」
「教えてあげません。――――と言いたいところですが、実際は半分正解で、半分は間違いです」
 気色の悪い笑みを浮かべながらそう言った男は、続けて更にこんなことを口走る。
「確かに私は、貴女様の仰る楽園エデン派になるのかもしれません。しかし、私めは単なる使いに過ぎません」
「使い、だと?」
「はい」怪訝な顔をする瀬那に、わざとらしく男は恭しく頭を下げてみせる。
「単刀直入に申し上げれば、貴女様には我々の元に来て頂きたいのです」
「何?」
「貴女様は、今後の人類にとっても必要な存在です。でありますから、出来ることならお命までは頂戴したくございません」
「だから、貴様らに私が加われと?」
「はい」また男は、おちょくっているのかというぐらいわざとらしいお辞儀をしてみせた。
「――――フッ」
 しかし、それを瀬那は鼻で笑う。
「笑止、いやはや笑止千万。貴様、己が一体私に何を申しておるのか、分かっておるのか?」
 呆れかえった顔で瀬那がそう告げれば、男は「はい」とやはりわざとらしい態度で頷いてみせ、
「高貴なる綾崎の血を引いておられる貴女様は、生きるべきなのです。未来の人類の為にも」
「例え、それがこの母なる大地を捨てることになろうとも?」
「はい」至極当然のように、男は肯定してみせた。
「星は、単なる入れ物に過ぎません。例えこの星を離れることになろうとも、しかし人類は生き続けられます」
「…………ふっ」
 すると、瀬那はまた男を鼻で笑う。
「例えここから逃げおおせたところで、その先でまた幻魔どもが襲って来ないとも限らぬ。その時も貴様ら楽園エデン派は、また星を捨てて逃げると申すのか?」
「…………」
 男は、その問いには答えなかった。すると瀬那は至極おかしそうに小さく笑い、
「貴様らは、そこが分かっておらぬのだ。例え逃げおおせた所で、いずれは戦わなければならぬ相手であることに変わりはない。それが我ら人類種に与えられた試練であるのならば、我らはそれを乗り越えねばならぬのだ。我々のちからだけで、仇敵を討ち倒し、民草を護ることの出来るちからを、我ら自身の手で手に入れなければならぬのだ」
「…………左様、ですか」
「故、私は貴様らのように、浅はかな考えの元で動く愚かな者どもに手を貸す訳にはいかぬ。この場だけは見逃そう、今すぐここを立ち去るがい。そして、この私の前に二度と顔を見せぬと誓え」
 毅然たる態度で瀬那がそう宣言すれば、彼女と正対する気味の悪い小さな男は「はぁ」と大きすぎる溜息を吐き出し、帽子のつばに伏せ隠していたその双眸を、再び瀬那の方に向けた。
「親も親なら、子も子、ですか……。全く、綾崎は親子二代揃って、随分と馬鹿なものです」
 そんなことを呟けば、男はスッと片手を上げた。
「――――! 瀬那っ!」
 途端、何かを察知した霧香が張り詰めた声でそう囁きかける。
 そうして次の瞬間には、竹藪の中から、闇の中から、その中で息を潜み、姿を溶け込ませていた何人もの連中が男の合図と共にいきなり飛び出してきて、瀬那たちの周りを取り囲んでいた。その連中は大半が手の中に打刀うちがたな程度の、ありふれた丈の日本刀を持っているか、或いは数人だが自動拳銃を持っている者の姿もあった。
「刺客、か……」
 しかし瀬那は、それに動じる気配も無く、ただ眼をスッと伏せながらそうひとりごちる。
「ええ」そんな瀬那の独り言に同意するかのように、男がニィッと笑みを浮かべながら頷いた。
「ウデ試し、というワケではないのですが。交渉が決裂した以上、貴女様には消えて頂く他にありませんので」
「ふん、貴様ら楽園エデン派はいつもそうだ。事あるごとにすぐ命を狙い、人を殺そうとする。浅はかにも程がある」
 ふぅ、と小さく溜息を混じらせながら、ひどく呆れたように瀬那がそう言い返す。
「…………瀬那、拳銃持ちは、私で優先的に対処する」
「うむ、心得ておる。背中は預けたぞ、霧香よ」
 視線を鋭く尖らせた霧香の囁きに瀬那がそう囁き返せば、霧香は「……御意」と小さく頷き、スカートの裾の奥に隠していた短刀を左手で抜き放った。逆手で握り締めたそれを顔の前に構え、油断なく周囲に視線を配らせる。
「でぇぇぇいっ!!」
 ともしていれば、周りを取り囲んだ内の一人が功を焦ったのか、刀を振りかぶりながら瀬那に突進を仕掛けてきた。
「ふっ――――!」
 しかしそれを、瀬那はパッと身体を反らせて避けながら、懐から取り出し開いた鉄扇で舞踊を踊るみたく逆に男の腕を叩き、その手から刀を叩き落とす。そうして二度、三度と叩いてやれば、勢い余って前のめりに転んだ男は意識を飛ばし、それ以上動かなくなる。
「チッ、愚かな……!」
 目の前の小柄な男が露骨に舌打ちをしている間に、瀬那は閉じた鉄扇を懐に仕舞いながら、フッとまた不敵に笑う。
「そちらから仕掛けて来たのならば、やむを得まい。――――霧香!」
「…………!」
 一瞬目配せをした瀬那の意図を受け取り、瞬間的に霧香の姿がそこから掻き消えた。
「何っ……!」
 瞬間的にその姿を消した霧香に戸惑う刺客の連中だったが、しかし次の瞬間――――。
「――――遅いね、遅すぎるね……」
 そんな、冷ややかな声が聞こえたかと思えば。腕や首を斬り刻まれた何人もの刺客が手の中から自動拳銃を滑り落とし、斬られた傷口から噴水のように血を吹き出しながらその場に倒れ伏す。
「ひっ……!」
 一瞬の内に斬り伏せられた光景に動揺し、他の連中が血の気を引かせる。しかし小柄な男が「ええい、狼狽えるでない!」と叫び、
「どちらか仕留めた者には、一人頭十倍の報酬を支払ってやる!」
 と言えば、刺客たちは目の前に人参を吊られた馬のように息を巻き、その闘志を再び奮い立たせた。
「目先の金で釣られたか、愚かな……」
 至極呆れたように呟きながら、遂に瀬那は腰に帯びた愛刀のつかに手を掛ける。そしてスッとそれを抜き放ち、八相の構えのようにそれを顔の近くに構えた。
 淡い月明かりに照らされ、刀身に刻まれた火を吐く昇り龍の筋彫りが、はばき・・・に刻まれた丸に花菱の家紋が、淡くその姿を月夜の元に晒す。
「例え綾崎の者とて構わぬ! 此奴こやつら二人、纏めて斬り捨ててしまえ!」
 小柄な男が叫べば、今まで刀を抜いて居なかった奴らも皆、その腰からバッと刀を抜いた。
「我が命は天下万民が為に在り。風吹き折れてしまうのならばいざ知らず、貴様らのような薄汚い悪党共にこの命、渡す訳には参らぬのだ!」
 キッと目付きを尖らせた瀬那が堂々たる態度でそう告げれば、カチャッと音を立てて峰の方に刀が裏返る。それを構えた瀬那の金色に光る双眸は、携えるその刀のように真っ直ぐ、一点の曇りなく研ぎ澄まされていた。
「ええい! 斬れ! 斬り捨ててしまいなさいっ!」
 その鋭すぎる眼光に気圧けおされ、狼狽した小柄な男が叫ぶ。
 ――――その瞬間、遂に剣戟の火蓋は斬って落とされた。
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